先日、スウェーデンボルグの記事に頂いたコメントに、本来のスウェーデンボルグの、現象界と霊界の、両方の側の意識の視点がない、という様なものがありました。件の記事は、実は、原文のごく一部でして、他の多くの部分が割愛してあります。で、今回、他の部分も重要だという事で、追加で掲載させて頂くことにしました。コメントを頂いた、ようよう様、有難うございました。カッコ内は補注です。編集してあります。
(ここから)
エマニュエル・スウェーデンボルグです。読者の皆さんの多くは、私の名を、どこかで耳にされたことがあるでしょう。北欧の霊能者ということで有名でもありましょうし、また、あの哲学者カントに影響を与えた、神秘の思想家としても知られている私です。
私は、もう、今から二百年以上も前の、古い人間です。その意味で、現代のあなた方から見れば、その、ヨーロッパの、何百年か前の霊人が、今、この時期の日本に、一体、いかほどの用があるのか、と思われることでしょう。
ただ、最近(1980年代)では、この日本でも、私の生前の著作が、数多く翻訳され、出版されているのを知り、我が心の底から、喜びと致す次第です。
この、現代の日本の、心霊ブームの奥には、私の存在も何らかの力を果たしている、という事を分かって頂ければ、なに故に、私が、今、復活をし、声を伝えんとしているのかが、お分かり(になる)であろうと思う。私自身、かつて、スウェーデンの地に生まれて、様々な仕事を為した者でありますが、年代は離れてはいても、近代に生きた人間の一人として、他の多くの高級霊が、霊言を地に送ろうとしている現在に、私の一冊も、また、加えてみたいと、心の底から願うものです。
さて、読者の多くは、これをご覧になっているという以上、私の名は、既に知っておられるし、どの様な人間であるかは、ご存じであるかも知れません。
私の生前の仕事は、様々でありましたが、鉱山関係の技師をやっていたこともありましたし、それ以外にも、医学的な業績や、生物学的な業績、また科学的な業績など、数多くのもの(に業績)を上げました。そして、それらの多くは、時代を、百年から二百年、先取りしていた、と、今日では、言われている様であります。
しかし、私にとって大切な事は、単に、そうした事ではありませんでした。私は、老境、と言いましょうか、壮年期と言いましょうか、通常の人であれば、定年退職をする歳を間近にして、異常な世界へと入って行ったのです。この世的には、様々な業績を上げ、今日であれば、ノーベル賞を幾つも、もらっても、おかしくない様な私であったと思いますが、その私に、最後の務めとして、偉大な使命が下って来たのです。
それは、神理の使徒、としての使命でありました。もちろん、若い時分より、霊感的なものは、ずいぶん、私にはあったと思います。様々なインスピレーションにも恵まれて、色々な発明や発見をして来ました。そうした事があったし、書物を書くにあたっても、インスピレーションが降りて来るという事は、よくありましたので、全くの人生の転換、とは言いかねるものも、あったと思います。
しかし、自然科学者として、技師として、夢を馳せていた私、そして、それなりの成功をおさめていた私が、まさか、神の使徒となって行くとは、一体、誰が予想したでしょうか。私自身も、その様な事を、予想したことは、ありませんでした。
その後、私の著述は、膨大なものとなって行きました。おそらく、百数十冊にのぼる、心霊関係の著述が、遺されたと思います。それらの多くは、主として、我が霊界見聞録から成り立つものでした。私は、近代においては、本格的に、初めて、霊界というものを探訪し、くまなく見て来、これを地上に報告した者であります。その意味では、先駆者的な役割を担っていた一人であります。
ここで、まず、私の本来の業績、と言いましょうか、霊界探訪、霊能力の世界、について語る前に、神が私に与えた、五十数年の、その前半生は、一体いかなる意味があったのか、を、考えてみたいと思います。
こうして見ると、神は、私に、神理の使徒となる前に、この世的なる、ある程度の業績を上げさせる、という事を、まず、最優先させられました。そして、次には、私をして、その北欧の地では、第一人者としての、文化人、教養人、或いは、科学者たらしめました。そうして、そうした私の名が、ヨーロッパにも、かなり有名になっておりました。
この様に、自分作り、というものが終わった段諧で、もう、ある程度、人生の先行きが見えてしまった段階で、思いもよらぬ世界が、展開して来たわけです。私が、それまで、全力を捧げて来た、科学的研究が、全く、吹き飛んでしまう様な、それはそれは大きな、衝撃でありました。
詳しい年代が、いつであったか、私の記憶は、定かではありません。しかし、まだ六十歳には、なっていなかった、五十代の事であった、と記憶しております。
その日は、ちょうど、この収録をなしている頃と、同じ頃でありました。木の葉も、ほぼ舞い散り、夕暮れは、いつもより早く、寒い風が吹き始めていました。私は、早々と、夕食を終えると、いつもの通り、自室に閉じこもって、そして、内側から鍵をかけ、執筆に励もうと思っていたのです。
