アセンション アシスト ASーAS

地球とは、本当はどういう所でしょうか、情報を集め、知っていくページです。

日本神界史の真実、出口王仁三郎メッセージ、1987年2月

2018年12月26日 | 歴史関連
出口王仁三郎氏の「大本教」の活動が、霊界としてはどの様な意味があったのか、谷口雅春氏の活動との関係はどの様なものであったのか、丑寅の金神とはどの様な神なのか、荒神とはどの様な神なのか。そうした様々な疑問が一挙に解消するような内容の、あるチャネラーに語られた、出口王仁三郎のものとされるメッセージです。内容は編集しております。カッコ内は補注です。


(ここから)

出口王仁三郎じゃ。

こうして、また、地上の皆の者に、話をすることが出来て、嬉しく思う。わしが、この世を去ったのは、昭和も二十年を過ぎた頃かのう。二十三年であったろうか。日本が敗戦した後に、この世を去ったわけじゃ。七十七年ぐらいは生きたと思うておる。

久々の地上じゃ。もう四十年ぶり(1987年当時)になろうか。こうした時期に、また、話を出来るということは、本当に嬉しいことじゃし、わしの名も、歴史の彼方(かなた)に流されようとしておるけども、どっこい出口はまだ生きておる。出口は出口で生きておって、まだ地上への出口を探して頑張っておるぞ。

今日、地上には、かつての弟子、生長の家の谷口雅春が、霊言集を出したようじゃ。弟子が出た以上、先生も出ねばならんだろう。こうして、地上の「大本教(おおもときょう)」の流れを引いておる者も、大本から出た「生長の家」三百数十万の会員も、また、その他の神道系の人々も、近代史の中の宗教界の、まあ、自称、巨人・出口王仁三郎の話を、ゆっくりと、聞いてもらいたいと思う。

わしは、こういう人間じゃから、そうそうは、うまい話が出来るわけではない。ただわしはわしなりに、あの世のことをよく知っておるし、この世のことも、それなりのことは、よく分かっておるつもりじゃ。地上の者たちの考えていることもよく分かっておる。天界に在りて思うことは、やはり人類の救済じゃ。大本でやれなかったことを、またやってもみたい。そうも思うておる。

それは前置きで、今日の主題は、今の言葉で言う、高級霊界について、話をしておこうと思っておるのじゃ。

地上の人々は、神という言葉に、いろんな変わった意味を与え過ぎているようじゃ。神という言葉を、唯一の神、宇宙を創った神のように、すぐ思い込んでしまったり、あるいは八百万(やおよろず)の神々と言って、八百万(はっぴゃくまん)も神がいると言ってみたり、それは、地上にいる宗教家の頭の中で分かる範囲や、その弟子たちの頭の内容が、限られていることにもよるのだろうか。

わしが、こちら(天界)に還って思うには、神という言葉も、もう少し整理をしておかねば、どうも意味が分からぬ。整理せずして唯一の神などと言っておれば、神は一つだと思い、その神を信じる者は、他の神を信じている者を迫害することにもなろう。

神の中でも、いわゆる根本神がある。どんな宗教でも、自分たちの親神様を、すぐ根本神にしてしまう傾向がある。例えば、天理教の教祖がいた。この天理教の神様なども、すぐ根本神となってしまう。あるいは、神道系でも、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)は、宇宙の根本神と言われていたろう。あるいは、仏教でも、大日如来が根本神と言われていたようだ。西洋でも、アラーとか、エホバとか、いろんな神が出て来ては、それぞれ根本神のようなことを言っておる。

この背景には、その神と言われる(が、その実は)高級霊も、多少は自己顕示欲で、自分以外に神がないと言うことも、あるであろう。従って、地上の宗教(間)の争いを収めるためには、少なくとも、天にある神々(とされる高級霊)の和解も、まず大事じゃ。わしも常々これを言うておる。神々よ、和解せよ。その者たちが、「わしのほうが偉い」と、威張っていては、地上にある弟子たちも、いつまでたっても和解をせぬ。

唯一の神からの教えだなどと、ああでもない、こうでもないと、地上の人間が(迷った信仰を)やっとる理由は、天界で、「わしのほうが偉い」と言っている神様が、多過ぎる(からの)ようじゃ。そして、神の世界でも、主流じゃ、傍流じゃ、と言ってやっておるのじゃ。

