Amazing Grace 北の大地での田舎暮らし

大自然の中での田舎暮らし
北の大地で生かされていることに心から感謝し、日々感じたことを綴っています

湖の麓より

ご訪問ありがとうございます 左サイドバーにある「ちいむら」国内英語留学・語学スクールは麓の夢のブログです。是非覗いてくださいませ

P&Gグローバル企業CM 第1弾 「Best Job(母の愛)」120秒篇

2012年07月31日 | 日記
P&Gグローバル企業CM 第1弾 「Best Job(母の愛)」120秒篇



ママという仕事は

世界でいちばん大変な仕事で

世界でいちばん素敵な仕事です





ご訪問ありがとうございます








人気ブログランキングへ



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村






無事に関東での仕事を終えて帰って来ました

久しぶりの関東

暑さはハンパなかったです

北海道では扇風機もクーラーもない生活をずっとしていたので

生まれ育った神奈川なのですが、まいりました

でも仕事面では本当によい時を持てました

麓の夢に参加者も与えられ

問い合わせなども寄せられてきています

2日に手術をうけなければならないのですが

頑張ります

バッハ「G線上のアリア」 

2012年07月27日 | music
バッハ「G線上のアリア」 Bach "Air on G String"



麓が大好きなバッハの曲のひとつです


麓の好きな言葉のひとつに「今日が自分の人生で一番若い日」というのがあります

生きるということ、それは人が人生で達成しようとするものなのか

成功することなのか

満足することなのか

巨額の富を得ることなのか

なにをもって成功と言えるのか

なにを基準に満足だと言えるのか

お金はあったほうがいいと思うけれど

墓場までは持っていかれない



生きる

いえ生かされている

自分で自分の髪の毛一本すら黒くしたり、白くしたりできない自分

生かされていることを感じるから

成長しなくてはならないと常々思っています

日々精進

人の何倍も働いて、勉強して



もちろん、周りを見て思うのは

この世には運や才能を与えられている人がいるって

でも麓は麓に与えられている命=運命を受容して

成長しようってこの頃特に思わされています

諦めない

はい、ネバー・ギブアップ

くじけない

う~ん、くじけてもいいかな

止まらない

う~ん、止まってもいいかな

ただくじけても止まってもそこからまた進めばいいかなって



麓は今まで多くの方々と出逢い

教えられてきました

このブログ上でも多くの方々が励まし支えてくださっている

本当に感謝です



麓の好きな言葉 


obidience=温順さ

yieldness=ゆだねること

teachable personality=教えられやすい体質、性格をもつこと



みなさん





ご訪問ありがとうございます


麓の夢は

こちら

毎日更新していますので、よろしかったら覗いてくださいませ



27日から30日まで、関東へ行ってきます

麓の夢を叶えるべく

26日の北海道は30度近くまでいっきに気温があがり、もうそれだけでへとへと、くたくた

予約投稿していますので、更新大丈夫です

麓の夢の第一回 イングリッシュ・キャンプ、道内そして内地から参加者が

嬉しいです

海外から応援も

楽しみでどきどきですwww






人気ブログランキングへ


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村


baby cat sleeping on table

麓の散歩道 3

2012年07月26日 | 北海道風景日記
麓の散歩道 3


Green boys Project ~希望の光~



麓が阿寒の森の中を歩いていた時

麓が考えていたことは3・11で大切な人を、愛する人を、家族を、ペットを、お隣さんを、知り合いを失って

苦しんでいる方々のことでした



あっという間に地震と津波でのみこまれた尊い命

目の前でのみこまれた命

泣く時間すらなかった一瞬の出来事

暗闇の中でどれだけの涙が流されたことか

恐怖でおののいた心がどれだけあったか

