1.共産主義とは
共産主義理論の根本は労働価値説である、と小生は単純に理解している。労働価値説とは、生産物の価値は労働によってしか生まれない、というものである。ところがやっかいなのは、マルクスが考えた共産主義理論における「労働」とは、国語の意味で言うところのものとは合致しないことである。共産主義でいう労働とは工場で行われる労働という狭義なものである。従って農業や運送業、設計などの作業は全て労働とは看做されない。マルクスの著書では、農民と労働者をはっきりと区別しているのである。
そうなった原因は、マルクスが見たのは19世紀のヨーロッパにおける、悲惨な工場労働者だったからである。資本家によって過酷な労働を強いられ、仕事を得るために低賃金に甘んじている工場労働者の姿を見たのである。資本家は工場を建て、労働者を雇い働かせるだけで、何もせずに次々と金が儲かるというのはおかしいのではないか、という訳である。
そこで、生産物の価値は原材料を加工する作業を行う、工場労働者だけが生むことができる、という論理にしたのである。農業は種を撒いたら植物は自分で育ち、実がなり農民はこれを刈り取るだけなのだから、農産物の価値は農民が生み出したのではない、というのである。現在までも、少なくとも日本では、政治家も学者も、マルクス主義思想における正確な「労働」の意味を明言ない。このマルクスの論理はソ連において徹底的に悪用された。飢餓輸出である。生まれたばかりの後進国ソ連を守るには軍備が必要である。軍備を行うには重工業が必要である。初期のソ連は資本の蓄積がないから重工業は発達しにくい。
そこで農業生産物をほとんど輸出に回して資金を得た。そのためには農家から生産物を奪ったから農民には食料が残らない。そこで豊作であっても農民には飢饉が発生したのである。農民は労働者ではない、ということが農民から食料から奪う根拠となったのである。この理論が、恐らく党内で飢餓輸出を実行する説明に使われたのであろう。
ソ連では、医師やエンジニヤと言った職業も低賃金に置かれた。現実を考えれば、そんなことは理論に拘ることはないのだが、一方で理論を強調したために、無理やり現実離れしたことを行う羽目になった面がある。医者は人の命を扱うことも多いのだから、安い賃金では大した治療はできない。だからまともな治療を受けようとすると、公定の医療費の何倍もする法外な治療費を払わなければならない。
程度の差こそあれ、このような矛盾はあらゆる職業で発生した。必然的に闇市場が発生する。計画経済などという現実には不可能なものが生きながらえたのは、闇市場の調整機能のおかげである。どんな本に書かれていたか失念したが、昔西洋人が、外部から完全に隔離した数百人規模の人工の街を作り、計画経済の社会実験をしたそうである。
すると短期間に計画経済は破綻して立ちいかなくなったそうである。こうしたことから、西洋人の経済の専門家はかなり早い時期から、ソ連流の計画経済などは実行できないと知っていたのだそうである。ところが日本では、石原莞爾など対ソ戦を考える陸軍軍人ですら、計画経済による急速な経済成長、特に重工業の発展に幻惑された。ソ連は敵だが計画経済による重工業の発展は、日本の武器生産にも必要である。それで陸軍の軍人が求めたのがソ連でいう計画経済という名前を変更した「統制経済」である。
戦後の日本の高度経済成長も統制経済の応用である、と言われる。それが日本で成功したのは、ソ連のような硬直した計画経済ではなく、資本主義経済下で日本人の柔軟な調整機能によって行われていたからである。もしソ連圏に組み込まれて計画経済を強制されていたら、高度経済成長などは二重の意味で不可能であったろう。第一にソ連の硬直した方式を押し付けられたであろう。第二に、ソ連の衛星国はソ連に搾取される経済だったのである。ソ連に必要なものの生産を割り当てられるのである。生きた証拠がチェコや東独である。あれほどの工業国であった両国もソ連の衛星国になったために、見る影もなくなっていった。東独などは西独と比較できたから、その差は歴然としている。
2.共産主義の歴史的役割
共産主義はかつて多くの人々を魅了した思想だが、実は多くの害毒がある悪魔の思想と言うべきものである。日本は戦前から共産主義の害毒に気づき、共産主義者を取り締まっていたはずだった。にもかかわらず、戦前ですら、本気で共産主義を信奉し、ソ連を祖国と思う倒錯した政治家、軍人、学者、ジャーナリストや思想家など知識階級と目される人々の間に、無視できないほどに増えた。
