毎日のできごとの反省

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書評・零戦と戦艦大和・文春新書

2015-05-10 15:00:39 | 軍事技術

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 ありがちなタイトルだが、案外他にはないようである。九人の論者の討論形式である。タイトルにふさわしいと思われたのは、前間孝則、戸高一成、江畑謙介、兵頭二十八の四氏であった。小生は普通は半藤一利氏は忌避するのだが、本書では比較的まともなことを言っている。 

◎勝てるはずだったミッドウェー(P54)

 重巡・筑摩からの索敵機が米機動部隊の上空を飛んだが、索敵の原則に反して雲上を飛んで見逃し、有名な利根四号機が帰りに発見して初報を出した。秦氏に言わせれば、雲下を飛んでいれば勝てた、という。確かに米雷撃隊は、護衛戦闘機を連れずに行って、零戦にほとんど撃墜されて戦果皆無であったなど、当時の米軍の攻撃は勇敢だったが拙劣であった。

だが急降下爆撃隊は判断も適切であった。珊瑚海海戦の結果を見れば、零戦の強さは別として、米海軍は対空防御は強く攻撃も積極的であった。珊瑚海海戦は祥鳳が滅多打ちで沈没、ヨークタウンと翔鶴が中破し翔鶴は戦列を離れたが、ヨークタウンは飛行甲板を修理して戦線に留まった。瑞鶴はスコールに隠れた幸運で助かった。レキシントンは被害は大きかったが、戦闘航海に支障のなかったのだが、ガソリン誘爆という不運で沈没した。

そして日本艦隊はポートモレスビー攻略を放棄した。この戦訓から考えられるのは、双方で攻撃隊を出して交戦していれば、日米叩き合いで同程度の被害を出したであろう。そこに陸上機が日本艦隊に襲い掛かっていたら、日本の大敗である。いずれにしても、ミッドウェー攻略は放棄したのに違いない。

先制攻撃しても必ずしも米艦隊には勝てない、という傾向は既に珊瑚海海戦からあったのである。搭乗員の損失は日本側の方が少ない、ということを澤地久枝氏が検証している。しかし日本が全力で先制攻撃できなかったからそうなったのであって、攻撃していたら搭乗員の被害は惨憺たるものになったであろう。

マリアナ沖海戦では、米軍は先制攻撃せずに待ち構えた。これは仮説だが、米軍は自軍の防空能力に自信を持っていたばかりではなく、ミッドウェーの戦訓から日本艦隊も米軍程ではないにしても、それなりの防空能力があるから、先制攻撃すれば攻撃隊に、かなりの被害を受けるだろうと判断したのではあるまいか。現に南太平洋海戦も、もろに叩き合いになったが撃沈戦果だけは日本の勝ちである。

しかし、搭乗員の被害は甚大であった。以上閲するに、巷間言われるようにミッドウェー海戦は、索敵が適切で驕慢さがなければ勝てた、というのは妄想である。単にこれらのミスは空母全滅という、一方的敗北というさらにひどい結果を招いたのに過ぎない。現に作戦前の図上演習でも日本軍敗北という予想が出ていたのに連合艦隊司令部、すなわち山本五十六以下は強行したのである。 

◎勝つために必要な覚悟(PP113)

 福田和也氏がドイツの暗号を解読に成功したので、コヴェントリー空襲の日時を正確に知っていたにも関わらず、避難命令を出せば暗号解読がばれる、というのでチャーチルはコヴェントリー市民を見殺しにしたという、比較的有名なエピソードを語っている。それに反して日本では平時の論理を戦時に持ち込んで、人事でも戦略でも失敗したというのである。特に山本五十六の人事は日本的である。ミッドウェーの敗北の責任も取らなかったばかりか、部下にも情けをかけすぎている。その癖黒島人という異常な人物を好んで使っている。情実が客観的判断に遥かに優先されているのである。

 

◎エリートがパイロットに(P155)

 父ブッシュは名門出身なのに真っ先に海軍に志願して二回も日本軍撃墜されている。ブッシュはアベンジャー雷撃機のパイロットで撃墜され、同乗者は戦死したとは聞いたが、二度も落とされているとはしらなかった。だから「・・・日本では、中学にも行けないような貧しい人々が兵隊としてパイロットになり、逆に学徒動員が悲劇として語られる文化です。本当は悲劇ではなく、ようやく欧米並みになっただけでしょう」というのが真実である。

 後年大統領になった人物では、ブッシュは撃墜され、ケネディーは撃沈され後遺症を負い、ジョンソンだったと思うが、B-26に乗っていて、撃墜王坂井三郎機に発見されて撃墜されかけた、というエピソードがあるが、米軍記録によれば、その時ジョンソン機はエンジン故障で引き返したということになっている。フォード大統領も志願し、太平洋戦線で軽空母に乗り組んでいて、台風の被害で危険な目にあっている。これらは全て対日戦であり、欧州戦線ではこのようなことはなかった。やはり対日戦は米国にとっても熾烈だったのである。

