これは、前回のキリストのメッセージの続きです。いろいろと興味深いことが語られています。先頃、クムランの洞窟内から、死海文書と言われる聖書の別のバージョンが発見されたと言われておりますが、その場所についても語られております。元はインタビューですが、通常の文章に編集してあります。カッコ内は補注です。
(ここから)
(現在の)キリスト教には「懺悔思想」と(でも)いうものがあり、そこには、人間を″罪の子″として規定しております。これは、後世の神学者たちが考え出したものか、と言いますと、そうでもありません。
私も、やはり、そういったことを説きました。それは、残念ですが、少なくとも私が理解している所まで、人々が従いて来ないために、便法として、低い段階の悟りであっても、説かざるを得ない、ということがあったのです。罪の思想が、なぜあるか、(それは)当時の社会が、非常に乱れていた(ことが根底にあった)ということです。
魔が跳梁し、悪魔の頭(かしら)たちが徘徊し、殺戮はするわ、強盗はするわ、あるいは、婦女子は暴行されるわ、風紀は乱れ、様々の悪が、はびこっていたわけです。こういうことを正すための、禅でいうならば、一転語ですね「活」として、人間罪の子、ということを言ったわけです。これは一転語なのです。真実ではありません。真実(としては)人間は罪の子ではありませんが、そうしたことを教えることによって、彼らを反省に導く必要があったのです。
では、当時の、そういった世相の中に、人間は神の子であって実相は完全円満である、といったことを、もし私が説いたとすると、では、その神の子が、こうやって人を殺しているのか、これだけの悪政を布いているのか、これだけ様々な罪悪が、はびこっているのは、これは、神の子の仕業なのか、そういったことになるのですね。ですから、人間、神の子であって、完全円満であるということを説く(一歩)前の段階においては、こういった、第一段階の否定が必要なのです。
人間は神の子である、という前に、人間は罪の子である、と、いったん否定するわけです。人間は罪の子であると、更に、これが否定されて、やはり、人間は神の子である、ということになるわけですね。本来は神の子である、ということを悟らせるために、ひとまず、その、罪の子である、という意識に目醒めさせる必要があったのです。
ですから、今、その罪の子の思想は、人々に害毒を流している面がありますが、当時の世相を見て、人々を善導するためには、あなた方は決して正しくないのですよ、あなた方は自分が正しいと思ってやっているかも知れないけれど、そういうあなた方も間違っていて不浄なんですよ(と、ひとまず言う必要があった)。
これは、釈迦の説かれた教えの中では、初期の不浄観ですね。不浄、人間は穢(けが)れたものである、肉体は罪、穢れである。こういった、いやらしいものから逃げ出さなければいけない、こんな苦しみの世界に生きていることは、辛いことだ。「極楽往生」することがいいのだ、と、こういったことを、釈迦は、初期に説いております。
そういう、不浄観、ですね。「無常観」でも結構です。厭世観ですね。これに当たるものとして「罪の子」の思想があるのですが、これは、更に発展させ昇華させる必要が、本来、あったのですが、私としては、そこまで説き得なかったし、私の弟子達に、そこまで説くだけの力がある人が、いなかったのです。ですから、罪の子の思想というものは、後世の人が説いたわけではなくて、私も現に説いております。それは、間違いではなくて、ある段階までの教え、だということです。
優れた人達までを、罪の子としてしまう意味はないのです。
(ところが)後世になって、(その事を誤解し、過剰に)反省した方々は、例えば、教会の方々、その他、有徳の人達が、自分は罪の子だとして自分を苛めているのです。こんなことは、正しいことではないのです。
そういうことを(本来)私は言いたくなかった。(本当は、良くない)人々に反省をさせるための、一転語、活、として、罪の子の思想を打ち出したのです。これ(良くない人々に反省を求めること)は、当時、画期的な事件だったのです。
現在においても、この点は、そのまま、人間は罪の子であるということ、罪を背負って生きているのだ、と、未だに、連綿と続いているのですが、それは、仏教においても「業」の思想というものがありますから、それは一緒ですね。(まあ、ある意味)一種の真理ではあります。