不安で震えがとまらなかった方々がどれだけ多くいたか

自分が助かったことを喜べないその気持ち

いまだに行方不明の方々

離れ離れに暮らす家族


麓は病魔と闘っています

一生戦い続けなければならないでしょう

負けたくないです

すくなくとも生かされている

命が与えられている

そのことを思うと

感謝で胸がいっぱいになります



病気のつらさや痛み

辛いですが、そのおかげで

麓は多分

人として

生きていることを感じられるのだろう

頑張って生きなければ


ご訪問ありがとうございます


こちらが麓の



です








人気ブログランキングへ



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

ハクチョウとドクターヘリとブドウエビと蕎麦の花

2012年07月25日 | 新聞から



今日は、北海道新聞から4つアップします


まずは旭岳に舞い降りた「白鳥」





そう、雪渓です





大いなる自然の力ってあるんですね


次はちょっと心配なニュースです





麓自身病気をかかえているので病院問題は広くて広大な北海道では大きな問題です


一番近い総合病院まで片道100km


心臓発作とか脳溢血の方にとっては遠すぎます


麓の友人は最愛の娘を幼い時に天国へおくらざるおえませんでした


理由は痰を吸入する子ども用の細い管がなかったため、救急車で100km走っている間に心臓がとまってしまったのです


そう麓が住んでいる人口8,000人の町には小児科、産婦人科、眼科、耳鼻科、皮膚科がありません


麓の知り合いのご主人は、狭心症の発作を夜中に起こし、ドクターヘリで10分で着いたため命が助かりました


そのドクターヘリがこの状態です





北海道には3機しかドクターヘリがないという事実


元気な人しか住めない北海道なのか...



次は幻の「ブドウエビ」です





美味しい海老です





最後は美しく蕎麦の花です





ご訪問ありがとうございます


麓の夢は


こちら


です








人気ブログランキングへ



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村



タオルを持ってくる子猫2/3 kitty fetches towel pert2



タオルを踏まないように歩いてくるのがなんとも可愛いです

泥流地帯

2012年07月21日 | 北海道風景日記





今日は「泥流地帯」のことをアップします

7月1日未明に十勝岳の火口付近で明るく見える現象が確認され、十勝岳温泉郷では宿泊客ら約120名が慌ただしく避難しました

が、この時は大飯原発再稼働と小沢氏離党のことでニュースも新聞も埋め尽くされ、北海道のニュースでさえ報道されませんでした

避難勧告が出たのは1988年の大規模噴火以来、24年ぶりのことです

十勝岳は記録に残る1857年(安政4年)以降、数十年ごとに噴火を繰り返しています

今回、火のようなものが見えると110番通報があった大正火口は、1926年(大正15年)に死者・行方不明者144名の被害を出し

三浦綾子氏の小説「泥流地帯」の題材となったことで知られる大正噴火の際にできたので大正火口と名づけられています

前兆現象から噴火までの期間は数カ月のこともあれば、数年のこともあります

札幌気象台は火口付近の硫黄が燃えたことが原因と推定、今後も警戒が必要と



「ただ逢いたくて」の歌をなぜ選んだかというと、自然災害であっという間に失われた貴い命

どんだけ大金を積んでも、どんなに頼んでも、どんなことをしても会うことができなくなる

そう、3・11もそうですが、どれだけ手を尽くしても会えない場所へ命が持っていかれてしまう切なさ、つらさ、くやしさ

なぜ?

日本が地震国であるということを、いえ、自然に対して私たちは無防備でありなにもできないということをもう一度考えなければならないと

もちろん、考えてもどうこうできるわけではありません

ただ命というものは、生かされている時には当たり前に思っていて、失われた時に気づく

失った者しか、その痛みがわからない

病気で闘病生活をしていても別れはつらいです

事故だったら加害者がいますが、自然災害は...

