以前の記事で、地球の人類の歴史の始まりは、他の惑星からの移住だという事で、ご説明しました。そうした事が多く語られている、他の惑星人からのものであるとされる、チャネリングメッセージがありましたので、掲載させて頂きます。カッコ内は補注です。意味が通じる様に、各所に編集がしてあります。
(ここから)
エル・ランティの活躍によって、我らの星も、地球人の幾らかの方々の間では、有名になっているおかげで、私に、ご指名が回ったことを、今日は、大変喜ばしく、またラッキーな事だと考えております。
あなた方が、幾つかのご質問の中で言われた様に、我らが同胞(であるベーエルダ人)達が、この(地球の)地上に降りて行った時から、遥かな時がたち、今、我らの仲間の魂が、どの人種に中心に降りているか、という事(について)は、それは、私より、エル・ランティ達の方が(よく)ご存じだと思います。
あなた方、地球の人種の中に、肉体的先祖としては、(或る)一つの惑星から来た者達の遺伝子が、色濃く出ている、という事は、伝え聞いておりますが、魂に関しては、あなた方の星では、数々の(惑星の)人種が、転生輪廻をしていかれるので、魂においては、どの人種に、ベーエルダの魂の者達が(特に多く)出ている(か)、という(様な)事は、ない様に思います。
あなた方の星(地球)が、我らの星(ベーエルダ)と決定的に違うのは、まだ(地球では)精神的な面で、内面的な、霊的な目覚めが起きていない(という事でしょう)。そういう意味で言うと、(地球人は)まだ、精神的に非常に幼い、と申しますか、そういう過渡期的な段階にいる方々、の様に思います。
では、我々の様に、科学技術を(極限まで)発展させたから、それで、我々が先輩として全て良いか、というと、私は、それが、全て良いとは思わないのです。
何が決定的に違うか、というと、生活の中での利便性を徹底的に科学技術で(向上させ)、(日常生活を完全に)便利にしてしまったがゆえに、生産労働、日常における、労働における煩わしさが、我らの星では、殆んど一切、なくなっている、という事なのです。
何かを作る、何かを生産する、そして何か、別の場所に移動したい、とか、何か、新たな企画(物)を造りたいと思っても、大体、その様に思っただけで、その様な物が現れてしまう様な、物質構造的な次元で、我々の思い、思念を集中するだけで、その次元に現象化する、という、その技術(に)まで至っているがゆえに、あなた方の様に、例えばジュース(で言いますと)、コップ一杯のジュースを作る為に、山に行き、ミカンの木を植え、フルーツを収穫し、それを運び、それを買いに行き、キッチンで奥様達がそれを潰しジュースに絞り、そしてテーブルの上に載るという、その様な一連の作業なくして、分子構造の上で「ジュースよあれ」と思えば、その様な物体を作り出す事が出来る、その様な所まで行っている、という事(なのです)。
それを、もし、あなた方の惑星で(例を)見るとすれば、モーリャ、モーゼと言われている方の、紅海を真っ二つに割った、と言う話を、よく、私は、エル・ランティから聞くのですけれども、(あるいは)インマヌエル(キリスト)と呼ばれている方が、した様な(事は)不思議な、現象、と呼ばれている事の様に、あなた方は思われるかも知れないけれども、それは、物質構造理論的に考えれば、少しも不思議な現象ではなく、科学技術が進んでいけば、その様な物体を作り出す、という事を、思念の中で、原子構造として瞬間的に出していく事は、可能になって来るのです。
ですから、あらゆる生産労働に従事する苦労がなく、人々は一日の中で、労働に就く時間は非常に少なく、個人個人の人生を楽しんだり、個人個人の個性に応じて、人々に、宇宙に対して、神に対して、何をもって自ら仕え、何を発明発見していけば貢献出来るかという、そういう内面的な活動に、時間とエネルギーを使えるという事(なのです)。
それが、男女を超えて、その様な自由な時間がある、という事。
そういう事が、あなた方の地球の暮らしを見ていて、何が(ベーエルダと)一番違うかな、と思うと、そこの所を考えるのです。
でも、それが、本当に良いか、と言うと、私は、そうは思わない事もあるのです。
ミカンの木を植える、という事は、泥にまみれて嫌な事だと、ベーエルダの者達は、大方、そう思っているのです。
でも、どうでしょう?
地球で、今、あなた方も都会に住んでおられる方が多いでしょうが、自然の中に行って、木を植えて、その木の成長を楽しみながら、愛しみながら、一つ一つ実のつくオレンジを、我が子の様に可愛がって、育てておられる、農夫の方々の姿。
その自然の恵みを一杯受けたオレンジをもぎ取り、そして、その匂いを感じ、それを選んで買い、そして、それを家族の為に、愛をもって調理し、料理を作っていくお母さん達の愛のこもったジュース。
その一連の過程、それが、人々が(作物を)体内に入れるというだけではなく、ある意味でいうと、愛の表現でもあり、大自然を通して、神の愛の息吹、神の愛を感じる、そういう手段にもなっているのではないかとー。
神を感じ、愛の喜びを感じる通路になっているのではないかとー。
そういう大事な事を、我らがベーエルダの者達は、忘れてしまったのではないかと-。
利便性ばかりを追及して行く中で、神の、大自然に、気持ちを沿わして生きる、という一番素朴な喜びを、自ら放棄してしまったのではないか、と、私などは、その様に思うのです。
ベーエルダにも、色々な立場の者がおります。
エル・ランティの言った事に対立して議論を交わした者達が、おりますが、私は、どちらかというと、その中間、エル・ランティとも、いい友人でいられる様な、その様な立場の考え方をしている者ですから、私の個人的な意見と、ベーエルダの、他の者達の考えている意見は、違うかも知れません。
けれども、、地球に、この様に、私達の同じ天体の者達が来て、私達の子孫達がどの様になっているか、エル・ランティが、どの様に頑張っていて、そして、地球という惑星が、今、どの様に成長しようとしているか、という事を見守りに来ている、その様な役割をする者として見れば、地球という惑星の現在の姿に、ベーエルダの者達が忘れてしまった、その神の波動に触れる素朴な生活、神の子として本来あるべき生活が、今、地球に残されている姿に、時折、感動したりもしているのです。
確かに、あなた方地球人は、精神的に、まだ幼い、かも知れない。
だから、戦争とか、互いに騙し合ったりとか、まだ、自らが神の子、だという事(も認識せず)、大宇宙の愛の波動に(皆が)共鳴し合い共存して行く、という、その様な、まだ最低限の枠も超えていない、そういう、あなた方では、あるけれども、それがゆえに、大自然と一体となって、原初的に我々神の子として埋め込まれた、神の愛の中に生きる、という、その姿勢、その姿を、まだ、この地球には温存している、そのライフスタイル、生活がある、という姿を見て、私は、また反面、ベーエルダの者達も、地球人の姿から学ぶことが多いのではないか、と、その様に思うのです。
あなた方が、今、エル・ランティと呼び、ミカエルと呼んでいる者達、あの者達は、かつて、昔、我らが星より独立し、別れて行った者達です。
彼らが、常に言ったのは、そこでもあるのです
科学ばかりを優先し、利便性ばかりを追求して行った中に、神の愛を学ぶ、神の子として成長する、道は閉ざされて行く、のではないか、と-。
もう一度、一から、神のもとに、科学、それと信仰を(両立させて行く)、信仰は、決して宗教ではなくて、個人の内面で、神の子としての、あなた方にも、私達にも相通じ合う、宇宙のエネルギーの根源に一体となって、そこに目覚めていく姿、それを信仰心と、あの時は(エル・ランティから)言われたのですけれども、その、本当の自らの力に目覚めていく力、神(宇宙の根源のエネルギー)を信じ続けていく力、それと、科学技術を、とことん追及していく姿、その両輪が、しっかりと整ってこそ、本来は、神の子の道があるべきである、と、エル・ランティは、我らが星において主張した方でもあるのです。
その考えは、非常にスケールが大きく、深いものでもありました。
しかし、多くのベーエルダの者達は、便利さに慣れ過ぎていたのです。便利なものを手放すのは嫌なのです。
例えば、今、あなた方(地球)の、主婦の方々を見ておられても、冷蔵庫があるのが当たり前、電気掃除機があるのが当たり前、ご飯の炊飯ジャーがあるのが当たり前、とか、たくさん電気製品があるのでしょう?
どうでしょうか、あなた方のお母さん、とは言わなくても、お婆さんぐらいの世代では、冷蔵庫一つ、なかった時代が、あったのではないでしょうか?その中で、人々は、知恵を(しぼり)、工夫しながら生きておられたはずなのです。
その利便性、便利さ、(それを)あなた方は掴んでしまって、今の主婦の人達に「薪でご飯を炊いて、冷蔵庫もない生活、掃除機もなく、箒と、ちり取り、だけで掃除をしなさい」と言ったら、怒り出すのではないでしょうか。
「こんな便利な暮らしをしているのに、なんで、わざわざ、そんな暮らしをしなければいけないのか」とー。
それが、究極まで行き着いた時に、さっき言った、苦労するという事、額に汗して努力をして行く、日常の当たり前な、一見、退屈に見える繰り返しの生活の中に、自分のエネルギーと時間を取られる事を、ひどく嫌う姿勢が、ベーエルダの中に蔓延していったのです。
その時に、エル・ランティは
「そういうものを、全てを通して神の子の営みがあるのだ」と
「そういう所を嫌がってはいけない」と
「もう一度、本来の自然の中に、神と共に生きる姿に、そこにこそ信仰心の原点がある。神の子の原点がある。そこを見失ってはいけない。そこに、もう一度戻りながら、そして、科学の技術を(使い)、我々の星として貢献して、発展させていく道を学ぼうではないか。そういう生き方をしようではないか」という事を、エル・ランティという方は、力説なさったのです。
そして、(その当時の)色々な状況がありまして、地球の方から、新たな惑星を造り、新たな文化圏を造るという試みがある、という(お話が出た)時に
エル・ランティは
「もう、科学技術が発達し切り、便利さの極致にいたベーエルダにいても、新たなものは何もないから、新たな未開の地、地球に行って、我らが信念を、そこで試みてみよう。頑張ってみたい」というふうに言われ、彼の考え方に賛同する方を募られたのです。
そして、人望のある方でしたから「エル・ランティについて行く」と名乗り出た者達が、あれだけの人々が、船団を組んで(地球に)行かれた、という事なのです。
それ以来、私達も、定期的に来て、地球の発達具合、どの様に、エル・ランティ達のやっている事が実っていくか、という事を見守りながら、今日まで来ているのです。
銀河連合、宇宙連盟というのがありまして、やはり、私達の星からも、銀河連合の中、宇宙連盟の一員として、この地球を見守っております。
私達の星から地球に持って来た動植物も、結構多く、それが、地球という惑星で、どの様な進化発展を遂げ、馴染んで行ったのか、という事、そういう事も、やはり見守りたく思って、来ているのです。
(さて、そうした中で)あなた方は、今、目覚めの時にいる、という事(なのです)。
大いなる教えの中で、今(まで)分断され、分裂し、混然となっていたものが、(今)一つの、大きな、地球の神理の中で一体化し、それが、どうあるべきか、という事を示される事により、一つの、地球の共通理念となって、地球を変え、救っていくのです。その時期が来た、という事です。
その、大いなる教えを説くのは、本来は、あなた方の惑星でいう、九次元と呼ばれる方の、使命でもありました。
けれども、今、それを代行する者として、あなた方の存在があるのならば、ぜひ、その仕事を、立派に成し遂げて頂きたいと思うのです。
まず、あなた方がやる(べき)事は、自ら(が)神の子である、という事、魂は永遠の営みをする魂であり、惑星をも超えて輪廻転生している、という事。そして、あなた方一人ひとりが、皆、素晴らしいエネルギーと、素晴らしい個性豊かな力を、神より与えられて存在している素晴らしい存在である、という事を、一人ひとりが認識する事なのです。
あなた方は、(宇宙的な存在としては)一人ひとりが、素晴らしい、かけがえのない存在であり、実現出来ない事など、何もないのに、地球(上)では、色々、様々な心の縛りを作り(自分自身を封じ込めてしまっているのです)。(けれども本当の所は)あなた方の目の前で、人生の、ありとあらゆるチャンスと可能性が、あなた方の自由意志と創造性によって、実現する可能性がある、という事(なのです)。
それが大宇宙の永遠の神理でもあるのです。
その事に、あなた方地球人、神の子達は、目覚めなくてはいけない、という事を、これから学ぶのです。
先週、バシャールが言っていた様に思いますけれども、本当の意味で、不可能なものなど何もないのです。
本当にあなた方の魂が望み、本当に実現したい、と、それが、あなた方の(心の)疼きにあるのなら、それに(向かって)、素直に努力して行き、大宇宙を超えて流れる、神のエネルギーに結びつく事が出来たら、不可能な事など何一つもない、という事なのです。
