路上と旅のガラブログ

『VOW』をきっかけに街歩きに目覚めたガラブロの散歩・旅記録たまに過去にまつわる思い出のブログ。

唐先生について

2024-05-14 17:42:00 | 随筆

2024年5月4日、劇作家・俳優の唐十郎が亡くなった。私は観劇をほとんどしないので、劇作家で知っているのは唐十郎、蜷川幸雄、野田秀樹くらいしかいない。そんな人間が今回の訃報に動揺したのは、人生のごく短い時期の同じ空間に何度か居合わせたことがあるためで、今回はその思い出を当時の日記を参照しながら綴りたい。冒頭にも述べたように、演劇論などはまったく書けないし演劇を愛する向きには的外れな、ともすれば不快な表現も混ざるかもしれないことを最初に断っておく。

大学4年前期の2カ月間、私は唐十郎の生徒であった(そのため以下「唐先生」とする)。唐先生は私の大学の卒業生で、同じ学部の大先輩にあたる。その縁で演劇学科が客員教授として唐先生を招聘し「演出論A・B」という講義を担当することになった。私は学部こそ同じ文学部だったが史学系の学科だったため必修ではなかったのだが、講義要項が発表されたときはとても話題になっていて、何だか面白そうだからいってみようかな~くらいの軽い気持ちで履修を決めた(最初は読み方も知らなかった。「トージューロー?」とか言ってた)。

2012年4月11日水曜日、昼休みの前に大学へ行くと同じクラスのUと出くわした。同じく演出論Aを受講するというので、昼飯でも食おうか?と大学の近くにある行列で有名な讃岐うどんの店に行くことになった。ちなみにUはクラスを越えて学科でも人気があるきれいな女性で、それまでグループで遊んだことはあっても2人で食事などしたことはなかった冴えない友達も少ない男子学生の私はやたら緊張してしまい、うどんを食べながら話しているときに揚げ玉が口からぴよっと飛び出してしまったのが恥ずかしかったことを覚えている。

うどんを食べ終えて3限が始まる前に教室へ向かうと、座り切れず立ち見が出るほどの学生で教室は溢れていた。教卓の横にはテントのような布が吊り下げられていて、初めて見る光景にこれから何が始まるのかと期待をふくらませた。講義の内容については私の不確かな記憶よりもこの記事を参照していただきたい。ちなみに若き日の私も小さく写っている。

唐十郎文学部客員教授が明大で初講義 | 明治大学

このように大盛況で幕を開けた講義であったが、大学という場所の常で初回ないし4月中は出席しても、その後は顔を出さなくなる学生も多いもので、演出論Aも例外ではなかった。そもそも立ち見が出る時点で教室の規模を見誤っていたはずで、人数が減りようやく通常の講義らしくなったなと思っていた。だが唐先生の熱量と学生の受講態度の温度差はのちに悲劇を生みだしてしまう。

唐先生の第一印象は「怖い人」だった。講義中には演劇論や自身の体験、同時代の演劇人のエピソードを語った。ともに作品を作りあげた小林薫・麿赤児ら、山下洋輔や土方巽など関わりのあった人物、確執があったとされる寺山修二などビッグネームの名が頻出した。にこやかに話していたが、唐先生の目は笑っていなかった。「目が笑ってない」という表現が初めてしっくりきたのはこのときかもしれない。様々な修羅場をくぐり抜けたが故の表情というか、理解できない凄みのようなものを感じた。講義内容は今となってはほとんど忘れたが、「本物」の醸しだす雰囲気やある種の狂気を間近で見られたことは貴重な体験であった。

日記と記憶によると、唐先生は学生に対して3回怒り、そのうち2回は講義を途中で切り上げている。

①携帯の着信音を鳴らした学生を立たせて怒る。「授業と携帯は違うだろ!」と急に怒ったことで学生は顔面蒼白、聞いている私まで胃が痛くなる。その後表情を和らげ「おれは携帯が全然詳しくないんだよ、気をつけてな」と優しく言ったのも怖かった。

②講義を途中で切り上げ教室を出たきり戻らない。理由は日記に書いてないのだが、講義をさぼって喫煙所にいた友人が、唐先生が喫煙所にいたよ、と報告してきたことだけ覚えている。

③講義と同時期に劇団唐組の公演が行われていた。もう観た人いるかな?と聞いたが挙手した学生はまばらだったため怒って退出。演劇学科の教授がやや困りながら、唐先生の講義を受けられるチャンスなんて滅多にないんだからもっと積極的に取り組まないともったいないよ、と語りかける。私はもちろん観てない側だったのだが、教授の説得にそれもそうだなと思いイープラスでチケットを取った。

6月2日、雑司ヶ谷・鬼子母神へ向かう。赤テントの張られた夕暮れの鬼子母神は異界のようで少し怖い。この公演は劇団唐組による『海星』だったが、唐先生が怪我で急きょ出演できなくなった珍しい回で、私の初めての唐十郎演劇は本人不在という何だか不思議な結果となった。演劇自体は舞台との距離の近さに圧倒された。唾が飛んでくるんじゃないかと思ったくらい。役者が登場したときに客席から名前が呼ばれる(落語の○○屋!みたいな感じ)のもかっこよかったし、何より途中で男性の役者が全裸になっていた(局部は手で隠していた)のはアングラってこういうことなのか~と度肝を抜かれ、帰りの池袋駅のバーガーショップで余韻を噛みしめた。

翌週の演出論の講義に唐先生の姿はなかった。唐先生は体調不良のためしばらく講義を欠席されます、続きは私が担当します、と教授が説明した。その場で明らかにされたか忘れてしまったが、持病の薬を飲んだ際に飲酒したことが災いして転倒し今は集中治療室に入っているとのことだった。誰もが驚いていた(教授だってそうだろう)。こうして唐先生の教えを受けた2カ月弱は終わりを告げた。私は翌月のレポートに適当なことを書いて単位を取得し、演出論Bの履修は取り下げた。

あれから12年。結局私が演劇に足を運ぶことはなく、役者としての唐十郎は永遠に観ることができなくなった。唐先生、あのとき先生不在の『海星』観ましたよ。的外れな感想言ったら教室で怒られてたかな、どうか安らかに。不出来な生徒より。



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