関ヶ原の役と江戸開府も終わり,景勝実子誕生と実母四辻氏逝去が足早に語られました。
その頃,大坂では実頼が福島正則と飲んだくれていました。
で,泉沢に説き伏せられるも,何と本多正信父子の面前で縁組み破棄を申し出る(口あんぐり・・・)。
・・・で,何で榊原康政が応対に出るんだ・・・。
タカビーで陰険な榊原は,嫡子人質を要求。
直江家のことで,上杉家の問題ではないと申し開きをする兼続。
取り潰しに値する,実頼の首を持てと要求がエスカレート。
随分ひどい役・・・と少々気の毒に・・・。
後世の私たちから見れば,実頼とは何と大局の見えぬ男か・・・,と思いますが,実際時代を同じくした者にとっては,必死でその時その時を生きてきた訳ですから,結末の分かっている後世の我々には云々できないと思います。
ただ実頼は,確か伏見で政重を迎えるための使者を斬って出奔した筈です。
原作を読んでいないので何とも言えないのですが,これって本多に対しては何もしていない,つまり直江家家中の出来事として始末したのが真相ではないでしょうか・・・。
本多父子を目の前にして,実頼が暴言を吐いたとしたら,確かに今回のような謀反騒ぎになるでしょうから・・・。
つまり,実頼は確かに不祥事を犯したので断罪された,しかし,上杉・直江家の基本方針に何ら変わりは有りませんので,どうぞいつでも米沢へどうぞ政重様・・・となったのでしょう・・・。
実頼は高野山へ追放・・・というより,出奔して辿り着いたのではないでしょうか・・・。
今回のように,真田父子(何なんだ,あの髪型は・・・,というか,流人の真田に書状など出せるか・・・)と会ったかどうかは分かりませんが・・・。
その後の実頼については諸説が有るようで,兼続の没後許されて米沢で没したとも,実はこの事件の前年に没していたとも言われています・・・。
実頼には娘が一人いて,兼続の養女となって,於松没後に本多政重を婿に迎えたという事実は,いかにも皮肉です。
で,その後の政重については,本編の根多バレとなるので自粛しますが,実頼の後の大国家は,何と兼続・実頼兄弟の弟(字は余八?)である樋口秀兼の子光頼が継ぎ,現在まで残っているのは番組冒頭で語られた通りです。
はて,ビデオ消してしまったので確かめられないのですが,この方でしたっけ・・・??
さて、「この方」・・・は少し違うかも・・・
大国富丸さんかと思われますが・・・。
とにかく何とも切ない回でしたね。
実頼のその後に関しては書いたとおりですが,米沢に帰って・・・という説を信じたくなります・・・。
>大国富丸さん
確かにこの方でした。
米沢在住の天文愛好家にして大國家子孫だそうで・・・。
益々,実頼米沢帰還説を信じたくなります・・・。