そこには日本人の西欧思想あるいは外国思想への盲目的信仰が根本にはある。正しい考え方は、日本国内では発生せず、常に外から入ってくる、という半ば体験的な信仰である。戦後の共産主義の跋扈は戦前から胚胎していたのである。胚胎どころか政治中枢まで囚われていた、と言えるが全貌は未だに明らかにされていない。
中川八洋氏などに言わせれば、ゾルゲ事件などは枝葉末節に過ぎない、というのである。戦後45年も経ってソ連崩壊を契機として、世界で共産主義は否定され、日本でも同じ趨勢にあるように思われる。しかし直接的に共産主義が跋扈することがなくなった現代日本では、依然として共産主義がばらまいた毒に悩まされ続けている。
日本にばらまかれた共産主義思想の毒の根本は、祖国への破壊衝動である。ソ連の作ったコミンテルンは、世界に支部を作った。世界各国に共産主義革命を起こすためである。他国にソ連と同じ理想の革命を起こす、というのはソ連の使った詭弁である。レーニンもスターリンも、外国にマルクス主義の理想としての革命を起こす気はなくなっていたのである。日本人、ドイツ人アメリカ人などでコミンテルンのエージェントとして活動した者の成果は、ソ連の都合のいいように自国の政府を動かしたり、ソ連に自国の情報を売り渡したのであった。その動機付けが祖国での共産主義革命、ということであった。
尾崎秀実も近衛内閣を動かして支那事変を拡大して日本を疲弊させ、対米戦に持ち込んで負けさせ、革命を起こそうとしていたと言われている。だがスターリンの目的は日本によるソ連攻撃の可能性をなくすため、日米戦争の危機を惹起して、対独戦に勝利することであった。日本に共産主義革命が起きてソ連化したとすれば、出来過ぎたおまけである。尾崎が営々と祖国を裏切ったのは日本を理想の国にする、という目的があったからである。単に卑劣な裏切り者ではなく多少の(!)犠牲があっても究極的に日本人民を幸福にするという空恐ろしい自信があったのである。
共産主義には額面上ではそこまでの魅力があったのに違いない。だから現実的なドイツ人や米国人さえ、コミンテルンのエージェントになったのである。だが米国やソ連の衛星国(何という欺瞞的呼称)とならなかった、西欧諸国ドイツは第二次大戦が終わると早くその難を逃れた。西ドイツなどは、戦後共産党は自由で民主的な基本秩序に反するとして、違憲判決を受け、その後名前を変えて再建されたが議席は得ていない。アメリカはエージェントの裏切りが戦後間もなくばれて、レッドパージが行われ、共産主義が一掃された。ジョーン・バエズなどのベトナム反戦運動をした人たちは、間接的にソ連などの共産主義者の活動に騙された人たちで、確信的なソ連のエージェントではない。
ドイツや東欧では、共産主義の害毒を身を持って被害を受けたから、共産革命を夢見る人たちはいない。いくら子供の頃から共産主義教育をされていても、東欧諸国は共産革命とはソ連に奉仕するものに過ぎないことを身を持って知っている。共産主義が抜けないにしても、外国に奉仕したり、自国を破壊するような衝動は持たないのである。
どこか日本だけが事情が違う。その違いは、歴史的経過と日本人のメンタリティーの相違に起因しているように思われる。歴史的経過とは、ドイツや東欧のように共産主義政権に徹底的に弾圧された被害の経験を持ったことがないのが第一である。第二は正しい思想は外国から来る、という伝統的な幻想である。未だに解けない謎は、外国思想に寛容である、とはいっても日本人はキリスト教を絶対に受け入れなかったことである。キリスト教徒の日本人は例外である。仮説を立てるとしたらキリスト教は神道と根本的に相いれないこと、共産主義はキリスト教と関連があるとはいうものの、表面的には宗教ではなく、科学的思想で普遍性がある思想である、という触れ込みであったことであろう。
もう一点は、現在のように、共産主義による経済運営は成り立たないことが明白になった現在でも、日本人で共産主義に一度かぶれた者は、革命の原動力となるべき国家に対する破壊衝動が消えないことである。健全な反権力とは、現在の政権や政府機関に対するチェック機能であるはずであり、日本そのものに対する敵対心ではないはずである。これについては後述する。ただ一言すれば、日本を悪く言うこと自体が正しい、という尋常ならざる日本人は確実にいる。いかに尋常ではないかは、あったことがない人には分からない。