先程聞いていたら、あなた方も、最初、霊言を受けて、本を出すという事に大変躊躇していた、という事を、おっしゃっていました。(それが)ここまで来た、という事を、おっしゃっていました。
大変なご苦労があったんだな、と思って、私も聞いておりましたけれども、たかが一介の主婦が、こんな事、出来るわけがない、という、その思い自体が、自らの人生を限定してしまっている、という事。
それは、あなた方、他の方々でも同じなのです。自分は、これしか出来ない、そんなものが人生だ、と、あなた方は、自らの無限の力に、自らが封印をしてしまっている、だけなのです。
あなた方が、大宇宙に通じる神の子として、親である神に通じる素晴らしい無限のエネルギーが、心の奥深くに存在している、という事に気付いたら、(それは)大宇宙を創造なさった神と同じ創造力、創造性というクリエイティブなパワーが、あなた方の中にもある、という事(なのです)。
あなた方には、本来、ひとり一人の中に、大宇宙を創るのと同じ、宇宙をも創る位の力がある、という事。ただ、それに気付いていない、だけ、だということ。
我々の科学が、欲しい物を、全て、目の前に出すことが出来る。これは、迷信でも信仰でもなく、絶対にそうなる、実現するはずだ、と信じて、科学技術を発展させて来た私達だから、あなた方の、モーゼや、イエス・キリストと呼ばれている方がやった現象を、現実のものとして、科学的に実現する事が出来ているのです。
全ては、クリエイティブな思い、そして、インスピレーション(であり)、自分が、こういうふうに実現させ(られ)たらいいのにな、という、その思い、それを大事にする、という事が、あなた方にとって、とても必要なのです。
どんなことでもいいのです。
勝って、勝って、勝ち続けたい、と思うのならば、自らの中で、勝てる自分というものをイメージするのです。
そして、自分が、本来は、こういう仕事に就きたいけど、そうじゃない生き方をしているな、と思う、(あるいは)自分は、こんなふうに成功者にはなれない、という、その思いを、もし、あなた方が持っておられるのならば、その思いが、あなた方の人生を阻んでいるという事。
その思いが、神の子としての、あなた方の創造力、創造性というもの、クリエイティブな神の子として神と同通する力、に、蓋をしてしまっている、だけだ、という事なのです。
あらゆる事は可能なのです。
あなた方が、何を言ってもー、どうですか、世界中の富が欲しい、何か欲しいとしても、神から見たら、そんなものは、大した物ではないのです。
それが、本当に欲しいのならば、そういう自分である事を、夢を持ち、自分で努力し、受け入れて頑張ってみる事なのです。そうすれば、あらゆる可能性は開いて行くのです。
お金が悪いわけではないでしょう。物の利便性が悪いわけではない。科学が悪いわけではない。原子力が悪いわけではない。
ただ、その使い方を誤っている、だけの違いであって、自らの人生の可能性に、封印をして行く、蓋をして行く様な、そして、それが、出来っこない、と思って、すねてしまう様な、私達からは、地球人であるあなた方は、そんな生き方をしている様にしか見えないのです。
それは、なぜか。自分の力に、まだ気づいていない、だけなのです。
たかが、数十年という人生が、一回きりの人生で終わりである、と思うから、あなた方は、人生においても、刹那的になるのでしょう。でも、生まれ変わりをし、魂が永遠であるという事、その事を、今回、しっかりと学ばされようとしているのです。
それだけでも、相当、人生観が違う、はずなのです。
それと同時に、(人間は)神の子であるという事。
エル・ランティが、最初に出た時に、おっしゃっているはずなのです。
彼は、それを言う為に出た、というふうに言っていました。
神の子というと、宗教的に聞こえるかもしれない。
私達、宇宙人の言い方で言えば、
「宇宙に偏在する無限の愛のパワーの、自分は一部である、と
それを、自覚することである」と、
私たちの星では、そういうふうな言い方をするのです。
神の子(という言い方)ではなく、神の愛のエネルギーの、自分は一部なのだと。
―部は、全体を含んでいるのです。―部というのは、全体の可能性をそのままに、自分の中に、肉体に、入れているのです。だから、肉体の中に、大宇宙があるのです。
そして、魂の中に、天地をつくった、大宇宙を創造した、この宇宙創造の神と同じ創造力が、あなた方の中にある、という事。まだ気付いていないから、その力を使う事も出来ない。人生の中で挑戦する事も出来ない。それだけの事である、という事。
その枠を、枷を外せば、ありとあらゆることは、自らの努力で実現していく、という事なのです。
ただ、そこに、間違った生き方もあるかも知れない。でも、それを計る(その是非を判断する)のが、(自分が)神の子であるという、神の愛の、愛のエネルギーの一部であるという事を、しっかり自覚する、という事(生き方が愛の方向に向いているか判断する)。
ですから、あなた方の惑星地球では、地球系神理において、(自らが)神の子であると、心の針を、しっかりと、神の子だ、という所に、しっかりと針を合わせた上で、神の無限のパワー、自らの愛の力を信じる、という事、自らの創造的な力に気付く、という事を、あなた方に教えているのです。
私たち人間は神の子である、という事は、エル・ランティが、あなた方に教えられました。
それは、そういう意味も、全てを含んでいる、という事なのです。
あなた方一人ひとりは、宇宙における、神の偉大なるエネルギー、愛のエネルギーの一部です。
そして、一部であって、一部のあなた方は、素晴らしい個性というものを授かりながら、キラキラ光り、独自性というものを持ちながら、でも、それは全て、親である神のエネルギーの中では、一人ではなく、全てが、皆が一体である、という、大宇宙のエネルギーは全てが一つである、という(ことが真実であって)、あなただけで(孤立して存在している、とか)、私は孤独である、とか、一人である、とか、そんな事は、本来、あり得ない事なのです。
イエス・キリストと言われている、あなた方のメシアが「あなた方の隣人を、友を、自分を愛するように愛しなさい」と、いうふうに言われたはずでしょう。
それは、どういう事か、というと、隣人、脇にいる友は、自分と同じだ、という事を教えているのです。
個性は確かに違うのです。
別の表現体、として、今、魂を授かっていて、魂の入れ物として、肉体が、今あって、あなた方は、ここに、今、存在するけれども、でも、大いなる意味において、隣人も、あなた方も、一つの、大いなる神の、愛のエネルギーとしては、一体である、ということ。それを教えておられるのです。
聖書とか、今まで教えてこられた文献は、今まで、それを聞く方々が、非常に原初的な宗教観の、信仰心の中でしか捉えていないけど、宇宙の私達から見ると、非常に、宇宙の神理を含んだ言葉なのです。
神理というのは、そういうものなのです。
非常に簡単な言葉で、シンプルに表現出来ますけれども、シンプルであればあるほど大宇宙の神理を含んでいる、という事。
それを解読する力、さえあれば、高い見識を持てば、宇宙の、ありとあらゆる神理が、そこに見える、という事。それを見るか見ないかは、見る者達の心境、成長度合いによる、という事なのです。
あなた方が学んでいる事。神の子であるという事。汝の隣人を、あなた方、自分自らを愛するように愛して行きなさい、と、教えられた、その言葉も、それは、大宇宙に生きる私達(ベーエルダ人)の心に響く神理と、全く同じもの、なのです。
そして、それが本物で、本当の事だという事を、私達は知っているのです。
大宇宙にいる者達は、私達の様な者達も、決して、それが、全て、完全なわけではないのです。
科学が発達したから、といっても、発達したら発達したで、やはり、学んでいないもの、忘れて来てしまったものが、やはりある。
その中で、私達が、もう一度、取り戻さなければいけないもの、も、あるけれども、でも、あなた方が、まだ学んでいない所、そこを、一つ、大宇宙の神理に接続しながら学んで来た、という経緯もあります。
それを、あなた方に伝える事で、そして、他の惑星、過渡期的な段階の色んな惑星の方々に、伝えに行くことによって、共に共存し、共に神の子として、皆んなで一緒に成長していこうね、という、愛の分かち合いの中で、宇宙の神理は、宇宙の愛という、神の体のエネルギーは、それは、めぐりめぐって、愛の循環作用として流れていくのです。
私達は、宇宙の中で、ワンダラーの様に、色々な惑星から惑星へ行きながら、お節介の様に思われるかも知れないけど、まだ、私達が手を差し伸べる余地のある惑星に行っては、お世話をさせて頂くという様な、その様な使命を持った者達が、ある一定水準の惑星になると、皆、あなた方でいうと、何ですか、各国の大使ですか、外交官の様な方達が出て、他の国へ行って、大使館を作ってやっているではないですか。それを惑星単位でやっているのです。
だから、私は、ベーエルダを代表して、今、地球での担当官として、今、伺っている、という事なのです。
ベーエルダの出身の者達が、一体、今の地球の方々に対して、何をもって協力し、この惑星の方々の自治権、自治体制、そういうものを侵すことなく、でも、共に繁栄して行く為に、どういう役割が出来るか。それを、私達、宇宙連合の者達は、役割を互いに分け合いながら、今、この大転換期の地球に対して、見守りながら、一つの、自分達の使命を果たしている。
それが、今の(地球の置かれている)現状でもあるのです。
ですから、非常に多くの惑星の方達が、今、来ておられる。
私が見ているだけでも、十二、三名の惑星の方達が、中心になって、今、地球の進化、発展という、この大プロジェクトを、側面から協力する事によって、この、救世の計画、と呼ばれている、エル・ランティ達が立ち上げている、この計画を、成功させようと、応援に参っているのです。
今、あなた方に、科学の技術を、ワープの仕方を教えていく事が、私達のやるべき事ではなく、心の次元の、扉を開いていく事だ、という事を、バシャールは、先週(当時)言ってた様にも思いますけれども、バシャールという方も、あの方は、あの星の代表者の一人として、精神面での指導者的な方でもありますので、地球において、一つの教え、それを、分かち合う、それを伝える事を許可されている方、でもあります。
やはり、地球霊界の許可があって、皆んな、それぞれの担当を組んでいるのです。
私達の様な、科学の星は、あなた方が、精神革命、ある意味で、地球ルネッサンスと呼ばれているものが、神の子(である地球人)の、本来の立ち位置、として実現し、本当の意味で、心の調和が整った後に、宇宙に対して心を開いて来た時に、次の段階として、あなた方に、科学技術、ワープ航法、物質波動論、を、具体的にお教えする、その様な役割の位置にいるのです。
今、やれるものではない、という事を、お知り置き下さい。
今、あなた方に言っても分からないし、今の段階で、もし言って、下手に悪用されても、危ない、という事なのです。
ただ、私達の星で、皆、どの星でも、先に進んで行ったら、では、それが、絶対的に、あなた方より良いのか、というと、そうでもない、という事を、私は、一つ、お伝えして置きました。
それは、大方においては、やはり、優れているのです。
ですけれども、やはり、今、あなた方の、ある生活の中にしか、やはり、輝いていないもの(というのがあるのです)。
例えば、そうでしょう。あなた方の、現代の都会では忘れてしまったけれども、遥か百年前の時代ならば、地方の暮らしは、とても不便かも知れないけども、そこには、そこの、素朴な人間関係があり、大自然と共に、人々は苦労しながら、幸せというものを体で感じ取って、生きておられ、家族の絆、一つの、共同体としての喜び、というもの、そういうものが満ち満ちて、ある意味でいうと、幸せとはどういうものか、と考えた時に、決して、現代の都会の人の方が幸福であって、百年前の地方の方が不幸であった、とは、言い切れないものが、あるのでは、ないでしょうか。
ですから、それと同じで、進化発展が、本当の意味での、魂の成長(を伴い)、科学技術や文明が、先へと進んで、神の子として、増々、豊かなものを生み出していくならば、どんどん便利になって行く事、多くの発見をして行く事で、(確かに、人類の未来は)より豊かにはなります。
けれども、神の子としての、心の、魂の幸せを、どういうふうに感じ取っていくか、を、しっかりと学んだ成長でないならば、逆に、それは、不毛なものを作り出し、幸福感とは、また、かけ離れた、惑星、文明の状況を呈してしまう(場合もあるのです)。戦争ほど愚かではないけれども、もう進化発展などの可能性を発見する事の出来ない様な、行き詰まった、閉塞感のある、そんな時代を、文明を作ってしまう、という事にも、なりかねないのです。
ですから、今、あなた方が学ばれようとしている事は、たいへん、大切な事なのです。
自分達が、どういう価値感を、心の針路を、心の中心に据えるかによって、幸せは、無限の可能性と共に、あなた方に、開かれもすれば、閉じられるものでもある、ということ。
あなた方は、今、その事について、根本理念を学ばれようとしているのです。
そこがあってこその科学技術、でもあります。
それを分かってこその、大宇宙の様々な情報を、仕入れるだけの意味があるのです。
