以下は、あるチャネラーの方に伝えられた、須佐之男之尊(スサノオノミコト)からのメッセージです。多くの神社などに祀られ、日本の神話にも必ず出て来る方ですが、その実態は殆んど知られることがありません。このメッセージは、それをハッキリと表してくれていると思います。以前ご説明しました様に、地球の霊界の龍神、自然霊などの指導者なんです。少し編集しました。
(ここから)
わたしが、この地上に生まれる時、それは、常に、新たな時代をつくる、草創の時。まだ秩序が確立せず、この地上に神の御心を展開するには、まだ混沌とした時代に、その骨格をつくり、その道筋をつくる、そのような役割を持って地上に降り立っております。
あなた方のように、今、新たな時代をつくる幕開けとして、新たな社会を誕生させる時、それは、ある種の破壊というものをもって、次の時代をつくる、産声をあげさせる道筋となるのです。
わたしがかつてこの国、大和の国に降り立った時、あなた方の意識の中では、神話の時代と呼ばれているのであろうが、わたしは、わたしなりに国づくりに貢献したと思っております。
その時、天上界の指導により、姉、天照大神と呼ばれている方が、天上界の意思をこの地上に伝え、わたしは弟として、そのとき、生命を持った者であります。
なにやら、日本の歴史の中において、わたしは、忌み嫌われる乱暴者というレッテルが張られているように思うが、女性的な調和というものをもって神の心を伝え、人びとの心を平和に導く、そのような役割の方がおられる一方、その意思を、その命として受け取り、日本のあちこちの国に行って、中央集権的な国家の礎として、国を平定して回らねばならない、国家としての基盤をつくらねばならないという、非情に、荒療治のような役割をする者も、あのときは必要であったのです。
なかなか、知的なことを言って、理屈で話をして、わかる者たちばかり住んでいた時代ではなかったがゆえ、荒療治のように、有無を言わさず、この計画を強行したというところは、ややもして、あったかもしれないが、それにより、大和の国という日本の礎、それが後に、日本武(やまとたける)という、日本武尊とあなた方が呼ばれている方も、わたしの仕事の延長にあられる方であるが、ともに国家の基盤というものをつくるために、わたしも頑張ったという自負心があるのであります。
女性的な者が人びとの心を和まし、その優しさと母性により、多くの荒らくれたちの心を治め、国を調和に導き、神の御心を地上に投影することができるのもまた事実。
ただし、女性的なるエネルギーが、光を放とうと思えば思うほど、男性的な力の源である、ときには猛々しい、ときには押しの強い、ときには勢いが強い、そのようなものでバックアップせねば、国家は立ち行かぬことがある。
新たな社会をつくり、新たな理念のもとに国家が誕生する時、常にその理念の後ろ盾となって働く、わたしのような荒神系の者たちが、正義の名のもとに実行していく、国家づくりの基盤をつくっていく、アレキサンダーたちのような者たちが、常に、裏で、骨身を惜しまず働いているということを、忘れないでいただきたいと思う。
それぞれに役割が違うということ。そのことを思っていただきたい。
わたしは、あなた方でいう、裏神、荒神と呼ばれている範疇に、多少、所属しているかもしれぬが、「本来神の役割に表裏なし」と思っている。
役割の違いだけであり、表と言われている者たちが、理念だけで言ったとしても、それを実行していく時に、そのパワーとしての源、それの根源のパワーを持っているのが、裏神や荒神と呼ばれている我々でもあると思う。
今、天地が一体になり、すべての者たちが手を取り合うことにより、地球規模の大改革を行おうとしている。
そのとき、我らが力を無視して、我らが力の協力なくして、新たな時代の産声はあがらない、とわたしは思う。
ときに派手にやり過ぎてしまうので、ご注意も多かろうが、わたしも、あなた方を、ぜひ、あなた方の後ろ盾として協力したいと思うので、よろしく頼みたいと思います。