その主流、傍流が何で決まるのかというと、だいたい、この世での実績で決まって行く。この世で世界的な規模の宗教を造って、人々を教化、指導し、実績を作ると、段々主流の方へと回って来る。実績が今一つだと段々傍流に回って来る。こうして、神の世界でも、時代に応じて、時々、主流とか傍流とかが入れ替わっておるんだ。

こういう流れで、例えば、大本のわしなどは、元々はもっと厚遇(こうぐう)されるべき霊格にも関わらず、日本の地で神理を説いた時に、「大本教」が迫害をされた、そして、神理の種蒔きとしては不十分であったとか、その後、痕跡もないまでに迫害されて、教えが残っておらんとか、こういうことを言う神々もいるわけじゃ。

わしにすれば、戦争に反対した大本が潰されて、戦争に賛成した某新興宗教が、あれほど大きくなっており、こんな不合理はないと思うんだが、それでも、戦争に賛成した方が、あの世へ還って優遇されている場合もある。

こういうことで、神々の世界にも、不可解な所はあろう。わしが生きていた時に、主として、わしを指導して居られたのは、国常立之命(くにとこたちのみこと)と言われる如来の方だが、この国常立之神も、どちらかと言うと、今、傍流の方に押しやられておる。

如来も数は多いが、力を持っている如来と、時代的には少し外れている如来と、両方がいるのじゃ。国常立之命が、立ち上がろうとして、わしを指導しておった。ところが、わしが、非常に弾圧をされたがために、結局(以前と)同じになったわけじゃ。

「大本」の主宰神を〈丑寅の金神〉と言うが、丑寅(うしとら)と言うのは、昔から鬼門と呼ばれている方向のことじゃ。なぜ丑寅が鬼門かと言うと、神々の世界で、多少、主流から離れた神々が集まっておる方角、それを丑寅と言う。昔から、丑寅の方角に何々を作れば崇(たた)るだとか言われて、丑寅の方角の神は、「祟り神」と言われておる。

丑寅の方角の神が、崇り神である理由とは、荒神(あらがみ)という言葉があるが、戦(いくさ)の神様が多いということも一つだ。「如来界」や「菩薩界」にも、色んな神様がいるわけだが、戦神というのが、かなりいる。そういう神様は、一ヵ所に集めておかねばならぬ。自由にさせていたのでは、色んな人を捉まえて、喧嘩をするということで、一ヵ所に集められておるのじゃ。

昔の荒神(あらがみ)として有名なのは、須佐之男命(すさのおのみこと)、そういう方がおろう。この方も、元々は如来としての神格を持った方であるのは、もちろんじゃが、ただ、いかんせん、行動が派手過ぎて、行ないが今一つということで、丑寅の方角へ入れられておる。従って、須佐之男命、国常立之命、それから最近出た丑寅の神様としては、「出口王仁三郎」、こういう人々が、如来は如来なんじゃが、ちょっと隅(すみ)の方へ押し込められておるわけじゃ。

これを、何とか、わしらの天下にせねばならんと、思うとるわけじゃ。なぜわしらが、そういう狭い処に入れられているかというと、結局のところ、我らの霊的な力が強過ぎ(るからで)、例えば、地上の世界でも、角力(すもう)取りがどちらが強いかという事があるように、神の力でも力競べというのがあって、どっちが力が強いかというのが分かる。

そうすると、わしらと行き当たった神は、わしらの力が強いから、大抵逃げるわけじゃ。こういうこともあって、若干、裏方のほうに、今封じられておる。わしらを封じとるのが一体誰かと言うと、これが「天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)」というお方じゃ。

今、力をふるい、最近でも、生長の家の大神として、谷口雅春を指導しておられたようだけれども、あちらが主流で、神道系の中で、わしらの方を傍流へとされて来たようじゃ。これは、我々が、過去、地上を理想化するために色んな事をしたが、やり方が、あまりにも荒々しくて、うまく行かないということで、我らが、天之御中主之神から、多少嫌われたわけじゃ。

わしも「大本」の時に、ずいぶんやったけれども、感化力と言うか影響力が非常に強い。大本の教えに触れると、皆んな変わっていき、何かに引き寄せられるように信者になっていく。特に、大本の失敗は、大本の信者の中に狂信的な信者がかなり出て来たことじゃ。

