他の本で名前を聞き、図書館で検索したら、この本が出てきた。類書は数えきれないだろうからと、期待をかけずに借りたが、予想に反して新鮮な視点から書かれていた。名の売れた航空ライターの常識にとらわれず、自ら検証している。
最大のものは、常識になった感のある、20mm機関砲の小便弾説である。20mm機関砲弾は威力はあるが、初速が低いので命中するまでに落下するために命中しにくいので、弾道が直線的なで命中しやすい7.7mm機銃をパイロットは好んだ、というのである。
氏は簡単明瞭に「・・・たった200mばかりの射距離では、発射された弾丸が空中で『曲がる』ことなどあり得ない」(P93)というのである。小生などもそんな簡単な物理の問題に気付かなかった。
煎じ詰めれば、敵の後上方から角度を以て追撃し射撃すると、相手は前進するから、照準器の真ん中に敵を捕らえていると、少しづつ機首上げの運動になる。すると敵機に対して相対的に弾丸は下方に向かっているように見える。それが曲がって見えるのだ。7.7mm銃はパイロットの正面にあるから、同じ錯覚があっても見えにくい、ということである。
簡単な計算をしてみよう。水平に飛行する速度400km/hの敵機に対して、後方200mの距離から、水平に対し角度10度で降下しながら400km/hで攻撃に入り、照準器の真ん中にとらえていたとする。その瞬間20mm機関砲を初速600m/sで発射する。この時間を基準T0時とする。
以下次のように考える。弾丸がT0時の時の敵機の位置に到達したとき、前進してしまった敵機を相変わらず、照準器の真ん中にとらえ続けているとすれば、弾丸が照準器中の敵機のどのくらい下に見えるかを計算すればよいのである。
弾丸は初速プラス自機の速度で減速しないで200m移動するものとすれば、0.28s後にT0時の敵機の位置に到達する。その間に自機はわずか31mしか移動しないから、自機の降下角度は相変わらず10度としても誤差はほとんどない。簡単な幾何学計算をすると、敵機の下5.5mの位置に最初に発射した弾丸が見えることになる。
この間に実際に弾丸が水平軌道からどの位自由落下しているか計算する。計算は落下距離h、落下時間t、重力加速度をg=9.8m/s2とすれば
H=gt2/2
というのが物理の公式であり、h=0.38mとなる。この数字は「・・・この程度の時間では、ほとんど重力で落下することはなく」(P88)というのでもなく、案外大きいのだが、それでも実際の落下高さよりも15倍近く下に弾丸が見えるのだから、小便弾に見える原因は確かに目の錯覚である。降下角度を15度、20度と増やせば小便弾の錯覚は大きくなる。
子供のころ、道路から数メートル離れて、走る車に粘土を投げたことがある。ど真ん中を狙ったつもりが、車に近づくと粘土は急に曲がって、車の後方に逃げてしまう。走っている車を目で追いかけてみるから、このような錯覚がおきる。本書の説明はこれとほぼ同じ原理である。子供も考えるもので、思い切って車の数メートル前に向かって投げたら、見事に当たった。怒った運転手に追いかけられ、田圃の中を友達と必死に逃げた、というのが落ちである。
これも余談になるが、本書でまともに取り上げられた零戦のエースは坂井三郎だけであるが、岩本徹三という坂井よりもスコアが上だったに違いないエースがいる。彼は最初の空戦前から、50mの射距離による射撃を地上で練習し、初陣で実行したという。岩本は坂井と違い零戦の軽快な機動は使わず、優位な高位からの垂直に近い降下による、いわゆる一撃離脱に徹している。しかも20mm機関砲の破壊力を生かしたというのである。
例えば500km/hで水平飛行する敵機に500km/hで垂直降下して、20mm機関砲を初速600m/sで50mの距離から発射すると、命中までに敵機は約9m進んでいる計算となる。100mからなら行く17m程度進む。敵前方を見越し射撃しなければ当たらないのである。岩本は操縦ばかりではなく、射撃もうまかったのである。
本書には書かれていないが、零戦は軽快に機動して空戦していたばかりではない。支那事変では敵はI-15のような複葉機が多く、零戦より遥かに旋回性能が良いから、零戦の方が一撃離脱戦法を多用したという記録もある。岩本は一撃離脱戦法を支那事変で学習して身に着けたのであろう。特に高位からの攻撃に徹して、無理な攻撃せず、合理的な戦闘方法に徹していたことかが自伝で読める。本書で言う、カタログデータより運用次第で零戦も勝てる、という見本であろう。