わたしの手足として動いている龍神たち、龍神は、基本的に、水の中の世界によく住まうというが、山にいる龍神たちというのをご存知であろうか。
山、山岳というのは、本来が、男神たちが住まうところ。仏教とか、よく言うが、山というのは荒々しい男の霊気を秘めている。そこを飛び、その力の自然霊として居るのが、山に住まう龍神たちである。
その者たちの力を、わたしは我が力として、この地上を治めている者である。
山は、時としてすぐ天気を変え、あっという間に雨を降らせ、雷を轟かせ、そして大地を潤し、次の瞬間は、素晴らしい天候で人びとの上に太陽の恵みを降らす、そういう、力の激しい、でもすぐ変わっていくような、変転していくような力を秘めたのが、山の者たちである。
山の神と呼ばれているところに住まう精霊たち、その者たちを治めるのも、また、山に住まう龍神たちの姿でもある。
海には海の、海神という者たちがおり、山の中は、山の神と呼ばれている自然霊、我々の中でいう、山の神という者たちがいる。その者たちが、龍神たちをそれぞれに仲間とし、この地上界の自然というものを守り、治めている。
自然霊は、時として気性が激しく、なかなか、いうことを聞かない時もあるが地球というものが、本来、生まれた時から、あらゆるものの中に自然霊が宿り、大地から、海から、川から、山から、大気、空から、あらゆるものの中に精霊は宿り、自然霊は宿り、地上にいるそなたたち、神の子たち人間たちの修行を、側面から守り、育ててきているのが、彼ら自然霊と呼ばれている者たちの役割なのである。
現代の者たちは、地上にいる、肉体だけがすべてであり、その知に、自分たちの、わずかな知におぼれ、自分たちだけがこの地上を創造しているのだと、地球で、宇宙でいちばん賢いのだ、と思い上がっているが、そなたたちが、今、生きていられるのは、この地球という神霊、そして、その環境を守っている自然霊たちの努力あってこそ、そなたたちの、修行も、地上での生活も、存在し得る、という、自然霊に対する感謝の心というものを忘れてはならぬのである。
そういう大自然の循環の中のひとつとして、地球という神霊の神殿の中に住まう、ひとつの存在であるという謙虚さを忘れるからこそ、この地球を破壊してしまうような、愚かな思いあがりに満ちた振る舞いを、世界中でし、温暖化現象などを含む、この地球を破壊する方向に行ってしまうのである。
その思いあがりは、いつか、そなたたちがやった、自然界に対する法則を無視した姿は、必ずや、自らへの反作用として、そなたたち人類に振り返ってしまうのである。
神は、罰は与えない、当てない。
だけれども、そなたたちが自分でやったことの償いを、自分たちでせねばならぬであろう。その大浄化の時が、反作用がくる時代というのが、今の時代であるかもしれない。
今一度、地球という宮に、我々、神の子たちが、みな、手を取り合って生きていくため、神の愛により、生かされ、今この地上に存在し生きている、その感謝が、もう一度取り戻され、大自然の中においても、神のお心の中において、目に見えぬ者たちに守られているという、愛の中に生かされているのであるという、そのような認識に、今一度、人類は気づかねばならぬ。
龍神という姿を持っているから自然に感謝しろ、というのではなく、そなたたちが、目に見えないと思う世界の中にも、そなたたちの幸せを支えるために、必死に努力している者たちがいるということ。
ひいては、そなたたちの肉体も、この地球という天体の地上において、そなたたちが無償で与えられている、そのことに、今一度気づき、感謝をし、自分たちの魂の立脚点というものを、もう一度取り戻さねばならぬ。
人間は、肉体のみで生きるのではなく、魂という、長い、長い歴史の中におき、それぞれの歴史を刻み、それぞれの成長をし、生かされ、愛され、助けられ、今のあなた方が存在しているということに気づきなさい。
太陽の恵み、雨の恵み、緑の恵み、大地の恵み、海の恵み、ありとあらゆるところから、あなた方は、その人生の恩恵を受けているではないか。