昨日でクリック募金150回になりました

毎晩、クリックする時に、世界中の苦しんでいる人々のことを考えさせられます

クリック募金したからどうこうというわけではありません

ただ、報道に幅がないのなら、麓は自分のブログで警鐘を促したい

そう思ったのです


ただ逢いたくて



泥流地帯



三浦綾子氏の「泥流地帯」の題材となった安井弥生さんの抜粋記事です




大正十五年五月二十四日十勝岳大爆発の日

私は、大正十一年三月二十二日に、当時上富良野村長の吉田貞次郎と母アサノの三女として生をうけました。

そして、数え年五歳のとき、大正十五年五月二十四日、十勝岳大爆発を体験し、九死に一生を得たわけでございます。

その日は朝から雨が降っておりまして、ゴーゴーと山が鳴っていたそうです。

丁度私の家では、母屋を新築中で、その日は左官屋さんが来て壁を塗っておりました。

それであまり雨が降るので一服しようか、と休憩していた時のことです。

あまり山がゴーゴー鳴るので、祖母が母に「ちょっと外を見ておいで」といったそうです。

私の家のすぐ前に、釧路へ通ずる国道があり、そのまた向こうに国鉄富良野線の線路が走っています。

国鉄の路面は平地より高く盛り上げられていますが、家から外に出て母はびっくりしました。

線路の向こう側に隣の家が流れて浮いて来ているではありませんか。

母は「大変だ大変だ」といって家に飛びこみ、それで祖母をはじめ左官屋さん、私の姉と兄、それに左官屋の弟子もみんな逃げ出しました。

私は、左官屋さんの小母さんが私をおぶってあげるといってくれたのだそうですが、私は母でなければ嫌だといってきかず玄関で泣いていました。

それを母が見つけ、急いで私をおぶり皆のあとをついて走りました。

祖母は六十七歳で一番年をとっているので、少し遠回りになるが路幅が広い畦路を走り、他の者は全部一刻も早くと田んぼの中を直線に走ったそうです。

それで私をおぶった母も、田んぼの中を皆のあとをついて走りました。

そのうち、祖母の声で「覚悟せよ」というような声がきこえ、ハッと振りかえると、祖母の姿は泥流にさらわれもうなかったといいます。

私の家から西の方向に三百メートルほど行ったところに、米村さんという家があり、その米村さんの後方百メートルのところに小高い丘があり

みんなその丘まで逃げようとしていたようですが、そこまで逃げて行くことはできず、やっとの思いで左官屋さんたちは米村さんまで辿りついたそうです。

私をおぶっていた母は、すっかり泥まみれでした。しかしその母屋まで着くことは出来ませんでした。

流木で二進も三進も行かなくなったらしいのです。

その時母がうっかりとおぶっていた私を落としてしまったそうですが、そこはたまたま流木やその家の薪などがぎっしり詰まった所であり

そこであわてて母は私をおぶり直し、納屋のさしかけまで辿りつき、私を馬車の上に置き救いを待ったそうです。

国鉄の線路の高さが泥流をせき止め、私たちは助かりました。

自分たちが助かったと知ると、思いはさっき泥流にのまれてしまった祖母のことです。

ことに、母は「おしゅうとめさんを死なせて、嫁の私は生きていられない。私も死ぬ」といってきかなかったといいます。

左官屋さんが一生懸命に母をなだめてくれたそうです。

いまはトタン屋根ですが当時は柾で屋根を葺いており、その柾を止める釘に私が頭をぶつけ痛い思いをしたことを今でも覚えています。

また、私が「神さん仏さん助けて下さい」「神さん仏さん助けて下さい」と叫んだことも今も覚えています。

私たちはじっと座って救いを待つよりありませんでした。そのうち、先に母屋に着いた左官屋さんが私たちを見つけ助けに来てくれましたが

母屋と納屋の僅か二十メートルか三十メートルくらいの間を、何十分もかかったということです。

そしてやっと入った米村さんの母屋には畳が水で浮いており、布団を貸してもらいそこに座って一夜を明かしたそうです。

姉の記憶によると、もう助からないと思いながら走ったが、助かってしまうとこんどは恐ろしくなってガタガタと歯が合わないぐらい震えながら一夜を明かした。

何も食べなくてもお腹は空かなかった、と申しています。

十勝岳からわが家まで直距離約二十五キロメートルぐらいですが、爆発してから約二十五分で泥流が流れ着いたといいます。

爆発は五月ですから、山にはまだ雪が積もっており、その雪を一瞬のうちに解かし、木や岩やあらゆるものを巻き込み、泥流となって山麓を襲ったものです。

流れてきた泥流はなま暖かったそうです。


日本の火山マップです




安井弥生さん


ご訪問ありがとうございます

また、麓のもうひとつのブログも覗いていただければ幸いです

麓が20年あたためてきた夢への第一歩です








人気ブログランキングへ



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

麓と彼女の少女時代 2

2012年07月19日 | 北海道風景日記


昨日に引き続き、麓と彼女の少女時代 2です

Shizuka Arakawa - You Raise Me Up (+和訳) - 荒川静香



麓と彼女の少女時代 2



今日、寮に帰った彼女

「楽しかった~」

それを聞いて麓も嬉しかったです



彼女のお母さんは英語がペラペラ

彼女自身も海外へ行ったこともあり

リスニングはバッチリ

