論文IX 1.6章 「技術圏」、一元化された存在論的枠組みとその進化
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1.6 「技術圏」、一元化された存在論的枠組みとその進化
機能の分析から、生物圏と「技術圏」を分析するための一元化した理論的枠組みもまた、進化論的理論であるという結論に至ったのである。
しかしながら、「技術圏」が生物圏を総合化するならば、現在の生物学的進化理論を、様々な種類の実体entitiesに適用できるさらなる一般性のある理論への置き換えが必要がある。
最近の多くの論議では進化の理論拡張が、ダーウィン主義、または新ダーウィン主義的総合での概念構造が受け容れられている。
このことは我々をして、遺伝子型と表現型genotype and phenotypeのような中核的な用語での概念の一般化を考える必要性に至らしめるのである(replicator-interactor duality Hull et al., 2001; Wilkins and Hull,2014)。
筆者は、我々がもし、生物圏から「技術圏」への展望の切り替え、そこでの機能の議論を構成していくならば、このことは存在論的考慮での第二水準に移動されることになるのである。
この水準では、進化論の特定の形はさらに公開的であり、そこではラマルク学派の観方を含むことさえ可能なのである、しかし然るべき多くの変形はここにはあって,新ダーウィン主義のモデルからも相当にかい離しているほどである。
総合化を許す普遍的進化理論の信頼できる版がある(これは交差的学際間探索に対してである。Jablonka and Lamb, 2006; Hodgson and Knudsen, 2010; Mesoudi, 2011)
彼らは選択と遺伝についての一般化概念を立て、統計的現象としての進化を厳しく翻訳していったのである。この現象では、しかるべき統計的分布が時間経過との相関として現れるのである(遺伝)、
そして、ここでは、これらの相関性を説明するのに選ばれた機構(モデル)で同定されることになる(選択の価値理論 Price's theory of selectionがその礎石となった, Helanterä and Uller, 2010; Frank, 2012をみよ)
進化理論では遺伝子的な伝達からの変化だけではなく、非-遺伝子的な伝達の変化もまた含むのである(Danchin et al., 2011)。
ひとつはニッチ形成理論niche construction theoryであり、これはエコロジー環境を通じての変化の伝搬で、そこではおなじ組織的集合体群が部分的に形成されるのである(Odling-Smee et al., 2003, Herrmann-Pillath 2013: 432f)。
この視点では、人間技術はニッチ形成での一形式であり、そのニッチは或る範囲で他の(集合体への)適応を支持する。これは再生産に関するフィードバック機能である。
人間の系統発生学での中心的の例としては、火の生活帰化があげられよう、これは人類の原始時代技術での(ニッチ形成と伝搬)のひとつである:
これは、広くまた、はるか遠くまで実体的に変形されたニッチとして適応され、究極的に火と料理を取り込むことになったのでありる。 このニッチが人間の生物学的形態となったのであるが、とはいえ、このことが、火の使用を説明しかつそれを再生産する遺伝子的適応までには至っていない。火は、依然として自然のものとして留まっているのであり、それは非-遺伝子チャンネルを経て伝達された文化的革新としての自然なのである(Ofek, 2001; Wrangham and Conklin-Brittain, 2003).
「技術圏」では文化的に伝搬されたニッチが人間の生物的適応として、自律的効果が発揮するという仮定するが、これには、よい理由があるのである。
この可能性は、いまや生物圏全体にわたって見えるのであって、殊にエコロジー動力学としての都市化の効果にも見られるものであり、そこでは選択的な力および究極的な遺伝的進化が結果的に起きるのである(概観については、 Alberti, 2015).。
ここでは更なる詳細には立ち入らないが、ただしかし、「技術圏」科学が、或る一般化進化理論においての基礎に立っていることを述べておくものである。この一般化理論は生物的と文化的進化の双方を含むのであり、さらに共-進化の枠組みであり、そこでは生物圏と「技術圏」の間の相互作用を分析する枠組み(場)を提供する。
これは、われわれの知識の地位としての最小共通基盤である。
しかし、「技術圏」進化は自律的動力学に追従するかどうかについて初期でのミーム学memeticsからおこされた沢山の設問がある。
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技術の進化を分析する方法は沢山の提案があったのである、それ自体が持つ進化的動力学に従うようなものである(さまざまな視点としてZiman, 2000をみよ)
ここでは、人間意図が役割りを演ずると同時に、それらの意図が、仲介的起因変数に還元されるとすることを意味しているわけではない。
もし、我々が一般進化理論においての、変化、選択、そして保持の峻別を保持するなら、人間意図はまさに、変化の源sourceとなるであろう。