人間が完全無垢な存在ではないことは(どなたも)ご存知のはずで、ですからこそ、転生輪廻という修行の場が与えられているのです。ですから、罪という言葉に、とらわれてはいけないのです。罪に囚われてもいけないけれども、罪という言葉にとらわれてもいけない。人間には「業」があるといってもいい、あるいは、何らかの作用をしたから、反作用がある、という言葉でもいいのです。
ですから、人間が生きていくうちには(周囲に)様々な作用を及ぼしているわけですから、世界に対し、人々に対し(やったことには)その反作用がある、ということですね。正しいことをしたら、正しいことが返ってくるし、愛を人々に蒔けば、愛が返ってくる。人々に対して、つらく当たり、人々を苦しめると、苦しみが返ってくる。こうした世界になっています。
ですから、その、罪の思想、罪の子という思想は、その世界の半面を捉えたものです。人間は、罪の子であると同時に愛の子であり、神の子であるのです。罪の子の面は、どうしても匿し難い影の面ですが、これは現にあります。
けれども、愛の子でもあるのですね。罪を行えば苦しみが来ます。しかし愛の行為を行えば愛が返ってきます。それは、神の子としての褒賞です。そういった面があります。片面だけを捉えたものです。けれども、仏教の中にも、同じ様な思想が流れているはずです。
次に、これは聖書の四福音書の中に書かれている事柄で、私が、当時、非常な霊能力者で、数々の奇蹟を行ない、特に、ガリラヤ地方の山上での説法の時に、集まった群衆、約五千人に対し、夕餉(げ)のパンを全員に分け与えたという奇蹟(について)ですが、これは事実、歴史上の事実です。事実として、五千人の人にパンを与えることが出来ました。
こういったことは、(本来)余り望ましいことではないし、必ずしも正法には必要ないことですけれども、例えば、あなた方の様に、学問が進み、文明が進んでいる(時代の)人々にとっては、「理」をもって正法を説くことが出来るのですが、当時の、非常に学問のない無明の人々にとっては、奇蹟というものを通さずしては、神を信ずることは出来なかったのです。
ですから、私は病人を癒しました。盲目の人を目明きにしました。躄(いざり)も、立って歩ませました。
しかし、そうしたことだけでは、まだまだ足りない。(ですから)様々な奇蹟を起こしました。パンを五千人に裂いて与えました。こういったことは、本来は、正法の正道ではないのですが、(とにかく)人々を信じさせなければいけない。意識のレベルの低い段階においては(そうしたことも)必要だし、また(それが)可能だったということです。
それはそうでしょう。現代でも、物理霊媒による物品の引き寄せ(が出来る)ということはご承知のはずです。これは、全然、別の場所、違う所から真珠を取り寄せたり、色んな物を取り寄せることが出来るのです。それが現に出来るのであれば、パンをここに引き寄せることぐらい簡単に出来るのです。その程度の力は、私達よりも遥かに下のレべルの「諸天善神」でさえ出来るのです。
ですから、我々がやろうと思えば、もちろん出来るし、モーゼにしても、様々な奇蹟を起こしました。それは、奇蹟が必要な時代だったからです。人々が「験(しるし)」を、「証(あかし)」を、求めている時代だったから、そういったことをしなければならなかったのです。
けれども、そうしたことをしたために、かえって私の神格化が進み、正法の知的な理解を妨げる(ことになったという)面も大きいのです。
私を、例えば、神の一人子として、特別な人間として、崇拝してしまう。(本来は)そうではないのであって、誰もが、本来の心性においては、神と変わらないのです。全ての人間が、本来、神の心を持っているのです。
だから、特殊な人間が出来ることではなくて、全ての人間には、私と同じような心があります。ただ、磨き方が多少違うかも知れません。しかし一緒なのです。そういう、平等観というものがあります。全ての人間は、神と同じような珠として輝くことが出来る。にもかかわらず、珠の表面が曇っているために、光を発していないだけです。
ただ、私も同じ珠なのですが、私は、心して、よく磨いているために光が強くなっているけれども、他の一般の人は、同じ珠なんだけれども余り光っていない(という)だけのことです。
磨けば光るのです。そういったことですね。それだけの、知識も能力もなかった者と一緒に「法」を説かなければならなかった、という状況だったわけです。残念でしたが(それ以外のやり方では)出来なかった(という)ことです。
後世の人から見れば、あなた方が、これからやろうとしていることも(事と次第によれば)ぎこちない(?)ことになるかも知れません。そういう意味で、充分、心してやっていかねばならないでしょう。
