高校ラグビー決勝戦の日に昭和天皇が崩御した。
89年1月7日朝は凍えそうな寒さ。
粉雪が舞う花園ラグビー場について呆然とした。
そこで初めて中止の決定を聴いた。
そこで初めて中止の決定を聴いた。
スマホなどないポケベルの時代。
大工大高と茗渓学園(茨城)の東西対決は両校優勝になった。
今も中継を見ていて寒さの思い出が甦る。
高校、大学サッカー、ラグビーの決勝戦が終わると「正月」が終わる。
そんな気分がしたものだ。
そんな気分がしたものだ。
当時の我が暮らしにはクリスマス、正月などなかった。
年末年始は厳しい寒中取材の連続。
夜明け前に起き能勢電ー阪急ー環状線ー近鉄。
乗り継ぎに2時間かけて東大阪の花園行き。
元気だった40歳の自分が懐かしい。
乗り継ぎに2時間かけて東大阪の花園行き。
元気だった40歳の自分が懐かしい。
高校ラグビーは花園の3球場に分かれて試合する。
記者席のあるメーン会場の担当ならいい。
だが、それ以外だと吹きっさらし。
だが、それ以外だと吹きっさらし。
体中にホッカイロ貼り付け寒さをしのぐ。
それでも足元からジンジン冷えが襲う。
ペンを持つ指先の感覚は失せる。
ペンを持つ指先の感覚は失せる。
雨雪が降ろうものなら手を呪った。
足元はじゅくじゅくで最悪。
足元はじゅくじゅくで最悪。
無観客なら人いきれもなく、もっと寒々していただろうな。
さて、高校ラグビー決勝戦は東海大大阪仰星VS桐蔭学園。
奇しくも昭和の終わった当日と同じ東西対決だ。
奇しくも昭和の終わった当日と同じ東西対決だ。