今病院から帰ってきました。
結果、リウマチではありませんでした。じゃあただの筋肉痛、にしては治らなさすぎる。じゃあなんだ? この痛みは。
とにかく、朝起きると、ひざの関節がバキバキに固まって動かない。何とか動かしてしばらくすると、痛みは多少和らぐが、またしばらくじっとすると、また固まって動かない。そんなに無理したかな? そんなにジジイ? いやいや、自分よりずっとジジイ……、いや、お年を召した先輩方も、立派に働いているのだから、自分が特別ジジイだとは思えないし、思いたくない。 真相の究明が急がれる。
温泉でも行くか。車で。 るるぶで『リウマチに効く温泉』という特集があった。でも、私はリウマチではありません。じゃあ、何に効く温泉に行けばいいのか。ただの筋肉痛に効く温泉。あるかね、そんな温泉。
-------------------------------運命の道を歩いてみよう(その17)---------------------------------
及川は純粋で聡明過ぎる人間だった。疑う事も諦めることも知らず、お嬢様育ちで向う見ず、一度言い出すと聞かない、出来るまでとテコでも動かない。でもじっくりと努力を重ね、結果が出るまで頑張り通す。高校時代に所属していたダンス部でも、全国大会二位に食い込む大健闘を見せたが、悔しくてしばらく部屋から出てこなかったという。そんな話を、五島は及川の父親から、遺影を前にして聞いた。
「あの子は、目の前に目標を置くんじゃないんです。ずっと、ずっと向こうに、それこそ誰にも見えないほど向こうに、ポツンと一つ、とんでもない目標を置くんです。それまでの過程として、あの子はその時その時を生きていた。今になって思えば、そんな気がします。でもそれだけに、挫折の連続だったと思います。なんでそんな、つらい生き方を選んだのか……」
悲しみが心も体も貫通したような、父親の様子はむしろすっきりとして見えた。目が潤むこともなく、ただ娘の笑顔の写真を、座った目線より少し高いところに置いて、神々しいモノの様に見上げている。
「その目標に、今はたどり着いていてくれるといいのですが」
及川の遺体はアフリカのケニアで発見された。しかし及川に日本を出国した記録もケニアに入国した記録もなかった。誘拐事件として捜査がはじまったが、現地で及川を見たという複数の証言から、及川はある日突然、真っ白な服を着てその町に現れ、数々の奇跡のような施しをしたのだという。長い間歩けなかったある者は、及川に支えられた瞬間から歩けるようになり、及川が道路傍に撒いた小さな種は、瞬く間に実り、リンゴのような実を付けたという。他にも、及川が乗ると、何年も動かなかったトラクターが動いたとか、頭を撫でると子供の熱が下がったなどの報告は後を絶たなかった。及川は会う人一人一人に小さな子供の形をしたキーホルダーを配り、その作り方と、日本語のある一言を教えたという。そのキーホルダーは今、家の守り神として各家々の軒下に下げられ、その日本語はあいさつの言葉となっているという。
そうして一週間ほどその街で過ごした後、及川は「私はそろそろ故郷に帰ります。その前に少し休ませてください」と言って、自ら歩いて最後の床に就いたのだという。
町に火葬の施設がなかったため、及川の遺体は陸路でナイロビに向けて移送されたが、その途中で行方不明となり、その代わりとして現地の石が骨壺には入っていると父親は教えてくれた。
「お父さんは、さつきちゃんが、本当に亡くなったとお思いですか?」五島はそう尋ねてみた。父親はゆっくりと目を五島に向けて、ええ、と頷いた。
「あの町の人々の証言が事実なら、それは本当に素晴らしい事ですし、その方がいいと思っています。その方が、我が娘らしいと」
結果、リウマチではありませんでした。じゃあただの筋肉痛、にしては治らなさすぎる。じゃあなんだ? この痛みは。
とにかく、朝起きると、ひざの関節がバキバキに固まって動かない。何とか動かしてしばらくすると、痛みは多少和らぐが、またしばらくじっとすると、また固まって動かない。そんなに無理したかな? そんなにジジイ? いやいや、自分よりずっとジジイ……、いや、お年を召した先輩方も、立派に働いているのだから、自分が特別ジジイだとは思えないし、思いたくない。 真相の究明が急がれる。
温泉でも行くか。車で。 るるぶで『リウマチに効く温泉』という特集があった。でも、私はリウマチではありません。じゃあ、何に効く温泉に行けばいいのか。ただの筋肉痛に効く温泉。あるかね、そんな温泉。
-------------------------------運命の道を歩いてみよう(その17)---------------------------------
及川は純粋で聡明過ぎる人間だった。疑う事も諦めることも知らず、お嬢様育ちで向う見ず、一度言い出すと聞かない、出来るまでとテコでも動かない。でもじっくりと努力を重ね、結果が出るまで頑張り通す。高校時代に所属していたダンス部でも、全国大会二位に食い込む大健闘を見せたが、悔しくてしばらく部屋から出てこなかったという。そんな話を、五島は及川の父親から、遺影を前にして聞いた。
「あの子は、目の前に目標を置くんじゃないんです。ずっと、ずっと向こうに、それこそ誰にも見えないほど向こうに、ポツンと一つ、とんでもない目標を置くんです。それまでの過程として、あの子はその時その時を生きていた。今になって思えば、そんな気がします。でもそれだけに、挫折の連続だったと思います。なんでそんな、つらい生き方を選んだのか……」
悲しみが心も体も貫通したような、父親の様子はむしろすっきりとして見えた。目が潤むこともなく、ただ娘の笑顔の写真を、座った目線より少し高いところに置いて、神々しいモノの様に見上げている。
「その目標に、今はたどり着いていてくれるといいのですが」
及川の遺体はアフリカのケニアで発見された。しかし及川に日本を出国した記録もケニアに入国した記録もなかった。誘拐事件として捜査がはじまったが、現地で及川を見たという複数の証言から、及川はある日突然、真っ白な服を着てその町に現れ、数々の奇跡のような施しをしたのだという。長い間歩けなかったある者は、及川に支えられた瞬間から歩けるようになり、及川が道路傍に撒いた小さな種は、瞬く間に実り、リンゴのような実を付けたという。他にも、及川が乗ると、何年も動かなかったトラクターが動いたとか、頭を撫でると子供の熱が下がったなどの報告は後を絶たなかった。及川は会う人一人一人に小さな子供の形をしたキーホルダーを配り、その作り方と、日本語のある一言を教えたという。そのキーホルダーは今、家の守り神として各家々の軒下に下げられ、その日本語はあいさつの言葉となっているという。
そうして一週間ほどその街で過ごした後、及川は「私はそろそろ故郷に帰ります。その前に少し休ませてください」と言って、自ら歩いて最後の床に就いたのだという。
町に火葬の施設がなかったため、及川の遺体は陸路でナイロビに向けて移送されたが、その途中で行方不明となり、その代わりとして現地の石が骨壺には入っていると父親は教えてくれた。
「お父さんは、さつきちゃんが、本当に亡くなったとお思いですか?」五島はそう尋ねてみた。父親はゆっくりと目を五島に向けて、ええ、と頷いた。
「あの町の人々の証言が事実なら、それは本当に素晴らしい事ですし、その方がいいと思っています。その方が、我が娘らしいと」