市内の地下鉄D駅。
トイレに,12/7に爆弾を仕掛けて子どもを殺す,という落書きが 発見されました。
D駅は封鎖,最寄りの学校は集団下校を余儀なくされ,多くの市民の足に影響が出たと思われます。
全くどうしようもない話で,そのようなことをした犯人を絶対に許してはならない・・・と憤りました・・・。
そうした中で退勤時間を過ぎ,仕事は山積だが今日は所用があるので,早く帰ろう・・・などと思った矢先でした。
同僚と打ち合わせをしている最中,誰かが
「あ,きた」
と言いました。
(何が?)
と思った途端,大きな横揺れ。
思わず1年9ヶ月前の記憶がたちどころに蘇りました。
強い,そして長い-と直感。
あの時と全く一緒です。
「火を消して」
誰かが言って,近くの者が暖房機のスイッチを消し,私は給湯室に走りガス栓を閉めました。
それでも揺れは収まりません。
この長さもまさにあの時と同様です。
只,あの時はあちこちで物が落ちて壊れる音がして,窓ガラスがガタガタ鳴り渡り割れる寸前だったのに対して,今日のはそこまで大きくないと判断されました。
「電力,落ちるな-」
あの時は,あっという間に照明が消え,3日3晩の闇の世界が待っていた訳ですが,とにかく必死でそれを願うとともに,
(あの時以上のものが来る筈ない・・・)
と,必死で思いました・・・。
1分と少しでしょうか・・・。
大きな揺れが収まっても,しばらく揺れている感じでした・・・。
ラジオを付けても同調せず,TVを付けるとすべての局が地震特番に切り替わっていました。
机上のPCのIEを動かして情報を入れ,その後はTVに釘付けとなりました。
沿岸部の町が映り,アナウンサーが必死で叫んでいました。
「津波警報が発令されました。今すぐ高台に避難してください。近くに高台がない場合は頑丈なビルでも構いません。3階か屋上に避難してください。東日本大震災を思い出してください。川や海の近くにいる方はすぐに離れてください・・・」
尋常ならざる口調から,遂にまたあの時のような津波が・・・と誰もが思ったことでしょう・・・。
結果から言えば,現時点で観測された津波は最大1mで,被害は殆どありませんでした。
しかし,沿岸部の市町村では避難所が各地に開設され,相当数が避難をした模様です。
前回壊滅状態となったM町など,全町に避難勧告が出されたと言います・・・。
我が街も沿岸沿いの3区に18箇所の避難所が開設されたようです。
8時過ぎに津波警報が解除され,その後避難所は解散となったのでしょうか・・・。
電話は,地震直後は携帯が繋がりましたが,すぐ落ちて1時間ほど不通でしたし,固定電話も同様。
相方からは5分後に電話がありましたが,その後しばらく繋がりませんでした。
1時間後にようやく固定電話が繋がり,上の子の無事を確認できました。
相方はクライアントへの対応に追われたようで,7時半まで勤務が解除にならなかったようで,私が下の子を迎えに行って無事を確認。
その後,実家行って母の無事を確認(耳が遠くて携帯に出ず)して,入院中の父のところへ行き,帰宅したのはかれこれ9時近くでした・・・。
とにかくいろいろなことが有りすぎた1日でしたが,ようやく遅い夕食を摂って,ビールを1缶空けて一息つくことができました。
とにかく大きな被害が無くて良かった。
あのような思いはもう二度と御免です・・・。
それにしても,携帯の緊急地震速報は全く役に立ちませんでした。
地震発生から数分後,多少のタイムラグは有るとはいえ,携帯がほぼ一斉に鳴り渡りました。
地震発生の後に鳴る地震速報なんて考えられません・・・。
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