元プロ野球選手で,オリックスの監督も務めた土井正三氏が逝った。
享年67。
一昨年の巨人軍通算5000勝記念イベントに痩せ衰えた車いす姿で登場し,闘病中であることを公表。
以来自宅療養中と,つい先日知ったところだった・・・。
巨人の背番号6は,現在進境著しい坂本が付けているが,それ以前は落合,篠塚と名手が付けていた。
篠塚は確か昭和49(1974)年の夏の甲子園で銚子商業が優勝した際の4番ショートと記憶しているので(宇野と三遊間を組んだのだろうか・・・),翌年巨人に入団したとすると,53年まで現役だった土井と被ることになる。
篠塚の前に6番を付けていたのが土井である。
巨人の背番号6は,私の子ども時代は土井が,若い頃は篠塚が,いい年になってからは落合が,そして現在は坂本が・・・と,各時代を代表する選手に受け継がれてきたのである。
土井という選手の非凡さを印象づけたのは,何と言っても昭和44(1969)年の日本シリーズでの阪急戦である(第4戦)。
無死一三塁でダブルスチールを敢行し,本塁突入した土井は阪急の捕手岡本の鉄壁のブロックで憤死したように見えたが,岡本の股下をかいくぐった土井の足は,見事にホームベースを陥れていた・・・という有名なエピソードである(因みにセーフの判定に激昂した岡本は,審判をどついて退場となった)。
また土井は,犠打の名手として知られている。
繋ぎに徹した名脇役-後に木田の世界記録を樹立した川相昌弘の原型は,土井にあると言っても良いかもしれない・・・。
史上最強と言われたV9時代の巨人は,全員がそれぞれの役割を担い,きっちり果たしていたのである・・・。
そして今日,予想通り西武に楽天は敗れ(しかも,おかわりとGGに田中が被弾という最悪の予想が的中),腸が煮えくりかえる思いで見た巨人戦,現代の背番号6が魅せてくれた。
2点ビハインドの6回,二塁打で出塁した坂本は,続く松本の犠打の間隙を突いて,何と本塁を陥れる。
往年の土井の姿がオーバーラップするような,見事な走塁だった・・・。
土井は果たして一昨日の巨人リーグ三連覇の報を聞いていたのだろうか・・・。
否,きっと知っていたと思いたい。
なればこそ,それを見届けてから静かに逝ったのではないだろうか・・・。
往年の名手に合掌・・・。
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