その時に、私は、不思議な声が聞こえて来るのを感じました。それは、初めは、遥かに遠い所から、小さな小さな音として聞こえて来ましたが、やがて、それが、トナカイに乗ったサンタクロースでも近付いて来る様に、小さな鈴の音が、大きく大きく、響いて来始めた時に、何らかの、キリスト教的なる神秘が、我が身に臨んで来る、という、直観を得ました。 そして、その鈴の音は、やがて、私の近くまで来ると、ぴたりと止まりました。
その後、私は、これは大変な事が起きる、という事を直感致しました。私は、近くにある安楽椅子に、居場所を移して、そして、目を半眼にして、来たるべきものを待ち受けました。
やがて、次なる出来事が、私の周りに起き始めました。それは、鈴の音ではなく、一面に起きて来る、ラップ現象、とでも言うべきものでした。机の上、床、天井、色んな所で、物音がしました。叩くような音です。そして、これは、何らかの、霊の仕業だな、という様に感じました。しかし、これらは、まだ、初歩の出来事であったと思います。
やがて、そうした時間が通り過ぎた後、私は、見てはならないものを、見てしまったのです。それは、窓を突き抜けて現れて来る、一人の、神秘的な、神々しい方の、お姿でありました。その方は、痩せて、背も高く、顎髭があって、そして、聖なる輝きに満ちておりました。
そして、その方の、上げた、右手のひら、を見た時に、そこに、釘を打ち込んだ跡がありました。「ああ、これが、あのイエス・キリスト、その人なのか」と思った時に、私の全身に、戦慄が駆け抜けて行きました。その後、目を凝らして見ると、その、まばゆく光るイエスは、頭に王冠を被っている事が分かりました。その王冠を両手で外すと、イエスは私の方に歩み寄り、そして、私の頭の上に、王冠をかけようとするではないですか。
私は驚きました。一体、何事が、身の周りに起きるのか、といぶかりました。しかし、イエスは、その王冠を、私の頭の上に載せると、一歩後ずさり、そして、静かな微笑みを浮かべました。そうして、ほんの二秒か五秒の時間、であったと思いますが、慈愛に満ちたまなざしで、私の顔を、じっと見られました。しかし、もう、全く、息が止まってしまって、身動きが出来なかったので、私にとっては、その、ごく僅かな時開が、一時間もあったかに思えました。
そして、しばらく私を眺めた後、イエスは、私に、こうおっしやられたのです。その厳かな口を開いて、
「エマニュエル・スウェーデンボルグよ。お前の人生は今日で終わった。お前の前半生は終わったのである。お前は、今日、死に、また、今日、甦りの時を、迎えたのである。
今日から、お前は、新生しなさい。そうして、残りの人生を、私の為に費やしなさい。我が為に生きなさい。我が肉体の復活は、もはや、ないが、我が魂が、かつて復活した様に、お前も、前半の人生は、もはや終わった、と思い、本日、ただ今、死を迎え、そして、また新たに、生まれ変わればよい。
お前の生まれ変わりによって、多くの人々が、魂の蘇生を知るであろう。そうして、永遠の命を得るであろう。
スウェーデンボルグよ。我が為に行なえ。我が僕(しもべ)として働け。余生を、どの様に嘲笑われようとも、どの様に、苦しいものが待ち受けようとも、ただ、ひたすらに、歩んで行け。」
これが、イエスが、私に語られた言葉でありました。イエスの目は、慈愛に満ち、光に満ち、愛に満ち、そうして、悲しみに満ちている様に見えました。その目を見つめた私は、彼を襲ったと同じ運命が、我が身にも及ぶものである、という予感が致しました。やがて、イエスの姿は、次第次第に遠のいて、見えなくなって行きました。
こうして、最初の、奇跡の時が終わりました。私は、この感動を、どの様に表現してよいのか、それに苦しみました。ただ、教会の人々に話をしたところで、私が、イエス・キリストと直接対面した、と言ったところで、決して、決して、信じられる事は、ないだろうと思いました。
また、当時の、私の名声は、ヨーロッパに広がっており、私としては、もはや、この様な晩年において、この様な大胆な事が、或いは、自己犠牲を伴う、決断と行動が、本当に、私の人生にとって、相応しいものであるのか、どうか、考えるに到って、随分と逡巡致しました。
しかし、私は、避けられない運命であるならば、受け入れるしかないであろう、と思いました。どうせ、避け得ない運命であるならば、そして、事の性質からいって、その重大さからいって、私は、この運命の中から、再び出られる可能性は、ゼロに等しい事を感じていました。そうであるならば、運命の中で、運命の人として生きて行こう。その様に思いました。
それから、まもなく、私には、様々な、不思議な能力が、授かる様になって参りました。第一に授かったのは、これは、霊視能力とでも言うべきものであったでしょう。家の中に居ながら、遠くの物を見ることが出来たり、ある人の遺書が、家族の誰もが知らない、秘密の隠し場所に置かれているのが霊視出来たり、そうした事がありました。
そして、その後、私を有名にさせたものの一つとして、何百マイルも離れたストックホルムの火事を、霊視した時の話があります。