でも、麓が今まで何回か「英語やる?」と聞いても「いや、授業ついていっているから大丈夫」と



彼女と今回ほど1対1で過ごしたことがなかったのですが

波長が合い、会話がはずみ

彼女は麓が出来ないでいた仕事(図書コーナーの整理)をしてくれ

とっても助かりました



また、麓も久しぶりに外に出ることができ楽しかったです

麓の夢のブログも見てくれ

はがきのデザインとか色とかアイディアをだしてくれ

昨夜、「同級生で英語大好きっていう子がいるんだけど」って

「今度、一緒に来たら?」と言ったら

「うん」


寮に戻ってから麓の携帯に電話が

「今、隣にいるから話してくれる?」



すっごく爽やかな感じの青年で

なんでも英語が大好きだけど陸上部でいそがしいと

でも、麓が彼女に託した手紙を読んで嬉しかったと


麓にしたら、すぐに反応してくれた彼の意欲を感じ超嬉しかったです

嬉しいな~こういう子はきっと、早く英語が上達するだろうって思います

「やりたい」という意欲が一番大事なのですから




昨日の夕方、印刷を終えた「第1回 イングリッシュ・キャンプ」のはがきを発送しました

そう、麓の夢ちいむら開村記念特別体験です

第1回は2泊3日のキャンプ(対象:小学生~高校生)ですが

今後もいろいろな形を考えていて

子どもだけでなく大人も対象の勉強会など



すでに、道内から大人の反応があり

出張講習会の依頼も



あとは、麓がずっと健康状態を維持できるよう

途中でダウンしないよう体力をつけないとって思わされています


月末には、関東へ出向きプレゼンすることが決まりました


麓は


英語というのは日本語や、その他の各国の言葉と同じで一つの道具だと思っています

とても便利な道具で世界中で使われていると

そういった意味でとても多くの言葉の中でも、一番便利な言葉のひとつだと思っています

ですけれども、それはあくまでも道具ということが重要だと思います

つまり、道具を使うのは私たちであり、道具が重要、あるいは大切なのではないと思っています

私たちがその道具をどういうふうに使っていくか、それが大事なことだと思います

同じ英語を話すのであれば、美しい英語を話してもらいたい

そして正しい英語を話してもらいたい

そのためには、私たちが日頃使っている日本語が美しく、正しくなければならないと思っています

日本語をちゃんと喋れない人が英語をちゃんと喋れると私は思いません

ですから、英語を勉強すると同時に国語や、その他の学校の学科、あるいは

お父さん、お母さん、身の回りの多くの方々から学ぶことはたくさんあると思います

どんどん、知識を深めて、そして自分を磨いていって

そしてその上で美しく正しい日本語を使う、美しく正しい英語、その他の外国語を使えることになってほしいというのが麓の夢です

美しく正しい英語、その他の外国語を使えることができたときに、本当にいいコミュニケーションが生まれるのではないかなと思います



世界は今だんだん地球時代になってきましたけれども

まだまだ言葉の壁、あるいは習慣、あるいは宗教の壁というのは大きいものがあると思います

そういう壁に窓を開ける、ドアを作る、交流ができるようにする

その一つの大きくて便利な道具が外国語、英語であると思います


塾やキャンプに参加する生徒は、すでに英語は頑張っている、好きだし、誰から言われなくてもどんどん勉強すると思いますが

それ以外の授業も一生懸命頑張って、素晴らしい日本語を喋れる日本人に

そうしてその上で素晴らしい英語や外国語を喋れる国際人になってほしい

ひとりでも多くの子どもや若者にこれを伝えたい

それが麓の夢です


麓が道具となってみんなの役に立てるようになりたい

それが麓の夢です




ご訪問ありがとうございます




わたしをお使い下さい.wmv








人気ブログランキングへ



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

井上陽水  「少年時代」

2012年07月18日 | 北海道風景日記




去年の8月8日に麓はブログを始めました

きっかけは、被災地から麓の家へ自主避難してきていた子どもたち、幼子です



彼ら、彼女らは8カ月から3歳がほとんどでした

そんな中、中学3年生の彼女がいました

彼女は夏休みが終わったあと

「農業高校へ行きたい」という夢を叶えるべく

北海道の麓の家の隣町の農業高校を受験し、合格しました

弓道部に入り、寮生活を送る彼女は

寮が休みで閉まる時には麓の家へ

土日が学校祭だった彼女は

海の日と振替休日が重なったため日曜日の夕方から麓の家に来ました



今日は、迎えに行った麓と彼女の「少女時代」をお楽しみくださいませ



※彼女は昆虫博士です



麓が空と木と花を見るとしたら

彼女は小さい生物に

長~い生物も全然大丈夫な彼女



途中現れますので

コーヒーとか飲みながらご覧にならないよう

こぼしても麓は責任負えませんのでwww


牛乳の瓶の中には虫が

折りたたんだ紙の中には蝶が

そして





寮に持って帰ると言い張る彼女

麓は「絶対蓋を開けないでね」と念をおし

部屋への持ち込みを許可

なんでも、彼女が言うには数日だったら大丈夫だそうです


麓「学校に持ってかえってどうするの?」