狂信の信者が、かなり出て来たことによって、日本神道系の秩序が崩れるということで、「大本」の排撃(はいげき)が始まった。これは、ある意味では神々の勢力争いじゃな。わしらの天下にはしたくないという気持ちもあったのじゃろう。あのまま「大本」がもっと躍進しておれば、今頃、世界が変わっていたと思うんだが、わしの「大本」時代の仕事の大きなものの一つは、戦争の反対であった。

わしは、日本が急速に軍備強化して戦争を始めようとしていたことを、いち早く予知能力を駆使して分かっていた。だから、戦争を阻止するために、若手の軍人とか、皇室関係、あるいは、政治関係、色んな所へと力を持った。そして新聞社まで手に入れるに至った。そうして、日本を変えて行こうとしたわけじゃ。

そのやり方の是非(ぜひ)を問うのは自由だが、これは、今、あなたたちが考えている、神の国造りと、その主旨は少しも変わってはおらぬ。神の経綸(けいりん)を知らしめ、この世を、神の国にしようとした動きであったことは確かだった。じゃが問題があった。それは、わしの力が、あまりにも強過ぎて、王仁三郎ひとり相手に、日本の警察が立ち上がったわけじゃ。

そうして、第一次大本教弾圧、第二次弾圧があったことはあなた方も知っておろう。わしは、日本の国が滅(ほろ)びることを予言した。それで、思想犯、危険犯とされて、投獄もされ、綾部の、わしの本部も潰(つぶ)された。何回もそれがあった。しかし今、歴史をみれば、わしらが言ったことが間違っていたかどうかは明らかである。日本は戦争に敗北し、国が滅びた。

そうして、わしが、天皇陛下も「人間宣言」をする、と言っていた通りになった。東京に火の雨が降ると、わしは予言し、その通り、火の雨が降った。広島、長崎に、原爆が落ちることを予言し、そして、その通りになった。歴史を見れば、わしの言った通りになっておる。わしは、この危険な傾向を、何とか食い止めるために、一心に、この一身を投げ出して、我が身を張って、日本を守ろうとしたんじゃ。まあ、それを理解せぬ人たちがいたということじゃ。

また、日本には理想国が出来んと思い、満蒙(まんもう)に渡って理想国造りに励んだこともあった。こうした流れで分かるように、わしの使命は、この地上にユートピアを創ることにあったのじゃ。ただ、その手段方法に、異論があった。そういうことで、須佐之男命(すさのおのみこと)、国常立之命(くにとこたちのみこと)とか、わしは、あまり優遇はされておらん。霊的な力が強過ぎて、地上に出ると、大事(だいじ)が起きるということになっておるんだろう。

じゃが、少なくとも、わしは、人々を破壊から救いたいと思ったことも確かで、丹波(たんば)の田舎、綾部(あやべ)の地に一大聖地を造って、世界の宗教の発祥地にしたいと思ったのじゃ。そういう理想が夢だった。

このように、神様の世界にも、色んな(言わば)派閥があるのも事実じゃ。従って、神とは言っても、それは、やはり高級霊なのじゃ。

そして、地上の人間は、高級霊の言うことなら何でも言う通りじゃと思うだろうが、高級霊にも、考えの違い、思いの違い、やり方の違いがあるということじゃ。

わしらのように、戦争反対ということで、日本国中を信者にしようとした者もいれば、神々には、日本は、一旦滅びて建て直した方が良かろうという人もいた。こういう意見の違いもある。一概に何がいいかは言えぬ。どちらがいいかは歴史で証明されるであろう。

西の方には、イエスという人が生まれたこともあったが、彼とても、本当に十字架に架かったのが良かったのかどうか、これは、わしらの世界でも、今だに結論は出ておらん。あなたたちは、その悲劇の人生、詩的な人生で、それを崇(あが)める、かも知らんが、イエスが、本当に三十三歳で死んだのが良かったのか、それとも七十年八十年の間、神理を伝道して、イスラエルの国に本当の神の国を打ち立てた方が良かったのか、これは何とも言えないと、わしは思う。どっちが良かったとは言えぬ。