パーティーの最中で、あったでしょうか。或いは、違った時であったでしょうか。もう記憶は定かではありませんが、ストックホルムで火事が起きている、という事を、私は語った事があります。この大火事で、大変な被害が出るであろう、という事を語りました。ちょうど、その同じ時刻に、ストックホルムが大火事になりました。それを、一日遅れで新聞が伝えて、大変な評判となった事がありました。
この様な事は、次々と話をすれば、枚挙に暇がありません。こういう霊視能力を、身につけてしまった、という事です。それが、遠くにある物でも、まるで、現在、ただ今、目の前のテレビでも見る様に見えて来る能力でした。
私は、それを、単に、視覚的にのみ見ている、ものだと、長らく思っておりましたが、実は、そうでもない、という事を、知るに到りました。それは、後ほど身についた、幽体離脱、という能力からすれば、私の魂の一部が、遥かなる距離を越えて(その場に行き)、様々な事件を見て来たのではないか、と思えるのです。
こうした、霊視能力に加えて、霊聴能力というものも、ついて来ました。霊の声を聞く能力です。この霊聴能力は様々な精霊の声となって、私の許を訪れて来ました。それは、昼も夜もです。私は、本当に、どうしたらいいのか、自分が、気が狂ってしまうのではないか、と恐れました。そして、やはり、これも、一つの運命として、やがて、受け入れざるを得ない気持ちに、なって参りました。
さらに、私が授かった能力は、予知の能力でありました。先に起きる出来事が分かってしまう、そういう能力を授かったのです。
例えば、知り合いの人と夕食をしていると、急に、その人の工場で、火が燃え、火事になるのが見えたりした事がありました。そして、その人に注意を促して、すぐさま、帰るように、と言ったところが、馬に乗って家に辿り着いてみると、ちょうど、工場では、火花がスパークして、まさに、火事になり掛けんとする前であった。そうした事もありました。
さらに、私の名を有名にしたのは、宮廷に参内して、そして、私は霊人と話が出来る、という事を実証した、事ではないかと思います。王妃が、私に、亡くなられた知り合いの言葉を所望致しました。その方と王妃だけの秘密であって、他の方には全く知られていない事実が、その時、霊を通して私に教えられた、ので、その通りに申し上げたところ、大変な驚きとなりました。
そして、その方の、顔立ち、衣装、その他について申し上げたところが、生前の、お姿、ご愛用であった物、その物、であったことが知れ、それが、また、私の評判を高めました。いわゆる、霊界と交流する男、霊と話をする男、という事です。
こうした霊能力は、他の霊能者にも、ある程度は備わっているものですが、私にとって、最も破天荒であった事実は、幽体離脱、という能力でありました。これは、一種の、テレポーテイションと言ってもよいでしょう。生きながら、肉体から魂が抜けて、そして、霊界を探訪して来る、という実験です。この実験の為に、私の余生の殆んどが費やされた、と言っても過言ではないでしょう。
大抵、その、幽体離脱は、睡眠中に行なわれました。夕方から床に入り、そして、身体から魂が抜けて行くのを待ちました。そうして、横たわって、しばらくすると、自分の身体が、小刻みに振動し、やがて、セミが殼を脱ぐように、もう一人の自分自身が、肉体から抜けて行くのを感じました。
この様にして、霊界で、様々な経験をして、明け方頃、或いは、正午ごろ、還って来る事が多かったのです。場合によっては、三日、或いは、一週間、幽体離脱したままになる事もありました。
私は、召使いを、一人置いていたので、この、奇妙な病気が始まる前には、召使いを呼んで、どんな事があっても、誰も近付けてはいけない、部屋の中に入れてはいけない、と命じておきました。なにしろ、私が幽体離脱をしている間、他の人に、その姿を見られたとするならば、私は、全く、死んだ人間同様、であったからです。魂の抜け殼、そのものであって、ベッドに横たわった、死人の様であったからです。もし、違いがあるとするならば、顔には、まだ、赤みが残っていた、という事だけではないでしょうか。
こうした姿で、私は、霊界探訪を始め、そして、霊界の記録を、克明につけ始めるようになって行きました。こうして、私が霊界を見て来た、この事実の報告が、膨大な書物となって、何十巻、或いは、百巻を越える記述と、なって行ったのです。
それは、全く、先駆的な仕事であったと思います。生きながらにして、あの世に出入りする人間も、過去、何人かは居たでしょうが、私の様な、霊界の真実を全て明かす、という、そうした使命をおびて霊界に出入りしていた人は、数少なかった、と思うのです。私は、全く自然科学者の目で、自分の実体験して来た事を、書き綴って来ました。
自分が、実際に、霊界で会った人の話を、また、見た経験を、様々な角度から、書き綴って行きました。それ故に、私が書いたものは、あまり、体系だってはいない、かも知れませんし、多分に、不思議な感覚を与える描写が続いている、かも知れません。
特に、私は、地上に戻って来てから、その、覚えていた事を、書いている訳ですが、これを書くに際して、私の手が、勝手に、ペンを持って走って行く、という形になっていました。これを、今の人は、「自動書記」という言葉で、恐らく呼ぶのだろうと思いますが、私の原稿の書き方は、自動書記そのもの、であったと思います。