そんなものばかりを知っても、肝心な、心の部分で、(真実を知らなければ、進むべき道を誤ることにもなりかねません。)(それは)自らが(本来は)どういう存在であり、どういう可能性に満ちた、どういう凄いパワーを持った存在であるか。そして、周りにいる仲間達が、本来は、自分のエネルギーの一部であり、自分達が、皆んなが、本当に愛し合うという事、助け合うという事、それは、一人ひとりの個性や、自主性という事を、阻害する事では、決してなくて、互いに讃え合い認め合うという事が、本当の意味で、自らの光も、より一層光らして行く、そういう可能性の中にある道なのです。
その様に生きて行くこと自体に、無限の進化発展と喜びがあるのであり、神の、大宇宙の神のお心は、そこにあるのだという事。
その事を、しっかりと学ばずして、数多くの情報や科学技術の発展などは、無用の存在である、という事。その事を、今、この、地球の(文明進化の)節目において、あなた方は、しっかり学ばれることが必要だと思うのです。
どれだけ便利になっても、人(間)という(も)のは、どんどん、どんどん(それ以上の)便利さというものを求めるのです。
子孫を作るという事も、あなた方ですと、十月十日ですか、非常に長いですね、その間、女の方は、お腹に赤ちゃんを入れて育て、大変な痛みとともに生まれると聞いています。
そのうちに、そういう事が、そういう営み自体が無駄であるとして、増々、便利に便利に、というふうに(改変)して行って、結果的に(は)、子孫を残せなくなっていく、その様な宇宙人達もいるのです。喜怒哀楽の感情は無駄な事だと思って、そういうものを否定しようとした方達もいるのです。
その中で、殺し合ったりとか、そういう(過激な)事はしないにしても、自分達が、少しでも楽に生きて行く事を求めるがあまり(その方向ばかりを)追求していくと、本来の、神の意に沿わぬ不自然な道に行った時には、やはり、種の消滅という様な結果をもって学ばされる、という事があるのです。
全ての選択権に、間違いはないのです。間違いと言うよりも、(逆に)あらゆることが可能であるからこそ、その過程で、こっちの方に行ったとすれば、(その方向は)違うんだ、という事を学ぶ為に、私達には永遠の命がある、という事を、あなた方は学ばなくてはいけないのです。
例えば、核戦争をしてはいけない、と(口だけで)言う事は、簡単かも知れない。けれども、核戦争をしたら、どんな事が起きて、あなた方が、どの様な不幸になるか、という事を、核戦争を起こさなくても学ぶ、惑星の者達はいるし、起こしてみなければ分からない者達も、いるのかも知れません。
ですから、あなた方は、この様な(文明の)危機的な状況の中で、そこまで行かなくても学べば分かる、という事で、どうか、この地球的な危機を回避して、せっかく、ここまで文明を造り上げて来られたのですから、そのハードルを越えて下さい。
そして、人類、皆んな、共に愛し合い、宇宙の仲間達にも目を開き、皆んなで手を取り合って、この宇宙連盟の一員として昇格し、地球人として、宇宙人の仲間入りの出来る、その様な、惑星の仲間として、今回、私達の仲間に入られる事を、私達、宇宙連盟の者は待ちわびている、という、その様な立場なのです。
あなた方は、今まで、地球霊界の、高級霊と呼ばれている方達の指導のもとに、魂を学ぶ歴史を育んで来られました。
そして、あなた方の一人ひとりが、本当の意味で、自分の力に気付いた時に、本当の意味で、あなた方自身が光り輝き出し、周囲に対する光を放って、本来の指導者となって行くという、そういう力が出てくるのです。
今までは、地域共同体や、宗教とか、そういうものに、あまりにも依存する形で生活をしたり、文明を発展させる傾向が高かったと思うのです。これからは、全体の中の一部、という事を理解しながら、個として自立していくということ。
自らが神の分身であるのなら、自らの個性においては、自分の責任で、あらゆる可能性に挑戦して、より少しでも多くのものを神に返して行く、(あるいは)周囲に返して行く、という、無限の追求という可能性の中に、あなた方が解放されて行く時代が来るのです。
それが、魂の、精神の解放の時代なのです。
今、あなた方は、私達から見ると、手に、たくさんの可能性を(持ち)、(そして、自らは)黄金の体を持ちながら、少しも自らの力に気付かず、自分達で「苦しい、苦しい」と言って、苦しみだけを感じている、不自由な足枷をつけた奴隷の様にしか見えないのです。
その、奴隷の様に、自分自らが両腕両足に下げた、その、鉛のボールですか?、塊を外して、そのチェーンを外して心を解放したら、あなた自体が、黄金で出来た、素晴らしい無限の可能性に満ちた、光り輝く存在であると(気付く事でしょう)ー。
何でも欲しい物は(望めば)手に入るのですよ。
それを、自らの欲の為に使うのではなく、自らの素晴らしさを神に感謝し、幸せとして少しでも分かち合い、同胞達に還元して行く、その様な、愛の循環のエネルギーの一つとなる為に、あなた方が、その自らの黄金のエネルギーを使い出した時に、この惑星地球は、光り輝く、黄金の、神の惑星として輝き出すのです。
そうやって、あなた方一人ひとりが、自らの力に気付かなくては、この地球は、これ以上は、進歩発展しないのです。
部分的に、局部的に科学技術だけ発達させたとしても、地球が、神の星としての霊格を手に入れることは出来ない、という事なのです。
そこに住まう、あなた方の、神の子としての、黄金の色に輝くエネルギーを光輝かした時に、この地球という惑星が、神の星として、宇宙に、燦然と、その存在をアピールしていくのです。
その時期が来ているという事。
その為に、私も、バシャール達も、他の星から飛んで来て、おせっかいにも、あなた方に、この様なアドバイスをしているのです。
私は、エル・ランティを始めとする、アモール、モーリャ、あの方達、エリヤも、よく知っておりますが、ああいう方々、地球霊界でいう、メシアと呼ばれている方ですか、私から見ると、皆、全て、友であり、仲間でもあります。
彼らが、どれだけの苦労をして、これだけの長い時、この、地球という惑星を、文明を、見守り、指導して来られたか、という事を、私は、よく知っております。
だからこそ、今回、エル・ランティの悲願でもある、この地球をシフトアップし、神の星として発達、発展させていく、(それをお手伝いする、という)その使命を、十分、(果たさせて頂きたいと考えているのです)。
エル・ランティが信じた、神の子としての存在という愛のエネルギーを、しっかりと皆んなが湛えた、愛に満ちたハートで、そして、科学技術においても、ベーエルダに変わらない様な進化発展を遂げて行ける、そんな、愛の修行場としての惑星地球、それを、彼は創りたくて、(それが出来る事を)信じたくて、信じて、この地球に舞い降りて来たのです。
その彼の思いを、今回の、あなた方が助力して下さる計画で、実現して行って頂きたい、と、(そして、それを)心から応援したい、と、その様に、べー夕星の、ベーエルダと言われている惑星から来た、私、(そしてそれ以外に)も、他の惑星から来ている仲間達も、皆、その様に、祈る様な思いで、あなた方の今の状況を見ているのです。
本来ならば、二千年という時期を境として、一つの結果が出た、はず、でもありました。
地球としての結果が、出てたはずなのです。
けれども、この(期限の)時が(先に)延び、あなた方に、そのチャンスというもの(が与えられました)。(今度は)あなた方が使命を果たし、あなた方が、あなた方、一人ひとりが、地球の救世主になるのですよ。
あなた方は、何か、勘違いしているのです。
救世主界というと、仏陀ですか、エル・ランティとか、アモール、モーリャ、あなた方の世界の、メシア界と呼ばれている方々ですね、彼らだけがメシアだと思っている(様です)
(確かに)地球系神理において、彼らが、指導者として、この地球を引っ張って来られた、というのは事実なのです。
でも、愛の法、という、地球の法、地球の法と呼ばれているものは、宇宙を貫く、根本原理、宇宙の法でもあるのです。
いいですか、宇宙の法は、神の子達、一人ひとりが、生活の中の行動で実現してこそ、愛の法(として)の意味を持つのです。(それでこそ)宇宙の根本法は意味をなすのです。
ならば、彼らは、それを教えてくれる方かも知れない。けれども、それを実行しなければ意味をなさない、という事では、あなた方一人ひとりが、今回、この事態の局面に対する救世主である、という事。地球にいる全ての方々が、愛を表現し、愛を実行する救世主であるという事。地球人は、その自覚を持たなくてはいけません、。
救世主というと、なぜだか、天上から舞い降りて、雲の上から降りて来て、何もしない、あなた方に、素晴らしい言葉を伝えて救ってくれる、そういう方が救世主だ、と思って、メシア待望論というものがあるのかもしれません。
でも違うのです。
この世のユートピアを、地上を、エデンと言うんですが、エデンを創って行く、という事は、あなた方、一人ひとりが、愛の教えを、愛のエネルギーを、この地上に表現して、流して行く、という、そういう一人ひとりが、地球を救う、という、メシアにならなくてはなりません。
その認識がなくては、その行動力がない所に、この、地上天国は、ユートピアは、決して実現しない、ということ。
だから、その思いの中で、メシアだけに、おんぶにだっこは、もう止めねばなりません。
というよりは、あなた方に(は)、あなた方が依存していたメシアは、もういないのです。
次に、幼い方が、待っておられる、かも知れない。
でも、地球人は、あまりにも、メシアと呼ばれている方に依存し過ぎて来たように、私は思うのです。
誰か一人が、偉大な革命を起こすのではなくて、(それを)起こすのは、一人ひとりの地球人。
地球人一人ひとりが、皆、自分達がやっていく事なのだ、という認識に立たない限り、この地球規模の、精神的な革命というものは、起きないでしょう。
他人事ではないのです。
あなた方自身が、あなた方自身の子孫が、存続して行くかどうか。
そういう、地球の未来に関わった時に、人任せにしていて、この地球が一大変革を遂げる、わけがないのです。
理念や、思いだけで、この地上が天国に変わる、と思っているのなら、それは大きな間違いである、という事。宇宙の法は、常に、愛の実践と共にあるのです。
私達が、宇宙の愛の教え、というものを学んだら、こうやって他の惑星にまでも出て行って、あらゆるリスクを冒してでも、愛を分かち合う為に、皆、一生懸命、働いている、行動、実践しているのです。
ならば、自らの星を、ユートピアにし、自らの星を、この危機から救出し、危険を回避し、この地球の未来を作る為に、地球人であるあなた方が、体を張って、愛の実践をしなくて、どうしますか。
それは、インマヌエル達だけが、アモールや、エル・ランティや、仏陀だけが、やる事ですか。
違うのではないでしょうか。
あなた方、一人ひとりが、メシアなのです。あなた方、一人ひとりが、人生における無限の可能性の中の、その勇気ある愛の実践で、この地球を救っていくのです。
その、死ぬ気の、努力と覚悟がなくて、この地球の一大危機は、回避出来ない、という事。
その事を、私は申し上げたいのです。
どこか、他人事なのです、地球人は。
あれだけの法を、霊言を聞いたのに、なぜ出て来ませんか、皆んな。
一時、降りた、エル・ランティの法、仏陀と呼ばれている方が、霊言として降ろされた法の中身は、宇宙に持って行っても十分通用する程の、レベルのものなのです。
それを、あれだけの日本人の方が聞いていながら、どうして、これだけしか集まりませんか。
他人事なのです。
地球の未来が危ない、と、あれだけ言われていても、どこか他人事なのです。
地球人でない私達の方が、ハラハラしているのです。
それは、私達は、地球の事であっても、地球も、自らの母星と同じか、それ以上に、自らの一部だと思うから、心配でならないのです。
なのに、そこに住んで、そこで恵みを受け、そこで、幸せな毎日を暮らし、肉体を持ち、修行する事が出来ている、それだけ地球から恩を受けている、地球人である、あなた方が、とても他人事なのです。
地球の未来を創るという事が、なぜだか、自分の問題として考えられていないから、あれだけ、エル・ランティが地上にいる時に語られた、にも拘わらず、仏陀が、命掛けで頑張られていた、前半(の霊言)があるにも拘わらず、人々は、また、そのメシアがいなくなると、サーッと、他人事の様に、日常生活に戻ってしまうのです。
命を張って伝えた、ではありませんか、エル・ランティも。
仏陀だって、霊言をとり、あれだけ危険な事を、必死で、伝えたのです。
それゆえに、彼は、自分の使命の危険さ、ゆえに失敗をした、のかも知れない。
でも、最初から、この様な、リスクのある仕事を請け負わなければ、こんな目には遭わなかったのですよ。でも、精いっぱい、彼なりに頑張った業績というのはあるし、あの言葉を聞いて、その言霊で、魂打ち震え、本を読み、学ぶ人生、多くの、素晴らしい神理を学んだ方々が、いるはずではないですか。
どうして、それを、我が問題として、自分の問題として、地球のユートピア化の為に、この救世の事業の為に、(行動に移そうとしないのですか?)