貪ることばかりに夢中になり、生かされている環境に対する、感謝と報恩の心を忘れた時、大自然は、人類、あなた方に、その反作用となる結果をもたらすのである。
(ここから)
わたしが、この地上に生まれる時、それは、常に、新たな時代をつくる、草創の時。まだ秩序が確立せず、この地上に神の御心を展開するには、まだ混沌とした時代に、その骨格をつくり、その道筋をつくる、そのような役割を持って地上に降り立っております。
あなた方のように、今、新たな時代をつくる幕開けとして、新たな社会を誕生させる時、それは、ある種の破壊というものをもって、次の時代をつくる、産声をあげさせる道筋となるのです。
わたしがかつてこの国、大和の国に降り立った時、あなた方の意識の中では、神話の時代と呼ばれているのであろうが、わたしは、わたしなりに国づくりに貢献したと思っております。
その時、天上界の指導により、姉、天照大神と呼ばれている方が、天上界の意思をこの地上に伝え、わたしは弟として、そのとき、生命を持った者であります。
なにやら、日本の歴史の中において、わたしは、忌み嫌われる乱暴者というレッテルが張られているように思うが、女性的な調和というものをもって神の心を伝え、人びとの心を平和に導く、そのような役割の方がおられる一方、その意思を、その命として受け取り、日本のあちこちの国に行って、中央集権的な国家の礎として、国を平定して回らねばならない、国家としての基盤をつくらねばならないという、非情に、荒療治のような役割をする者も、あのときは必要であったのです。
なかなか、知的なことを言って、理屈で話をして、わかる者たちばかり住んでいた時代ではなかったがゆえ、荒療治のように、有無を言わさず、この計画を強行したというところは、ややもして、あったかもしれないが、それにより、大和の国という日本の礎、それが後に、日本武(やまとたける)という、日本武尊とあなた方が呼ばれている方も、わたしの仕事の延長にあられる方であるが、ともに国家の基盤というものをつくるために、わたしも頑張ったという自負心があるのであります。
女性的な者が人びとの心を和まし、その優しさと母性により、多くの荒らくれたちの心を治め、国を調和に導き、神の御心を地上に投影することができるのもまた事実。
ただし、女性的なるエネルギーが、光を放とうと思えば思うほど、男性的な力の源である、ときには猛々しい、ときには押しの強い、ときには勢いが強い、そのようなものでバックアップせねば、国家は立ち行かぬことがある。
新たな社会をつくり、新たな理念のもとに国家が誕生する時、常にその理念の後ろ盾となって働く、わたしのような荒神系の者たちが、正義の名のもとに実行していく、国家づくりの基盤をつくっていく、アレキサンダーたちのような者たちが、常に、裏で、骨身を惜しまず働いているということを、忘れないでいただきたいと思う。
それぞれに役割が違うということ。そのことを思っていただきたい。
わたしは、あなた方でいう、裏神、荒神と呼ばれている範疇に、多少、所属しているかもしれぬが、「本来神の役割に表裏なし」と思っている。
役割の違いだけであり、表と言われている者たちが、理念だけで言ったとしても、それを実行していく時に、そのパワーとしての源、それの根源のパワーを持っているのが、裏神や荒神と呼ばれている我々でもあると思う。
今、天地が一体になり、すべての者たちが手を取り合うことにより、地球規模の大改革を行おうとしている。
そのとき、我らが力を無視して、我らが力の協力なくして、新たな時代の産声はあがらない、とわたしは思う。
ときに派手にやり過ぎてしまうので、ご注意も多かろうが、わたしも、あなた方を、ぜひ、あなた方の後ろ盾として協力したいと思うので、よろしく頼みたいと思います。
わたしの手足として動いている龍神たち、龍神は、基本的に、水の中の世界によく住まうというが、山にいる龍神たちというのをご存知であろうか。
山、山岳というのは、本来が、男神たちが住まうところ。仏教とか、よく言うが、山というのは荒々しい男の霊気を秘めている。そこを飛び、その力の自然霊として居るのが、山に住まう龍神たちである。