さて、私は、こうして、霊界と地上を、またにかける人生を、送ることと、なって行きました。そして、そういう一生を終え、今、こちらに還って、こちらの住人となっている訳です。
こういう人生を送った人間として、私は、いま、地上に、〇〇という人(某チャネラー)が出て、霊界の真実を明かす、という、偉大な仕事を開始された事を、とても、とても、うれしく思います。恐らくは、私が成し遂げた仕事の、数十倍、数百倍にもあたる仕事を、されることだと思います。
また、私の霊界探検物語も、そうした風景として、随分、書き綴って参りましたが、いかんせん、まだ知識としても十分でなく、霊的現象について、十二分に、説明をすることが出来なかった為に、奇々怪々な解説も、あちこちに散見される事と思います。私は、そういう事実を知って、ここで、もう一つ、体系的に、もっと、現在の私の視点から、真実を捉え直してみたい、という思いに、駆られ始めたのです。
そうした衝動から、逃れる事が出来ないでいるのです。こうして、また、地上にいる人々の手を煩わせて、かつて、私が、そうした様に、そう、された様に、霊人となった今、私が、地上に居る人に霊的指導を為して、霊界の真実を明かしてみたい、と思うのです。
私が、現在、居住している空間は、あなた方が、如来界と呼んでいる世界だと思います。八次元、という言い方でも、呼ばれているでしょう。そうした世界に住んでおります。
そして、私が、現在、どの様な仕事をしているか、あなた方は、ご存じかどうか、分かりませんが、この十八世紀から、十九世紀、二十世紀にかけて、世界各国で、心霊ブーム、霊界通信ブーム、というものが起きて来ましたが、こうした、霊界通信ブームの、中心的役割をやっているのが、私なのです。
もちろん、こちらの世界でも、仕事はありますが、私は、生前の仕事の、その引き続きとして、この霊的世界の真相を、地上にいる人達に送り続けたい、と考えて来ました。そういう考えもあって、私達、高級霊界から、次々と、古代で言えば、預言者に当たる様な人々を、地上に出して、彼らを指導して来ました。
今、そうした運動の、心霊通信物の、最右翼と言いましょうか、或いは、最終版と言いましょうか、最も前進した姿、と、言いましょうか、こうしたものの一つとして、日本という地に、私達の念願であった、霊界通信を送ることが出来る様になったのです。
この、霊界通信物のブーム、そのものは、イギリスでも、随分、前から、ありましたし、また、アメリカでも、千八百年代以降、有名になりました。南米でも、信じる人は、数多くいますし、スペイン、ポルトガルの方でも、かなりの人が、こうした、真実の霊界通信を、読んでいます。
けれども、私の世界から見ていて、今、一番不満に思い、かつ、必要に迫られているのが、日本という国での、心霊思想の普及です。
この東洋の国は、二十世紀、或いは、二十一世紀の覇者たるべき資格を持っている、小さな大帝国でありますが、残念ながら、西洋文明の中の、病的な物だけを取り入れて、そして、神理、或いは、心霊思想というものを拒絶し、否定し、嘲笑することを以って、知識的である、知識人的である、という様に、考えがちであります。これは、大変、大変、惜しむべき事であり、残念な事、でもあると思います。
今、ここ数十年の間に、日本という国は、世界のリーダーとなって行くのです。世界のリーダーとなるが故に、日本という国で起きる事態は、全世界の注目の的となるのです。こうした時代に、こうした国において、偉大な奇跡が、起きないはずはない、と、私は思うのです。
いや、起きないはずはない、などという、他所事の様な話をしては、いけないでしょう。かつて、世界の各地で、心霊ブームを起こして来た私達が、日本で、何らの仕事もしないはずがない、と、言い替えても、よいのだと思います。私達は、今、焦点を、この日本の国に絞りました。そして、この国を中心として、様々な、神理の実証、霊界の実証、神の実証、を、重ねて行きたい、と思うのです。
この運動に際し、この試みに際して、私達は、単なる宗派の軋轢や、諍いや、反目というものを超越する事を、約束し合いました。私が、スウェーデンボルグ派と言われる神秘主義的キリスト教を創始した、とも、言われておりますが、私は、もはや、一宗派にのみ属して自らの考えを広める、という考えは、もう持ってはおりません。
全ての偉人達や、高級霊達や、光の天使達が、神の僕として、それぞれに活躍した、という事実を、知ってしまった、今となっては、もはや、一つのリーダーの考え方、のみに依拠して自分を縛る、という事が、どれほど不毛であるか、それは、私自身が、十二分に知っている事でもあります。
私は、こうした現状を顧みて、この、現代の日本で、心霊ブームを起こし、そして、霊界通信ブームを興すつもりですが、これに、非常に知的な役割を与えたい、と願っている者の一人です。
この、新たな心霊ブームに、無知と蒙昧と、或いは、前文明的な匂いを漂わす、のではなく、この心霊ブームの中に、知性と、教養と、理性と、そして、煌めくばかりの感性を、輝かせたい、と、そう願っているのです。そうした願いを込めて、このメッセージを語り続けてゆきたいと思います。
