麓からみなさんへ 2012年09月07日 | 湖の麓のマイルーム 麓の尊敬するマドレーヌさんから Billy Joel - 星に願いを 麓が困って 途方にくれていた時 駆けつけてきてくださった マドレーヌさん そして 祈って、励ましてくださっているみなさん ありがとうございます 麓は 少しずつですが 回復しています なんていったって みなさまがいるから 頑張れます 子どもたちのことを想うと 負けていられません 6日には 久しぶりに運転、自転車に乗ることが出来ました 食事はまだまだゆっくり時間をかけてですが ジュースではなく 食事を食べれるようになりました 気持ちは元気なのです 星に願いを込めて みなさまのことを覚えて祈っている麓です ありがとうございます 湖の麓より 麓の夢のブログは こちら です ご訪問ありがとうございます マドレーヌさんのコメントです Unknown (マドレーヌ) 2012-09-04 22:03:50 私は 今 麓さんと共におります。 とても心配しながらこちらに来ました。 けれど、結局 癒やされたのは私の方でした! 麓ファンのみなさま 彼女の食べられない様子は辛いけど 心は誰より健全であるとお伝えします 彼女の環境はまさに楽園です とても離れがたいです… 明日、東京に戻ったら楽園の様子を 私のブログで紹介します (明日も笑顔で) 人気ブログランキングへ にほんブログ村 麓が今読んでいる本の中から抜粋です どうしても咲けない時もあります。 雨風が強い時、日照りで咲けない日、 そんな時には無理して咲かなくてもいい。 その代わりに、根を下へ下へと降ろして、 根を張るのです。 次に咲く花が、より大きく、美しいものになるために。 若くして、亡くなったキリスト教詩人の、八木重吉の詩に 神のごとくにゆるしたい ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため 花のようになったらば神のまへにささげたい (「しづかな朝」より“ゆるし”) というものがあります。 「置かれたところ」は、つらい立場、理不尽、不条理な仕打ち、憎しみの的である時もあることでしょう。 信じていた人の裏切りも、その一つです。 人によっては、置かれたところがベッドの上ということもあり、歳を取って周囲から〝役立たず〟と思われ、 片隅に追いやられることさえあるかもしれません。 多くのことを胸に納め、花束にして神に捧げるためには、その材料が必要です。 ですから、与えられる物事の一つひとつを、ありがたく両手でいただき、 自分しか作れない花束にして、笑顔で、神に捧げたいと思っています。 どんなところに置かれても 花を咲かせる心を 持ち続けよう。 境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。 「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。 渡辺和子著 置かれた場所で咲きなさい 幻冬舎