「関西で大きな地震があったらしい・・」
週末に程遠い火曜日の朝,例によって惰眠を貪っていた私は,母の声で起こされた。
前年の四月の異動で,今住んでいる町に戻ってきており,実家から10km離れた職場に通っていた時代だ。
最初に目に飛び込んできたのは,燃えさかる炎と瓦礫の山。
一瞬,1945年3月10日の東京大空襲や,その丁度三ヶ月後の仙台空襲の映像とオーバーラップした。
テロップには「神戸市長田区」とあった。
次いで映し出されたのは,倒壊した高速道路の高架。
押し潰された車は,当然の如く原形をとどめていない・・・。
さらに瓦礫の山がアップで写る。
現地リポーターが悲痛な声で報告をする。
大規模な集合住宅があり,瓦礫の下に何人もの人が・・・という。
耐震構造・免震構造と言って,近代建築は地震に強い,というは話を聞いた記憶があったが,虚構であったのか・・・。
以前も書いたが,私は三度の大きな地震を体験している。
宮城県沖地震(78),宮城沖地震(03),東日本大震災(11)だ。
教訓としては,不時の災害に備えての「非常持ち出し」の準備,関連して災害時のライフライン不通時を想定しての準備(携帯ガスコンロ,石油ストーブ,飲料水等),緊急避難所(近くの学校)への道筋の確認,戸外への脱出ルートの確保等々が挙げられるが,都市型災害に対して如何に大都市が脆いか,ということも痛感している。
例えば先日の大雪で,市内随一の豪雪地帯である我が家周辺は最大25cmを越える積雪があったが,日中は救急車が走りっぱなしであった。
市街地中心部は数センチの積雪で,交通機能が麻痺する。
東京・大阪なれば尚更であろう。
大地震に備えておくことと,18年前の惨禍を,一昨年のことと同様に,もう一度頭にたたき込んでおくことの必要性を感じる。
6,436人もの犠牲者と4万人を超える被災者のためにも・・・。
(随分以前に別のコミュニティに投稿した拙文を改訂して再掲しました。間もなく巡ってくる「あの日」の為にも,今一度認識を新たにすべく,敢えて掲載に踏み切りました・・・)
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