群れて、皆んなでいる事、以外は、自分の役割ではない、と言わんばかりに、(読むのを)やめたら、自分の生活に戻り、そんな事は、まるで、小説でも読んで、読み終わったら捨ててしまうSFファンタジーの様な、そんな気持ちの中で、あなた方は捨ててしまっている。
あなた方の母星の、あなた方を一番愛し、育んでくれた、母なる惑星の一大危機だというのに、その事から目を背けて、日常に埋没しようとして、その責任を逃れようとして、その失敗を、全てメシアのせいにしているのかも知れない。
メシアは、その天上界の計画を伝え、その法論理、法倫理において、何が正しいか、何をするべきか、という事を伝えて、人々を束ねていく力、その役割は、あるけれども、最後、実践して、(地上にユートピアを)作って行くのは、誇り高き、そこに生きている神の子達、この惑星に住む、一人ひとり、あなた方の仕事ではないですか。
なぜ、その自覚がないのか、と、私は、地球人のあなた方を見てて、悲しく思うのです。
責任転嫁をしている限り、自らの惑星を幸せにしていく事、ユートピアにしていく事など出来ません。なぜなら、惑星に、本来の命を、愛の命を吹き込むのは、そこに住んでいる神の子達の、愛の思いの集積、だからなのです。
地球人が、神の子としての愛のエネルギーに立ち返り、皆が手をつないで一体となった時、あなた方は、地球を、愛のエネルギーですっぽりと包み、この地球を愛の星に生まれ変わらす事が出来るのです。
それが、地球を再生して行く道でもあり、そして、あなた方の魂の再生をして行く、ルネッサンスを起こして行ける時でもあるのです。
大きな、価値観の転換、(進むべき進路を示す)一つの羅針盤の軸を変えていく、価値観を変えて行く事、それは、全く違う方向に行くのではなく、本来持っている、あなた方の姿に、単に、気付く、という道でしかないのです。
そして、それをするのは、あなた方自身の責任であり、(それが)あなた方の自由意志でなされる、大いなる学びの、魂の飛躍の時であるという事。
今、これは、霊的な意味でも、非常に成長の出来る、学習の出来る状況にあるのです。
これに成功するか失敗するかで、(場合によっては)また、大きな魂の迂回路に入らなくてはならないのかも知れません。でも、出来れば、このまま成長して頂きたいと思う。
私が、おせっかいにも言うのは、地球を守って指導して来たエル・ランティ達の夢が、分かるから(であり)、切望して来た、彼らの努力の、長い長い歴史と、彼らが信じて来た夢を知っているからこそなのです。
「どうか、地球よ、私達の仲間として、一員として迎えに来ているのだから、どうか上がってらっしゃい。一緒に仕事をしようよ」と。
「宇宙の仕事を、仲間として、一緒に協力してやって行こう。だから上がっておいで、黄金の体を持つ地球人達よ。神の愛のエネルギーと、神の無限の創造性に満ちた、素晴らしい光に満ちた地球人達よ。その力を最大限に解放し、自らを信じて、私達と共に、この永遠の時を、また新たなステップの道のりの中で、共に歩んで行こうよ」
そういう思いで、私達、宇宙連盟の者は、今、ここに来ております。
ベーエルダだけじゃない。オリオンだけじゃない。バシャール達だけじゃない。もっともっと多くの者達が、今、ここ(地球)に来ております。だから、人口密度が高い、と言われているのです。
あなた方の人類だけじゃない。多くの宇宙の者達が、この地球を愛し、心配して来ております。それなのに、一番心配していない、一番、本気で気付いていないのが、地球人である、あなた方なのです。
気付いてほしい。
今、この時は、神より与えられし、素晴らしい執行猶予期間でもあります。
この時に、今世、地球に生まれ、まして、あなた方は、肉体を持っているのです。
自分の、無限の可能性に、ストッパーをかけないで頂きたい。
残された数十年、地上において、ありとあらゆる可能性において、愛の実践を、やれる限りの事を、やって頂きたい。
メシアは、あなた方、一人ひとりの、その人生にあるのだという事。
誰かのせいにしていませんか。大指導者だけに頼って、依存し過ぎていませんか、地球の友達よ、と、私は伝えたいのです。
伝えられる事は、エル・ランティも、仏陀も、十分、伝えてくれた、ではありませんか。
大きな、巨大な星は、今、地に落ちたかも知れないけど、その(伝えた)内容、神理を、咀嚼して自分のものとして、あなた方が、皆んなで手を取り合って行けば、この地球を救えるのです。
自分なんて、大した器ではないから、と、ただただ、イエス・キリストの様ではない、と、仏陀や、モーリヤの様ではない、と、思っているから、自己弁護し、自分の人生の可能性に蓋をして、言い訳を作っている、だけかも知れないでしょう。
あなた方、一人ひとりが、メシアになれるのです。
そこで、少しも遠慮することはない。増上漫だ、とか、そのプライドが強い、とか、なんか言われるらしいけど、そんな事は全然ない。ありとあらゆる可能性は、思いにおいて、創造力において、可能性において、実現が可能なのです。
その様な事を伝えている、日本神道の教えがあるでしょう。
なんですか、「光一元」という言葉が出ます。「光一元」という教えが、あなた方の地上にある、というのが、通信で、今、出てますけれども、それは、本当に、宇宙の神理なのです。
二元論は、こういう、あなた方の様な過渡期的な惑星では、分裂し、対比し(た社会現象を生み出しますが)、(それが)学びの過程に必要だから(出て来るのであって)、二元論は、ある意味で、分裂的に出て来る、一過性のものなのです。
それが統合されて行った時には、宇宙においては、ただ光だけ、ただ神の愛だけ、愛のエネルギーだけが、絶対理念として存在しているのです。そこでは、不可能な事など、何一つとしてないのです。
だから、自らの可能性に蓋をしないで、本当に、この地球を救いたい、本当に、この地球を愛の惑星にしたいと、あなた方が思って下さるのなら、そこに、不可能な事など何もないのです。
自分が九次元でないから、メシアでないから、やれないんだ、なんて思わないことです。それが責任回避を生んでいるのです。少しも、そんなこと、遠慮することはない。
あなた方は、一人ひとりが、あなた方だという事において、神によって、荘厳な、素晴らしい個性的なエネルギーとして創造され、素晴らしい愛の表現形である神の子達として、無限の可能性を与えられているのです。
その魂の、永遠の命の中で、今、愛する、あなた方の母星である、地球の為に、命を張って頑張れる、この様な機会を、チャンスを、みすみす無駄にして、どうしますか。
あなた方一人ひとりが、神に、地球神霊に、地球ご自身に、感謝して、本気で、命を張り、人生を生きて行くつもりなら、やれる事は、無限にある、という事です。
一人ひとりが、その思いに立ち返り、精一杯の愛の実践行をした時に、地球は、愛の星に、この地上は、エル・ランティの言われた地上仏国土、ユートピアに、変身して行くのです。
そして、それが、志半ばにして、リタイアしなくてはいけなかった仏陀の、無念さを晴らす道でも、また、ある、という事なのです。彼だけのせいには、しないで、それをフォロー出来なかった、あなた方の責任もある、と思って、あなた方自身が頑張って頂きたいのです。それが愛というものです。決して、誰かを裁く事の中に、愛はないのです。
彼が出来なかったのは、彼が悪かったからではない。彼は出来なかった。でも精一杯やってくれた。だったら、残りを、私達が、精一杯やってフォローしよう。それが愛の思いです。
それを、ぜひ地球の皆さん、やって頂きたいです。それをやるには、まず、あなた方の思いから始まらなくては、後に続く者達は、実践で、あなた方について来ないし、あなた方が手本だという事でもあるのです。
本を何百冊、何千冊出しても、神理の実践なき所に、神の法などは、人々には伝わらないのです。本を読むだけでは、神の愛が何であるか、という事は、人々は、永遠に分からないのです。
神の愛の実践とは、ささやかな日常の中で、あなた方の人生をかけた、その命掛けの、生き切った姿の中に、自ずと現れ、輝き出して来るものであり、(それが)宇宙の、永遠の神理の姿、神の、宇宙の、愛の神の姿、そのままでもあるのです。
その、大字宙の、親なる神の姿を、写して、似せられ、造られた、あなた方、神の子ならば、その親である神の愛を、自分の個性のプリズムに合わせて、光輝かし、表現し、この地球の為に、燦然と輝き渡ってご覧なさい。
宝石にも、ルビーがあり、エメラルドがあり、ダイモンドがあり、ガーネットがあり、あなた方の惑星だけでも、色々な、様々な光を放つ宝石があるでしょう。ならば、少しも、他の色彩を放つ宝石達に、遠慮することは、ないではないですか。
自分の光を放って下さい。自分は、そこら辺に転がっている石ころではない。泥の塊ではない。素晴らしいピカピカと光った、美しい宝石であるという事。その誇りの中で、自らの色合いに応じた、神の子としての内なるエネルギーを解放し、その創造的な愛の思いで、人生を勝負し、この地球の再生の為に、ルネッサンスの為に、あなた方の命をかけて貢献して頂く事を、私は、心よりお願いしたいと思うのです。
そこが、分かってこそ、の、科学技術なのです。科学技術などと言うものは、所詮、そんなものなのです。科学技術は、本来は、神の子の悟りを(側面から)助ける為に、進化して来ているものなのです。
神の子としての魂が、しっかりと進化し愛を豊かにする道を、忘却して、科学技術だけが先行しても、ただ、怠惰な眠りしか誘わない。魂の停滞しか生まないものである、という事を、私は、そういう惑星にいた者だからこそ、あなた方にお伝えするのです。
そして、エル・ランティの試みは、素晴らしいものです。
私の愛する、友、エル・ランティ、彼に、心から敬意を表します。
この地球に降り立ってより、ここまで、どれだけのご苦労があったことでしょう。でも、ここまで持って来られました。だから、ここで計画が挫折してしまう事は、エル・ランティの無念さ、でもあるのです。
どうか、わが友、エル・ランティの悲願を、夢を、叶える意味において、あなた方の、お力が、協力が必要だという事を、私は、今日、あなた方に、お伝えしたいのです。
あなた方、一人ひとりが、メシアであるということ。あなた方、一人ひとりが、かけがえのない素晴らしい存在として、神に必要とされている、偉大なる魂達である、ということ。
その誇りを失わず、残された人生で、今、自分達が、どの様な時を刻んで生きているか、という事を自覚され、あなた方の人生を大切にされ、頑張って行かれる事を、今日、私は、心から願い、(それを)お伝えし、(これにて)失礼させて頂きたいと思います。
(ここから)
エル・ランティの活躍によって、我らの星も、地球人の幾らかの方々の間では、有名になっているおかげで、私に、ご指名が回ったことを、今日は、大変喜ばしく、またラッキーな事だと考えております。
あなた方が、幾つかのご質問の中で言われた様に、我らが同胞(であるベーエルダ人)達が、この(地球の)地上に降りて行った時から、遥かな時がたち、今、我らの仲間の魂が、どの人種に中心に降りているか、という事(について)は、それは、私より、エル・ランティ達の方が(よく)ご存じだと思います。
あなた方、地球の人種の中に、肉体的先祖としては、(或る)一つの惑星から来た者達の遺伝子が、色濃く出ている、という事は、伝え聞いておりますが、魂に関しては、あなた方の星では、数々の(惑星の)人種が、転生輪廻をしていかれるので、魂においては、どの人種に、ベーエルダの魂の者達が(特に多く)出ている(か)、という(様な)事は、ない様に思います。
あなた方の星(地球)が、我らの星(ベーエルダ)と決定的に違うのは、まだ(地球では)精神的な面で、内面的な、霊的な目覚めが起きていない(という事でしょう)。そういう意味で言うと、(地球人は)まだ、精神的に非常に幼い、と申しますか、そういう過渡期的な段階にいる方々、の様に思います。
では、我々の様に、科学技術を(極限まで)発展させたから、それで、我々が先輩として全て良いか、というと、私は、それが、全て良いとは思わないのです。
何が決定的に違うか、というと、生活の中での利便性を徹底的に科学技術で(向上させ)、(日常生活を完全に)便利にしてしまったがゆえに、生産労働、日常における、労働における煩わしさが、我らの星では、殆んど一切、なくなっている、という事なのです。
