『エル・グレコ』
私はグーブログを始めて二年目、ブログ仲間のエルグレコについての記事をみて、エルグレコについて書いてみようと思いました。私は小さい頃から、絵を描くことは好きでした。本棚の片隅にエルグレコの一冊の画集があったことを思い出し、開いてみました。私はエルグレコの描く優しげな人物の表情が好きです。それと、エルグレコ描く細長い人物像とどこか歪んだような空間の表現に、この二十一世紀を先取りしたというか、過去と未来が一緒になったような不思議な世界を見るのです。
はじめに
エルグレコの略歴です。
マニエリスム後期の巨匠として知られるエル・グレコは、1541年10月1日生まれ。現ギリシャ・クレタ島出身。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、エル・グレコは「ギリシャの人」を意味する通称。死亡日: 1614年4月7日, スペイン トレド。
ギリシャ正教のイコンを描く画家として活動したのち、イタリアに渡って2つの都市を拠点とした。最初のヴェネチアは油絵を習得する修業時代にあたり、とくにティツィアーノ、ティントレットやヤコポ・バッサーノから影響を受ける。次のローマ時代にはミケランジェロの人体表現や、パトロンとなった枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼのコレクションに学ぶ機会を得、イタリア・ルネサンスの影響を受ける。またこの頃に描いた、古典ギリシャの絵画が題材の《ろうそくに火を灯す少年》(1570頃)のように、周囲の人文主義者からも影響を受けていたことがわかる。
その後、スペインに渡って1577年からトレドに定住して制作活動を行ったのですが、その作品は、激しい明暗の対比や色遣い、人物の長身化や顔のゆがみなど、バロック美術の先駆的な特色をよく表してい、特にその宗教画は、神秘的、超現実的で、現代を予感させるものがあります。
円熟期を代表する作品のひとつに《オルガス伯の埋葬》(1586)があり、作品上部は天界を描写し幻想的に、いっぽう下部の埋葬の様子は写実的に描き分け、画家の名声を確かなものにした。またグレコは教養人として知られ、豊富な蔵書を誇っていたことでも知られ、晩年には古代神話を主題とした作品を残しています。トレドの名画家として存命中評価されるも、ゆがみ、引き伸ばされた人体や独特の色遣いなどから奇抜とされ、1614年の没後、その作品が再び受け入れられるのは19世紀になってからのことであり、パブロ・ピカソやポール・セザンヌ、印象派の画家たちに影響を与えています。
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『聖家族(乳をやる聖母)』ですが、慈しみと穏やかさをもった作品です。
聖母、聖ヨセフ、聖アンナの顔が幾分感傷的とのことですが、その全体のあたたかな雰囲気がいいですね。
解説より。造形言語として、たとえば、いろいろの手が織りなす花環の結束の固さとやさしい慈しみの感情。この手の環は、幼児キリストを守る眼に見えない花束と天使たちを暗示しているようだし、曇り空の一角が切れて、聖母をいたわるようにぽっかりと希望にみちた青空をのぞかせ、これまた暗に固い結束とやさしい慈しみをあらわしているのです。
さらに、蜂蜜色とバラ色の情熱的な色合いが、この絵の色を一層親しみやすいものにしているのですね。
・続きは次回に・・・・。