詩人であり画家であったウィリアム・ブレイク(1757年11月28日~1827年8月12日)は、1794年『無垢と経験の歌』を出版。そのなかから、幾つかの作品の紹介です。
『無垢の歌』
「序詩」
さびしい谷間を笛吹いて
たのしい歌をならして行くと
雲のうえに幼児があらわれて
笑いながら わたしに言う
「子羊の歌を吹いてちょうだい」
わたしは たのしく吹きました
「笛吹きさん その歌をもう一度」
わたしは吹き 幼児は聞いて泣きました
「笛をやめて
あなたのたのしい歌を歌ってよ」
わたしは歌をくりかえし
幼児は泣いて喜びました
「笛吹きさん そこへすわって 書いて
みんなの読めるような本に」
幼児は姿を消しました
わたしは空ろの芦をとって
ひなびたペンにこしらえ
きよらかな水にひたし
どの子も聞いて喜ぶように
たのしい歌をかきました
「こひつじ」 訳=由良 君美
こひつじさん きみをつくったのはだれ?
だれがつくったか しってんの?
いのちをくれて かわのそば まきばなんかで
くさをたべるように してくれたひとだれ?
よろこびのきものをくれて
うんとやわらか ふんわり きららの きものをくれた ひとだれ?
こんなやわらかなこえくれて
たにまをみんな よろこばすの だれ?
こひつじさん きみをつくったの だれ?
だれがつくったか しってんの
こひつじさん おしえてあげる
こひつじさん おしえてあげる
あんたの名で よばれるひとを
じぶんをこひつじとおっしゃるおかた
おとなしく やさしいおかた
おさなごに なされたおかた
ぼくはこども あんたはこひつじ
そのみ名と ぼくたち おなじ
こひつじさん かみさまの みめぐみあれ!
こひつじさん かみさまの みめぐみあれ!
「黒のおとこのこ」
ママがね 南の荒地で ぼく産んだ
だからまっくろ でもね たましいは 白いんだぜ
イングランドのこは 天使みたいに白
ぼくは黒 ひかりをこばまれているみたい
こかげでママは おしえてくれた
ひざかりまえに すわりこんでさ
ひざにのっけて くちづけして
ひがしゆびさし おっしゃった
<さしのぼる朝日をごらん――あそこにかみはいらっしゃる
ひかりとねつをくださるかた
はなも きも けものもいただく
あさになぐさめ ひるによろこび
<あたしたち 地上には わずかしかいられない
あいのひかりにたえられるため
くろいからだ ひやけのかお
くもなのさ こかげとでも おもえばいい
<たましいが ねっきにたえるようになれば
くもももきえ かみさまのこえがきこえる
おっしゃるよ≪森からでよ ぼうやちゃん
わたしのきんのテントのまわりで こひつじのようによろこびな≫
こういって ママはぼくにくちづけ
ぼくはイングランドのこにいうよ――
ぼくはくろいくもから きみはしろいくもから ぬけでるとき
かみさまのテントのまわりで こひつじみたいに はしゃぐとき
きみをねつから かばってあげる ちちなるひとのひざもとに
きみがもたれかかるまで
それから きみのそばにたち 銀のかみをなでてあげる
それから きみのようになれば きみもぼくをかわいがる
「エントツ ソージ」
ママがしんだとき ぼく まだちいさかった
<エントツ ソージ! エントツ ソージ!>って
やっといえるころ パパは ぼくをうりとばした
だからね すすだらけで ぼくは ねんねをしなきゃならない
あいぼうのトム・ディカ 泣いたね
こひつじのせなかみたいな カールした毛をそられたとき
ぼくはいった トム
<気にしない 気にしない! ぼうずなら
すすがついても よごれないじゃん!>
トム 泣きやんだ そのよのことさ
ねむってたトム こんな夢みた
エントツ ソージの大勢がね ディック ジョー ネド ジャックがね
まっくろけのお棺のなかにいれられたら
キラキラ鍵の 天使がきて
棺をひらいた みんな自由
みどりの野辺をとんでわらい 駆けにかけ
かわにざんぶり からだをあらい 陽にかがやいた
まっしろ はだかで 煤袋もすてて
くもにのり かぜとたわむれ
天使トムのいうことにゃ よいこになれば
神はおまえのパパになり つきぬよろこびくるだろうって
そのときトムは めをさまし くらいうちからおきだして
煤袋と箒もち しごとにでたよ
さむいあさ でもトムは たのしくあたたか
みんな それぞれ義務をつくす なにをこわがることがあろ
「おささなごのよろこび」
<ぼく まだ 名なし
うまれて たったの ふつか」
なんてよぼう?
<ぼく しあわせ
「よろこび」が名なの>
きみのうえに あまいよろこび ふるように!
かわいい よろこび
あまい よろこび たったふつかの!
あまい よろこび こうよぶね
あ にっこりしたね
うたってあげよう
あまい よろこび ふりますように!
・『無垢の歌』の中の多くのものに、覚束げな童心が、まだ遠くない神の世界を顧みて懐かしんでいるといった趣が見えるのは、ブレイク的な「天真」の意味に通じるものでもあるのでしょう。
『経験の歌』はそれに比べて遥かに現実の側に接近しており、あるものではこの世界の悲痛の根源を極め、あるいは其処から、生きられる新しい原理を検出しようとする態度を明示するまでに至っています。
次回は、『経験の歌』の紹介です。