あなた(質問者)は、(いま)ひと言、ひと言、反射的に質問し、話していますが、後世の人に、その時々のあなたの質問の内容は、レべルが高いとか、低いとか、言われるようになるのであって、今後、そのことについて頭を悩まさなければならなくなるでしょう。ですから、あなた、いろいろ聴きたいことがあるでしょうが、千年後、二千年後の人の立場に立って、いま聴いておかねばならぬことがあれば、聴かなければいけないのです。
私は、イエスとしての使命と、あなた方の指導霊としての使命と、両方を持っているわけですから、今回、指導霊としての私が、前半を語り、イエスとしての私が、後半を語ったと思ってくださればよろしいです。
今後の、大きな変動後の世界の、やがて生れる新しい地球での、私の、地上への「再臨」ということですが、私の再降誕ということも、あなた方の(今回の正法流布の)事業の出来如何によっては、また予定が変わってしまうのです。その意味で、私のためにも、あなた方に頑張ってほしいのです。あなた方の(なされる活動の)出来具合によっては、今後の計画が変わってくるのです。ですから、どうか後輩のためにも、いい教えを残しておいて下さい。
私も、肉をもって地上に生れると、ただの赤ん坊です。ただの人間です。(その時代によっては、地上で、他に)学ぶべきものがないから、(その時には)あなた方の語ったことを一生懸命勉強して、人々を教えなければならないことになりますので、その時のことを考えて、しっかり今やっておいて下さい。
先日、このチャネリングの席に、マリアが来たのは事実です。
マリアが、私の生母となることは、もちろん、(出生の)かなり前から予定にあったことです。
いま、マリアは、大工の妻として、名が残っております。
当時は、(実は)いろんな宗教団体があったのです。それで、私が生れる数十年から百年くらい前から、エッセネ派という―エッセネというのは、希望という意味です。期待という意味です。―エッセネ派という一つの派があったのです。
今は、(当時)パリサイ派とか、サドカイ派とか(があったと)言われていますが、それ以外に、聖書には出て来ておりませんけれど、エッセネ派という一つのグループがあったのです。これは―エッセネ(期待)という意味で、メシア降臨の期待という意味ですね。メシア降臨を期待するという派の人がいたのです。必ずメシアが出て来る。このイスラエルの地にメシアが出て来る、ということを期待する人達がいて、私の生れる数十年から百年も前から活動していたのです。
当時、マリアも、若き日に、そのエッセネ派に属しておりまして、エッセネ派の、修道女とは申しませんが、女性の会員になって、いろいろと、神に仕える身であったのです。
その頃、エッセネ派には、何人かの女性が活躍されておられましたが、マリアは、その中で一番齢が若かった一人です。その時に、エッセネ派の中にも、霊的な能力を持っている方々が、たくさんいたのですね。
それで、本来ならば、私達の世界(霊天上界)で計画すべきことなんですが、彼らも、地上におりながら、私の生れて来る、母となるべき人は、どの人に委託したらいいか、ということを、いろいろ計画したのです。
それで、当時、私が生れる少し前ですけれど、エッセネ派の中から「救世主」誕生の母となるべき人にふさわしい人というのを、何人か選んだのです。八人ぐらいだったでしょうか。八人ぐらいの女性を選びまして、その中から「救世主」を誕生させるべき人が定まる、そういうことになっていたのです。
それで、マリアは、八人の女性の中の一番下におりました。一番齢が若かったのです。
このエッセネ派というのは、現在の、死海という所の近くにある「クムラン」、クムランという地の、洞窟を中心に活躍していたのですが、そこを、寺院のような形にして住んでいたのですけれども、マリア達、八人の修道女達が、毎日、共同で生活していたのですが、
ある朝のことです。洞穴の中から外を見晴らせる階段があるのですが、いつもは、マリアは最後から歩いていたのですけれど、その朝に限って、マリアが最先端というか、最初に歩いていたのです。その階段を最初に歩いていた時に、ちょうど、朝日が昇って来たのです。その時に、羽根の生えた天使が、マリアに向かって語りかけるのを見た人がいるのです。
それで、それを霊視した人が、他の人々に話したのです。
『マリアの所に、神の御使いが降りた。
救世主を宿すべき人は、彼女に違いない』
と、そういうことが伝わりまして、急遽、マリアが「救世主」を宿すべき女性として選ばれたわけです。
その後、やはりエッセネ派に関係するのですけれど、ヨセフという方がおられたわけです。
