利休切腹の命令と,奔走するお江,そして秀次と良いところで出てくる秀勝・・・。
何か波乱が・・・と思ったら,聚楽第利休屋敷警護の上杉勢の目を盗んで・・・。
私も思わず
「何とまぁ・・・」
と,言ってしまいましたよ・・・。
こんなことに何で時間を取るのか・・・という突っ込みはもうしません(笑)。
利休切腹までの秀吉の葛藤も,江が利休を慕うのもいまいち理由の底が浅い感じで,得心できぬのはいつものことですが・・・。
で,江は茶の湯の心得をいつの間に身につけ,利休の最後の一服をいただくまでになっているとは・・・。
さすが天下人の頬を殴っただけあります・・・。
予想通り,利休の死を嘆く秀吉。
理由付けの底が浅いだけに,浮いて見えたことは言うまでもありません・・・。
このあたりから,ずっと豊臣家の不幸は続きます。
先代秀勝(2人)に始まり旭姫,秀長,鶴松,そして大政所,秀勝,秀次・・・。
秀勝はどうやら善玉として描かれ,お江との夫婦仲も良く,突如として吹こうが・・・ということになるのが見え見えですが・・・。
鶴松の死で秀吉が髻を切ったのは本当でしょう。
ただ,三成を始めとする諸将も仕方なく倣ったということですが・・・。
鶴松の死の腹いせに朝鮮出兵・・・という理由がないとは言い切れませんが,それが最大の理由ではありますまい・・・。
傲岸不遜な秀忠。
家康も
「捨て置け」
と言うしかないか・・・。
飯を食っている秀吉にずけずけとものをいうお江と良い勝負です・・・。
言ってしまえば,江は大坂城内や聚楽第で目立たぬように生活していたのでしょう。
豊臣家の継嗣問題にまで口を出す筈は無いと断言しましょう・・・。
・・・で,遂に秀勝と娶せると・・・。
理由は,秀次を見張る・・・??
で,求婚したよ・・・(絶句)
逃げ出す江・・・(無礼千万・・・)
・・・と突っ込む間もなく,婚礼・・・。
お床入りで布団離すんじゃねー。
全くこんなことに時間とるんじゃねーよ・・・。
それより,この当時の秀勝は岐阜宰相と言われ,甲斐から信長の故地岐阜へ移封され,多忙な日々だったと思われます。
さらに母である日秀の存在が全く無いのは問題です。
この頃は多分犬山城に居たと思われるのですが・・・。
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