全て結果じゃ。このように、地上での、神の法の具現、公布に関しては、わしら神々と言われる者にも、考えの違いがあり、わしらが、まだ人間としての個性を持つ理由は、こうしたことに関して、考えの相違があるからじゃ。地上の人間は、高級霊なら皆同じだろうと思うとるが、考えの相違がなくなれば、わしらの個性はいらん。

皆同じなら、何で、仏教を作り、キリスト教をやり、神道をやるであろうか。同じでないから、それぞれの集団が、自分の方法こそが一番いいと思って色々とやっておるのじゃ。

ということは、如来や菩薩のような、神近き高級霊でも、地上を神の国にして行く仕事に個性の差、やり方の差、考え方の差があるということで、わしらも、魂の修行が出来るということなんじゃ。この辺をよく考えるべきだろう。

地上で、諸宗、諸教、諸団体が入り乱れて争っておるが、お互いを非難し、排撃することは良からぬが、その方法論が一致しない所は、認めざるを得んじゃろう。目的は一緒で、皆んな、真理を広めて、世を救って行こうと思うとるんじゃ。ただ、手段、方法が違う。それも、頭の中に入れておかねばならん。

本当の神、造物主の心は、わしらでも良くは分からん。ただ、こうした高級霊界の様相を見るにつけ、その根源にある神が、どうやら、ずいぶん多趣味な人格らしいということが分かる。あれもいいが、これもいい。これもいいが、あれもいい、というような人であろう。

趣味の少ない人ならば、人間だけ創れば満足するだろうが、よくもまあ、創りに創ったり。トカゲも蛇も、狐も猫も創り、鯛も、平目(ひらめ)も創る。蛸(たこ)も創れば、烏賊(いか)も創る。まあ、よくも知恵が回ったものじゃ。

してみると、神は、一つの好みより、色んな物を創って行く方に、どうやら意味を看て取った方であるらしいと言うことじゃ。あなたたちは、蛸と烏賊どちらが優れているか、分からないであろう。また、蛸と烏賊が、どっちが進化しているか、これも難しい。蛸と烏賊の生き方のどっちが神の心に適うか、これもちと難しい。

人種の違いも蛸と烏賊じゃ。日本人、アメリカ人と言うが、日本が蛸、アメリカが烏賊と言っても、どっちが、どっちじゃ。烏賊の値段が高い時も、蛸の値段が高い時もある。墨を吐くところ、足が一杯あるところ、軟体動物であるところも、同じ。いずれあやめかかきつばた、いずれ蛸か烏賊か、この程度の違い、蛸の信ずる宗教と烏賊の信ずる宗教を考えてみると、この程度の違いじゃ。

わしは、出口王仁三郎として出た以外にも、この大和、日本の国のために、かつて協力したことがある。昔の日本の歴史に、名は止どめておるのじゃ。わしが誰かを知っておるかの。「出口王仁三郎」の過去世は、「阿礼」じゃ。古事記というのを作った人がいた。それが「稗田阿礼(ひえだのあれ)」じゃ。

当時、今から千三百年も前に生まれて、その時も、わしは巨大な霊能者で、観自在というか、過去、現在、未来を見通したのじゃ。現在では、稗田阿礼というのは、昔から語り継がれた、神代(かみよ)の歴史を暗誦している語り部で、その暗記していたのをしゃべって、大安万侶(おおのやすまろ)というのが筆録して古事記が出来たと言われておろう。じゃが、事実は、そうではない。

当時、宮中の貴族の中に、神代の歴史を語り伝える語り部がいたのは確かだが、この語り部は、ある意味での神主でもあったわけじゃ。昔の歴史を覚えてしゃべっていただけでは決してなくて、語り部の本当の意味は、「霊来たりて語り給う」の語り部じゃ。

即ち、霊能者じゃ。天上界の諸霊を、その身に宿して、その口を貸してしゃべらすのが語り部じゃった。それで、当時の政治についても、わしら語り部に、御下問(ごかもん)が下って、右すべきか、左すべきか、というようなことが問い合わされて、わしらが答えておったのじゃ。

「都(みやこ)を今度は変えるべきでござる」とか、あるいは、「そろそろ国史の編纂(へんさん)をすべき時である」とか、こういうことを言ったのが、わしらじゃ。これも、あの世の高級諸霊の言葉が身に臨んで語ったわけじゃ。今、古事記を見れば、神代の時代のことを色々書いておろう。