この方は、もう当時、三十五、六歳にもなっていたでしょうか。私の肉体の父でありますけれども、マリアは未だ二十歳になるかならないかの、うら若き女性だったのですが、このヨセフが、あるきっかけで、婿として選ばれたのです。
こうして、ヨセフとマリアは、私を生むための夫婦として、エッセネ派の中から選ばれた二人だったのです。
ところが、後世の人達からすれば、ヨセフが、三十六にもなっていて、当時の寿命からいえば、余りにも齢を取っていた。三十代で死ぬ人も多かったし、まあ、(通常は)四十か、あるいは五十で死んでいたのですね。だから、三十六という齢は、今日でいえば、五十か、五十四、五というところでしょう。
若いマリアと結婚しても、子供など出来るわけはないというのが、当時の社会の通念だったわけです。例えば、今でいえば、五十五、六の、定年を迎えた方が、高校か、短大を卒業したぐらいの女性と結婚した、という状況です。子供など生れるわけはない、というような状況だったのです。
ですから、マリアの処女懐妊(説)というのも、そういう背景のもとに生れたのです。
そういう、お年寄り、エッセネ派のお年寄りと結婚して出来た、ということで、だから、処女から生れたのに違いない、と、こういった噂が広がって「処女から降誕」ということになったのです。で、ヨセフという人は、歴史の彼方に消え去ってしまったわけです。
(実際は)そうではなくて、本当は正しい夫婦として生活して、私が生れているのですけれども、当時の人々からみれば、こんな老人と結婚して生れた、ということから、処女から降誕ということになったのです。そうした背景があるのです。
私の兄弟は、おりました。それは、ヨセフの子として生れたことになっております。けれども、これに対しては、いろいろ秘密があるので、全ては申しあげられないのですけれども・・。
兄弟たちは、光の天使として働いたわけではありません。普通の人として一生を送りました。
父のヨセフが、その後、普通の人として一生を送った(かと言うと、そう)とまでは言い切れません。(彼は)やはりエッセネ派の一人でした。ただ、幸か不幸か、分かりませんが、彼が、たまたま、私の父として選ばれたのです。
ということは、私の口から言うことではないのですが、恐らくは、父として選ばれた方が(あまりにも)偉大な方であったならば、私の影が薄れてしまう、ということもあったのではないでしょうか。
ローマ・カソリック教会が出来、教皇庁が築かれたということについてですが、その問題は、なんと申しますか、そう大きな問題ではないと思います。教会を造ったということ(自体)は、そう大きなことではないと思いますが、もちろん、そういうものが出来て来るということは、当然、予定の中に入っておりました。
カソリック法王庁といいますが、あなた方(の場合)は、仏教ですね。仏教が、インドから中国へと伝わって来ましたね。それで、あなた方が、第二集で書物を出される中に、仏教の中の宗祖、または、別の派の七祖という人が出て来ていますが、こういう方々も、もちろん出てくる意義があったわけです。
(ローマのカソリック法王庁に関して言えば)法王庁の中にも、もちろん、(その)歴史(全体を通して見た)中には、偉い方もおられるのです。それは、法燈を絶やさないためです。だから、徒(いたずら)に、私は、彼らの存在を否定するつもりはありませんし、意味がないとも思いません。
(あるいは、また)宗教改革をしたルターも、もちろん、私の意向に添って出たのです。
もう(地上での)私の教えが、(本来のものから)かなり変わって来たから、ここらで改革をしなければいけない、ということから、ルターに命じて、立て直しを図らせたということです。
日本には、内村鑑三が出「無教会派」が生まれ、その後、矢内原忠雄、塚本虎二などの方々が出ましたが、これらも、もちろん意義のあることです。
日本という国には、(元からの)神道があり、(当時、既に)仏教も入って来ております。(そこに、さらに)キリスト教も持ち込まねばならない。日本という国に、将来、こういった(全ての宗教をまとめ上げる)形の「正法」が花開くということが、当時、既に予定されていましたから、その前段階として、明治以来のキリスト者が出てきたのです。内村鑑三以外にも出て来ています。彼らは(皆)私の愛弟子です。その彼らが日本に出て来たのです。
内村鑑三は、十二弟子の一人ではありません。旧約聖書の中に出てくる方ですが、私の、やはり弟手筋に当たります。
