路上と旅のガラブログ

『VOW』をきっかけに街歩きに目覚めたガラブロの散歩・旅記録たまに過去にまつわる思い出のブログ。

銭湯

2025-02-04 22:57:50 | 随筆

開店が16時だと調べて向かった銭湯は5分前にはもう営業が始まっていて、地下へと続く階段を降りた。

普段よほど疲れているか泥酔しているとき以外は必ずシャワーを浴びて寝ないと気が済まない。その日は後者で、昼過ぎに起きてシャワーを浴びようか、でもめんどくさいしと起き上がれず逡巡していたら、しばらく行ってない銭湯があるじゃないかと思いついたのだった(この時点で昼過ぎから夕方に近い午後になっている)。

番台で入浴料を払い(銭湯ってこんなに高くなっているのか)、シャンプーと石鹸は買わずに脱衣所を目指す。無料シャンプーとボディソープがないことは調べがついていたので、家から持参したのだ。脱衣所にはすでに先客がいて、浴場からは水音やケロリンの桶がタイルに当たる音が聞こえてくる。

浴場へ入ると、風呂にはもうくつろいでいる人が何人かいて、ネットで調べた時間よりだいぶ前に開店していたんだなと思った。前日からの汚れを洗い流して風呂の隅の方に向かって肩まで浸かった。

ここの銭湯には外壁にガラスブロックが使われていて、小さな中庭もあるのが特徴だが、風呂からはガラスブロックは見えず、窓も湯気で曇っているので中庭もはっきりとしなかった。それでも久しぶりに大きい風呂に入るのは気持ちがいいのでしばらくぼーっとする。

銭湯ではいろいろなことを考える。日常のささいなことから、普段思いつかないようなことまで。以前何度か行った銭湯には老人が多く、浴場にいる私以外全員年金で暮らしている人たちじゃないかと思うときが多かった。銭湯の先輩と風呂に入っていて急に『老人と湯』というタイトルを思いつく。言わずもがなヘミングウェイの小説にインスパイアされたのだ。アーティストでいうと奥田民生かキリンジの皮肉っぽいアルバム曲であるかもしれない。釣り上げる大きな魚はいない海に浸かりながらそんなことを考えていた。

この日の風呂も年齢層は高く、世間話をしている人もいたから常連が多いのだろう。若輩者は長居はせず、適当なところで切り上げて脱衣所へ向かう。体はすっきりしたのだがひとつ失敗したのは替えのパンツを忘れたことで、結局素肌にジーンズを履いて番台のあるロビーに戻り、普段なら絶対観ないようなグルメ番組を放送するテレビの前で缶コーヒーを飲んだ。

そのあとはクリーニングに出したものを受け取り一度家に戻って(パンツも履き)食事をしに外へ出たら焼きとん屋に吸い込まれるというイメージ通りの中年の休日を過ごし、「大人が好きなものと言えば、大洋・柏戸・焼酎、あとは銭湯だよな」などと一人ごちながら帰路に着いたのだった。

そういえば一度だけ行った銭湯で、写真のような人たちがたくさんいるところに居合わせたことがあった。びびってロッカーの鍵を無くしかけた。今あの銭湯はどうなっているのだろう。


コートとボールペン

2025-01-20 22:32:40 | 随筆

最寄駅に降りると雨は先ほどより強くなっていた。傘を持ってこなかったので足早に帰路に着く。

それでも雨はコートを濡らし、眼鏡越しの視界をワイパーが壊れた車のフロントガラスのように滲ませる。

雨に濡れるのって気持ちいいじゃん、自転車乗ってると特にさ。と言っていた友人のことを思い出すが自分はご免である。ただ今日雨に濡れてもまあしょうがないかと思えるのは、着ていたコートがイギリス製のキルティングだったからだ。霧雨の多いイギリスでは傘をささず防水のステンカラーコートやオイルドジャケット、キルティングジャケット(元来狩猟用途だから汚れるもんだし)でしのぐという。正しい使い道だと感じたので許せたのだ。

