48のプラモのキ-115(剣)を作った時、意外なことを知った。モデルアートのエデュアルドの製作記事である。執筆者は加藤寛之氏であった。記事には「主任設計者の青木邦弘氏によれば、剣はロケット噴射で加速して離陸し、脚は投下してしまう。身軽となった機体で沿岸に押し寄せる敵艦艇へ投弾、引き返して胴体着陸する。操縦者は生還し、エンジンは再利用する構想だったという。その証拠に、調布に残された機体には爆弾投下安全弁が付いていたことが確認されている。製作から審査の時点になると、剣は体当り攻撃機となっていた。」とある。
日本航空機総集など既存の資料には、知る限り全て体当り専用機と書かれている。機体自体が脚投下式などを含めて全体的に簡素なものだから、素直に信じていた。しかしこの記事によれば、少なくとも計画設計時点では、体当り専用機ではなかったというのである。そこで記事の青木邦弘氏の本を探すと「中島戦闘機設計者の回想」と言う本が図書館の蔵書にあった。
青木氏は明治43年生まれで、本書は1999年に刊行されているから、かなりのご高齢になられてからの執筆である。それによれば、剣の開発の着想は、キ-87のようなまともで高級なものは、あの時点では戦争に間に合わないので、簡易に作れる小型爆撃機を作ろう、ということにあった。(P181)
戦闘機ではなく、「・・・上陸用舟艇のどまん中に瞬発信管付きの大型爆弾を放り込むだけでいい。・・・命中させる必要はない。・・・転覆させたり衝突させる効果をあげて、大混乱を引き起こすことができればよい。・・・操縦者の生還率も高いだろうし、機体の回収もできて反復して使用可能となる」飛行機である。
引込脚は設計製作に時間がかかるので、投下式にして、胴体着陸すれば、最低限製造に手間のかかるエンジンだけ再使用できればよいというのである。そこで小生に疑問が起きた。オイルクーラの位置である。剣のオイルクーラは、疾風のように胴体の真下になく、右舷側それもかなり高い位置に偏って取り付けられている。胴体着陸する構想だと読んだとき、これは胴体着陸の際の地面との抵抗を減らすためではないかと思ったのである。
完成した剣の模型を見たら間違いだと分かった。疾風のように真下に付けると、爆弾の位置と干渉するのである。それでも胴体着陸の抵抗を減らす効果は幾分かあり、うまくするとオイルクーラを破損せずに回収できるのかもしれないが、青木氏の著書にはそのような記述はない。
剣はかなりの意味で中島の自主開発に近いらしく、隼のエンジン400台あまりが、倉庫に埃をかぶっていると聞き、青木氏はゴーサインをだした。(P187)試作機が完成すると軍民関係者で安全祈願式をしたが、祝詞に「・・・往きて還ざる天翔ける奇しき器」という一句があったので、軍民関係者が数百人居並ぶ中で青木氏は「・・・本機は特攻機として造ったものではありません」と訂正したが、反論もなく儀式は進んだという。
神主さんは徴用で中島の工場で働いたことがあり、戦闘機に比べ粗末なつくりのため、皆が特攻機ではないかと噂したのを聞いて、祝詞に入れたのだと判明したと言う。奇妙なことに設計主任の青木氏が試作仕様書を見た記憶がないと言う。ところが軍に提出した計画説明書を米軍のために簡略にまとめたものが、戦後かなりたってからみつかって、読み返したところ、計画書の「型式機種」は「単発単座爆撃機」で、「任務」は「船舶の爆撃に任ず」とあり、軍艦相手とは書いていない。
また「主脚は工作困難な引込式を排し、かつ性能の低下をきたさないように投下式とし、着陸は胴体着陸とし人命の全きを期す」(P195)と書いてあった。また説明書原文には「・・・速度の遅い旧式機では操縦者の生還は期し難い・・・せめてそれに代わる飛行機として本機を作る・・・」と書いた記憶があるそうである。
剣の審査官だった陸軍将校に戦後会うと、審査報告書に「本機は爆撃機としては不適当と認む」として提出したので使われたことはあり得ない、と語った。それにしても甲型だけでも105機も作られたから、使うつもりがあったと誤解されても仕方あるまい。青木氏によるとこのころは軍も中島も相当混乱していたということだから、生産だけが進んでしまった、ということはあり得る。剣の乙型のことを肝心の青木氏は全く知らず、戦後の文献で知ったという混乱ぶりである。また相当数が生産され実戦参加した、キ-100やキ-102乙が採用手続きもなされず、制式名称もなかった時期だから。
また「戦後の文献によると、キ-一一五は昭和二十年一月二十日に『特殊攻撃機』という名称で試作命令が出されていたことになって」いたから、特攻機と言われたひとつの理由であろう、としている。なるほどと納得する次第である。だがモデルアート誌の記事のように「製作から審査の時点になると、剣は体当り攻撃機となっていた。」ということは、青木氏の著書には書かれていない。
ただ、青木氏も隼なども特攻機として使われたのは「『特攻機』という言葉は用兵上の用語で、航空技術用語には」なく隼や疾風なども特攻機として使われたのは用兵上の結果であり、製造した時点で特攻を予定していたのではない、と述べている。だから設計側も軍も作るときは予定していなかったとしても、本土決戦が行われていれば、剣が特攻機として使われていた可能性は否定できない、ということになる。
なお海軍の最初のジェット機の橘花も「特殊攻撃機」として爆装も予定されていたから、特攻機に使用予定であったとする記事も散見するが、青木氏の論理から言うと、設計製造に手間がかかる高級なジェットエンジンを一回限りの特攻の計画で作ることはあるまい。これとて実際にどう使われるか、ということとは別問題ではある。また剣が体当り専用機として設計製造されていなかったと主張するのは、剣の計画の道義的是非を言うのではなく、事実関係をいうのである。