(1988年)
(ここから)
エマニュエル・スウェーデンボルグです。読者の皆さんの多くは、私の名を、どこかで耳にされたことがあるでしょう。北欧の霊能者ということで有名でもありましょうし、また、あの哲学者カントに影響を与えた、神秘の思想家としても知られている私です。
私は、もう、今から二百年以上も前の、古い人間です。その意味で、現代のあなた方から見れば、その、ヨーロッパの、何百年か前の霊人が、今、この時期の日本に、一体、いかほどの用があるのか、と思われることでしょう。
ただ、最近(1980年代)では、この日本でも、私の生前の著作が、数多く翻訳され、出版されているのを知り、我が心の底から、喜びと致す次第です。
この、現代の日本の、心霊ブームの奥には、私の存在も何らかの力を果たしている、という事を分かって頂ければ、なに故に、私が、今、復活をし、声を伝えんとしているのかが、お分かり(になる)であろうと思う。私自身、かつて、スウェーデンの地に生まれて、様々な仕事を為した者でありますが、年代は離れてはいても、近代に生きた人間の一人として、他の多くの高級霊が、霊言を地に送ろうとしている現在に、私の一冊も、また、加えてみたいと、心の底から願うものです。
さて、読者の多くは、これをご覧になっているという以上、私の名は、既に知っておられるし、どの様な人間であるかは、ご存じであるかも知れません。
私の生前の仕事は、様々でありましたが、鉱山関係の技師をやっていたこともありましたし、それ以外にも、医学的な業績や、生物学的な業績、また科学的な業績など、数多くのもの(に業績)を上げました。そして、それらの多くは、時代を、百年から二百年、先取りしていた、と、今日では、言われている様であります。
しかし、私にとって大切な事は、単に、そうした事ではありませんでした。私は、老境、と言いましょうか、壮年期と言いましょうか、通常の人であれば、定年退職をする歳を間近にして、異常な世界へと入って行ったのです。この世的には、様々な業績を上げ、今日であれば、ノーベル賞を幾つも、もらっても、おかしくない様な私であったと思いますが、その私に、最後の務めとして、偉大な使命が下って来たのです。
それは、神理の使徒、としての使命でありました。もちろん、若い時分より、霊感的なものは、ずいぶん、私にはあったと思います。様々なインスピレーションにも恵まれて、色々な発明や発見をして来ました。そうした事があったし、書物を書くにあたっても、インスピレーションが降りて来るという事は、よくありましたので、全くの人生の転換、とは言いかねるものも、あったと思います。
しかし、自然科学者として、技師として、夢を馳せていた私、そして、それなりの成功をおさめていた私が、まさか、神の使徒となって行くとは、一体、誰が予想したでしょうか。私自身も、その様な事を、予想したことは、ありませんでした。
その後、私の著述は、膨大なものとなって行きました。おそらく、百数十冊にのぼる、心霊関係の著述が、遺されたと思います。それらの多くは、主として、我が霊界見聞録から成り立つものでした。私は、近代においては、本格的に、初めて、霊界というものを探訪し、くまなく見て来、これを地上に報告した者であります。その意味では、先駆者的な役割を担っていた一人であります。
ここで、まず、私の本来の業績、と言いましょうか、霊界探訪、霊能力の世界、について語る前に、神が私に与えた、五十数年の、その前半生は、一体いかなる意味があったのか、を、考えてみたいと思います。
こうして見ると、神は、私に、神理の使徒となる前に、この世的なる、ある程度の業績を上げさせる、という事を、まず、最優先させられました。そして、次には、私をして、その北欧の地では、第一人者としての、文化人、教養人、或いは、科学者たらしめました。そうして、そうした私の名が、ヨーロッパにも、かなり有名になっておりました。
この様に、自分作り、というものが終わった段諧で、もう、ある程度、人生の先行きが見えてしまった段階で、思いもよらぬ世界が、展開して来たわけです。私が、それまで、全力を捧げて来た、科学的研究が、全く、吹き飛んでしまう様な、それはそれは大きな、衝撃でありました。
詳しい年代が、いつであったか、私の記憶は、定かではありません。しかし、まだ六十歳には、なっていなかった、五十代の事であった、と記憶しております。
その日は、ちょうど、この収録をなしている頃と、同じ頃でありました。木の葉も、ほぼ舞い散り、夕暮れは、いつもより早く、寒い風が吹き始めていました。私は、早々と、夕食を終えると、いつもの通り、自室に閉じこもって、そして、内側から鍵をかけ、執筆に励もうと思っていたのです。
その時に、私は、不思議な声が聞こえて来るのを感じました。それは、初めは、遥かに遠い所から、小さな小さな音として聞こえて来ましたが、やがて、それが、トナカイに乗ったサンタクロースでも近付いて来る様に、小さな鈴の音が、大きく大きく、響いて来始めた時に、何らかの、キリスト教的なる神秘が、我が身に臨んで来る、という、直観を得ました。 そして、その鈴の音は、やがて、私の近くまで来ると、ぴたりと止まりました。
