-ALKAN-

しどろもどろでも声は出るなり。

書いたばかりの小説をアップしてみました。『運命の道を歩いてみよう』(その1)

2017-11-25 08:34:45 | 日記
 まったく見直してないので、漢字間違い、矛盾、重複の山でしょうな。

でも、時間が有り余っていて書いたのだから、そんなモンです。

ではどうぞ。あと一時間ほどで高円寺に出没しますよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『運命の道を歩いてみよう』(その1)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ついに内海は黙ってしまった。政治、経済、芸能、スポーツ、宗教、心霊、サイエンス。さすがにもう話題は尽きたと思われた。

(もういいでしょ? これ以上何を話せというのでしょう?)

 女性は、ごとうです、と一言言ったきり、匕首のような冷たいまなざしを内海の喉元にじっと据えたまま黙っている。珍しい漢字ですね、と言った内海に対しても、父方はみなこの『五島』です、とにべもない返事をして、それからは内海が持ち掛ける話題をことごとく枯れ枝の様に無下に払い落としては尚、目の前に座り続けていた。

(あなたも了解したのでしょう? 何をむっつりしてるんです。そのくせまったく場違いな真っ白なスーツなんか着て、正直恥ずかしいですよ。中年同士ですよ。目立ってどうするんです。それとも自分は天から授かった、世の中を浄化せよという特別な使命を遂行するためにここに遣わされて来たのだとでも? ところがいざ来てみれば、私のような輩がウヨウヨいてこの世はまるで闇鍋のように無責任で不浄不潔で、もはや浄化するには及ばない、何しに来たのだかさっぱりわからない、とでも? ひょっとしてこの人はおかしな思想集団の一員で、私は今、その集団に勧誘されようとしているのかもしれない。そのうち、店のそこここから迷彩服の強面がぞろぞろ出てきて、私はどこかに連れ去られてしまう……)

 内海は窓の外を見た。街路樹の間から駅のロータリーがみえる。駅前の景色は、初めて降り立ったというのにいかにも親し気に迫り、捨て看板や、歩道を平気で塞ぐトラック、絵柄だかアルファベットだかわからない意味不明なスプレーによる落書きや、行儀の悪く止められた自転車の列などを、さもこれら全てが日常でありますよという様子で頭の中に投げ込もうとする。(そんなわけがあるはずがない)と、彼は心で言った。前を見ると見知らぬ女性が座っている。

(なんのかんのと言いながらも私は彼女の態度には同感している部分もある。潔癖ならばそれが欠点であるはずがない。彼女と私の考え方の基本は、おそらくそう遠くないはずだ。だから同じぐらい、彼女も私に同感してくれていると考えられなくもないのだが、今の様な頑なな態度をとられてはそれを判断するのは難しい。だがよくよく考えてごらん。今一番大切な事は私と彼女がどうのこうのじゃない。わかっているだろう? もうじき梅雨に入る。その年の梅雨の雨の量で、稲の作柄が決まるんだ。そしてその間、海は風は穏やかであるか、山は水は穏やかで、地は豊穣の恵みをはぐくみつつあるのか、嵐や雷はそれらを邪魔しようと悪い目論みはしていまいか、一番大切なのはそれなんだよ。その事を確かめるに、私は今日ここに来ていると言っていい)
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朝、緊張と緩和の明滅……。

2017-11-25 06:02:02 | 日記
 此間、近所の炊き出し、じゃないけどそれっぽいモノに参加しました。まあ私の素性を細かく明かすとそれが何かということはすぐにわかるのですが、今は休職中の男という事だけで、あえてぼんやりとさせて話を進めさせてもらいます。

 その炊き出しの、本来なら力仕事担当なんですが、ご存知膝が壊れていることもあり、今年は、材料の仕込みに回って、普段あまり話をしない人とお話をさせてもらったのです。

 その人は、仕事、年齢、お住まい、などは本当に知らないのですが、名前は仮に、吉永さんとします。吉永さんが言うには、「怪我をしたときはね、体のケアばかり考えてて心のケアを怠るとそっちの方が怖いよ。心やっちゃうと、体治っても何もできないからね。心最優先、体はその次というのが、順番だよ」なのだそうです。

 その通りだと思います。私は心を壊している自覚は今はまだありませんが、このまま膝が治らず、仕事も出来ず、やがて失職し、金もなくなり、車も売り払い、ポケットにはコイン数枚、というとちょっとかっこいいですが、それには平等院や稲穂が刻印されていると想像すればグッとリアルになります。んで失業保険で細々と……、なんて事になると、いかな暢気な私でも、さらにグッとくることでしょう。

 もともと、世の中に絶対必要な人はいないというのが私の信条でして、人はその人のためだけに、その人の都合だけで生きているというのが、偽らざる真実だと考えていますので、調子がいい時はデーンと構えて豪放磊落に、「人の都合など後回し、自分は自分の都合で生きているのだから」なんて勢いで、世の中をガツガツ私物化して「世の中とは何て便利な仕組みに出来ているんだ!」なんてほくそ笑んでもいられますが、ひとたび調子が悪くなると、「私の都合など、誰にとても何の値打ちもない。みんなはみんなの都合で生きているのだから」となり、「世の中って知らない人や知らないことばかりで頼りない……」と、一気に心細くもなります。

 まあそれは偏に、同じものを見る角度が違うというだけで、取り巻く環境はかわらないというのが本当ですが、心を壊すとそれが一辺倒にしか見えなくなるのでしょう。悪い方、嫌な法、怖い方、辛い方。あ、一辺倒と言いながら四つも出てきた。だから侮れない。やっぱり世の中、どこかで誰かが手ぐすねを引いているように思えてしまう。思えてしまううちはいいが、こんな風にしか思えなくなったら、それはヤバい。

 だから、私はあえて、もう何もしない。楽しめる事、先の見える事にしか興味を示さないことにします。果たしてそんな事が意図的に出来るのかどうか。でもまずは今日。

 東京のライヴハウスでライヴをやります。私は本番弱く、いつまで経ってもリハの6~7割の出来でしかやれないのですが、それはそれなりに楽しいモノで、実際にこれで飯を食っているプロミュージシャンや、生活の殆どをこれにかけている熱きアマチュアミュージシャンも、まったく自分の都合だけでわが同胞と味方に付ける事も出来るのです。

 四時ぐらいだったかな? リハの入りは。今日の埼玉県は快晴の予報。膝よ、夜までもってくれ!

 
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