何かを作る、何かを生産する、そして何か、別の場所に移動したい、とか、何か、新たな企画(物)を造りたいと思っても、大体、その様に思っただけで、その様な物が現れてしまう様な、物質構造的な次元で、我々の思い、思念を集中するだけで、その次元に現象化する、という、その技術(に)まで至っているがゆえに、あなた方の様に、例えばジュース(で言いますと)、コップ一杯のジュースを作る為に、山に行き、ミカンの木を植え、フルーツを収穫し、それを運び、それを買いに行き、キッチンで奥様達がそれを潰しジュースに絞り、そしてテーブルの上に載るという、その様な一連の作業なくして、分子構造の上で「ジュースよあれ」と思えば、その様な物体を作り出す事が出来る、その様な所まで行っている、という事(なのです)。
それを、もし、あなた方の惑星で(例を)見るとすれば、モーリャ、モーゼと言われている方の、紅海を真っ二つに割った、と言う話を、よく、私は、エル・ランティから聞くのですけれども、(あるいは)インマヌエル(キリスト)と呼ばれている方が、した様な(事は)不思議な、現象、と呼ばれている事の様に、あなた方は思われるかも知れないけれども、それは、物質構造理論的に考えれば、少しも不思議な現象ではなく、科学技術が進んでいけば、その様な物体を作り出す、という事を、思念の中で、原子構造として瞬間的に出していく事は、可能になって来るのです。
ですから、あらゆる生産労働に従事する苦労がなく、人々は一日の中で、労働に就く時間は非常に少なく、個人個人の人生を楽しんだり、個人個人の個性に応じて、人々に、宇宙に対して、神に対して、何をもって自ら仕え、何を発明発見していけば貢献出来るかという、そういう内面的な活動に、時間とエネルギーを使えるという事(なのです)。
それが、男女を超えて、その様な自由な時間がある、という事。
そういう事が、あなた方の地球の暮らしを見ていて、何が(ベーエルダと)一番違うかな、と思うと、そこの所を考えるのです。
でも、それが、本当に良いか、と言うと、私は、そうは思わない事もあるのです。
ミカンの木を植える、という事は、泥にまみれて嫌な事だと、ベーエルダの者達は、大方、そう思っているのです。
でも、どうでしょう?
地球で、今、あなた方も都会に住んでおられる方が多いでしょうが、自然の中に行って、木を植えて、その木の成長を楽しみながら、愛しみながら、一つ一つ実のつくオレンジを、我が子の様に可愛がって、育てておられる、農夫の方々の姿。
その自然の恵みを一杯受けたオレンジをもぎ取り、そして、その匂いを感じ、それを選んで買い、そして、それを家族の為に、愛をもって調理し、料理を作っていくお母さん達の愛のこもったジュース。
その一連の過程、それが、人々が(作物を)体内に入れるというだけではなく、ある意味でいうと、愛の表現でもあり、大自然を通して、神の愛の息吹、神の愛を感じる、そういう手段にもなっているのではないかとー。
神を感じ、愛の喜びを感じる通路になっているのではないかとー。
そういう大事な事を、我らがベーエルダの者達は、忘れてしまったのではないかと-。
利便性ばかりを追及して行く中で、神の、大自然に、気持ちを沿わして生きる、という一番素朴な喜びを、自ら放棄してしまったのではないか、と、私などは、その様に思うのです。
ベーエルダにも、色々な立場の者がおります。
エル・ランティの言った事に対立して議論を交わした者達が、おりますが、私は、どちらかというと、その中間、エル・ランティとも、いい友人でいられる様な、その様な立場の考え方をしている者ですから、私の個人的な意見と、ベーエルダの、他の者達の考えている意見は、違うかも知れません。
けれども、、地球に、この様に、私達の同じ天体の者達が来て、私達の子孫達がどの様になっているか、エル・ランティが、どの様に頑張っていて、そして、地球という惑星が、今、どの様に成長しようとしているか、という事を見守りに来ている、その様な役割をする者として見れば、地球という惑星の現在の姿に、ベーエルダの者達が忘れてしまった、その神の波動に触れる素朴な生活、神の子として本来あるべき生活が、今、地球に残されている姿に、時折、感動したりもしているのです。
確かに、あなた方地球人は、精神的に、まだ幼い、かも知れない。
だから、戦争とか、互いに騙し合ったりとか、まだ、自らが神の子、だという事(も認識せず)、大宇宙の愛の波動に(皆が)共鳴し合い共存して行く、という、その様な、まだ最低限の枠も超えていない、そういう、あなた方では、あるけれども、それがゆえに、大自然と一体となって、原初的に我々神の子として埋め込まれた、神の愛の中に生きる、という、その姿勢、その姿を、まだ、この地球には温存している、そのライフスタイル、生活がある、という姿を見て、私は、また反面、ベーエルダの者達も、地球人の姿から学ぶことが多いのではないか、と、その様に思うのです。
あなた方が、今、エル・ランティと呼び、ミカエルと呼んでいる者達、あの者達は、かつて、昔、我らが星より独立し、別れて行った者達です。
彼らが、常に言ったのは、そこでもあるのです
科学ばかりを優先し、利便性ばかりを追求して行った中に、神の愛を学ぶ、神の子として成長する、道は閉ざされて行く、のではないか、と-。
もう一度、一から、神のもとに、科学、それと信仰を(両立させて行く)、信仰は、決して宗教ではなくて、個人の内面で、神の子としての、あなた方にも、私達にも相通じ合う、宇宙のエネルギーの根源に一体となって、そこに目覚めていく姿、それを信仰心と、あの時は(エル・ランティから)言われたのですけれども、その、本当の自らの力に目覚めていく力、神(宇宙の根源のエネルギー)を信じ続けていく力、それと、科学技術を、とことん追及していく姿、その両輪が、しっかりと整ってこそ、本来は、神の子の道があるべきである、と、エル・ランティは、我らが星において主張した方でもあるのです。
その考えは、非常にスケールが大きく、深いものでもありました。
しかし、多くのベーエルダの者達は、便利さに慣れ過ぎていたのです。便利なものを手放すのは嫌なのです。
例えば、今、あなた方(地球)の、主婦の方々を見ておられても、冷蔵庫があるのが当たり前、電気掃除機があるのが当たり前、ご飯の炊飯ジャーがあるのが当たり前、とか、たくさん電気製品があるのでしょう?
どうでしょうか、あなた方のお母さん、とは言わなくても、お婆さんぐらいの世代では、冷蔵庫一つ、なかった時代が、あったのではないでしょうか?その中で、人々は、知恵を(しぼり)、工夫しながら生きておられたはずなのです。
その利便性、便利さ、(それを)あなた方は掴んでしまって、今の主婦の人達に「薪でご飯を炊いて、冷蔵庫もない生活、掃除機もなく、箒と、ちり取り、だけで掃除をしなさい」と言ったら、怒り出すのではないでしょうか。
「こんな便利な暮らしをしているのに、なんで、わざわざ、そんな暮らしをしなければいけないのか」とー。
それが、究極まで行き着いた時に、さっき言った、苦労するという事、額に汗して努力をして行く、日常の当たり前な、一見、退屈に見える繰り返しの生活の中に、自分のエネルギーと時間を取られる事を、ひどく嫌う姿勢が、ベーエルダの中に蔓延していったのです。
その時に、エル・ランティは
「そういうものを、全てを通して神の子の営みがあるのだ」と
「そういう所を嫌がってはいけない」と
「もう一度、本来の自然の中に、神と共に生きる姿に、そこにこそ信仰心の原点がある。神の子の原点がある。そこを見失ってはいけない。そこに、もう一度戻りながら、そして、科学の技術を(使い)、我々の星として貢献して、発展させていく道を学ぼうではないか。そういう生き方をしようではないか」という事を、エル・ランティという方は、力説なさったのです。
そして、(その当時の)色々な状況がありまして、地球の方から、新たな惑星を造り、新たな文化圏を造るという試みがある、という(お話が出た)時に
エル・ランティは
「もう、科学技術が発達し切り、便利さの極致にいたベーエルダにいても、新たなものは何もないから、新たな未開の地、地球に行って、我らが信念を、そこで試みてみよう。頑張ってみたい」というふうに言われ、彼の考え方に賛同する方を募られたのです。
そして、人望のある方でしたから「エル・ランティについて行く」と名乗り出た者達が、あれだけの人々が、船団を組んで(地球に)行かれた、という事なのです。
それ以来、私達も、定期的に来て、地球の発達具合、どの様に、エル・ランティ達のやっている事が実っていくか、という事を見守りながら、今日まで来ているのです。
銀河連合、宇宙連盟というのがありまして、やはり、私達の星からも、銀河連合の中、宇宙連盟の一員として、この地球を見守っております。
私達の星から地球に持って来た動植物も、結構多く、それが、地球という惑星で、どの様な進化発展を遂げ、馴染んで行ったのか、という事、そういう事も、やはり見守りたく思って、来ているのです。
(さて、そうした中で)あなた方は、今、目覚めの時にいる、という事(なのです)。
大いなる教えの中で、今(まで)分断され、分裂し、混然となっていたものが、(今)一つの、大きな、地球の神理の中で一体化し、それが、どうあるべきか、という事を示される事により、一つの、地球の共通理念となって、地球を変え、救っていくのです。その時期が来た、という事です。
その、大いなる教えを説くのは、本来は、あなた方の惑星でいう、九次元と呼ばれる方の、使命でもありました。
けれども、今、それを代行する者として、あなた方の存在があるのならば、ぜひ、その仕事を、立派に成し遂げて頂きたいと思うのです。
まず、あなた方がやる(べき)事は、自ら(が)神の子である、という事、魂は永遠の営みをする魂であり、惑星をも超えて輪廻転生している、という事。そして、あなた方一人ひとりが、皆、素晴らしいエネルギーと、素晴らしい個性豊かな力を、神より与えられて存在している素晴らしい存在である、という事を、一人ひとりが認識する事なのです。
あなた方は、(宇宙的な存在としては)一人ひとりが、素晴らしい、かけがえのない存在であり、実現出来ない事など、何もないのに、地球(上)では、色々、様々な心の縛りを作り(自分自身を封じ込めてしまっているのです)。(けれども本当の所は)あなた方の目の前で、人生の、ありとあらゆるチャンスと可能性が、あなた方の自由意志と創造性によって、実現する可能性がある、という事(なのです)。
それが大宇宙の永遠の神理でもあるのです。
その事に、あなた方地球人、神の子達は、目覚めなくてはいけない、という事を、これから学ぶのです。
先週、バシャールが言っていた様に思いますけれども、本当の意味で、不可能なものなど何もないのです。
本当にあなた方の魂が望み、本当に実現したい、と、それが、あなた方の(心の)疼きにあるのなら、それに(向かって)、素直に努力して行き、大宇宙を超えて流れる、神のエネルギーに結びつく事が出来たら、不可能な事など何一つもない、という事なのです。
先程聞いていたら、あなた方も、最初、霊言を受けて、本を出すという事に大変躊躇していた、という事を、おっしゃっていました。(それが)ここまで来た、という事を、おっしゃっていました。
大変なご苦労があったんだな、と思って、私も聞いておりましたけれども、たかが一介の主婦が、こんな事、出来るわけがない、という、その思い自体が、自らの人生を限定してしまっている、という事。
それは、あなた方、他の方々でも同じなのです。自分は、これしか出来ない、そんなものが人生だ、と、あなた方は、自らの無限の力に、自らが封印をしてしまっている、だけなのです。
あなた方が、大宇宙に通じる神の子として、親である神に通じる素晴らしい無限のエネルギーが、心の奥深くに存在している、という事に気付いたら、(それは)大宇宙を創造なさった神と同じ創造力、創造性というクリエイティブなパワーが、あなた方の中にもある、という事(なのです)。
あなた方には、本来、ひとり一人の中に、大宇宙を創るのと同じ、宇宙をも創る位の力がある、という事。ただ、それに気付いていない、だけ、だということ。
我々の科学が、欲しい物を、全て、目の前に出すことが出来る。これは、迷信でも信仰でもなく、絶対にそうなる、実現するはずだ、と信じて、科学技術を発展させて来た私達だから、あなた方の、モーゼや、イエス・キリストと呼ばれている方がやった現象を、現実のものとして、科学的に実現する事が出来ているのです。