「ものには正しい使い道がある」という考え方が自分は強いと思う。ボールペンは書くため、カッターナイフは切るために存在している。故にボールペンのペン先で段ボールを開けるようなことはあってはならない。

しかし、世の中にはとりあえず今あるもので代用、という場面が多く存在する。ボールペンで段ボールを開けていたのは以前の職場の先輩で、最初はとても驚いた。驚きはいつしかボールペンへの憐れみへと変わった。段ボールに貼られたガムテープをペン先が割く音はPILOT REXGRIP(その人が使っていたペン)の悲鳴に聞えた。私はそんなことをするために生まれてきたんじゃない。そう叫んでいるように思えた。

ところがその人はとても仕事ができた。仕事ができるだけではなく周囲への気配りもできる人格者だったのだ。私の狭い経験の中では、ボールペンで箱を開けたり、シャチハタの押し方が雑で丸枠が滲みがちな人ほど仕事ができることが多かった。手段にこだわらない論理性がある一定の仕事においてはものを言うのだろう。ボールペンの悲鳴を聞いて悲しみ、正しい道順で進もうとする私はいつもどこかで苦労していたような気がする。

「ものには正しい使い道がある」とは飛躍すると「誰しも輝ける場所がある」という考え方につながると思う。きれいごとだと疑いつつも、心の底ではそう願っている気がする。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるが、言葉もそれを提唱した人のことも嫌いだ。あなたは置かれた場所に恵まれたか、そうでなければもうすでに誰かを置く側なのだと言いたくなる。

夏の日差しを受けてすっくと立つ向日葵が、寒風吹きすさぶツンドラの大地で輝けるだろうか。雪解けを待ち小さな蕾をつける可憐な春の花が、都会のアスファルトの隙間で踏みつぶされはしないか。

カッターナイフに字が書けなくても、ボールペンが工作で役立たなくても何の問題もない。彼ら(または彼女ら)にはできることとできないこと、そして役割があるからだ。

役割を全うしている姿は美しい。同時に、何もできなくても、美しくなくても存在していい。現在私がまち歩きや文章を書くことを通して光を当てたいテーマの一つである。


選ばなかったもの、なぜか手放したもの

2024-12-17 23:21:01 | 随筆

最近眼鏡を買った。

眠れない夜中に台所のシンクの電気だけを点けてネットサーフィンをしていて、たまたまずっと探していたものが中古で出ているのを見つけた。

10数年前に必要に迫られて眼鏡を買ったときに、迷って買わなかったうちの一つだった。その頃ウディアレンの映画にはまっていて、彼と似た黒縁を買おうと決めていた。パルコの眼鏡店(店員さんの顔もいまだにうっすら覚えている)で候補を絞り、買ったのはアメリカではなく日本のメーカー、しかも形がウディアレンとは結構離れたものをなぜか選んだ。その眼鏡は今でも気に入って使っているので悪い選択ではなかったが、もう一つの方にしておけばよかったかなと思わないでもなく、しかもその後廃盤になってしまった型なので思い出す度にネットで検索していた。

その眼鏡が中古で出ている。値段も高くない。レンズは交換すればいいが、眼鏡をネットで買ったことがないのでやや不安だ。翌日決めることにして眠りにつく。結局熱は冷めず、これを逃したら次にいつ出会えるかわからないため購入し、レンズも交換した念願の「選ばなかった方」の眼鏡が手に入った。家で得意気にかけていたら、「文化人みたいだね、いとうせいこうとか」と言われた。

数年前から、買い逃したものと手放してしまったものを惜しく感じるようになった。メルカリはその点すごいツールで、ユニクロのリサイクルボックスに入れた数年前のネルシャツと同じ柄がしれっと売っていたりする。眼鏡と同じく、2つで迷って買わなかった方の革ジャンも買った。そしてここ最近はジモティーをメインで眺めている。今探しているのは、昔雑な別れ方をした自転車。

