大阪キタ梅田の様変わりは急流の如し。
かつて通勤で通いなれたキタ梅田近辺。
退職後から10余年。
今じゃ出かける度に浦島太郎状態。
今じゃ出かける度に浦島太郎状態。

▲昭和36年の大阪駅前(右は阪急百貨店)

▲昭和36年の旧阪急百貨店

▲言い訳横丁=地下に各都道府県別に名産品を並べた店にズラリ。出張帰りにサラリーマンが土産として調達した。奥行きは50センチほど。

▲曽根崎警察署
上の各写真は父から手伝いの褒美にもらった人生初のカメラ。
阪神百貨店の屋上から撮影した大阪駅前。
梅田で亡き父が戦後、玩具店を商いしていた。
阪神百貨店の屋上から撮影した大阪駅前。
梅田で亡き父が戦後、玩具店を商いしていた。
当時唯一の梅田地下アーケードはこの下にあった。
少年時代、クリスマス、お年玉シーズンになると駆り出された。
ダッコちゃん(下の写真)やフラフープ、トミカ(ミニカ)、プラモデルなど飛ぶように売れた。

忙し過ぎて殺気立った年末年始。
遊びたい盛り。
店に出るのが、嫌でいやで仕方なかった。
学校に行くと「エエな。好きなオモチャあって・・・」と妬まれた。
実際は売れない、古いオモチャしかくれなかった。
店の前には阪神百貨店地下食品売り場や映画館があった。
店に出るのが、嫌でいやで仕方なかった。
学校に行くと「エエな。好きなオモチャあって・・・」と妬まれた。
実際は売れない、古いオモチャしかくれなかった。
店の前には阪神百貨店地下食品売り場や映画館があった。
イカ焼きのソースの焦げた匂いが忘れられない。
今朝の新聞(読売)で新阪急ホテルが解体とか。
64年五輪イヤー創業60年の老舗ホテル。
64年五輪イヤー創業60年の老舗ホテル。
昭和100年を迎える新春4日にラストデーと報じられた。

▲大阪新阪急ホテルのネオン(陸橋階段向こう側)
取材や知人友人との待ち合わせでよく使った。
阪急ブレーブスの254勝サウスポー梶本隆夫(故人)の弟・憲史が創業から携わった。
黄金期の勇者V祝賀会を同ホテルで行い、梶本弟が取り仕切った。
阪急ブレーブスの254勝サウスポー梶本隆夫(故人)の弟・憲史が創業から携わった。
黄金期の勇者V祝賀会を同ホテルで行い、梶本弟が取り仕切った。
晩年は同ホテルの重役(常務)に上り詰めた。

同ホテル横のロータリーから25時発車の深夜特急バスがあった。
呑み潰れ最終電車に乗り遅れると利用した。
呑み潰れ最終電車に乗り遅れると利用した。
タクシーで帰還すると1万円札が吹っ飛ぶ。
が、バスだと1500円ほどですんだ。
幸いにも我が住むタウンが終着停留所。
が、バスだと1500円ほどですんだ。
幸いにも我が住むタウンが終着停留所。
寝ていても運転手が起こしてくれた。
便利この上なかった。
便利この上なかった。
今でもあるのだろうか。
懐かしさしかない。
懐かしさしかない。
記者仲間と痛飲した居酒屋が立ち並ぶ「阪急三番街」。
阪急電車に隣接した「阪急ターミナルビル」などいずれも解体される。
色々な思い出深い場所がまた一つ消える。