(では、今回は、ここまでにしましょう)。次の機会には、もっと、いろいろのことを語りたいと思いますから、それを聴けるだけの、あなた方になっていて下さい。準備をしていて下さい。
(ここから)
(現在の)キリスト教には「懺悔思想」と(でも)いうものがあり、そこには、人間を″罪の子″として規定しております。これは、後世の神学者たちが考え出したものか、と言いますと、そうでもありません。
私も、やはり、そういったことを説きました。それは、残念ですが、少なくとも私が理解している所まで、人々が従いて来ないために、便法として、低い段階の悟りであっても、説かざるを得ない、ということがあったのです。罪の思想が、なぜあるか、(それは)当時の社会が、非常に乱れていた(ことが根底にあった)ということです。
魔が跳梁し、悪魔の頭(かしら)たちが徘徊し、殺戮はするわ、強盗はするわ、あるいは、婦女子は暴行されるわ、風紀は乱れ、様々の悪が、はびこっていたわけです。こういうことを正すための、禅でいうならば、一転語ですね「活」として、人間罪の子、ということを言ったわけです。これは一転語なのです。真実ではありません。真実(としては)人間は罪の子ではありませんが、そうしたことを教えることによって、彼らを反省に導く必要があったのです。
では、当時の、そういった世相の中に、人間は神の子であって実相は完全円満である、といったことを、もし私が説いたとすると、では、その神の子が、こうやって人を殺しているのか、これだけの悪政を布いているのか、これだけ様々な罪悪が、はびこっているのは、これは、神の子の仕業なのか、そういったことになるのですね。ですから、人間、神の子であって、完全円満であるということを説く(一歩)前の段階においては、こういった、第一段階の否定が必要なのです。
人間は神の子である、という前に、人間は罪の子である、と、いったん否定するわけです。人間は罪の子であると、更に、これが否定されて、やはり、人間は神の子である、ということになるわけですね。本来は神の子である、ということを悟らせるために、ひとまず、その、罪の子である、という意識に目醒めさせる必要があったのです。
ですから、今、その罪の子の思想は、人々に害毒を流している面がありますが、当時の世相を見て、人々を善導するためには、あなた方は決して正しくないのですよ、あなた方は自分が正しいと思ってやっているかも知れないけれど、そういうあなた方も間違っていて不浄なんですよ(と、ひとまず言う必要があった)。
これは、釈迦の説かれた教えの中では、初期の不浄観ですね。不浄、人間は穢(けが)れたものである、肉体は罪、穢れである。こういった、いやらしいものから逃げ出さなければいけない、こんな苦しみの世界に生きていることは、辛いことだ。「極楽往生」することがいいのだ、と、こういったことを、釈迦は、初期に説いております。
そういう、不浄観、ですね。「無常観」でも結構です。厭世観ですね。これに当たるものとして「罪の子」の思想があるのですが、これは、更に発展させ昇華させる必要が、本来、あったのですが、私としては、そこまで説き得なかったし、私の弟子達に、そこまで説くだけの力がある人が、いなかったのです。ですから、罪の子の思想というものは、後世の人が説いたわけではなくて、私も現に説いております。それは、間違いではなくて、ある段階までの教え、だということです。
優れた人達までを、罪の子としてしまう意味はないのです。
(ところが)後世になって、(その事を誤解し、過剰に)反省した方々は、例えば、教会の方々、その他、有徳の人達が、自分は罪の子だとして自分を苛めているのです。こんなことは、正しいことではないのです。
そういうことを(本来)私は言いたくなかった。(本当は、良くない)人々に反省をさせるための、一転語、活、として、罪の子の思想を打ち出したのです。これ(良くない人々に反省を求めること)は、当時、画期的な事件だったのです。
現在においても、この点は、そのまま、人間は罪の子であるということ、罪を背負って生きているのだ、と、未だに、連綿と続いているのですが、それは、仏教においても「業」の思想というものがありますから、それは一緒ですね。(まあ、ある意味)一種の真理ではあります。
人間が完全無垢な存在ではないことは(どなたも)ご存知のはずで、ですからこそ、転生輪廻という修行の場が与えられているのです。ですから、罪という言葉に、とらわれてはいけないのです。罪に囚われてもいけないけれども、罪という言葉にとらわれてもいけない。人間には「業」があるといってもいい、あるいは、何らかの作用をしたから、反作用がある、という言葉でもいいのです。