中学1年で、ブリヂストンの自転車を買ってもらった。それまでの小学生が乗るような真っ青のカゴの自転車が小さくなってきたので、自転車屋でカタログをもらってきて毎日眺めて決めたものだった。当時は自転車に乗るのが好きで、道路地図をおともに県境をまたいで遠くへ(あくまで中学生にとって、だ)行ったりしていた。自転車に乗っているときは、自分は自由だと思った。くだらない学校の規則やクラスのいけすかない奴のことを考えなくていい時間だった。その自転車といろいろなところへ行った。雨の日も風の日も、失恋してあてもなく遠くへ行きたいときも一緒だった。

しかし自分を解き放つ存在の自転車に強敵が現れる。エレキギターだ。中学3年で手に取ったギターは自転車に代わり興味のあるもの第一位の座につき、自転車は移動の道具になってしまった。その後生活の足としてしばらく使われたその自転車は、ある日駅前に停めていたら撤去されてしまい、何故だか私はそれを回収しに行かず唐突な別れを迎えたのだった。今になってそのことをとても後悔している。自転車を買ってくれた親にも、その自転車でどこへでも行けると信じていた自分にも申し訳ないなと数年前から心が痛むようになり、今になって同じようなモデルを探している馬鹿さ加減だ。一度心酔したものは、多少の飽きくらいで簡単に別れてはいけない。エレキギターも今は手に取らなくなったが(これも心が痛むが、そのあたりの音楽の話はまたいつか)最初に買ったギターだけは何があっても持っていないといけないなと思う。

今年亡くなった谷川俊太郎の詩に、"本当に出会ったものに別れは来ない"といった一節があるのを最近知った。それは本当だと思う。そして、人生のある時期を一緒に過ごしたけど手放したものや気になったけどすれ違うだけだったものも、最終的には手元にやってくると信じている。眼鏡もネルシャツも革ジャンも、そして自転車も。そう信じて今夜もインターネットの海で、選ばなかったもの、なぜか手放したものを探し続ける。

 


ポイントからの解放

2024-11-18 21:50:33 | 随筆

なぜ、私は向いていないのにポイントを貯めようとしてしまうのだろう。

先日ある集まりで飲食店を予約する必要があり、せっかく時間を使い店を探して予約するんだからグルメサイト(赤い胡椒のところ)でポイントでも貯めてやろうしめしめと思いアクセスすると、

「リ○○ートIDの入力が必要になります」

えー。確かに以前のっぴきならない事情で登録した気もするがIDもパスワードもわからないよ。この試練を乗り越えて手に入るポイント(以下Pと略す)は数百P。一瞬考える。昼飯くらいなら食べられる金額だ。しかし私は試練に簡単に屈した。グルメサイトを閉じ、苦手な電話から逃げ(本当に予約の電話が嫌いなんですよ)、店に直接行き無事予約を済ませた。手に入ったP、ゼロP。

私はPを貯めるマメさが欠けているわりに、時折得をしようと挑戦してしまう。スーパーのPカードを作ったのはいいが、Pを現金に換えて買い物した値段から引ける日に行ったことがない。一回の買い物でそこそこPが貯まる洋服屋のカードは必ず次のシーズンには見つからなくなる。Pを貯めて貯めてこつこつ貯めて、いつか大富豪になる世界線を想像する。大富豪(私)はPカードを管理する召使を何人も引き連れて商店街に買い物に行く。スーパーヨコヅナでは君のこのカード、これこれ次は君の担当のヨンドラッグじゃよそ見をしてるでないぞ。

大富豪のイメージが貧相すぎる。そもそも大富豪は自分では買い物に行かないだろうしカードの存在すら知らないのではないか。いっそ大富豪になる夢が断たれたなら、Pなどいらないと宣言した方が幸せなのではないか。

