お雛様にしても、にがい経緯がある。
私にはそれなりの記憶が残っているだけで、どちらさまにもということだったのかもしれないけど、やはり起こるタイミングはなにか特徴的。
ただ、
私に記憶が残っているといっても、たまたまよく思い出すよう意識したというのもセット。
そのときのことはそのとき はっきり認識できていたにもかかわらず、忙殺や、身近な人の状況あてつけの間違い説(催眠術操作記憶だったのだろう)にひっぱられていた時期もあった件が、こんな私にもあり、この1,2年、あ、そうだそうだと幾つか ほつほつ出てきている。
お雛様に関することも、母のまちがった記憶主張に鵜呑みとはいかずとも引っ張られそうになったことがあった。
結論からいって、(いまさら)
やられていた。
母の実家の見事なお雛様を見たことがある。何段にも飾っている様子や、箱に入っている状態のも。江戸時代からのと言う。
(そんなに長い事受け継いできたのだから、これからまだまだと思うじゃないですか。)
細部も全体も精緻にして気品のある宝、その素晴らしさ、見事さは筆舌に尽くしがたい。
しかし翌年だろうか、お雛様を出そうとしていた大人が物々しい・・ねずみかなにかにやられていると・・・。その直前の頃、漫画でそんな場面を見せられていたのを思い起こしている私に、やられた現物を大人が見せなかった。
いっぽうで自宅。
生まれたときの住処で、お雛様があった。その雛壇の前で撮られた写真を自分で見たとき、自分で見て記憶していた物もちゃんと写っていたりした。そういった写真は枚数が減り、残った1枚も見るたびにお雛様のメンバーや檀が減り、1人ぞっとした。
県 移っても飾っていた・・・が、これからというある年、むしのいどころがわるげな母がお雛様を出すのをしぶってやめた(ように見えた)。
次の年も(面倒だからやめようで)「やめようか」と一応私に承諾得て、別にあった立雛1対だけにした。
とにかくめんどくさがった母の機嫌のほうが大事だし、まあ時代も折衷ものを冷やかし洋物志向なとき・・・。
それからどれくらいだろう、母の記憶ではもともと家にはこのお雛さん(立雛)しかないと言いはられ、私は固まった。
今から思えば、和室が1つ(以上)無くなったのと、お雛様を飾るスペースが無くなったのが わりと一致しなくもない。(もちろん、しまう場所も。)
母は、「おばあちゃん(母の母)からお雛様を買うお金を援助してもらったが、買わなかった。それをとっておこうとして何に使ったか覚えていない」と記憶違いにまとめているが、
これは、(詳細を省いて申すと)
3度にわたる祖母から戴いた当時大金が、まるごと消え盗られていることを示す。
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