お金とは何かというと、それは、対価、という概念であることが分かります。つまり、ある労働なら労働、品物なら品物、サービスならサービスに対して、それをどのくらいの分量の、いわゆる通貨に替えるか、という考え方ですね。そしてそれが概念、すなわち考え方である以上、そこには常に考え方の違い、というものが介在してくる、ということがあります。
例えば、ある人に一日、仕事を手伝ってもらったとして、賃金を支払う方は、5000円でいいと思い、もらう方は1万円が妥当だと思う、というような考えの差ですね、これが必ず発生します。
で、この概念の違いということは、それはそのまま分離ということの始まり、でもあるわけです。
大勢の人に賃金を支払うとして、誰のどの仕事に対していくら支払うか、俺は少ない、あの人は多いというような、お金、対価の概念が存在すると、それは、もう瞬く間に、人と自分を分ける分離の世界に入ってしまう、と言うことは、いまの、このままの社会と同じ世界になってしまうことが分かります。
宇宙の法についてご説明したように、私たちには、自由意志というものがあります。しかしそれは、全ての存在に対して、公平さを保証したものでもあります。パニャパラミタ、あるいはフルコンシャスネスとも言いますが、そうした、いわゆる完全意識に目覚めた、アセンション後の私たちにとって、看過することが出来ないはずのものが、そうした、いわれなき分離の概念ではないでしょうか。
ということで、アセンション後の世界には、お金と言うものは存在し得ない、ということになるでしょう。それは、全てが無償で与えられ、全てを無償で提供する世界になるということですね。
えっ?俺はそんなのヤダ...ですか? では、もう一度、三次元を...?
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