あんまり、漢字の由来は言いたくないけど、
というのも、ご多分に漏れず本当の由来を偽った放映があったのを知ってるから。
出演者は言わされているわけだろう。
でも私は直撃される極端ごとばかりで かつ、象徴的となる事柄。(苦痛の極みだけど)
それだけに、気になる事も、実感に即しているから ということで;
忙しい は こころへん 心をなくすと書く と俵万智さんの母上がおっしゃってた。
気をつけなきゃな・・と、思いました。20台前半でした。
自分では心無くさずにできていたと思ってます が、
なくしたら気付かないような事、それだけに日頃の考え方がたいせつ。
(この場合、ふるまいのことではなくね。)
忙しいから心をなくす もあるかもしれないけど、
「忙しさだけ」を口実、意味のあることにしてしまった状態
ともなれば
まさしくです。
さて、忘れる ・・・おきづきですね、
忘は、なくした心 あるいは 心になくしものがのっかって困ってます。
これは、よくできてるなと、今の私には大納得です。
記憶というのは、心とほぼ一体らしい。
記憶を失い、真実(実際)をすっかり手離している相手のようす と、
わかってやっていたときや、思い出したときの相手のようす
とでは、
半径の長ーーーーい、180°違います。
記憶は心にされているのではないかというくらい。いや、もうそうだわ。
ほんの部分的な名称だけなど、心としての繋ぎが薄いと、本質の理解もあまり崩れないし。
アルツハイマーという病気があると噂されると震撼したものだけど、もはや殆どの人がそうなっても当然のように思われてる。
いっぽうで、殆どの傷病、~症というのは、悪の意図とその影響によるものとわかった。
そうじゃないと信じさせられてる大半のかたには申し訳ないけど。
ど忘れ、覚えられない など 起源はすべてほかの疾病おなじく内部侵入作用なのだとも。
たとえば今、成人なのに地球見て、地図見て、何にも思わないとすれば、かなりのもの。
(何度も見せられているとスタンダードが入れ替えられたのではと懸念)
一般教養としての法学を習ったときに起こったこともそうだけど、記憶に残されてないのが
絶対多数だったというのは、少数に異常が起きたわけでない、集団異常。
元我が家で、やたら覚えてるなと指摘されていたけど、ちがったんだ。
忘れてるほうが人本来にないことだったんだ。
同時に 忘れてるほうというのは、聞く耳を持とうとしなくなる。あまつさえ(?)
あとで紙や画面に従えばいいと思ってる。 それらが正しいか判断できる記憶も無いのに。
どんなに頭の良かった人でも、たいして考えなくてもよいと思って仕事をしていると、違いが起きても自信がなくなるのだろうか メモに頼るようになってときく。
残念ながら、メモも字や紙が消えるけど、それ(証拠現れ)で大丈夫と思っている人(ほんの一時期の私もだけど)は、納得させられる。
形あるものは必ず壊れん ・・でしたか、もとは仏教からくる言葉、
残念ながら予告ワードにされて、まさか!? とおののきましたが、
こうまで、物に頼れなくなるのが普通になるとは、予想したくもありませんでした。
でもすでに
。。。世界遺産と、延々とりあげていたいっぽうで、
タージ・マハルやゲルニカが、極上の輝きを失い、ごっそり意味を奪われる改竄を、もう見せられていたのです。
(これが先日書こうとしていた1つです。まあ、言葉上ではなかなかショックが伝わらないことではあります。下線はしていますが、予告ワードに聞くよりも前に気付いていました。)
自分で気付いたのは、他にもあります。
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