日本の戦艦は、竣工から何回も改装されていることが知られている。主機の換装ということさえ行われている。特に外観上明瞭なのは、艦橋構造物が頻繁に改装されていることである。ただし欧米の戦艦の艦橋の大改装の場合、コンテ・カブール級のように、三脚檣から近代的な塔型艦橋に改装しているのに対して、基本の三脚檣、あるいは長門型のように7本柱の基本はそのままに、次々と艦橋施設を追加し続けていることである。
このため、最終形は極めて複雑な構造となり、パゴダマストと呼ばれている。この方法は、基本構造が変わらず、少しづつ改装していくことができるため、一気に塔型に変えてしまうよりは、その時々に於いては簡単である。その代わり、最適な艦橋内配置が出来ないこと、構造的に無駄が多くなる欠点がある。すなわち同じ機能を保持するためには重量の無駄が多くなる。例えば艦橋トップに追加された測距儀を支えるために甲板から巨大なガーダーを追加したと説明されている。だが、このガーダーは、実際には、測距儀だけのためではなく、小改造の繰り返しで重くなった艦橋を支える三脚支柱の強度が不足になったためであろうことは想像がつく。小改装の繰り返しであのパゴダマストを作るのは、一回づつの作業は容易ではあるが、最終的には効率が悪い。あれだけ高い艦橋でトップヘビーにならないのは、各フロアには前面と側面の一部にしか壁がない、鋼板を断片防御すらない薄っぺらのものにしている、などの無理を重ねているからであろう。またフロア面積や配置も効率が悪いものになって、指揮には不便だろう。
それならば、古い艦橋を撤去して新しいものを設置し直すのは、鋼材の無駄になるのだろうか。当時の日本の鋼材はアメリカから輸入したスクラップが使われている。つまり、撤去した艦橋は別な用途に使えるから、トータルとしての鋼材のロスはない。それならば、英米仏伊海軍が行ったように、小改装での対応はある時点で見切りをつけて、艦橋の改装は最適な構造となるように、全面的に改設計すべきなのである。
それなら飛行機改造の考え方はどうか。これも米英独ソ仏伊の行きかたと日本の場合は大きく異なる。日本の場合は、極力改造の幅を少なくして、エンジンの大幅パワーアップの場合などは全く新設計にしている。戦艦とは逆なのである。確かにエンジンにあった最適な設計をし直すことは、全てにとって望ましいことである。しかし、これにもデメリットはある。完全な再設計であるために、風洞実験など基礎的な設計過程を一からやり直さなければならない。生産に使う冶具の多くは全く新規に作らなければならない。つまり新設計は実に労力と時間と資源のロスが多いし、時間もかかるのである。一品作りの戦艦と、大量生産の相違がここに現れている。
つまり戦時中に新規設計を行うと、大幅に性能向上はするが、戦争に間に合わない可能性があり、次善の策として既存の機体の改造で行えば、戦争に間に合うのである。現に日本軍で大東亜戦争で開戦後に開発を開始したものは多数あるが、実戦に間にあったものは彩雲だけである。この点は他の国で大同小異である。Me109もスピットファイアも戦前のかなり早い時期に開発され、改造を続け最後まで第一線で活躍し続けた。両機より後に開発されながら、細々と改造を続けて旧式化していった零戦とは大違いである。陸軍も一式、二式、三式、四式、五式戦闘機と毎年新作の戦闘機を採用し続けた。紫電シリーズと五式戦が、数少ない例外である。
欧米での例外は、米海軍の戦闘機である。F4F、F6F、F7F、F8Fと次々と新規設計を行っている。しかも、F6F、F8Fは基本的に同じエンジンを搭載している。これは、零戦やFw190の設計思想に強い影響を受けたことで説明されている。しかし、どちらも中途半端な機体であったことは、両機とも戦後の発展性もなく放棄されて、F4Uだけが改良を繰り返して延命されていることで証明されている。
日本の戦車や軍用機は、戦前戦後共通して、改造により性能向上を行うことを嫌う傾向があるのは別項で述べたので、ここでは述べない。