次は無線機が役に立たなかった、という常識である。「・・・軍はメーカーにその代金を払っている。もちろん使えない装備に予算を使うわけはない」(P94)という当たり前のことをいうのだ。だから納品時には使えないはずはないのだが、なぜか前線では全然使えない、と言われるのも事実である。
結局南方基地の超高温・超多湿環境で、進出直後故障してしまい、部品の供給ができない外地では修理ができなかったというのである。ソニーが戦後トランジスタ・ラジオを輸出したら高温多湿の船倉内でほとんどが腐食してだめになった例を挙げて証明にしている。以前、九六式艦戦の無線機はよく聞こえたのに、零戦のは全く駄目だった、という記事を不可解に思ったが、主として補給も整備もよい本土近くで使われていた九六式ならそうだったのかも知れない。
また無線封止のため調整できなかったことや、周波数帯が狭く設定されていることに原因があったことから、運用のまずさがあったらしいことも突き止めている。それ以外にも、氏は空戦の敗因にも、運用のまずさが起因しているものが多く、初期には米軍もミスを犯していたが、次第に改善されていたことを指摘している。
防弾装備については、米軍機も8mm厚の装甲だったから7.7mmには有効でも、13mm機銃弾に対しては終戦まで防弾しておらず、日本陸軍機と独軍機は対13mm装甲を施していた、(P181)というのであるが、陸軍機の場合には防弾板の有効性に優劣があったと言うことを米軍のレポートで読んだことがある。隼あたりでも防弾装備により、大戦後半では零戦より米軍の評価が良くなっていたそうである。
本書は139ページ以降は戦闘についての描写がほとんどになっている。その中で一般的には、戦闘方法や作戦等の考慮や後方支援により、飛行性能よりも重要な結果がもたらされている、ということが強調されている。氏のいうように、日本の航空ライターはカタログデータにとらわれ過ぎているのである。
ただ全般的には、小生の持論である、対空火器の効果の優劣がほとんど評価されていないのには疑問が残る。珊瑚海海戦の海軍の戦訓についても、この点の言及はないが、パイロットの記録には、対空砲火の凄まじさが書かれている。ただミッドウェー海戦の戦訓として対空砲火が極めて不正確で1000~2000mもそれていた(P221)と書かれている。また、ガダルカナルでも、米軍も食料が尽きかけ、重火器もほとんどない、という状態の危険な時期があった(P240)と述べられているが、海軍の航空攻撃と陸軍の攻撃との連携のなさについては言及されていないように思われる。
ミッドウェー海戦については、簡単に述べる、と言っている割には陸上機と艦上機の連続攻撃について時系列的によく整理されている。これを読めば、いくら防空隊が連続攻撃をうまく排除し続けたとしても、日本艦隊はいつかミスを犯して、致命傷を負う確率大であると納得できる。巷間では作戦がばれていたことや索敵がお粗末だったことばかりがいわれているが、ミッドウェー攻略は土台強襲だったのであって、リスクは元々大きかったのである。米軍の上陸作戦が艦艇、航空機ともに圧倒的優位な条件で戦っていたのに対して、ミッドウェー攻略では航空戦力ですら日本軍の方が劣っていた。
最後に「紫電改」にも負けない活躍(P343)と書かれている。氏の言うように巷間の紫電改伝説はあまりに出来過ぎなのであろう。紫電改は優秀ではあったとしながら「・・・集団戦では飛行性能と戦果は直結しない。戦果を決定する要素は、運用・戦術とチームワーク、そして火力。」として五二型丙では火力では紫電改に劣らなかったので、戦い方次第では新型機と同等かそれ以上のスコアを上げることができた、と述べているのが本書の結論なのである。
現に隼Ⅲ型や五式戦なども、カタログデータは圧倒的に米軍機に劣っているが、使い方次第では米軍機に優位に戦っている。恐ろしく鈍足のはずの隼で檜与平氏は低空で逃げるP-51を追いかけ回して、逃がさず撃墜している。いずれにしても従来の航空ライターにない視点は実に面白い。