その後、私は、これは大変な事が起きる、という事を直感致しました。私は、近くにある安楽椅子に、居場所を移して、そして、目を半眼にして、来たるべきものを待ち受けました。
やがて、次なる出来事が、私の周りに起き始めました。それは、鈴の音ではなく、一面に起きて来る、ラップ現象、とでも言うべきものでした。机の上、床、天井、色んな所で、物音がしました。叩くような音です。そして、これは、何らかの、霊の仕業だな、という様に感じました。しかし、これらは、まだ、初歩の出来事であったと思います。
やがて、そうした時間が通り過ぎた後、私は、見てはならないものを、見てしまったのです。それは、窓を突き抜けて現れて来る、一人の、神秘的な、神々しい方の、お姿でありました。その方は、痩せて、背も高く、顎髭があって、そして、聖なる輝きに満ちておりました。
そして、その方の、上げた、右手のひら、を見た時に、そこに、釘を打ち込んだ跡がありました。「ああ、これが、あのイエス・キリスト、その人なのか」と思った時に、私の全身に、戦慄が駆け抜けて行きました。その後、目を凝らして見ると、その、まばゆく光るイエスは、頭に王冠を被っている事が分かりました。その王冠を両手で外すと、イエスは私の方に歩み寄り、そして、私の頭の上に、王冠をかけようとするではないですか。
私は驚きました。一体、何事が、身の周りに起きるのか、といぶかりました。しかし、イエスは、その王冠を、私の頭の上に載せると、一歩後ずさり、そして、静かな微笑みを浮かべました。そうして、ほんの二秒か五秒の時間、であったと思いますが、慈愛に満ちたまなざしで、私の顔を、じっと見られました。しかし、もう、全く、息が止まってしまって、身動きが出来なかったので、私にとっては、その、ごく僅かな時開が、一時間もあったかに思えました。
そして、しばらく私を眺めた後、イエスは、私に、こうおっしやられたのです。その厳かな口を開いて、
「エマニュエル・スウェーデンボルグよ。お前の人生は今日で終わった。お前の前半生は終わったのである。お前は、今日、死に、また、今日、甦りの時を、迎えたのである。
今日から、お前は、新生しなさい。そうして、残りの人生を、私の為に費やしなさい。我が為に生きなさい。我が肉体の復活は、もはや、ないが、我が魂が、かつて復活した様に、お前も、前半の人生は、もはや終わった、と思い、本日、ただ今、死を迎え、そして、また新たに、生まれ変わればよい。
お前の生まれ変わりによって、多くの人々が、魂の蘇生を知るであろう。そうして、永遠の命を得るであろう。
スウェーデンボルグよ。我が為に行なえ。我が僕(しもべ)として働け。余生を、どの様に嘲笑われようとも、どの様に、苦しいものが待ち受けようとも、ただ、ひたすらに、歩んで行け。」
これが、イエスが、私に語られた言葉でありました。イエスの目は、慈愛に満ち、光に満ち、愛に満ち、そうして、悲しみに満ちている様に見えました。その目を見つめた私は、彼を襲ったと同じ運命が、我が身にも及ぶものである、という予感が致しました。やがて、イエスの姿は、次第次第に遠のいて、見えなくなって行きました。
こうして、最初の、奇跡の時が終わりました。私は、この感動を、どの様に表現してよいのか、それに苦しみました。ただ、教会の人々に話をしたところで、私が、イエス・キリストと直接対面した、と言ったところで、決して、決して、信じられる事は、ないだろうと思いました。
また、当時の、私の名声は、ヨーロッパに広がっており、私としては、もはや、この様な晩年において、この様な大胆な事が、或いは、自己犠牲を伴う、決断と行動が、本当に、私の人生にとって、相応しいものであるのか、どうか、考えるに到って、随分と逡巡致しました。
しかし、私は、避けられない運命であるならば、受け入れるしかないであろう、と思いました。どうせ、避け得ない運命であるならば、そして、事の性質からいって、その重大さからいって、私は、この運命の中から、再び出られる可能性は、ゼロに等しい事を感じていました。そうであるならば、運命の中で、運命の人として生きて行こう。その様に思いました。
それから、まもなく、私には、様々な、不思議な能力が、授かる様になって参りました。第一に授かったのは、これは、霊視能力とでも言うべきものであったでしょう。家の中に居ながら、遠くの物を見ることが出来たり、ある人の遺書が、家族の誰もが知らない、秘密の隠し場所に置かれているのが霊視出来たり、そうした事がありました。
そして、その後、私を有名にさせたものの一つとして、何百マイルも離れたストックホルムの火事を、霊視した時の話があります。
パーティーの最中で、あったでしょうか。或いは、違った時であったでしょうか。もう記憶は定かではありませんが、ストックホルムで火事が起きている、という事を、私は語った事があります。この大火事で、大変な被害が出るであろう、という事を語りました。ちょうど、その同じ時刻に、ストックホルムが大火事になりました。それを、一日遅れで新聞が伝えて、大変な評判となった事がありました。