ですから、人間が生きていくうちには(周囲に)様々な作用を及ぼしているわけですから、世界に対し、人々に対し(やったことには)その反作用がある、ということですね。正しいことをしたら、正しいことが返ってくるし、愛を人々に蒔けば、愛が返ってくる。人々に対して、つらく当たり、人々を苦しめると、苦しみが返ってくる。こうした世界になっています。
ですから、その、罪の思想、罪の子という思想は、その世界の半面を捉えたものです。人間は、罪の子であると同時に愛の子であり、神の子であるのです。罪の子の面は、どうしても匿し難い影の面ですが、これは現にあります。
けれども、愛の子でもあるのですね。罪を行えば苦しみが来ます。しかし愛の行為を行えば愛が返ってきます。それは、神の子としての褒賞です。そういった面があります。片面だけを捉えたものです。けれども、仏教の中にも、同じ様な思想が流れているはずです。
次に、これは聖書の四福音書の中に書かれている事柄で、私が、当時、非常な霊能力者で、数々の奇蹟を行ない、特に、ガリラヤ地方の山上での説法の時に、集まった群衆、約五千人に対し、夕餉(げ)のパンを全員に分け与えたという奇蹟(について)ですが、これは事実、歴史上の事実です。事実として、五千人の人にパンを与えることが出来ました。
こういったことは、(本来)余り望ましいことではないし、必ずしも正法には必要ないことですけれども、例えば、あなた方の様に、学問が進み、文明が進んでいる(時代の)人々にとっては、「理」をもって正法を説くことが出来るのですが、当時の、非常に学問のない無明の人々にとっては、奇蹟というものを通さずしては、神を信ずることは出来なかったのです。
ですから、私は病人を癒しました。盲目の人を目明きにしました。躄(いざり)も、立って歩ませました。
しかし、そうしたことだけでは、まだまだ足りない。(ですから)様々な奇蹟を起こしました。パンを五千人に裂いて与えました。こういったことは、本来は、正法の正道ではないのですが、(とにかく)人々を信じさせなければいけない。意識のレベルの低い段階においては(そうしたことも)必要だし、また(それが)可能だったということです。
それはそうでしょう。現代でも、物理霊媒による物品の引き寄せ(が出来る)ということはご承知のはずです。これは、全然、別の場所、違う所から真珠を取り寄せたり、色んな物を取り寄せることが出来るのです。それが現に出来るのであれば、パンをここに引き寄せることぐらい簡単に出来るのです。その程度の力は、私達よりも遥かに下のレべルの「諸天善神」でさえ出来るのです。
ですから、我々がやろうと思えば、もちろん出来るし、モーゼにしても、様々な奇蹟を起こしました。それは、奇蹟が必要な時代だったからです。人々が「験(しるし)」を、「証(あかし)」を、求めている時代だったから、そういったことをしなければならなかったのです。
けれども、そうしたことをしたために、かえって私の神格化が進み、正法の知的な理解を妨げる(ことになったという)面も大きいのです。
私を、例えば、神の一人子として、特別な人間として、崇拝してしまう。(本来は)そうではないのであって、誰もが、本来の心性においては、神と変わらないのです。全ての人間が、本来、神の心を持っているのです。
だから、特殊な人間が出来ることではなくて、全ての人間には、私と同じような心があります。ただ、磨き方が多少違うかも知れません。しかし一緒なのです。そういう、平等観というものがあります。全ての人間は、神と同じような珠として輝くことが出来る。にもかかわらず、珠の表面が曇っているために、光を発していないだけです。
ただ、私も同じ珠なのですが、私は、心して、よく磨いているために光が強くなっているけれども、他の一般の人は、同じ珠なんだけれども余り光っていない(という)だけのことです。
磨けば光るのです。そういったことですね。それだけの、知識も能力もなかった者と一緒に「法」を説かなければならなかった、という状況だったわけです。残念でしたが(それ以外のやり方では)出来なかった(という)ことです。
後世の人から見れば、あなた方が、これからやろうとしていることも(事と次第によれば)ぎこちない(?)ことになるかも知れません。そういう意味で、充分、心してやっていかねばならないでしょう。
あなた(質問者)は、(いま)ひと言、ひと言、反射的に質問し、話していますが、後世の人に、その時々のあなたの質問の内容は、レべルが高いとか、低いとか、言われるようになるのであって、今後、そのことについて頭を悩まさなければならなくなるでしょう。ですから、あなた、いろいろ聴きたいことがあるでしょうが、千年後、二千年後の人の立場に立って、いま聴いておかねばならぬことがあれば、聴かなければいけないのです。