このことは、つぎのような単純な事実を見れば明白である。それは 技術をひとつのシステムとしてみるときに、そのための個人やグループをどのように選らんだとしても、そのシステムのすべての細部にわたる概観や理解にはいたらないからである。
このことは、人間設計というものは、常に技術革新の帰着については不完全な知識にもとづいてなされているという意味なのである。
システム的展望からみれば、人間選択はつねに機能不全か過誤のものであり、その意味では概念的にはランダム変動と似たり寄ったりであるという意味にもなっている。
事実、この視点は、単体の発明についての研究においてさえ、暗示的である。
個人的なレベルにおいてさえ、発明のほとんどは長期にわたっての逡巡があって、あるときに突然として蒙がひらけ、一体化した案が、そのプロセスから発現してくるのである。
このような「英雄的」な段階のあとにつづいて、革新は拡散し、さらに人口群集合体レベルで進化していくのである、そしてそこには、生産者とユーザーの複雑な相互作用で実践され、選別された力として定着するのである。
もし、技術の側からこのプロセスをみるなら、それは人間行動が、技術の自己組織進化への引きがねとして作動しているという意味になる。
技術が自己組織化であるという理念は、多くの著者によって、さまざまな評価が公表されてきたのである。
このポイントは、もし我々が、ネットワークの視点を技術に採用するなら、納得できるものである(Arthur, 2009).。
したがって、技術を、ネットワークであるとし、そこでは人間と人工体とが複雑な進化にあると捉える。 そこでは然るべき実体があって、然るべき現象を生むべく結合しているのである。
これは、新しい現象を生む結合のための相互近接可能性のある時空間を開くものである。その時空間は 巨大にして、指数関数的増大をするものである。(一般進化分析としては、Fontana, 2007をみよ)
この好機の巨大空間は、そのときの技術の状況によってきまり、人間設計や想像によっては決まらないのである。
しかしながら、再結合のプロセスは、数多くの動力学的現象を生みだす、それは、経路依存的もしくは既定の固定された道筋のものである。そこでは、人間選択の範囲を制約し、道筋を限定し、技術それ自体の技術進化の方向性をも抑えてくるのである。
これらの現象は進化経済学の文脈でよく研究されている、ここでの重要な貢献は「技術圏」科学に向けられるのである(Metcalfe, 1998; Witt, 2008)。
技術の自己組織化は、他の異なる機構に通じた人間行動によって仲介されるのである;
よく議論されるように、もっとも重要なことのひとつは、技術的革新は、主に技術によって創生された問題解法によって駆動されるというものである。
かくして、人間意図は、しかるべき技術的なニッチの条件と要求に従属することになる。
このニッチとは、進化にある技術のネットワークの中にある。
人間設計は、いまそのプロセスを使っているときでさえ、別なプロセスの機構をそこに持ち込み、その実現が人間にとって望ましいとする意思表示をひそかに潜ませるのである(Witt, 2000, 2016)。
このことのポイントはつぎのようになる、それがもつ選好性ということを考えると、たとえ生物学的説明と、「技術圏」的説明とは、双方の材料が驚くほどの違いがあったとしても、形式的に相応一致するものである。
技術的可能性は、欲望wantsを創りだし、その欲望は、近傍的な技術進化を駆動するのである、そして欲望の実現は、経済の道筋を経由するものである。
それでも、ほとんどの研究では、経済は不思議なことに不在である。
経済のプロセスはもっとも重要なチャネルである、そのチャネルによって人間欲望は内面的に創生され、それが技術にインパクトをかける、そしてそのインパクトによって、技術空間の進化での制約条件が、人間活動として顕現されてくるのである。
したがって、経済は「技術圏」の構成的で、中核的な部分としてさえ認知されるのである:
事実、経済社会学での最近の展開が示唆してきたように、経済学はそれ自体、技術をその研究材料としてアプローチする必要があるのである(セミナーの論文集, Callon et al., 2007, Pinch and Swedberg, 2008をみよ)。
技術に関係した人間意図性については、誤った理解に導いている理由がある、そもそも意図性は経済での進化的動力学によって形成され、その経済自体には、人間の意図性が部分的にしか支配し得ていないのである:
およその経済学者は、市場を、情報発生する複雑システムとしてアプローチするのであるが、その情報とは人間意図性を可能にするものとしてとらえるが、人間設計や制御を可能にするものとはとらえていないのである。
結論として、我々は多階層共-進化プロセスとして「技術圏」を位置づけるが、このプロセスは、「技術圏」を自律的層として、生物学的進化でのニッチ的な最適化や経済進化水準での順応行動や選択過程のような特定理論的概念によって、関係する他の層間をつなげることができる。
このことは、法則と規則がすべてのレベルを越えて適用され、同時に「技術圏」はその存在論的な意味で自律する合理性が与られるのである。それを確かめる探求は意味あるものである。
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