例えば文藝春秋の、平成二十六年の四月号の特集に「第二の敗戦 団塊こそ戦犯だ」とある。A級戦犯だとか、戦犯だ、という言葉がこのような使われ方をすることは、戦後の日本では珍しくない。戦犯とは、悪いことがあった時に本質的に責任がある者、という意味で使われている。
だが、戦犯、つまり戦争犯罪人とは本来戦時国際法の用語で、捕虜の虐待や、非戦闘員の殺害などの戦時国際法違反の犯罪者、という意味である。その上に戦後の日本で戦犯とは、東京裁判などの連合国により戦犯として刑を執行された者に限定されている。その中でB,C級戦犯と言えば前述の戦時国際法違反者である。A級といえば、平和に対する罪というそれまでの国際法になかった、事後法による近代法違反のインチキでっちあげ犯罪のことである。
しかも、東京裁判その他による連合国の戦争裁判で戦犯とされた人たちは、昭和二十八年の国会決議で、刑死については、法務死であり、犯罪による処刑ではないとされた。刑務所に入れられた人たちも、犯罪者ではないとされたのである。従って犯罪を犯した者には支給されるはずがない、遺族年金や障害者年金等も全て支給されている。
日本は戦後、このようにして連合国の一方的な裁判で戦犯とされた人たちの名誉を回復したのである。例示した文藝春秋の「戦犯」とは連合国の不当な裁判に根拠を発しているのだが、日本は国是としてこれを否定しているのである。それを保守系のマスコミや論者さえもが、例えばなしとしてでも、軽々に「戦犯」という言葉を使うのは見識を疑う。