全ては、クリエイティブな思い、そして、インスピレーション(であり)、自分が、こういうふうに実現させ(られ)たらいいのにな、という、その思い、それを大事にする、という事が、あなた方にとって、とても必要なのです。
どんなことでもいいのです。
勝って、勝って、勝ち続けたい、と思うのならば、自らの中で、勝てる自分というものをイメージするのです。
そして、自分が、本来は、こういう仕事に就きたいけど、そうじゃない生き方をしているな、と思う、(あるいは)自分は、こんなふうに成功者にはなれない、という、その思いを、もし、あなた方が持っておられるのならば、その思いが、あなた方の人生を阻んでいるという事。
その思いが、神の子としての、あなた方の創造力、創造性というもの、クリエイティブな神の子として神と同通する力、に、蓋をしてしまっている、だけだ、という事なのです。
あらゆる事は可能なのです。
あなた方が、何を言ってもー、どうですか、世界中の富が欲しい、何か欲しいとしても、神から見たら、そんなものは、大した物ではないのです。
それが、本当に欲しいのならば、そういう自分である事を、夢を持ち、自分で努力し、受け入れて頑張ってみる事なのです。そうすれば、あらゆる可能性は開いて行くのです。
お金が悪いわけではないでしょう。物の利便性が悪いわけではない。科学が悪いわけではない。原子力が悪いわけではない。
ただ、その使い方を誤っている、だけの違いであって、自らの人生の可能性に、封印をして行く、蓋をして行く様な、そして、それが、出来っこない、と思って、すねてしまう様な、私達からは、地球人であるあなた方は、そんな生き方をしている様にしか見えないのです。
それは、なぜか。自分の力に、まだ気づいていない、だけなのです。
たかが、数十年という人生が、一回きりの人生で終わりである、と思うから、あなた方は、人生においても、刹那的になるのでしょう。でも、生まれ変わりをし、魂が永遠であるという事、その事を、今回、しっかりと学ばされようとしているのです。
それだけでも、相当、人生観が違う、はずなのです。
それと同時に、(人間は)神の子であるという事。
エル・ランティが、最初に出た時に、おっしゃっているはずなのです。
彼は、それを言う為に出た、というふうに言っていました。
神の子というと、宗教的に聞こえるかもしれない。
私達、宇宙人の言い方で言えば、
「宇宙に偏在する無限の愛のパワーの、自分は一部である、と
それを、自覚することである」と、
私たちの星では、そういうふうな言い方をするのです。
神の子(という言い方)ではなく、神の愛のエネルギーの、自分は一部なのだと。
―部は、全体を含んでいるのです。―部というのは、全体の可能性をそのままに、自分の中に、肉体に、入れているのです。だから、肉体の中に、大宇宙があるのです。
そして、魂の中に、天地をつくった、大宇宙を創造した、この宇宙創造の神と同じ創造力が、あなた方の中にある、という事。まだ気付いていないから、その力を使う事も出来ない。人生の中で挑戦する事も出来ない。それだけの事である、という事。
その枠を、枷を外せば、ありとあらゆることは、自らの努力で実現していく、という事なのです。
ただ、そこに、間違った生き方もあるかも知れない。でも、それを計る(その是非を判断する)のが、(自分が)神の子であるという、神の愛の、愛のエネルギーの一部であるという事を、しっかり自覚する、という事(生き方が愛の方向に向いているか判断する)。
ですから、あなた方の惑星地球では、地球系神理において、(自らが)神の子であると、心の針を、しっかりと、神の子だ、という所に、しっかりと針を合わせた上で、神の無限のパワー、自らの愛の力を信じる、という事、自らの創造的な力に気付く、という事を、あなた方に教えているのです。
私たち人間は神の子である、という事は、エル・ランティが、あなた方に教えられました。
それは、そういう意味も、全てを含んでいる、という事なのです。
あなた方一人ひとりは、宇宙における、神の偉大なるエネルギー、愛のエネルギーの一部です。
そして、一部であって、一部のあなた方は、素晴らしい個性というものを授かりながら、キラキラ光り、独自性というものを持ちながら、でも、それは全て、親である神のエネルギーの中では、一人ではなく、全てが、皆が一体である、という、大宇宙のエネルギーは全てが一つである、という(ことが真実であって)、あなただけで(孤立して存在している、とか)、私は孤独である、とか、一人である、とか、そんな事は、本来、あり得ない事なのです。
イエス・キリストと言われている、あなた方のメシアが「あなた方の隣人を、友を、自分を愛するように愛しなさい」と、いうふうに言われたはずでしょう。
それは、どういう事か、というと、隣人、脇にいる友は、自分と同じだ、という事を教えているのです。
個性は確かに違うのです。
別の表現体、として、今、魂を授かっていて、魂の入れ物として、肉体が、今あって、あなた方は、ここに、今、存在するけれども、でも、大いなる意味において、隣人も、あなた方も、一つの、大いなる神の、愛のエネルギーとしては、一体である、ということ。それを教えておられるのです。
聖書とか、今まで教えてこられた文献は、今まで、それを聞く方々が、非常に原初的な宗教観の、信仰心の中でしか捉えていないけど、宇宙の私達から見ると、非常に、宇宙の神理を含んだ言葉なのです。
神理というのは、そういうものなのです。
非常に簡単な言葉で、シンプルに表現出来ますけれども、シンプルであればあるほど大宇宙の神理を含んでいる、という事。
それを解読する力、さえあれば、高い見識を持てば、宇宙の、ありとあらゆる神理が、そこに見える、という事。それを見るか見ないかは、見る者達の心境、成長度合いによる、という事なのです。
あなた方が学んでいる事。神の子であるという事。汝の隣人を、あなた方、自分自らを愛するように愛して行きなさい、と、教えられた、その言葉も、それは、大宇宙に生きる私達(ベーエルダ人)の心に響く神理と、全く同じもの、なのです。
そして、それが本物で、本当の事だという事を、私達は知っているのです。
大宇宙にいる者達は、私達の様な者達も、決して、それが、全て、完全なわけではないのです。
科学が発達したから、といっても、発達したら発達したで、やはり、学んでいないもの、忘れて来てしまったものが、やはりある。
その中で、私達が、もう一度、取り戻さなければいけないもの、も、あるけれども、でも、あなた方が、まだ学んでいない所、そこを、一つ、大宇宙の神理に接続しながら学んで来た、という経緯もあります。
それを、あなた方に伝える事で、そして、他の惑星、過渡期的な段階の色んな惑星の方々に、伝えに行くことによって、共に共存し、共に神の子として、皆んなで一緒に成長していこうね、という、愛の分かち合いの中で、宇宙の神理は、宇宙の愛という、神の体のエネルギーは、それは、めぐりめぐって、愛の循環作用として流れていくのです。
私達は、宇宙の中で、ワンダラーの様に、色々な惑星から惑星へ行きながら、お節介の様に思われるかも知れないけど、まだ、私達が手を差し伸べる余地のある惑星に行っては、お世話をさせて頂くという様な、その様な使命を持った者達が、ある一定水準の惑星になると、皆、あなた方でいうと、何ですか、各国の大使ですか、外交官の様な方達が出て、他の国へ行って、大使館を作ってやっているではないですか。それを惑星単位でやっているのです。
だから、私は、ベーエルダを代表して、今、地球での担当官として、今、伺っている、という事なのです。
ベーエルダの出身の者達が、一体、今の地球の方々に対して、何をもって協力し、この惑星の方々の自治権、自治体制、そういうものを侵すことなく、でも、共に繁栄して行く為に、どういう役割が出来るか。それを、私達、宇宙連合の者達は、役割を互いに分け合いながら、今、この大転換期の地球に対して、見守りながら、一つの、自分達の使命を果たしている。
それが、今の(地球の置かれている)現状でもあるのです。
ですから、非常に多くの惑星の方達が、今、来ておられる。
私が見ているだけでも、十二、三名の惑星の方達が、中心になって、今、地球の進化、発展という、この大プロジェクトを、側面から協力する事によって、この、救世の計画、と呼ばれている、エル・ランティ達が立ち上げている、この計画を、成功させようと、応援に参っているのです。
今、あなた方に、科学の技術を、ワープの仕方を教えていく事が、私達のやるべき事ではなく、心の次元の、扉を開いていく事だ、という事を、バシャールは、先週(当時)言ってた様にも思いますけれども、バシャールという方も、あの方は、あの星の代表者の一人として、精神面での指導者的な方でもありますので、地球において、一つの教え、それを、分かち合う、それを伝える事を許可されている方、でもあります。
やはり、地球霊界の許可があって、皆んな、それぞれの担当を組んでいるのです。
私達の様な、科学の星は、あなた方が、精神革命、ある意味で、地球ルネッサンスと呼ばれているものが、神の子(である地球人)の、本来の立ち位置、として実現し、本当の意味で、心の調和が整った後に、宇宙に対して心を開いて来た時に、次の段階として、あなた方に、科学技術、ワープ航法、物質波動論、を、具体的にお教えする、その様な役割の位置にいるのです。
今、やれるものではない、という事を、お知り置き下さい。
今、あなた方に言っても分からないし、今の段階で、もし言って、下手に悪用されても、危ない、という事なのです。
ただ、私達の星で、皆、どの星でも、先に進んで行ったら、では、それが、絶対的に、あなた方より良いのか、というと、そうでもない、という事を、私は、一つ、お伝えして置きました。
それは、大方においては、やはり、優れているのです。
ですけれども、やはり、今、あなた方の、ある生活の中にしか、やはり、輝いていないもの(というのがあるのです)。
例えば、そうでしょう。あなた方の、現代の都会では忘れてしまったけれども、遥か百年前の時代ならば、地方の暮らしは、とても不便かも知れないけども、そこには、そこの、素朴な人間関係があり、大自然と共に、人々は苦労しながら、幸せというものを体で感じ取って、生きておられ、家族の絆、一つの、共同体としての喜び、というもの、そういうものが満ち満ちて、ある意味でいうと、幸せとはどういうものか、と考えた時に、決して、現代の都会の人の方が幸福であって、百年前の地方の方が不幸であった、とは、言い切れないものが、あるのでは、ないでしょうか。
ですから、それと同じで、進化発展が、本当の意味での、魂の成長(を伴い)、科学技術や文明が、先へと進んで、神の子として、増々、豊かなものを生み出していくならば、どんどん便利になって行く事、多くの発見をして行く事で、(確かに、人類の未来は)より豊かにはなります。
けれども、神の子としての、心の、魂の幸せを、どういうふうに感じ取っていくか、を、しっかりと学んだ成長でないならば、逆に、それは、不毛なものを作り出し、幸福感とは、また、かけ離れた、惑星、文明の状況を呈してしまう(場合もあるのです)。戦争ほど愚かではないけれども、もう進化発展などの可能性を発見する事の出来ない様な、行き詰まった、閉塞感のある、そんな時代を、文明を作ってしまう、という事にも、なりかねないのです。
ですから、今、あなた方が学ばれようとしている事は、たいへん、大切な事なのです。
自分達が、どういう価値感を、心の針路を、心の中心に据えるかによって、幸せは、無限の可能性と共に、あなた方に、開かれもすれば、閉じられるものでもある、ということ。
あなた方は、今、その事について、根本理念を学ばれようとしているのです。
そこがあってこその科学技術、でもあります。
それを分かってこその、大宇宙の様々な情報を、仕入れるだけの意味があるのです。
そんなものばかりを知っても、肝心な、心の部分で、(真実を知らなければ、進むべき道を誤ることにもなりかねません。)(それは)自らが(本来は)どういう存在であり、どういう可能性に満ちた、どういう凄いパワーを持った存在であるか。そして、周りにいる仲間達が、本来は、自分のエネルギーの一部であり、自分達が、皆んなが、本当に愛し合うという事、助け合うという事、それは、一人ひとりの個性や、自主性という事を、阻害する事では、決してなくて、互いに讃え合い認め合うという事が、本当の意味で、自らの光も、より一層光らして行く、そういう可能性の中にある道なのです。
その様に生きて行くこと自体に、無限の進化発展と喜びがあるのであり、神の、大宇宙の神のお心は、そこにあるのだという事。