この様な事は、次々と話をすれば、枚挙に暇がありません。こういう霊視能力を、身につけてしまった、という事です。それが、遠くにある物でも、まるで、現在、ただ今、目の前のテレビでも見る様に見えて来る能力でした。
私は、それを、単に、視覚的にのみ見ている、ものだと、長らく思っておりましたが、実は、そうでもない、という事を、知るに到りました。それは、後ほど身についた、幽体離脱、という能力からすれば、私の魂の一部が、遥かなる距離を越えて(その場に行き)、様々な事件を見て来たのではないか、と思えるのです。
こうした、霊視能力に加えて、霊聴能力というものも、ついて来ました。霊の声を聞く能力です。この霊聴能力は様々な精霊の声となって、私の許を訪れて来ました。それは、昼も夜もです。私は、本当に、どうしたらいいのか、自分が、気が狂ってしまうのではないか、と恐れました。そして、やはり、これも、一つの運命として、やがて、受け入れざるを得ない気持ちに、なって参りました。
さらに、私が授かった能力は、予知の能力でありました。先に起きる出来事が分かってしまう、そういう能力を授かったのです。
例えば、知り合いの人と夕食をしていると、急に、その人の工場で、火が燃え、火事になるのが見えたりした事がありました。そして、その人に注意を促して、すぐさま、帰るように、と言ったところが、馬に乗って家に辿り着いてみると、ちょうど、工場では、火花がスパークして、まさに、火事になり掛けんとする前であった。そうした事もありました。
さらに、私の名を有名にしたのは、宮廷に参内して、そして、私は霊人と話が出来る、という事を実証した、事ではないかと思います。王妃が、私に、亡くなられた知り合いの言葉を所望致しました。その方と王妃だけの秘密であって、他の方には全く知られていない事実が、その時、霊を通して私に教えられた、ので、その通りに申し上げたところ、大変な驚きとなりました。
そして、その方の、顔立ち、衣装、その他について申し上げたところが、生前の、お姿、ご愛用であった物、その物、であったことが知れ、それが、また、私の評判を高めました。いわゆる、霊界と交流する男、霊と話をする男、という事です。
こうした霊能力は、他の霊能者にも、ある程度は備わっているものですが、私にとって、最も破天荒であった事実は、幽体離脱、という能力でありました。これは、一種の、テレポーテイションと言ってもよいでしょう。生きながら、肉体から魂が抜けて、そして、霊界を探訪して来る、という実験です。この実験の為に、私の余生の殆んどが費やされた、と言っても過言ではないでしょう。
大抵、その、幽体離脱は、睡眠中に行なわれました。夕方から床に入り、そして、身体から魂が抜けて行くのを待ちました。そうして、横たわって、しばらくすると、自分の身体が、小刻みに振動し、やがて、セミが殼を脱ぐように、もう一人の自分自身が、肉体から抜けて行くのを感じました。
この様にして、霊界で、様々な経験をして、明け方頃、或いは、正午ごろ、還って来る事が多かったのです。場合によっては、三日、或いは、一週間、幽体離脱したままになる事もありました。
私は、召使いを、一人置いていたので、この、奇妙な病気が始まる前には、召使いを呼んで、どんな事があっても、誰も近付けてはいけない、部屋の中に入れてはいけない、と命じておきました。なにしろ、私が幽体離脱をしている間、他の人に、その姿を見られたとするならば、私は、全く、死んだ人間同様、であったからです。魂の抜け殼、そのものであって、ベッドに横たわった、死人の様であったからです。もし、違いがあるとするならば、顔には、まだ、赤みが残っていた、という事だけではないでしょうか。
こうした姿で、私は、霊界探訪を始め、そして、霊界の記録を、克明につけ始めるようになって行きました。こうして、私が霊界を見て来た、この事実の報告が、膨大な書物となって、何十巻、或いは、百巻を越える記述と、なって行ったのです。
それは、全く、先駆的な仕事であったと思います。生きながらにして、あの世に出入りする人間も、過去、何人かは居たでしょうが、私の様な、霊界の真実を全て明かす、という、そうした使命をおびて霊界に出入りしていた人は、数少なかった、と思うのです。私は、全く自然科学者の目で、自分の実体験して来た事を、書き綴って来ました。
自分が、実際に、霊界で会った人の話を、また、見た経験を、様々な角度から、書き綴って行きました。それ故に、私が書いたものは、あまり、体系だってはいない、かも知れませんし、多分に、不思議な感覚を与える描写が続いている、かも知れません。
特に、私は、地上に戻って来てから、その、覚えていた事を、書いている訳ですが、これを書くに際して、私の手が、勝手に、ペンを持って走って行く、という形になっていました。これを、今の人は、「自動書記」という言葉で、恐らく呼ぶのだろうと思いますが、私の原稿の書き方は、自動書記そのもの、であったと思います。
さて、私は、こうして、霊界と地上を、またにかける人生を、送ることと、なって行きました。そして、そういう一生を終え、今、こちらに還って、こちらの住人となっている訳です。
