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koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

天地人-第11回「御館の乱」

2009年03月15日 22時12分39秒 | 天地人

さて,御館の乱です。
そもそも,謙信には家督を継ぐべく二人の養子がおり,そのいずれを家督にするつもりだったかは確かめようがありません。
後世から見た我々は,勝利者である景勝こそ正統という意識が強くなりすぎるきらいがありますが,果たして当時はどうだったのでしょう・・・。
私なんかは単純に考え,他の大名の血が入った景虎を後継にすると,実家である小田原北条氏の発言力が増すので,ここは姉の子でもあり長尾の血が入った景勝を・・・なんて思っていましたが,そんな簡単なものではないでしょう・・・。


景勝方になったのは,越後国人衆です。
特に大身の直江兼綱とか山吉景長といった謙信の近習や旗本上がりが多く含まれていた模様です。
対する景虎方は,前関東管領上杉憲政が健在でした。
したがって,上杉一族はすべて景虎の味方でしたし,上州を押さえる北条(きたじょう)高広・景広父子勿論,小田原北条一族が後ろ盾ですから,それだけでも優位に立っています。また,甲斐府中(甲府という呼称は江戸期以降でしょう・・・)の武田勝頼,羽州米沢の伊達輝宗(独眼竜の父),同大宝寺の武藤義氏,奥州黒川の蘆名盛氏といった関東・東北の有力大名が加わっていました。


このあたりから推察するに,謙信は景勝に越後を,そして自身の旧名を授けた景虎には関東管領の名跡を継がせようとしていたのでは,という説が現実味を帯びてくるような気がします。
自身の存生中は全く問題の無かったことですが,結果的には罪作りなことをした,という感は否めません。


・・・で,ドラマでしたが,何と斬り込んできた景虎を仙桃院が何とか宥めたものの,退っ引きならない状況に追い詰められた景虎は遂に挙兵を決意。
仙桃院は婿の景虎の元へ身を挺して戦を止めるべく赴き,華姫は景虎のもとを離れぬと決意。
それにしても,あれではどう考えても兼続が御館の乱の元凶となってしまいます・・・。でもって,いつの間にあんなに強くなったんだ・・・。
刀創を振るうことすらできなかった筈なのに・・・。


史実同様,景虎は春日山城の三の丸を退去。
世に言う御館の乱の幕開けとなります。
景虎が陣を張る御館-つまり前関東管領上杉憲政の館-は,自らの正当性を示すものということでしょうが・・・。
そのあたりの説明が皆無なのは???です・・・。
そんでもって,兵糧が無くなりましただと・・・。
勘定奉行親子がそろっていて何をしているんだか・・・。


でもそれ以上にぶっ飛んだのは,播磨の書写山で茶を点てている男・・・。
笹野秀吉と一緒にいるということは,軍師の竹中半兵衛(この頃かろうじて存生していたのでは?)か,黒田官兵衛か・・・と思いきや,明智光秀とは恐れ入りました・・・。
丹波攻略の最中ではないのか・・・。
ま,面白いから良いものの,私が子供の頃敷居が高かった大河ドラマのイメージは木っ端みじんに・・・。


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