その事を、しっかりと学ばずして、数多くの情報や科学技術の発展などは、無用の存在である、という事。その事を、今、この、地球の(文明進化の)節目において、あなた方は、しっかり学ばれることが必要だと思うのです。
どれだけ便利になっても、人(間)という(も)のは、どんどん、どんどん(それ以上の)便利さというものを求めるのです。
子孫を作るという事も、あなた方ですと、十月十日ですか、非常に長いですね、その間、女の方は、お腹に赤ちゃんを入れて育て、大変な痛みとともに生まれると聞いています。
そのうちに、そういう事が、そういう営み自体が無駄であるとして、増々、便利に便利に、というふうに(改変)して行って、結果的に(は)、子孫を残せなくなっていく、その様な宇宙人達もいるのです。喜怒哀楽の感情は無駄な事だと思って、そういうものを否定しようとした方達もいるのです。
その中で、殺し合ったりとか、そういう(過激な)事はしないにしても、自分達が、少しでも楽に生きて行く事を求めるがあまり(その方向ばかりを)追求していくと、本来の、神の意に沿わぬ不自然な道に行った時には、やはり、種の消滅という様な結果をもって学ばされる、という事があるのです。
全ての選択権に、間違いはないのです。間違いと言うよりも、(逆に)あらゆることが可能であるからこそ、その過程で、こっちの方に行ったとすれば、(その方向は)違うんだ、という事を学ぶ為に、私達には永遠の命がある、という事を、あなた方は学ばなくてはいけないのです。
例えば、核戦争をしてはいけない、と(口だけで)言う事は、簡単かも知れない。けれども、核戦争をしたら、どんな事が起きて、あなた方が、どの様な不幸になるか、という事を、核戦争を起こさなくても学ぶ、惑星の者達はいるし、起こしてみなければ分からない者達も、いるのかも知れません。
ですから、あなた方は、この様な(文明の)危機的な状況の中で、そこまで行かなくても学べば分かる、という事で、どうか、この地球的な危機を回避して、せっかく、ここまで文明を造り上げて来られたのですから、そのハードルを越えて下さい。
そして、人類、皆んな、共に愛し合い、宇宙の仲間達にも目を開き、皆んなで手を取り合って、この宇宙連盟の一員として昇格し、地球人として、宇宙人の仲間入りの出来る、その様な、惑星の仲間として、今回、私達の仲間に入られる事を、私達、宇宙連盟の者は待ちわびている、という、その様な立場なのです。
あなた方は、今まで、地球霊界の、高級霊と呼ばれている方達の指導のもとに、魂を学ぶ歴史を育んで来られました。
そして、あなた方の一人ひとりが、本当の意味で、自分の力に気付いた時に、本当の意味で、あなた方自身が光り輝き出し、周囲に対する光を放って、本来の指導者となって行くという、そういう力が出てくるのです。
今までは、地域共同体や、宗教とか、そういうものに、あまりにも依存する形で生活をしたり、文明を発展させる傾向が高かったと思うのです。これからは、全体の中の一部、という事を理解しながら、個として自立していくということ。
自らが神の分身であるのなら、自らの個性においては、自分の責任で、あらゆる可能性に挑戦して、より少しでも多くのものを神に返して行く、(あるいは)周囲に返して行く、という、無限の追求という可能性の中に、あなた方が解放されて行く時代が来るのです。
それが、魂の、精神の解放の時代なのです。
今、あなた方は、私達から見ると、手に、たくさんの可能性を(持ち)、(そして、自らは)黄金の体を持ちながら、少しも自らの力に気付かず、自分達で「苦しい、苦しい」と言って、苦しみだけを感じている、不自由な足枷をつけた奴隷の様にしか見えないのです。
その、奴隷の様に、自分自らが両腕両足に下げた、その、鉛のボールですか?、塊を外して、そのチェーンを外して心を解放したら、あなた自体が、黄金で出来た、素晴らしい無限の可能性に満ちた、光り輝く存在であると(気付く事でしょう)ー。
何でも欲しい物は(望めば)手に入るのですよ。
それを、自らの欲の為に使うのではなく、自らの素晴らしさを神に感謝し、幸せとして少しでも分かち合い、同胞達に還元して行く、その様な、愛の循環のエネルギーの一つとなる為に、あなた方が、その自らの黄金のエネルギーを使い出した時に、この惑星地球は、光り輝く、黄金の、神の惑星として輝き出すのです。
そうやって、あなた方一人ひとりが、自らの力に気付かなくては、この地球は、これ以上は、進歩発展しないのです。
部分的に、局部的に科学技術だけ発達させたとしても、地球が、神の星としての霊格を手に入れることは出来ない、という事なのです。
そこに住まう、あなた方の、神の子としての、黄金の色に輝くエネルギーを光輝かした時に、この地球という惑星が、神の星として、宇宙に、燦然と、その存在をアピールしていくのです。
その時期が来ているという事。
その為に、私も、バシャール達も、他の星から飛んで来て、おせっかいにも、あなた方に、この様なアドバイスをしているのです。
私は、エル・ランティを始めとする、アモール、モーリャ、あの方達、エリヤも、よく知っておりますが、ああいう方々、地球霊界でいう、メシアと呼ばれている方ですか、私から見ると、皆、全て、友であり、仲間でもあります。
彼らが、どれだけの苦労をして、これだけの長い時、この、地球という惑星を、文明を、見守り、指導して来られたか、という事を、私は、よく知っております。
だからこそ、今回、エル・ランティの悲願でもある、この地球をシフトアップし、神の星として発達、発展させていく、(それをお手伝いする、という)その使命を、十分、(果たさせて頂きたいと考えているのです)。
エル・ランティが信じた、神の子としての存在という愛のエネルギーを、しっかりと皆んなが湛えた、愛に満ちたハートで、そして、科学技術においても、ベーエルダに変わらない様な進化発展を遂げて行ける、そんな、愛の修行場としての惑星地球、それを、彼は創りたくて、(それが出来る事を)信じたくて、信じて、この地球に舞い降りて来たのです。
その彼の思いを、今回の、あなた方が助力して下さる計画で、実現して行って頂きたい、と、(そして、それを)心から応援したい、と、その様に、べー夕星の、ベーエルダと言われている惑星から来た、私、(そしてそれ以外に)も、他の惑星から来ている仲間達も、皆、その様に、祈る様な思いで、あなた方の今の状況を見ているのです。
本来ならば、二千年という時期を境として、一つの結果が出た、はず、でもありました。
地球としての結果が、出てたはずなのです。
けれども、この(期限の)時が(先に)延び、あなた方に、そのチャンスというもの(が与えられました)。(今度は)あなた方が使命を果たし、あなた方が、あなた方、一人ひとりが、地球の救世主になるのですよ。
あなた方は、何か、勘違いしているのです。
救世主界というと、仏陀ですか、エル・ランティとか、アモール、モーリャ、あなた方の世界の、メシア界と呼ばれている方々ですね、彼らだけがメシアだと思っている(様です)
(確かに)地球系神理において、彼らが、指導者として、この地球を引っ張って来られた、というのは事実なのです。
でも、愛の法、という、地球の法、地球の法と呼ばれているものは、宇宙を貫く、根本原理、宇宙の法でもあるのです。
いいですか、宇宙の法は、神の子達、一人ひとりが、生活の中の行動で実現してこそ、愛の法(として)の意味を持つのです。(それでこそ)宇宙の根本法は意味をなすのです。
ならば、彼らは、それを教えてくれる方かも知れない。けれども、それを実行しなければ意味をなさない、という事では、あなた方一人ひとりが、今回、この事態の局面に対する救世主である、という事。地球にいる全ての方々が、愛を表現し、愛を実行する救世主であるという事。地球人は、その自覚を持たなくてはいけません、。
救世主というと、なぜだか、天上から舞い降りて、雲の上から降りて来て、何もしない、あなた方に、素晴らしい言葉を伝えて救ってくれる、そういう方が救世主だ、と思って、メシア待望論というものがあるのかもしれません。
でも違うのです。
この世のユートピアを、地上を、エデンと言うんですが、エデンを創って行く、という事は、あなた方、一人ひとりが、愛の教えを、愛のエネルギーを、この地上に表現して、流して行く、という、そういう一人ひとりが、地球を救う、という、メシアにならなくてはなりません。
その認識がなくては、その行動力がない所に、この、地上天国は、ユートピアは、決して実現しない、ということ。
だから、その思いの中で、メシアだけに、おんぶにだっこは、もう止めねばなりません。
というよりは、あなた方に(は)、あなた方が依存していたメシアは、もういないのです。
次に、幼い方が、待っておられる、かも知れない。
でも、地球人は、あまりにも、メシアと呼ばれている方に依存し過ぎて来たように、私は思うのです。
誰か一人が、偉大な革命を起こすのではなくて、(それを)起こすのは、一人ひとりの地球人。
地球人一人ひとりが、皆、自分達がやっていく事なのだ、という認識に立たない限り、この地球規模の、精神的な革命というものは、起きないでしょう。
他人事ではないのです。
あなた方自身が、あなた方自身の子孫が、存続して行くかどうか。
そういう、地球の未来に関わった時に、人任せにしていて、この地球が一大変革を遂げる、わけがないのです。
理念や、思いだけで、この地上が天国に変わる、と思っているのなら、それは大きな間違いである、という事。宇宙の法は、常に、愛の実践と共にあるのです。
私達が、宇宙の愛の教え、というものを学んだら、こうやって他の惑星にまでも出て行って、あらゆるリスクを冒してでも、愛を分かち合う為に、皆、一生懸命、働いている、行動、実践しているのです。
ならば、自らの星を、ユートピアにし、自らの星を、この危機から救出し、危険を回避し、この地球の未来を作る為に、地球人であるあなた方が、体を張って、愛の実践をしなくて、どうしますか。
それは、インマヌエル達だけが、アモールや、エル・ランティや、仏陀だけが、やる事ですか。
違うのではないでしょうか。
あなた方、一人ひとりが、メシアなのです。あなた方、一人ひとりが、人生における無限の可能性の中の、その勇気ある愛の実践で、この地球を救っていくのです。
その、死ぬ気の、努力と覚悟がなくて、この地球の一大危機は、回避出来ない、という事。
その事を、私は申し上げたいのです。
どこか、他人事なのです、地球人は。
あれだけの法を、霊言を聞いたのに、なぜ出て来ませんか、皆んな。
一時、降りた、エル・ランティの法、仏陀と呼ばれている方が、霊言として降ろされた法の中身は、宇宙に持って行っても十分通用する程の、レベルのものなのです。
それを、あれだけの日本人の方が聞いていながら、どうして、これだけしか集まりませんか。
他人事なのです。
地球の未来が危ない、と、あれだけ言われていても、どこか他人事なのです。
地球人でない私達の方が、ハラハラしているのです。
それは、私達は、地球の事であっても、地球も、自らの母星と同じか、それ以上に、自らの一部だと思うから、心配でならないのです。
なのに、そこに住んで、そこで恵みを受け、そこで、幸せな毎日を暮らし、肉体を持ち、修行する事が出来ている、それだけ地球から恩を受けている、地球人である、あなた方が、とても他人事なのです。
地球の未来を創るという事が、なぜだか、自分の問題として考えられていないから、あれだけ、エル・ランティが地上にいる時に語られた、にも拘わらず、仏陀が、命掛けで頑張られていた、前半(の霊言)があるにも拘わらず、人々は、また、そのメシアがいなくなると、サーッと、他人事の様に、日常生活に戻ってしまうのです。
命を張って伝えた、ではありませんか、エル・ランティも。
仏陀だって、霊言をとり、あれだけ危険な事を、必死で、伝えたのです。
それゆえに、彼は、自分の使命の危険さ、ゆえに失敗をした、のかも知れない。
でも、最初から、この様な、リスクのある仕事を請け負わなければ、こんな目には遭わなかったのですよ。でも、精いっぱい、彼なりに頑張った業績というのはあるし、あの言葉を聞いて、その言霊で、魂打ち震え、本を読み、学ぶ人生、多くの、素晴らしい神理を学んだ方々が、いるはずではないですか。
どうして、それを、我が問題として、自分の問題として、地球のユートピア化の為に、この救世の事業の為に、(行動に移そうとしないのですか?)