 ちなみに、後の大統領で、若かりし頃第二次大戦の前線に居た経験がある者は、ケネディー、ジョンソン、ニクソン、フォードの四人であるが、いずれも太平洋戦線であったのは偶然であろうか。将来のエリートは楽な大平洋戦線に配属されたとは言えまい。そのうち二人は戦死してもおかしくなかったのだから。

◎造船と航空産業の差(P179)

 兵頭二十八氏が堀越氏の「零戦」を読んで烈風の誉エンジンのプラグが汚れてうまく動かないのは、ガソリンのオクタン価が低いからだ、と書いてあったことに初歩的な疑問を感じた、というのである。プラグが汚れる原因には、ピストンリングやシリンダーの工作精度が低かったことによる、外部潤滑油の混焼もあったのではないか。

 とすれば堀越推薦のMK9Aエンジンでも同じことが言えるのではないか。堀越氏は、実際のものつくりの最前線や量産ラインを知らずにいたのではないか、というのである。一般的には堀越氏が生産現場に通じていない、というのは言えると思う。ある機械設計者に聞いたのだが、工場に製作図面を出すと、こんなもの作れるかと突っ返されることが、ままあったというのである。

 図面上では書けるが、溶接しようとすると、そこに手が入らないようなことが、あるのだそうである。設計者はこうして鍛えられているのだが、機体の設計者がエンジンの生産ラインに通じている、というのはトレーニングの場がないので困難であろう。またシリンダー内に潤滑油が入り込み混焼するのは、程度の差があれ避けられないことである。

 ピストンリング等の精度が悪ければ、混焼がひどくなるのも当然である。しかし、その潤滑油というのはクランクケースに貯められたものであって、「外部潤滑油」という別なものを想定しているのか意味不明である。別の著書で兵頭氏は、レシプロエンジンにはオクタン価というものが大切なようです、という明白な間違いを書いている。オクタン価の意味を知らない兵頭氏が堀越氏の意見を批評するのも異な気がする。

 小生は、さらに堀越氏の説明を兵頭氏より深読みしたい。オクタン価が低すぎるガソリンで運転すると、エンジンはブースと圧等の使用制限をしないとノッキングにより使えないので、性能が下がるのは当然である。加えて堀越氏が低オクタン燃料でプラグが汚れてうまく動かない、と言っているのは、使用制限による性能低下に加えて、異常燃焼によるプラグの汚れによって、さらなる性能低下をもたらす、と言っているのではなかろうか。とすれば堀越氏は使用現場を知っているのである。

 ◎後継機ができなかった(P178)

 ここでも兵頭氏はの高高度爆撃機を迎撃するエンジンは、空冷ではだめで液冷が必要である、という持論を言っている。しかしP-47のように空冷大馬力のエンジンに高高度飛行用の排気タービンをつけて成功した例は珍しくない。むしろ多気筒化による大馬力化が可能なエンジンは、空冷の方が作りやすい。なるほど液冷は冷却は確実であるが、V型12気筒が限界で、24気筒にするためにH型、X型、W型というエンジンが試みられているが、成功例は稀であり、皆例外なくトラブルにあっている。

 それでは、V型14気筒ならば、というがエンジン配置には振動に対するバランスが必要であるのと、クランクシャフトが長くなり過ぎて精度が確保できないのである。V型12気筒のシリンダ容積を増やせば良いのだろうが、冷却に必要なシリンダ面積は寸法の二乗に比例し、発熱量はシリンダ容積だから、寸法の三乗に比例する。つまり発熱に見合った冷却可能な限界が存在するのである。当時の液冷エンジンは、当時の技術水準で冷却可能なシリンダ容積の限界に達していたのである。

 本書の兵頭氏は、いつもの冴えが見えない。アイオワ級は33ノットまで出るのに、大和は27ノットしか出ないから高速空母艦隊に随伴できない(P119)、と言ったのを清水氏に、サウスダコタ級は同じく27ノットだったが、必死に空母について行っているから、作戦次第だと反論されている。その通りであろう。一体空母が全速を出すのは発艦作業するときなのだから。

米海軍で33ノットが出せたのはアイオワ級4隻だけで、ノースカロライナ級、サウスダコタ級6隻だけが27~28ノットであり、その他大勢は23ノットがやっとの鈍足だった。ただし、大和級とアイオワ級の対決となった時の速度差は、間合いの主導権を取られたであろう、という指摘は正しい。一体東郷艦隊は、優速と比較的小口径の多数の砲の、多量の射撃でバルチック艦隊を撃破した。

日本海軍はその後の大口径砲の威力の魅力に負け、常に保っていた米艦隊よりの優速というセオリーを放棄した。そもそも大和が30ノットを放棄したのは大口径砲搭載の他に、主機の温度と圧力が低く、小型で高出力の主機を設計できなかったことにある。その原因はひとえに技術力の差と言うしかない。