支那事変陰謀論は、小生には確定的に思われる。スターリン、ルーズベルト、毛沢東らの陰謀説である。しからば、それに乗った日本はただ愚かであったろうか。近衛政権ですら操られていたらしいのも間違いなさそうである。日本が愚かであったのなら、米国宣教師らを少なからず支那人に殺され、現代日本国の年間予算に匹敵する援助を騙し取られた、ルーズベルトら米国人も愚かと言わなければならない。
小生の父は華北に出征し、戦後帰還した。叔父即ち父の弟は、昭和十九年八月一日に、実験班員として働いていた、横須賀海軍工廠から満洲に出征し、同月三十日に享年二十二歳で戦病死した。赤痢である。講道館初段だったから頑健な体であった。息子の死を悼んだ祖父は、先祖伝来の墓地とは別に、個人としては破格の五坪ほどの石垣作りの墳墓を作り閲歴を刻した墓石を建て無言で祈った。叔父の閲歴を記すのは、子孫を残さずして夭逝した無念を心に刻むのである。
父や叔父の努力を愚かだとは言わない。今の日本に繋がるからである。相戦った日米は同盟し、愚かな米国は覚醒し、今や中共暴戻政権と戦わんとしている。維新以来、露支は日米共通の敵であったのである。露支と戦う米国人は、良い米国人である。