私は、イエスとしての使命と、あなた方の指導霊としての使命と、両方を持っているわけですから、今回、指導霊としての私が、前半を語り、イエスとしての私が、後半を語ったと思ってくださればよろしいです。
今後の、大きな変動後の世界の、やがて生れる新しい地球での、私の、地上への「再臨」ということですが、私の再降誕ということも、あなた方の(今回の正法流布の)事業の出来如何によっては、また予定が変わってしまうのです。その意味で、私のためにも、あなた方に頑張ってほしいのです。あなた方の(なされる活動の)出来具合によっては、今後の計画が変わってくるのです。ですから、どうか後輩のためにも、いい教えを残しておいて下さい。
私も、肉をもって地上に生れると、ただの赤ん坊です。ただの人間です。(その時代によっては、地上で、他に)学ぶべきものがないから、(その時には)あなた方の語ったことを一生懸命勉強して、人々を教えなければならないことになりますので、その時のことを考えて、しっかり今やっておいて下さい。
先日、このチャネリングの席に、マリアが来たのは事実です。
マリアが、私の生母となることは、もちろん、(出生の)かなり前から予定にあったことです。
いま、マリアは、大工の妻として、名が残っております。
当時は、(実は)いろんな宗教団体があったのです。それで、私が生れる数十年から百年くらい前から、エッセネ派という―エッセネというのは、希望という意味です。期待という意味です。―エッセネ派という一つの派があったのです。
今は、(当時)パリサイ派とか、サドカイ派とか(があったと)言われていますが、それ以外に、聖書には出て来ておりませんけれど、エッセネ派という一つのグループがあったのです。これは―エッセネ(期待)という意味で、メシア降臨の期待という意味ですね。メシア降臨を期待するという派の人がいたのです。必ずメシアが出て来る。このイスラエルの地にメシアが出て来る、ということを期待する人達がいて、私の生れる数十年から百年も前から活動していたのです。
当時、マリアも、若き日に、そのエッセネ派に属しておりまして、エッセネ派の、修道女とは申しませんが、女性の会員になって、いろいろと、神に仕える身であったのです。
その頃、エッセネ派には、何人かの女性が活躍されておられましたが、マリアは、その中で一番齢が若かった一人です。その時に、エッセネ派の中にも、霊的な能力を持っている方々が、たくさんいたのですね。
それで、本来ならば、私達の世界(霊天上界)で計画すべきことなんですが、彼らも、地上におりながら、私の生れて来る、母となるべき人は、どの人に委託したらいいか、ということを、いろいろ計画したのです。
それで、当時、私が生れる少し前ですけれど、エッセネ派の中から「救世主」誕生の母となるべき人にふさわしい人というのを、何人か選んだのです。八人ぐらいだったでしょうか。八人ぐらいの女性を選びまして、その中から「救世主」を誕生させるべき人が定まる、そういうことになっていたのです。
それで、マリアは、八人の女性の中の一番下におりました。一番齢が若かったのです。
このエッセネ派というのは、現在の、死海という所の近くにある「クムラン」、クムランという地の、洞窟を中心に活躍していたのですが、そこを、寺院のような形にして住んでいたのですけれども、マリア達、八人の修道女達が、毎日、共同で生活していたのですが、
ある朝のことです。洞穴の中から外を見晴らせる階段があるのですが、いつもは、マリアは最後から歩いていたのですけれど、その朝に限って、マリアが最先端というか、最初に歩いていたのです。その階段を最初に歩いていた時に、ちょうど、朝日が昇って来たのです。その時に、羽根の生えた天使が、マリアに向かって語りかけるのを見た人がいるのです。
それで、それを霊視した人が、他の人々に話したのです。
『マリアの所に、神の御使いが降りた。
救世主を宿すべき人は、彼女に違いない』
と、そういうことが伝わりまして、急遽、マリアが「救世主」を宿すべき女性として選ばれたわけです。
その後、やはりエッセネ派に関係するのですけれど、ヨセフという方がおられたわけです。
この方は、もう当時、三十五、六歳にもなっていたでしょうか。私の肉体の父でありますけれども、マリアは未だ二十歳になるかならないかの、うら若き女性だったのですが、このヨセフが、あるきっかけで、婿として選ばれたのです。