3.人権主義者の手続き無視の恐ろしさ
法治国家では、官憲が人を取り締まるためには複雑な手続きが必要とされる。誰の目にも明らかな犯罪や権利の侵害でも、取り締まるには所定の手続きが必要とされる。これは素人目には面倒なだけに思われる。これを素人考えで明らかな人権侵害を容易に取り締まろうというのが、民主党が提出して廃案となった人権擁護法案である。
官憲が人を取り締まるために複雑な手続きが必要な理由は、絶対的正義を認めないことからくる。だから米国でも、例外的に情報機関などは表沙汰になったら手続きを踏んでいない、とされる違法な行為が特定の人々にだけできるようになっている。それはこれにかかわる人々の絶対的正義を認めざるを得ない必要性がある例外的事項である。
だが、人権保護法案のように、公然と特定の人々だけが、明らかな人権と判断すれば、裁判所の令状もなしに個人を拘束できる、というやり方は、明らかに近代法治国家としては異常である。このような考え方の人々は、戦前の特高警察の例を挙げて国家権力の横暴を批判する人々である。明らかに、自分たちが批判している特高警察と同じことができる事を求めている。だが、彼らは特高警察は悪いが、自分たちには絶対的正義があるから同じことをしてもよい、と考えるのである。日本の病理は、保守政党であったはずの自民党議員にも賛成者がいたことである。
4.自由主義の反権力と共産主義の反権力の違い
元来日本の共産主義者の反権力とは、非共産主義の政府にことごとく反対することである。つまり議会制民主主義の政府の行うことに、無条件に抵抗することである。これは、日本にもたらされた、共産主義の反体制思想が根本にある。共産主義政権以外は全て、暴力革命によって打倒すべき政権である、という思想である。
革命によって倒すためには、民衆に現在の体制について大きな不満を抱かせなければならない。そのために、社会不安や不満を煽る。日本にもたらされた共産主義には元々このような反体制思想が根本にあるうえに、ソ連によって作られたコミンテルン日本支部、すなわち日本共産党は、共産主義思想を利用して日本をソ連の属国にしようとしていた。活動している者は、ソ連のためではなく、究極は日本のためになる、あるいは民族の枠を取り去った労働者の天国を作ることを理想としていた。だがそれはソ連に利用される謀略に過ぎなかった。
これらの残滓が現在の日本には明瞭に残っているのである。その結果、日本の反権力の多くは、単に現在の政府権力に対する反発ではなく、日本国という存在そのものに対する反抗意識となっている。歌手の加藤登紀子が「日本」という言葉を発すると嫌な思いがする、というエッセーを書いている。これは、政府という国家権力に対するものではなく、日本そのものに対する抵抗感以上のものだそうである。これは日本そのものに対する忌避感情である。加藤氏は政治活動はしていないが、元々共産主義シンパがあると考えられる。
これはウイグル人が、中華人民共和国に対して忌避感情を持つのと、同じとも言え同じではない、のである。中華人民共和国、というのは「漢民族」を自称する人たちの帝国であって、ウィグルはその植民地の一部である。一方でウィグル人は国際法上の国家である、中華人民共和国の国民であるという現実がある。
国際法上の国家の国民が、所属する国自体を忌避する、という意味では同じである。しかし、ウイグル人は漢民族ではないから、漢民族の帝国である、中華人民共和国を忌避する、という意味では、同じではない。加藤登紀子は日本という国民国家の主要構成民族である、日本人そのものだから尋常ではないのである。
加藤氏のように、潜在的に日本そのものを忌避する感情から、反権力思想が発生している、という現象は現代日本人にしか見られない、世界的にも稀な現象であろう。その淵源が共産主義思想にあり、共産主義思想から離れた後にも、このような反権力感情が消滅しない、というところにも現代日本の病理がある。
ただ、加藤氏のために弁ずれば、小生の深読みかもしれないが、彼女は同じ自虐的日本人と同じく、洗脳にやられたのである。彼女は洗脳によって日本に対する忌避感情を植えつけられたのである。ところが一方で、眼前にある日本人や日本の風土への愛着は自然に生まれたはずであるから、心の中で分裂が生じている、としか言いようがない。