小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

憂楽帳 南極建築家 / 毎日新聞

2017年05月09日 | オピニオン
 これかな? ミサワホームのサイトから     
 
 年末の紅白歌合戦の中間でよく昭和基地からの映像や音声が入って隊員の皆さんの感極まった声も聞けたけど今はどうなんだろう?ひと昔前は時代の花形だったね。南極観測のことテレビや新聞もほとんど取り上げられていない気がする。

 今、ちょっと南極観測のホームページを覗いたけどまるで戦場だね。昔、世話になった人がよく言っていた「駕籠(かご)に乗る人担(かつ)ぐ人そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という言葉を思い出す。

 
  


毎日新聞 2017年5月9日 東京夕刊

 日本の南極観測の拠点・昭和基地が建設されて60年。約70の建物がひしめく基地は1957年、居住棟や無線棟など4棟から始まった。トイレは屋外、風呂は週に1度。先輩から順に入るので「最後は泥水だった」という話を観測隊OBから聞いたことがある。

 厳しい環境でたくましさを増すのは隊員ばかりではない。「最低気温氷点下60度。風速常時80メートル。室内温度20度」。こんな条件を課せられた設計チームは、極寒の中でも素早く建てられるよう骨組みと木質パネルで組み立てる簡素な工法を考案した。日本初のプレハブは「南極建築」から始まった。

 半貫(はんぬき)敏夫・日大名誉教授(75)は南極建築に関わって半世紀になる。設計した建物が強風で吹き飛んだり、失火で全焼したりと想定外も多かったという。来年完成する新しい観測棟は十二角形の高床式という個性的な形だ。風洞実験で強度は確認したが、果たして極地の自然は認めてくれるか。「怖くもあり、楽しみでもあり」。自信のほどを尋ねると、百戦錬磨の建築家は慎重に言葉を選んだ。【阿部周一】
 

  



国立極地研究所 南極観測のホームページ から
 
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« のどかな明石海峡大橋界隈! | トップ | 高丘コミセン 高齢者大学 「... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ree)
2017-05-10 01:13:51
こんな場所で生活するってすごい事ですよね。
もしライフラインが滞ったら『死』ですもん。
すっごいすっごい寒いんだよ~、と話しても、娘は一度は行ってみたいんですって。
返信する
そういえば (はちきんイジー)
2017-05-10 07:36:56
この町で知り合った70代の婦人が
シロクマを見に南極に行きたいと言っていたのを思い出しました

日本の古いドラマで 南極で過ごす隊員たちの話がありましたね。

返信する
reeさんへ (小父さん)
2017-05-10 20:34:58
>こんな場所で生活するってすごい事ですよね。

私なんて明石より福岡や東京は寒いのでこの地から離れられいでいるのに!(笑)
若い時ならいざ知らず、今ではもし観光プランで招待されても行けませんね。

>もしライフラインが滞ったら『死』ですもん。

そうですね、上を投稿する時、宇宙ステーションのことも考えていましたがどちらも死と隣り合わせの気がします。

>・・・と話しても、娘は一度は行ってみたいんですって。

はっはっは、冷凍倉庫の体験させたらちょっとだけわかるかな?
しかし、若者には夢があるかも知れませんね。
返信する
はちきんイジーさんへ (小父さん)
2017-05-10 20:54:47
>そういえば この町で知り合った70代の婦人が・・・

うひぇー!!!
私より年長のご婦人がですか。
と言うことは、地球上の観光地には行きつくしてもう飽きたんでしょうか?(笑)

>日本の古いドラマで 南極で過ごす隊員たちの話がありましたね。

「追悼/ 高倉健さん主演映画名場面 1 【南極物語】 」
         ↓
https://www.youtube.com/watch?v=hsgn7XNXaEc

これでしょうか?
タロとジロですかね!
これ観たいです。
返信する

コメントを投稿

オピニオン」カテゴリの最新記事