こうして、ヨセフとマリアは、私を生むための夫婦として、エッセネ派の中から選ばれた二人だったのです。
ところが、後世の人達からすれば、ヨセフが、三十六にもなっていて、当時の寿命からいえば、余りにも齢を取っていた。三十代で死ぬ人も多かったし、まあ、(通常は)四十か、あるいは五十で死んでいたのですね。だから、三十六という齢は、今日でいえば、五十か、五十四、五というところでしょう。
若いマリアと結婚しても、子供など出来るわけはないというのが、当時の社会の通念だったわけです。例えば、今でいえば、五十五、六の、定年を迎えた方が、高校か、短大を卒業したぐらいの女性と結婚した、という状況です。子供など生れるわけはない、というような状況だったのです。
ですから、マリアの処女懐妊(説)というのも、そういう背景のもとに生れたのです。
そういう、お年寄り、エッセネ派のお年寄りと結婚して出来た、ということで、だから、処女から生れたのに違いない、と、こういった噂が広がって「処女から降誕」ということになったのです。で、ヨセフという人は、歴史の彼方に消え去ってしまったわけです。
(実際は)そうではなくて、本当は正しい夫婦として生活して、私が生れているのですけれども、当時の人々からみれば、こんな老人と結婚して生れた、ということから、処女から降誕ということになったのです。そうした背景があるのです。
私の兄弟は、おりました。それは、ヨセフの子として生れたことになっております。けれども、これに対しては、いろいろ秘密があるので、全ては申しあげられないのですけれども・・。
兄弟たちは、光の天使として働いたわけではありません。普通の人として一生を送りました。
父のヨセフが、その後、普通の人として一生を送った(かと言うと、そう)とまでは言い切れません。(彼は)やはりエッセネ派の一人でした。ただ、幸か不幸か、分かりませんが、彼が、たまたま、私の父として選ばれたのです。
ということは、私の口から言うことではないのですが、恐らくは、父として選ばれた方が(あまりにも)偉大な方であったならば、私の影が薄れてしまう、ということもあったのではないでしょうか。
ローマ・カソリック教会が出来、教皇庁が築かれたということについてですが、その問題は、なんと申しますか、そう大きな問題ではないと思います。教会を造ったということ(自体)は、そう大きなことではないと思いますが、もちろん、そういうものが出来て来るということは、当然、予定の中に入っておりました。
カソリック法王庁といいますが、あなた方(の場合)は、仏教ですね。仏教が、インドから中国へと伝わって来ましたね。それで、あなた方が、第二集で書物を出される中に、仏教の中の宗祖、または、別の派の七祖という人が出て来ていますが、こういう方々も、もちろん出てくる意義があったわけです。
(ローマのカソリック法王庁に関して言えば)法王庁の中にも、もちろん、(その)歴史(全体を通して見た)中には、偉い方もおられるのです。それは、法燈を絶やさないためです。だから、徒(いたずら)に、私は、彼らの存在を否定するつもりはありませんし、意味がないとも思いません。
(あるいは、また)宗教改革をしたルターも、もちろん、私の意向に添って出たのです。
もう(地上での)私の教えが、(本来のものから)かなり変わって来たから、ここらで改革をしなければいけない、ということから、ルターに命じて、立て直しを図らせたということです。
日本には、内村鑑三が出「無教会派」が生まれ、その後、矢内原忠雄、塚本虎二などの方々が出ましたが、これらも、もちろん意義のあることです。
日本という国には、(元からの)神道があり、(当時、既に)仏教も入って来ております。(そこに、さらに)キリスト教も持ち込まねばならない。日本という国に、将来、こういった(全ての宗教をまとめ上げる)形の「正法」が花開くということが、当時、既に予定されていましたから、その前段階として、明治以来のキリスト者が出てきたのです。内村鑑三以外にも出て来ています。彼らは(皆)私の愛弟子です。その彼らが日本に出て来たのです。
内村鑑三は、十二弟子の一人ではありません。旧約聖書の中に出てくる方ですが、私の、やはり弟手筋に当たります。
(では、今回は、ここまでにしましょう)。次の機会には、もっと、いろいろのことを語りたいと思いますから、それを聴けるだけの、あなた方になっていて下さい。準備をしていて下さい。
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