こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

”読売のドン”ナベツネ死す天寿98歳

2024-12-19 | 日記

読売新聞社のドンの系統だ。
正力松太郎享年84歳。
務台 光雄享年94歳。
渡辺 恒雄享年98歳。
ナベツネが19日深夜2時、都内の大学病院で逝去。
肺炎のため天寿を全うした。
3人のドンは死ぬまで、トップに居座り続けた。
我が学生時代にはタカ派の論客で通っていた。
政治部記者からあれよあれよと読売のトップに上り詰めた。
やがて野球音痴のナベツネは球界のドンといわれ恐れられた。
球界再編騒ぎの当時「たかが選手風情が」と古田敦也選手会会長らに暴言。
物議をかもした。
ホリエモンこと堀江貴文は球界参入をめざした。
後年ホリエモンは悔いた。
「ナベツネに挨拶に行かなかったんだよね。三木谷さんは行ったから」
さほどの権威をふるった。
私もグループ企業の一員。
再編問題当時は、東京赴任中で渦中に放り込まれた。
ホリエモンともメールで頻繁にやり取りした。


株主総会では役員として顔を合わせた。
その当時、少々いつもの眼力がないな、と思った。
前立腺がん治療の直後だったのだ。
それでも下ネタでけむに巻いた。
「アレが役に立たないようにはせんでくれ、と医者に言うたんだよ。ワッハッハ」
読売の役員連中の追従笑いが滑稽だった。
戦国時代の信長の家臣を十二分に想像出来た。
席上、報知の現状を聴かれた。
「即売のお色気面をやめたそうだな?(即売の売り上げは)大丈夫か」
丁度、軽減税率対策で騒がれていた時期。
「その対策です。加えて少年野球(ボーイズリーグ)も軸にしているので、決断しました」
ニヤッと笑ったナベツネの顔を思い出す。

いい意味でも悪い意味でもナベツネ中心の「ヨミウリ」。
動向は知らず内に耳に入る。
我が退職後の6年前のお盆休み前後。
ごく一部の読売関係者は極限の緊張状態にあった。
ナベツネ、当時92歳。
「主筆が8月16日に自宅で酒を飲んで転び、首を骨折。すぐさま病院の集中治療室に運び込まれた」
 他ならぬ、読売新聞グループのドン(代表取締役主筆)の非常事態。
関係者の受けた急報は、こう続く。
「一時はもち直して一般病棟に移されたものの、18日になって容態が急変し、ふたたび集中治療室に入っている」
 容態急変。
読売上層部に激震が走ったのは言うまでもない。
 4年前の14年(当時88歳)にも自宅で酔って転び、腕を骨折。
1カ月あまり入院。
重病説が流れたことがある。
しかし、今回は骨折が身体に重要な個所。
重篤のレベルはその比ではない。
年齢も年齢だ。
 読売関係者が続ける。
「主筆の入院は社員に伏せられていましたが、嗅ぎつけたメディアがあったようです。その社は、訃報の予定稿まで準備したとも聞こえてきました」
メディア界に君臨し、政治をも動かしてきたドン。
 コトの真相を読売広報関係者は、主筆自らのコメントとして回答。
「自宅で転倒して頸椎の一部を骨折し、入院しています。幸い脊髄に損傷はなく、医師からは1カ月ほどで退院できると言われています」
「一般病棟で治療を受けながら、業務書類に目を通すなど順調に回復しています」と重篤の打ち消しに躍起。
 当時のドクターはこういった。
「頸椎が折れると食事や痰を切る力が衰える。誤嚥性肺炎のリスクが急増する。65歳以上で頸椎を損傷すれば1年以内に28%が亡くなる」
それでも94歳から4年、御年98歳まで生きた。
これまでも巨人激励会に車いす姿で睨みを効かせていた。
読売新聞は創業以来「ドン3代」が牛耳ってきた。
世界でも特異稀な新聞社にエンドマークが記された。
個人的には好きではなかった。
何より報知新聞を見下ろすような態度が許せなかった。
だが、好きな言葉で哀悼の意を表す。
「新聞記者は尊敬できない相手でも、尊敬しているかのように取材しなくてはいけない場面もある。この職業のつらいところ。記者商売の悪い側面とも言える。今の若い記者は、どう考えているか気になる。最近はどこか折り目正しく、小さくまとまっている記者が増えた。僕らの時代はもっと泥臭くて粗っぽかった。義理も人情もない、とにかく特ダネを抜きたい一心だった」
◆渡邊恒雄(わたなべ・つねお)1926年5月30日 - 2024年12月19日。肺炎、享年98。東京・杉並区出身。開成中・高-東大ー読売新聞。91年、社長。99年、巨人オーナー(98年~04年)。16年、代表取締役主筆。新聞協会会長、横審委員長など歴任。17年、篤子夫人死去(享年87)。長男・睦(銀行役員)。