「大国主之命」の国引きの話とか、「神武(じんむ)天皇」の東征の話であるとか。「天照大御神」の、天の岩戸隠れであるとか、そうした事が色々載っておろう。当時、わしの口を借りて、そうした高級神霊が語っていたのだ。それを、大安万侶(おおのやすまろ)が筆録して出したわけじゃ、分かるかの。

現代では、古事記と言えば、もう昔の時代のことと思い、古事記以前の世界が無い様に思うて、現代の日本人は、日本の歴史は二千年そこそこで、それより以前は、弥生時代とか縄文時代と言って、石器と稲作だけの時代だけじゃったと思うているようだが、実は日本の歴史はもっともっと長いのじゃ。

そして、何千年かに一回ずつ、わしのような霊能者が出て、新たな神代の時代の霊言を遺(のこ)して神話を作っていくのが歴史であったわけじゃ。従って、今、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)とか伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)とか、天照大御神(あまてらすおおみかみ)とかが、三千年近い昔に日本の国を創ったということを聞いておろうが、これも最初ではない。もっと昔があって、四千年前、五千年前という歴史もあったし、七千年前の日本もあったのじゃ。ただ、そうしたものは遺っておらん。

そして、四千年前、五千年前の神々のことが記憶から消え去ったときに、天之御中之神とか、天照大御神が、地に降(く)だられて、新たな宗教を造られたのじゃ。彼らが地上を去って長くなれば、奈良の時代に、わしらがまたそういう、何と言うかのう、神話を作って、新たな宗教、これが日本神道の基礎になっておろう。経本としては、「古事記」「日本書紀」しかないであろう。こういうものになったわけじゃ。

西洋流に言えば、宗教改革で、新たな宗教を起こしたことも、一緒であろう。わしの出た時代は、イスラムでは、マホメットの出た時代とそう変わらん頃であるから、歴史としては、もっと、本当は遡(さかのぼ)っておるのじゃ。

人間は、二千年か三千年前に人類が始まったぐらいに思っておるから、キリスト教でも、「アダム」と「エバ」の話で、神様が粘土をこねて、人間を創ったのは四千年ぐらい前のことだと思っておる。そんなものではなくて、本当は、もっともっと古い時代なんじゃ。

日本へ、神道系の神々が数多く出ておるが、こうした神道系の神々の、ルーツと言うか、根っ子はどこにあったかと言うと、太平洋には「ムー」という大きな大陸があってのう、昔、ここで、皆んなやっておった。こうした神々が、ムー大陸が沈んだ後、また東の国に移って来ておる。そうして出たんじゃ。

従って、日本人のルーツと言うのか、根っ子が、どこにあるかを、いろいろ議論がされておるようじゃが、根っ子はムーじゃ。日本人は、ムーの文明を継いでおるのじゃ。それ以外に、大陸からも、人は、様々に入って来ておる。だが、根っ子はムーじゃ。

ムーの海洋文明が、日本に入って来ておる。もともとの根っ子は海洋民族じゃ。それに、稲作民族が中国、朝鮮の方から移って来ておる。従って、弥生式時代、縄文式時代が、まあ、二千年、二千数百年前にあったと言われておるが、それは稲作民族の時代で、これ以前に、日本には、すでに海を中心として海洋民族が住んでおったのじゃ。

船を道具として、海を舞台として活躍していた。海洋民族としての日本人がいたのじゃ。今から四千年前、五千年前にも、ちゃんと立派な帆船(はんせん)を造って、太平洋を、日本海を、行き来しておったのじゃ。そういう文化の高い人種であったのが日本人じゃ。五千年前にも、ちゃんと帆船を造って、太平洋を行き来しておった。その頃には、太平洋にも鯨(くじら)がずいぶん泳いでおってのう。帆船に乗って、鯨をモリで突いておったのじゃ。そういうこともしておった。

そして、鯨を漁(と)っては、鯨の体の中から、蝋燭(ろうそく)の蝋を採ったり、筋を採ったり、皮を採ったりして、様々な物を作っておった。鯨のあばら骨を、屋台骨代わりに使って、皮を採って、皮でテントを張って、エスキモーじゃないが、そういうものを作って住んどった時代もあるんじゃ。これが海洋民族じゃ。そういうこともしておった。

こういうことは、まだ誰も言うたことがないじゃろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