無○○品週間には、いくら得でも近寄らない。○○会員様は本日○○が無料!翌日買いに行けばいい。祭りの後のがらがらの店内で、心の富豪は時間をかけて小物を探して、買いもしないソファを眺めてみる。財布の中には現金しか入っていません。私はPから解き放たれたのです。

その境地に辿り着けたらと思いつつ、今日も唯一使っているPの貯まるレジでカードを2枚、すぐに読み取りできるよう少し重ねてバーコードを見せる小技を披露するのだった。心の平穏は遠い。

余談だがドン○○ーテではレジの横に1円が入った箱が置いてあり、1人4円まで端数として使うことができた。画期的だなと思い当時よく使っていたのだが、ド○キで働いていた友人いわく今はもうなくなったらしい。

大富豪の家には1円がたくさん入ったバスタブはあるだろうか。たまに体を預けて、苦労時代のことを思い出したり、そうでなかったり。

写真はガラスブロックのパターン:ポイント

 


私の故郷

2024-06-07 00:06:32 | 随筆

先日twitter(未だにXと言えずにいる)を眺めていたら、初夏の水田と電車が写っているツイート(これも未だにpostと言えない)が流れてきた。それは私がずっと住んでいたまちの風景で、故郷を懐かしんだり気にしている己が新鮮だったので、今日はそんな自分の故郷について書きたいと思う。

私の出身は東京都府中市である。里帰り出産で母の実家がある神奈川県で生まれた後すぐに府中に来て、数年前に引っ越すまで住み続けた。こう書くと、長く住んで地元愛があるんですね、と思われるかもしれないが、そんなことは全くなくずっと府中に文句を言いながら結局長く住んでしまったというのが正直なところだ。

府中の名物は、東京競馬場・三億円事件・わけぎ(長ねぎに綿帽子がついた野菜)、他にもあるだろうけどまあそんなところ。都心から京王線特急で30分、駅を離れると住宅街や田畑。典型的なベッドタウンだ。歴史の古いまちなので、保守的で地元の繋がりが強い(ヤンキーや怖い人も多い)。10代から20代の終わり頃まで、そんなところのほとんどが嫌だった。

ところが離れてみて、私にとっての郷愁やノスタルジアの大部分は府中のまちが形作っていることに気づいた。木々や植物が多いまちならではの春の芽吹き、5月頭に行われる大国魂神社のくらやみまつりでの振り切れたような賑わい、通学路の緑道が初夏から梅雨にかけて放つむせかえるような緑と水の匂い。夏にはけやき並木が、照り返すアスファルトからの日差しに対する癒しになり、公園の銀杏が季節の移り変わりを告げ、多摩川の河川敷から寒々しい風が吹く冬が訪れる。

他にもよく遊んだ中央高速道路の高架下やそのそばの団地、大きな道路沿いに並ぶチェーン店とラブホテルの看板など、郊外都市の景色は私にとっての原風景となっている。ガラスブロックの活動をはじめ創作のインスピレーションの源は「なつかしさ」に依るところが多いので、このまちで過ごした時期が今を支えてくれていると言っても過言ではない。

つまらないまちなんてどこにもないと、路上観察を始めて気づいた。自分が何者にもなれないのは、このつまらないまちにいるせいだと思っていた。それは大きな勘違いだった。面白さが見えていなかったのだ。そして面白いことに向かっていく気持ちが足りなかったのだ。あの頃つまらなかったのは、そして何もなかったのは、まちじゃなくて自分自身だった。

最後に府中の名物をもうひとつ紹介したい。2000年前の遺跡から発掘された種を育てた「大賀ハス」である。市内の数か所の公園で見られるはずだ。見頃は6月から8月、市のホームページで確認して、機会があれば私の故郷を訪れてほしい。

6/20 追記

数日前に帰省したのでハスを見てきた。市民プール向かいの公園である。

もうそろそろ花は満開かもしれない。梅雨が本格的に始まる前に是非。