こういう人生を送った人間として、私は、いま、地上に、〇〇という人(某チャネラー)が出て、霊界の真実を明かす、という、偉大な仕事を開始された事を、とても、とても、うれしく思います。恐らくは、私が成し遂げた仕事の、数十倍、数百倍にもあたる仕事を、されることだと思います。
また、私の霊界探検物語も、そうした風景として、随分、書き綴って参りましたが、いかんせん、まだ知識としても十分でなく、霊的現象について、十二分に、説明をすることが出来なかった為に、奇々怪々な解説も、あちこちに散見される事と思います。私は、そういう事実を知って、ここで、もう一つ、体系的に、もっと、現在の私の視点から、真実を捉え直してみたい、という思いに、駆られ始めたのです。
そうした衝動から、逃れる事が出来ないでいるのです。こうして、また、地上にいる人々の手を煩わせて、かつて、私が、そうした様に、そう、された様に、霊人となった今、私が、地上に居る人に霊的指導を為して、霊界の真実を明かしてみたい、と思うのです。
私が、現在、居住している空間は、あなた方が、如来界と呼んでいる世界だと思います。八次元、という言い方でも、呼ばれているでしょう。そうした世界に住んでおります。
そして、私が、現在、どの様な仕事をしているか、あなた方は、ご存じかどうか、分かりませんが、この十八世紀から、十九世紀、二十世紀にかけて、世界各国で、心霊ブーム、霊界通信ブーム、というものが起きて来ましたが、こうした、霊界通信ブームの、中心的役割をやっているのが、私なのです。
もちろん、こちらの世界でも、仕事はありますが、私は、生前の仕事の、その引き続きとして、この霊的世界の真相を、地上にいる人達に送り続けたい、と考えて来ました。そういう考えもあって、私達、高級霊界から、次々と、古代で言えば、預言者に当たる様な人々を、地上に出して、彼らを指導して来ました。
今、そうした運動の、心霊通信物の、最右翼と言いましょうか、或いは、最終版と言いましょうか、最も前進した姿、と、言いましょうか、こうしたものの一つとして、日本という地に、私達の念願であった、霊界通信を送ることが出来る様になったのです。
この、霊界通信物のブーム、そのものは、イギリスでも、随分、前から、ありましたし、また、アメリカでも、千八百年代以降、有名になりました。南米でも、信じる人は、数多くいますし、スペイン、ポルトガルの方でも、かなりの人が、こうした、真実の霊界通信を、読んでいます。
けれども、私の世界から見ていて、今、一番不満に思い、かつ、必要に迫られているのが、日本という国での、心霊思想の普及です。
この東洋の国は、二十世紀、或いは、二十一世紀の覇者たるべき資格を持っている、小さな大帝国でありますが、残念ながら、西洋文明の中の、病的な物だけを取り入れて、そして、神理、或いは、心霊思想というものを拒絶し、否定し、嘲笑することを以って、知識的である、知識人的である、という様に、考えがちであります。これは、大変、大変、惜しむべき事であり、残念な事、でもあると思います。
今、ここ数十年の間に、日本という国は、世界のリーダーとなって行くのです。世界のリーダーとなるが故に、日本という国で起きる事態は、全世界の注目の的となるのです。こうした時代に、こうした国において、偉大な奇跡が、起きないはずはない、と、私は思うのです。
いや、起きないはずはない、などという、他所事の様な話をしては、いけないでしょう。かつて、世界の各地で、心霊ブームを起こして来た私達が、日本で、何らの仕事もしないはずがない、と、言い替えても、よいのだと思います。私達は、今、焦点を、この日本の国に絞りました。そして、この国を中心として、様々な、神理の実証、霊界の実証、神の実証、を、重ねて行きたい、と思うのです。
この運動に際し、この試みに際して、私達は、単なる宗派の軋轢や、諍いや、反目というものを超越する事を、約束し合いました。私が、スウェーデンボルグ派と言われる神秘主義的キリスト教を創始した、とも、言われておりますが、私は、もはや、一宗派にのみ属して自らの考えを広める、という考えは、もう持ってはおりません。
全ての偉人達や、高級霊達や、光の天使達が、神の僕として、それぞれに活躍した、という事実を、知ってしまった、今となっては、もはや、一つのリーダーの考え方、のみに依拠して自分を縛る、という事が、どれほど不毛であるか、それは、私自身が、十二分に知っている事でもあります。
私は、こうした現状を顧みて、この、現代の日本で、心霊ブームを起こし、そして、霊界通信ブームを興すつもりですが、これに、非常に知的な役割を与えたい、と願っている者の一人です。
この、新たな心霊ブームに、無知と蒙昧と、或いは、前文明的な匂いを漂わす、のではなく、この心霊ブームの中に、知性と、教養と、理性と、そして、煌めくばかりの感性を、輝かせたい、と、そう願っているのです。そうした願いを込めて、このメッセージを語り続けてゆきたいと思います。
(1988年)
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