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日本在住歴約40年のRon McFarlandと外資系勤務が長い齋藤信幸が、それぞれの海外体験を語ります。

日本を代表するグローバルリーダーが亡くなられた。

2023-04-30 12:25:23 | 雑記
元日本IBM社長椎名武雄(しいな・たけお)さんが19日に亡くなった。



1975年に45歳で日本IBM社長に就任。70年代、通産省(現経済産業省)の保護政策で力を付けた富士通、NEC、日立など国内メーカーに対抗し、日本IBM独自の販売・開発体制を敷き「日本化路線」で対抗した。87年に売上高一兆円を達成し、89年には初めて、米IBM副社長に就任した。

私が日本IBMに入社したのは1977年。六本木に本社を構えてはいたが、新規採用の決定権がなく、米国IBMの承認待ちの状態が続き、採用が決まるまでいらいらした記憶がある。

椎名さんの言葉で一番、思い出に残っているのは、「Sell IBM in Japan. Sell Japan in IBM.」

外資系にいる方なら心に響くのではないだろうか。

日本政府の保護政策の中で、富士通等にどう対抗し売り上げを伸ばしていくか。

日本国内での会社としての認知度のの低い中で、どう良い人材を取っていくか、など悩みは深かったと思われる。

一方で、IBMの中で日本という国の実力を売ってくれたのが椎名さん。

製造拠点ばかりでなく研究所、さらには基礎研究所も日本に作ることができ、椎名さん自身も米国の副社長になった。

そんな椎名さんを10年くらい前だが、二子玉川の「つばめグリル」でお見掛けした。お孫さん、曾孫さんと一緒のようであった。

私が米国旅行好きになったのは、IBMのお陰。

海外出張や家族帯同でカリフォルニアに赴任させてもらい、旅行も含め米国生活を満喫させていただいた。

椎名さんのご冥福をお祈りする。

<赴任当時に住んでいたサンノゼの家。いまもそのまま残っているが、恐らく価格は4倍に。>
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