その者たちの力を、わたしは我が力として、この地上を治めている者である。
山は、時としてすぐ天気を変え、あっという間に雨を降らせ、雷を轟かせ、そして大地を潤し、次の瞬間は、素晴らしい天候で人びとの上に太陽の恵みを降らす、そういう、力の激しい、でもすぐ変わっていくような、変転していくような力を秘めたのが、山の者たちである。
山の神と呼ばれているところに住まう精霊たち、その者たちを治めるのも、また、山に住まう龍神たちの姿でもある。
海には海の、海神という者たちがおり、山の中は、山の神と呼ばれている自然霊、我々の中でいう、山の神という者たちがいる。その者たちが、龍神たちをそれぞれに仲間とし、この地上界の自然というものを守り、治めている。
自然霊は、時として気性が激しく、なかなか、いうことを聞かない時もあるが地球というものが、本来、生まれた時から、あらゆるものの中に自然霊が宿り、大地から、海から、川から、山から、大気、空から、あらゆるものの中に精霊は宿り、自然霊は宿り、地上にいるそなたたち、神の子たち人間たちの修行を、側面から守り、育ててきているのが、彼ら自然霊と呼ばれている者たちの役割なのである。
現代の者たちは、地上にいる、肉体だけがすべてであり、その知に、自分たちの、わずかな知におぼれ、自分たちだけがこの地上を創造しているのだと、地球で、宇宙でいちばん賢いのだ、と思い上がっているが、そなたたちが、今、生きていられるのは、この地球という神霊、そして、その環境を守っている自然霊たちの努力あってこそ、そなたたちの、修行も、地上での生活も、存在し得る、という、自然霊に対する感謝の心というものを忘れてはならぬのである。
そういう大自然の循環の中のひとつとして、地球という神霊の神殿の中に住まう、ひとつの存在であるという謙虚さを忘れるからこそ、この地球を破壊してしまうような、愚かな思いあがりに満ちた振る舞いを、世界中でし、温暖化現象などを含む、この地球を破壊する方向に行ってしまうのである。
その思いあがりは、いつか、そなたたちがやった、自然界に対する法則を無視した姿は、必ずや、自らへの反作用として、そなたたち人類に振り返ってしまうのである。
神は、罰は与えない、当てない。
だけれども、そなたたちが自分でやったことの償いを、自分たちでせねばならぬであろう。その大浄化の時が、反作用がくる時代というのが、今の時代であるかもしれない。
今一度、地球という宮に、我々、神の子たちが、みな、手を取り合って生きていくため、神の愛により、生かされ、今この地上に存在し生きている、その感謝が、もう一度取り戻され、大自然の中においても、神のお心の中において、目に見えぬ者たちに守られているという、愛の中に生かされているのであるという、そのような認識に、今一度、人類は気づかねばならぬ。
龍神という姿を持っているから自然に感謝しろ、というのではなく、そなたたちが、目に見えないと思う世界の中にも、そなたたちの幸せを支えるために、必死に努力している者たちがいるということ。
ひいては、そなたたちの肉体も、この地球という天体の地上において、そなたたちが無償で与えられている、そのことに、今一度気づき、感謝をし、自分たちの魂の立脚点というものを、もう一度取り戻さねばならぬ。
人間は、肉体のみで生きるのではなく、魂という、長い、長い歴史の中におき、それぞれの歴史を刻み、それぞれの成長をし、生かされ、愛され、助けられ、今のあなた方が存在しているということに気づきなさい。
太陽の恵み、雨の恵み、緑の恵み、大地の恵み、海の恵み、ありとあらゆるところから、あなた方は、その人生の恩恵を受けているではないか。
貪ることばかりに夢中になり、生かされている環境に対する、感謝と報恩の心を忘れた時、大自然は、人類、あなた方に、その反作用となる結果をもたらすのである。
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