開店が16時だと調べて向かった銭湯は5分前にはもう営業が始まっていて、地下へと続く階段を降りた。
普段よほど疲れているか泥酔しているとき以外は必ずシャワーを浴びて寝ないと気が済まない。その日は後者で、昼過ぎに起きてシャワーを浴びようか、でもめんどくさいしと起き上がれず逡巡していたら、しばらく行ってない銭湯があるじゃないかと思いついたのだった(この時点で昼過ぎから夕方に近い午後になっている)。
番台で入浴料を払い(銭湯ってこんなに高くなっているのか)、シャンプーと石鹸は買わずに脱衣所を目指す。無料シャンプーとボディソープがないことは調べがついていたので、家から持参したのだ。脱衣所にはすでに先客がいて、浴場からは水音やケロリンの桶がタイルに当たる音が聞こえてくる。
浴場へ入ると、風呂にはもうくつろいでいる人が何人かいて、ネットで調べた時間よりだいぶ前に開店していたんだなと思った。前日からの汚れを洗い流して風呂の隅の方に向かって肩まで浸かった。
ここの銭湯には外壁にガラスブロックが使われていて、小さな中庭もあるのが特徴だが、風呂からはガラスブロックは見えず、窓も湯気で曇っているので中庭もはっきりとしなかった。それでも久しぶりに大きい風呂に入るのは気持ちがいいのでしばらくぼーっとする。
銭湯ではいろいろなことを考える。日常のささいなことから、普段思いつかないようなことまで。以前何度か行った銭湯には老人が多く、浴場にいる私以外全員年金で暮らしている人たちじゃないかと思うときが多かった。銭湯の先輩と風呂に入っていて急に『老人と湯』というタイトルを思いつく。言わずもがなヘミングウェイの小説にインスパイアされたのだ。アーティストでいうと奥田民生かキリンジの皮肉っぽいアルバム曲であるかもしれない。釣り上げる大きな魚はいない海に浸かりながらそんなことを考えていた。
この日の風呂も年齢層は高く、世間話をしている人もいたから常連が多いのだろう。若輩者は長居はせず、適当なところで切り上げて脱衣所へ向かう。体はすっきりしたのだがひとつ失敗したのは替えのパンツを忘れたことで、結局素肌にジーンズを履いて番台のあるロビーに戻り、普段なら絶対観ないようなグルメ番組を放送するテレビの前で缶コーヒーを飲んだ。
そのあとはクリーニングに出したものを受け取り一度家に戻って(パンツも履き)食事をしに外へ出たら焼きとん屋に吸い込まれるというイメージ通りの中年の休日を過ごし、「大人が好きなものと言えば、大洋・柏戸・焼酎、あとは銭湯だよな」などと一人ごちながら帰路に着いたのだった。
そういえば一度だけ行った銭湯で、写真のような人たちがたくさんいるところに居合わせたことがあった。びびってロッカーの鍵を無くしかけた。今あの銭湯はどうなっているのだろう。