アセンション アシスト ASーAS

地球とは、本当はどういう所でしょうか、情報を集め、知っていくページです。

神の国と仏国土

2019年02月12日 | 宗教
ここまで、霊界からの霊人の方々のものとされる、色んなメッセージをご紹介して来ました。

私は、そうした方々が、物理的世界から見たら形が無いように思われる霊界という世界で、エネルギー体だけの姿であったとしても、そこに必ず存在される事を信じて、情報をご紹介しているわけです。

これまでのメッセージの中に、神の国、あるいは、仏国土という言葉が、何度も出て来たように思います。この言葉について、少し考えてみたいと思います。

先だっての、モーゼという方のメッセージ、にもありましたが、霊界の指導者の方々は、もちろん、神と呼ばれている存在が、本来は、創造主や大いなる全てのことである事は、理解し認識しておられるわけであり、その上で、地上に預言者として出られた、霊界での言わば同朋である救世主の方々に対して、ご自分たちを神と自称して、霊界からの指導をして来られた、というのが実情だったという事が、諸々のメッセージの内容を総合すると分かって来ました。

つまり、神にも、種類と言っては何ですが、色々あったということですね。

これは日本の霊界においても同じで、日本の霊界の指導層の霊人の方々は、やはり自らが神を名乗って、地上の受信者である、いわゆる巫女のような方々に、指導のメッセージを送られて来ていた、ということです。それが日本神道の神々であった、という事ですね。そのことが分かりました。

そして、それは、ある意味、方便であり、決して創造主の事などが認識されていなかったわけではなく、むしろ、地上の人々の理解度に合わせて、の事だったわけです。そして、先だっての出口王仁三郎という方のメッセージにもあった様に、神と言っても、八百万の神々から神霊の方々まで、ちょっと、何が本当の神の具体的な実体なのか、一般人には、はっきり分からなくなって来ていたという事もありました。でも、その事の実情が分かったということなんです。

で、もう一つ、これは、レプティリアンが、地球の地上の人々を支配する為に自らが神を自称したのとは、意味合いが全く違うという事も、考えに入れておく必要があるのではないでしょうか。今回の文明が、何やら余計に分りにくいものになったのは、このレプティリアンというものが介入した為でもある様にも思います。

あくまでも、人間である霊人の方々が神を自称されたのは、地上の人々を善導する為、であり、何の何兵衛(古い言い方ですが)を名乗ったのでは、地上の人々には受け入れられないという事を考慮されたということなのでしょう。

で、そうした諸々の事が、今の時代には、有能なチャネラーを通じて、全て明らかにされる段階が来ている、という事なんです。人々に、科学的な視点や、これまでとはもう少し大きな意識、判断力が出来てきて、そうした事も受け入れられる素地が出来てきたという事なのでしょう。少なくとも、私が集めた情報の中では、そうした事情がはっきりと見えて来たということです。ならば、その全てを、最大限に最良の形で受け入れ、理解したいというのが私の考えなんです。

そうしたことからすれば「神の国」と言う言葉の意味するところが何であるかと言えば、それは、より大いなる宇宙の意識、意思が求める、地球の、より良い状態のことですね。それは、全ての人々が、行動の動機を、少なくとも善なるものに置いている世界、ということになるのではないでしょうか。

それは、決して、幾人かの神を自称する存在たちの、支配の為の地上世界ではない、と、いう事なんです。つまりレプティリアンやルシファーが意図しているような、誰かが誰かの上に立つような世界ではないという事です。あるいは、人々が相争って、お互いの利益や権益を競って奪い合う世界ではない、ということなんです。

それでは、仏国土と言った場合、それは、どの様なものを指すのでしょうか。

仏(ホトケ)というものが、過去のインドという地域に実在したゴータマ・シッダールタという方の教えが、中国を経て日本に伝わる段階で「仏」の字を当てられ、進化した霊界の霊人(神霊)などの霊的存在を称する時に用いられたことに起源を発する概念(実体を総合して表わす言葉)であり、そうした神霊や霊的存在を仏、則ちブッダ(覚者)と呼ぶことは、そのゴータマ・ブッダの、それ以前の過去の転生に於いても存在しなかった呼称であるという事は、認識しておく必要があります。

既にご紹介したメッセージにもありました様に、ブッダご自身も、過去世では、ギリシャのヘルメスですとか、ムー文明でのラ・ムーでしたか、あるいは分身としてはインカ帝国に出られた例もあるように、様々な形で人々を導いて来られ、決して、インドのブッダとしての在り方だけではなかったわけです。

そして、その言葉の意味するところは、やはり、神の場合と同じです。大日如来ですとか釈迦牟尼仏もそうですが、先だっての、大天使ミカエルの、摩利支天ですとか、そうした方々も、仏教では、皆んな仏(○○仏)とされていますが、仏の実態は、霊界の指導者である霊人、あるいは、神霊の方々だという事なんです。つまり、これまでに神とされて来た存在と、仏とは、実体は同じだということです。

ですから、ここの記事で、メッセージを掲載する時に、編集の段階で、元の情報に仏国土とある場合に、神の国、と書き換えた例も、あることはあるんです。つまり歴史的に仏教に限られた仏国土という言い方を、より普遍的な神という言葉を使った言い方にすべきでは、と思ったわけです。本来は仏と神とを分けるのではなく、神なら神に統一されていくべきだと思ったからです(このことの判断の是非はあるでしょう)。

そして、将来の地球を表わす言葉の普遍性ということで言えば、先だっての出口王仁三郎メッセージに、あるいはシュヴァンツェルメッセージにも出て来ましたが、ユートピアという言葉が、より広範に通じるのではないでしょうか。意味的には、理想郷というぐらいの意味でしょうか。そうした呼び方が、より普遍的なものではないかと思います。

要は、アセンション後の、全ての人々が、お互いに分かち合い、支え合って暮らす地上の黄金時代のことを言うわけです。神の国でも仏の国でも、別に呼び名としてはどちらでもいいわけでしょうが、(どちらも本来同じものを意味するという)真実が知られるにつれて、より普遍的な言い方がされて行くのではないでしょうか。

類似の言葉としては、桃源郷ですとか、乳と蜜の流れる土地(?)ですとか、楽天地ですとか、パラダイス、色々あると思います。それらは、どれも、今の、この世界が将来的に移行して行くべき、未来の黄金時代の地球の姿を言っているという事なんです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