ふとしたこと

日々に気づいたことを書きます

厭になったことへの反省

2011年12月05日 09時11分42秒 | 囲碁

 

朝飯食べてボンヤリしてたら愚妻が

お父さん!川の写真展をやってるよ。だって。

なにぃ~くゎわの写真展ぢゃとぉ~っ!!

善通寺市美術館・・・遠いなぁ。

でも、行ってみっか。

10時前にポチに乗って家を出た。

快調なテンポで田舎道を走って展覧会場へ到着。

う~ん・・・

良い写真やなぁ~・・・と唸ってしまいました。

高松に住む写真家さんで川に魅せられて数年撮り溜めたもの。

春日川の洪水風景に始まって・・・

那賀川、銅山川、面河渓、四万十川、九州や本州の川など

とても良い写真を拝見して参りました。

流石に会場で写真を撮ることははばかられましたので・・・

帰宅して、やや気持ちも落ち着き

何故、日本の碁が弱いかなんてことを

クダクダと申し述べるのも詰まらないことのように思えました。

やはり、どれだけ一所懸命にやってる若者が多いか、少ないかに依る。

中国と同じように努力しても

絶対的な人口比で強い棋士が現れる人数においては勝てない。

一方の雄である韓国はどうかと言えば・・・

韓国の人口は日本の半分以下なんだけども。

韓国人の子供達は親が友人と囲碁を打つのを見て碁を覚えるという。

また韓国人男性の殆どが囲碁をたしなむというのだ。

韓国の友人は、日本の雀荘と同じくらい韓国には碁会所があると言ってた。

つまり、囲碁というものが生活に密着して存在しているのが韓国なんだ。

囲碁人口という点で、日本と韓国の単純な人口比では測れない

密度の差があったのだ。

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日本でもそういう時期があったやに聞く。

それは戦前のことで、最後の本因坊であった二十一世本因坊秀哉を

巡るドラマを中心に、

中国から渡って来た天才呉清源師(まだご存命で囲碁の研究をなさっていると伺います=正に囲碁の神様)や

木谷実師などが提唱した新布石という布石理論などが台頭した時代だ。

新聞碁が国民的娯楽であった時代。

多くの日本人が囲碁を愛していた時代。

そのような時代を背景として天才・秀才が続出したのだった。

今の日本はどうであろうか・・・

国民の娯楽は余りに多様化して

娯楽に占める囲碁の比率など無視されるほどに低いだろう。

やはり国民の多くが親しみ、話題にしたがる文化でない限り

隆盛を極めることは難しいのかもしれない。

野球にせよ、サッカーにせよ国民的支持があればこそ

国際的にもみとめられるハタラキをするようになったのではないか?

逆に相撲だとか、囲碁だとか国民的支持を失いつつあるものは・・・

衰退の一途を辿るのが運命というものかもしれない。

それをお爺が一人声を枯らして叫んでみても

虚しくこだまが帰って来るだけと悟った。

逆にお爺でも出来ることはといえば

子供たちに囲碁の楽しさ、素晴らしさを少しでも

教えてあげることなのかもしれませんな。

手始めに孫でもてなづけて・・・

おっと、コイツも滅び行く運命を象徴してましたな!

近頃、公衆電話から電話してる人の姿が少なくなりましたねぇ。

 


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