アメリカ人は、特殊な例外ではない限り、ジョージ・ワシントンらが行った対英戦争を独立戦争、と呼ぶ。しかし、英国では今でもこの戦争を謀反と呼んでいる。真実がひとつならば、これは矛盾である。だが両国民のほとんどがそう考えているであろうことは事実である。なぜこの矛盾を生じるのであろう。それは教育である。各々、アメリカ国民、英国民として教育を受けているから、各々の国の立場に立って考えているのである。
全員とは言わないが、アメリカ人の多くは、日本への原爆投下したことについて、戦争を早く終わらせることができた、と評価している。これも、アメリカ人として教育されたから、アメリカの立場で考えているのである。
それでは日本ではどうなのだろうか。広島の原爆死没者の慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」と書いてある。これは主語が誰か、という論争があって、公式見解としては、人類が今後、こんな悲惨な行為を繰り返さないように、という意味だそうである。だが実際には政治家や、教科書の一部ですら、日本が戦争を仕掛けてさんざん残虐な行為をしたから原爆を投下されたのはその報いである、とする意見が例外的にではなく公表されている。全くアメリカ人と同じ意見すらある。これは一体どうしたことだろう。
それは、同じ戦争をアメリカ人が独立戦争と考え、イギリス人が謀叛と考えているのと同じ原因による。すなわち教育である。しからば何人として教育された結果、そのようになったのであろうか。「非日本人」として教育されたのである。以前、朝日新聞の記者が朝日新聞のホームページで
「例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。」
と書いて問題になった。これはこの記者の立場が日本人の側ではなく、韓国の側にあることを明瞭に示す。つまりこの記者は日本国籍がありながら、思想は「非日本人」なのだと考えれば、理解できる。