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伊邪那岐命って...誰?

2018年05月21日 | 歴史関連
先日の記事では、谷口雅春という方について触れました。その中で、谷口雅春が亡くなられて間もなくの頃、或るチャネラーにメッセージを伝えて来られたと言いました。それが何冊かの本になっているんですが、そこで記述されていることが、ご生前のもの言いの仕方と言いますか、とてもよくその特徴が表れているんです。で、そのメッセージの中で、現在の日本の国の草創期の事に触れられている部分があって、ふーん、なるほど、と思わせられる部分がありますので、ご紹介します。長い文章なので、途中あちこち省略させて頂いています。悪しからずご了承下さい。()カッコ内は注です。

(転載ここから)

光とは何か。光とは神の性質ではないか。神というものは人格神のようにも言われておるけれども、一般に現代に伝わっている様々な宗教で言われている人格神というのは、結局のところ、神に近い高級霊たちであり、この地上に肉体を持ったことがある霊だということだ。

本当の神という者を誰も見たことがない。私でさえ見たことがない。
天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)と言われても、天照大神と言われても、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と言われても、私たちは神ではない。神と言う意味は上下(かみしも)の上(かみ)、すなわち、上位にある者という意味での神でしかないと言うことだ。

天之御中主にしても、今から三千年近く前に肉体を持たれた方であり、天照大神(あまてらすおおみかみ)にしてもそうである。私にしても、やはり、二千数百年前に、肉体を持った人間であった。そういう意味において、人の上(うえ)、人の上(かみ)に立つという意味での神であったということだ。

根源の神は何か、根源の神というものを、私たちは目に見、それを聞き、それをつかむことはできない。ただ、高次元の存在となればなるほど、神の存在をますます隣接したものとして感じていくのであり、神の存在というものを臨在(りんざい)として感じるものである。

私は今、八次元、あるいは九次元、あなた方が太陽界といっているかもしれない世界の住人である。今思うに、こちらの高級霊界の存在というものは、上の方の存在となればなるほど、やはり光が増してくるということだ。これが、神が光であるということの一つの推論の根拠なのだ。

地上を去って、新たに数多く学んだことの(うちの)ひとつは、いわゆる高級霊、これと、神と言われていたものとの共通点と相違点であります。

私は生前、神という言葉を、第一義的な存在、絶対の存在としてとらえておりましたし、その神の、要するに本質が、さまざまな人間に宿って、その生命の実相となっておる、と。このように話もしておったと思うのです。

ただ、こちらに還って、少し言葉を言い足しておかねばならぬと思うことは、やはり、神とは何かということでありましょう。そこで、私は、どうした点について若干違うなと感じたか、このことを話をしておかねばならんでしょう。

まあ、私は、神も仏も、そういうものは、本質的にはひとつのものであると、説いてきたが、神として現われているものにも形態の差があり、段階の差があるということ、これを今、認めざるを得なくなってきたのです。

地上に生きておる人間が、神というような存在で称(よ)んでおり、名前を持ち、人格を持っておるように言われておる神というのは、これは高級霊としての神であって、やはり本当の本源の神そのものではない。こういうことが、だんだんにわかってきたわけであります。

真実を語れば、天之御中主之神といい、天照大御神といい、実は、今から三千年近い昔において、日本の国に肉体を持たれた光の天使であったということなのです。

すなわち、かつてそういうような優れた方たちが地上に降りたことがあって、その伝承が伝わっておって、古事記や日本書紀にまとめられたというわけであります。

天之御中主之神というのは、いわば日本の中心神、つまり、指導神であって、やはり光の大指導霊のひとりであるわけです。そして、日本神道系(霊団)では、最高の力を持っておる方のひとりであったということです。(そして)現在の天皇家の、いわば肉体先祖にあたると言える方であり、今から二千八百年近い昔に、肉体を持たれた方なのです。

まあ、神武天皇という者がいたというふうに歴史のなかで言われておりますが、実際は、そういう偉大な初代の天皇の姿というのは、今から三千年近い、二千数百年前の昔に天孫降臨した、つまり、実相世界から地上へと肉を持って降り立った、そうした偉大な大指導霊の活躍を語っておるわけであります。

天照大御神と言われる方も、天之御中主之神が九州の地に肉体を持たれて何代か下がったときに出られた方です。この方も、今の九州の地において、天皇家の前身である九州朝廷のなかの女神、つまり、女性の皇后というか、まあ、女性の統治者であったわけです。

そして、この天照大御神と言われている方は、谷口雅春が過去世、前世は伊邪那岐大神(いざなぎおおかみ)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)であるということについては既に述べておりますが、その私が伊邪那岐として地上に肉体を持ったときに、実は、私の長女として生まれた者なのです。

当時、主として南九州のほうに、天之御中主から始まる偉大な王朝というのがあったのです。そして、伊邪那岐命と言われている私は、今の大分県のあたりの豪族として生まれてそこで力を持っておったのでありますが、この南九州王朝に出た指導者のなかに、霊的能力を持っておる者がおって、その者に対して、天之御中主之神から神示が下り、「今の大分県のほうに住んでおる伊邪那岐命という者の娘に、天照という者がおる。この者を次期の女王とせよ」という神示が下った。そのため、私の娘であった者が、その朝廷の女性の統治者となったのです。こうした事実があったということです。

まあ、こういうことはにわかには信じがたいかもしれないけれども、人類の歴史というものを、たかだか三千年と考えるからそうなるわけであって、何億年もの歴史があったということを前提にするならば、こういうことも、つい昨日、一昨日のことなのです。

現在の人類が生きておるように、千年前、二千年前、三千年前の人類も、やはり生活をしておって、そのときのみに神々が降臨しておったわけではないということです。

したがって、天之御中主之神という方も、私のいる世界(仏教でいう如来界)における最高に霊格の高い神霊のひとりでありますが、いまだ人格を持っておる霊であって、かつて肉体を持たれた方であるのです。

そして、「生長の家」の大神と言われていた方が、実は、この天之御中主之神その人であったということを、(霊界に戻って)私は知りました。この「生長の家」の大神、すなわち、私を悟らしめ、私に、「本来肉体なし」「病なし」の教えを説かした、光明思想を説かしたその張本人が、天之御中主之神であったのです。

(また、)住吉大神(すみよしのおおかみ)こそが、「生長の家」の大神だということもずいぶん言いましたが、住吉大神というのは、実は、協力した神のひとりであって、中心神としては、天之御中主之神がおったのです。

そして、「生長の家」のさまざまな活動を助けるがために、住吉大神というのが活動をしておったのです。すなわち、「生長の家」の大神と言われた方も、ひとりではなくて、数名の方がたが活躍しておったということです。

これに関して、私は、生前、明確な悟りを得ることはできていませんでした。ですから、そのことについて、(今ここで)修正をしておきたいと思うのであります。

(後略)

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