時間について考えてみると、前方に進むまたは、有限の言葉が
頭に浮かぶ。
現に、手元にある時計の秒針は、一秒一秒と前へ前へと時を刻んでいます。
人生は有限で、どこへ向かっていくのかと問うと
一日一日とその確実なる死に向かっているのは、自明であります。
今現在を生きている、この肉体と心は、まだ死んでおらず
どこかで、まだ遠い先の未来にやがてそれは訪れる。と頭では
わかるものの、実感、体感はできません。
死を語る読み物などを、読んでも同じことで、それを語るあるいは
書いている人は、すべて生きています。
誰もみたことのない世界なのに、確実に訪れてくる死。
辞書を引くと、死=生でないもの、生=死でないものとあり
これでは、どちらがどちらかわからなくなる時間があるのです。
体験したことがなく、確実なものとわかっている
いるのに、わかっていない。
このことを、一度静かにじっくりと考えてみると
時間がはたと、止まります。
実際には、止まることはないですが
今という時間が、前方ではなく、上へ上へと垂直に
立ちあがるのです。
その時、垂直の時間は永遠へと向かい、生きていることと死ぬこと
は同じではないか?
と自分に問うてしまうのです。
沈黙とともに。
頭に浮かぶ。
現に、手元にある時計の秒針は、一秒一秒と前へ前へと時を刻んでいます。
人生は有限で、どこへ向かっていくのかと問うと
一日一日とその確実なる死に向かっているのは、自明であります。
今現在を生きている、この肉体と心は、まだ死んでおらず
どこかで、まだ遠い先の未来にやがてそれは訪れる。と頭では
わかるものの、実感、体感はできません。
死を語る読み物などを、読んでも同じことで、それを語るあるいは
書いている人は、すべて生きています。
誰もみたことのない世界なのに、確実に訪れてくる死。
辞書を引くと、死=生でないもの、生=死でないものとあり
これでは、どちらがどちらかわからなくなる時間があるのです。
体験したことがなく、確実なものとわかっている
いるのに、わかっていない。
このことを、一度静かにじっくりと考えてみると
時間がはたと、止まります。
実際には、止まることはないですが
今という時間が、前方ではなく、上へ上へと垂直に
立ちあがるのです。
その時、垂直の時間は永遠へと向かい、生きていることと死ぬこと
は同じではないか?
と自分に問うてしまうのです。
沈黙とともに。