群れて、皆んなでいる事、以外は、自分の役割ではない、と言わんばかりに、(読むのを)やめたら、自分の生活に戻り、そんな事は、まるで、小説でも読んで、読み終わったら捨ててしまうSFファンタジーの様な、そんな気持ちの中で、あなた方は捨ててしまっている。
あなた方の母星の、あなた方を一番愛し、育んでくれた、母なる惑星の一大危機だというのに、その事から目を背けて、日常に埋没しようとして、その責任を逃れようとして、その失敗を、全てメシアのせいにしているのかも知れない。
メシアは、その天上界の計画を伝え、その法論理、法倫理において、何が正しいか、何をするべきか、という事を伝えて、人々を束ねていく力、その役割は、あるけれども、最後、実践して、(地上にユートピアを)作って行くのは、誇り高き、そこに生きている神の子達、この惑星に住む、一人ひとり、あなた方の仕事ではないですか。
なぜ、その自覚がないのか、と、私は、地球人のあなた方を見てて、悲しく思うのです。
責任転嫁をしている限り、自らの惑星を幸せにしていく事、ユートピアにしていく事など出来ません。なぜなら、惑星に、本来の命を、愛の命を吹き込むのは、そこに住んでいる神の子達の、愛の思いの集積、だからなのです。
地球人が、神の子としての愛のエネルギーに立ち返り、皆が手をつないで一体となった時、あなた方は、地球を、愛のエネルギーですっぽりと包み、この地球を愛の星に生まれ変わらす事が出来るのです。
それが、地球を再生して行く道でもあり、そして、あなた方の魂の再生をして行く、ルネッサンスを起こして行ける時でもあるのです。
大きな、価値観の転換、(進むべき進路を示す)一つの羅針盤の軸を変えていく、価値観を変えて行く事、それは、全く違う方向に行くのではなく、本来持っている、あなた方の姿に、単に、気付く、という道でしかないのです。
そして、それをするのは、あなた方自身の責任であり、(それが)あなた方の自由意志でなされる、大いなる学びの、魂の飛躍の時であるという事。
今、これは、霊的な意味でも、非常に成長の出来る、学習の出来る状況にあるのです。
これに成功するか失敗するかで、(場合によっては)また、大きな魂の迂回路に入らなくてはならないのかも知れません。でも、出来れば、このまま成長して頂きたいと思う。
私が、おせっかいにも言うのは、地球を守って指導して来たエル・ランティ達の夢が、分かるから(であり)、切望して来た、彼らの努力の、長い長い歴史と、彼らが信じて来た夢を知っているからこそなのです。
「どうか、地球よ、私達の仲間として、一員として迎えに来ているのだから、どうか上がってらっしゃい。一緒に仕事をしようよ」と。
「宇宙の仕事を、仲間として、一緒に協力してやって行こう。だから上がっておいで、黄金の体を持つ地球人達よ。神の愛のエネルギーと、神の無限の創造性に満ちた、素晴らしい光に満ちた地球人達よ。その力を最大限に解放し、自らを信じて、私達と共に、この永遠の時を、また新たなステップの道のりの中で、共に歩んで行こうよ」
そういう思いで、私達、宇宙連盟の者は、今、ここに来ております。
ベーエルダだけじゃない。オリオンだけじゃない。バシャール達だけじゃない。もっともっと多くの者達が、今、ここ(地球)に来ております。だから、人口密度が高い、と言われているのです。
あなた方の人類だけじゃない。多くの宇宙の者達が、この地球を愛し、心配して来ております。それなのに、一番心配していない、一番、本気で気付いていないのが、地球人である、あなた方なのです。
気付いてほしい。
今、この時は、神より与えられし、素晴らしい執行猶予期間でもあります。
この時に、今世、地球に生まれ、まして、あなた方は、肉体を持っているのです。
自分の、無限の可能性に、ストッパーをかけないで頂きたい。
残された数十年、地上において、ありとあらゆる可能性において、愛の実践を、やれる限りの事を、やって頂きたい。
メシアは、あなた方、一人ひとりの、その人生にあるのだという事。
誰かのせいにしていませんか。大指導者だけに頼って、依存し過ぎていませんか、地球の友達よ、と、私は伝えたいのです。
伝えられる事は、エル・ランティも、仏陀も、十分、伝えてくれた、ではありませんか。
大きな、巨大な星は、今、地に落ちたかも知れないけど、その(伝えた)内容、神理を、咀嚼して自分のものとして、あなた方が、皆んなで手を取り合って行けば、この地球を救えるのです。
自分なんて、大した器ではないから、と、ただただ、イエス・キリストの様ではない、と、仏陀や、モーリヤの様ではない、と、思っているから、自己弁護し、自分の人生の可能性に蓋をして、言い訳を作っている、だけかも知れないでしょう。
あなた方、一人ひとりが、メシアになれるのです。
そこで、少しも遠慮することはない。増上漫だ、とか、そのプライドが強い、とか、なんか言われるらしいけど、そんな事は全然ない。ありとあらゆる可能性は、思いにおいて、創造力において、可能性において、実現が可能なのです。
その様な事を伝えている、日本神道の教えがあるでしょう。
なんですか、「光一元」という言葉が出ます。「光一元」という教えが、あなた方の地上にある、というのが、通信で、今、出てますけれども、それは、本当に、宇宙の神理なのです。
二元論は、こういう、あなた方の様な過渡期的な惑星では、分裂し、対比し(た社会現象を生み出しますが)、(それが)学びの過程に必要だから(出て来るのであって)、二元論は、ある意味で、分裂的に出て来る、一過性のものなのです。
それが統合されて行った時には、宇宙においては、ただ光だけ、ただ神の愛だけ、愛のエネルギーだけが、絶対理念として存在しているのです。そこでは、不可能な事など、何一つとしてないのです。
だから、自らの可能性に蓋をしないで、本当に、この地球を救いたい、本当に、この地球を愛の惑星にしたいと、あなた方が思って下さるのなら、そこに、不可能な事など何もないのです。
自分が九次元でないから、メシアでないから、やれないんだ、なんて思わないことです。それが責任回避を生んでいるのです。少しも、そんなこと、遠慮することはない。
あなた方は、一人ひとりが、あなた方だという事において、神によって、荘厳な、素晴らしい個性的なエネルギーとして創造され、素晴らしい愛の表現形である神の子達として、無限の可能性を与えられているのです。
その魂の、永遠の命の中で、今、愛する、あなた方の母星である、地球の為に、命を張って頑張れる、この様な機会を、チャンスを、みすみす無駄にして、どうしますか。
あなた方一人ひとりが、神に、地球神霊に、地球ご自身に、感謝して、本気で、命を張り、人生を生きて行くつもりなら、やれる事は、無限にある、という事です。
一人ひとりが、その思いに立ち返り、精一杯の愛の実践行をした時に、地球は、愛の星に、この地上は、エル・ランティの言われた地上仏国土、ユートピアに、変身して行くのです。
そして、それが、志半ばにして、リタイアしなくてはいけなかった仏陀の、無念さを晴らす道でも、また、ある、という事なのです。彼だけのせいには、しないで、それをフォロー出来なかった、あなた方の責任もある、と思って、あなた方自身が頑張って頂きたいのです。それが愛というものです。決して、誰かを裁く事の中に、愛はないのです。
彼が出来なかったのは、彼が悪かったからではない。彼は出来なかった。でも精一杯やってくれた。だったら、残りを、私達が、精一杯やってフォローしよう。それが愛の思いです。
それを、ぜひ地球の皆さん、やって頂きたいです。それをやるには、まず、あなた方の思いから始まらなくては、後に続く者達は、実践で、あなた方について来ないし、あなた方が手本だという事でもあるのです。
本を何百冊、何千冊出しても、神理の実践なき所に、神の法などは、人々には伝わらないのです。本を読むだけでは、神の愛が何であるか、という事は、人々は、永遠に分からないのです。
神の愛の実践とは、ささやかな日常の中で、あなた方の人生をかけた、その命掛けの、生き切った姿の中に、自ずと現れ、輝き出して来るものであり、(それが)宇宙の、永遠の神理の姿、神の、宇宙の、愛の神の姿、そのままでもあるのです。
その、大字宙の、親なる神の姿を、写して、似せられ、造られた、あなた方、神の子ならば、その親である神の愛を、自分の個性のプリズムに合わせて、光輝かし、表現し、この地球の為に、燦然と輝き渡ってご覧なさい。
宝石にも、ルビーがあり、エメラルドがあり、ダイモンドがあり、ガーネットがあり、あなた方の惑星だけでも、色々な、様々な光を放つ宝石があるでしょう。ならば、少しも、他の色彩を放つ宝石達に、遠慮することは、ないではないですか。
自分の光を放って下さい。自分は、そこら辺に転がっている石ころではない。泥の塊ではない。素晴らしいピカピカと光った、美しい宝石であるという事。その誇りの中で、自らの色合いに応じた、神の子としての内なるエネルギーを解放し、その創造的な愛の思いで、人生を勝負し、この地球の再生の為に、ルネッサンスの為に、あなた方の命をかけて貢献して頂く事を、私は、心よりお願いしたいと思うのです。
そこが、分かってこそ、の、科学技術なのです。科学技術などと言うものは、所詮、そんなものなのです。科学技術は、本来は、神の子の悟りを(側面から)助ける為に、進化して来ているものなのです。
神の子としての魂が、しっかりと進化し愛を豊かにする道を、忘却して、科学技術だけが先行しても、ただ、怠惰な眠りしか誘わない。魂の停滞しか生まないものである、という事を、私は、そういう惑星にいた者だからこそ、あなた方にお伝えするのです。
そして、エル・ランティの試みは、素晴らしいものです。
私の愛する、友、エル・ランティ、彼に、心から敬意を表します。
この地球に降り立ってより、ここまで、どれだけのご苦労があったことでしょう。でも、ここまで持って来られました。だから、ここで計画が挫折してしまう事は、エル・ランティの無念さ、でもあるのです。
どうか、わが友、エル・ランティの悲願を、夢を、叶える意味において、あなた方の、お力が、協力が必要だという事を、私は、今日、あなた方に、お伝えしたいのです。
あなた方、一人ひとりが、メシアであるということ。あなた方、一人ひとりが、かけがえのない素晴らしい存在として、神に必要とされている、偉大なる魂達である、ということ。
その誇りを失わず、残された人生で、今、自分達が、どの様な時を刻んで生きているか、という事を自覚され、あなた方の人生を大切にされ、頑張って行かれる事を、今日、私は、心から願い、(それを)お伝えし、(これにて)失礼させて頂きたいと思います。
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