彼女「観察してから逃がす」「あっ、冷凍保存するのもいるけど」

う~ん

いろいろな「少女時代」があるものです


でも、いきいきと明るい彼女を見て嬉しいです

成績は、「数学だけなんで85なのに7かな...」あとはほとんど全部10

すごいです



井上陽水  「少年時代」


麓と彼女の少女時代  Part I




ご訪問ありがとうございます








人気ブログランキングへ



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村






麓は、夢を、はい、以前書いたと思いますが

20年近く抱いてきた夢を叶えるべく、今頑張っています

果たしてその夢を実現させられる力があるのか、体力は

かなり悩みましたが

マイナスにいるより、少なくとも0に

そしてプラスを目指していこうと

麓の夢はこちらのブログで徐々にアップしていきます

麓は、小さい一歩を踏み出そうとしています

是非、応援してくださいませ

よろしくお願いします



※麓のブログ友だちのアミさん

彼のブログで麓のこと紹介してくださいました

もう感激です

もし、みなさまのブログでも紹介いただければ

嬉しいです

よろしくお願いします





麓って 2

2012年07月17日 | 湖の麓のマイルーム


今、富良野はこんな感じだそうです(北海道新聞より)

麓が住んでいる道東は、大自然が残っています

よく言えば


住んでみて初めてわかったのですが

富良野みたいに気候が優しくないので

冬はマイナス30度から夏は、ほんの数日ですが、プラス30度

美しい地域なのですが

育つ花や植物に限界があり

上の写真のような色の彩はないです

麓が見えるのは様々な緑色空の青さ土の茶色です


未来へ Kiroro



麓はプロフィールに神奈川生まれと書いていますが

高校卒業まで、ずっと神奈川で育ちました

両親と弟が北海道に移住するという決断をした時

母は麓に「あなたはどうする?」と訪ねました

麓はピアノ専攻ですが

高校生の頃から母の仕事(英語塾)を手伝っていました

ピアノはライフワークだと思っていましたし

ピアノで食べていくことはかなり難しく

まだパリの大学のコンサートピアニストの課程を残しているのです

(海外では、いつでも大学に戻れるのです)


本当はそのまま、その課程を続けるつもりだったのですが

横浜の母校(インターナショナルスクール)で教員が足りないという手紙が届いていたこと

コンサートピアニストの課程は、かなり厳しく

はたしてその課程(大学卒後の課程)に足を踏み入れていいのかどうか迷い

両親も、特に母が、「帰ってきて」と


教授とも話したのですが、世の中には、箸より重いものを持たないピアニストがいると

でも、その人たちは、本当に金のスプーンと才能と運を与えられた人たちで

ピアノを続けることは当然だけれど

それを麓は本当に希望するのか?と

考えてみたら、麓はパリの大学の入学試験を受ける時に来仏したまま帰国しておらず

とりあえず、夏休みは3ヵ月あるから、いったん帰国して考えようと

それで日本に帰ってきました


話しを戻して、結局、麓は帰国し

母校のインターナショナルスクールで教えることになりました

そして、母の塾も手伝い

なので、母が「あなたはどうする?」と聞いた時には

すでに生徒がいて

麓はピアノも続けていたので「私はこちらにいたい」と



麓は、ある日突然倒れて緊急入院するまで

いえ、緊急入院しても北海道の両親には黙って、秘密にしていて

3ヵ月はばれなかったのですが

入院しながら、別の人に生徒を教えてもらい(=お給料をだす)

家賃を払い、入院費を払うということがそろそろ不可能になるという頃

医者から両親に電話が行き、母は神奈川の麓が入院している病院へすっ飛んできました

母は麓の病室に来る前に医者と話し

最低でも2~3年はかかる入院になると言われ

即刻、北海道の病院への転院の手続きを済ませ、麓を連れ飛行機へ


引っ越しはおまかせパックで

北海道の空港に着いても、両親の家に行くことは許されず

空港からそのまま両親の住んでいる町の病院へ

長い闘病生活のはじまりでした


麓にとって北海道は、来たくて来た北海道ではなかったのです

人生には3つの坂があると

登り坂

下り阪

そして「ま・さ・か」


でも、麓は今、声を大にして言いいたいです

「北海道へ来ることが出来てよかった、感謝です」と

もちろん、その後も別の病気にかかり

合計6回入院・オペと、つらい日々もあり

どん底を体験しましたが

「ありがとう」


苦しみを通して、いえ、通されなければわからなかったことを体験できてありがとう


こんなことを書いていながらも、もしかしたら、また弱音をはいてしまうかもしれませんが

その時は、是非「麓ちゃん、あの記事を忘れたの?」と言ってくださいませ

よろしくお願いします


ご訪問ありがとうございます







人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村




麓は、夢を、はい、以前書いたと思いますが

20年近く抱いてきた夢を叶えるべく、今頑張っています

果たしてその夢を実現させられる力があるのか、体力は

かなり悩みましたが

マイナスにいるより、少なくとも0に

そしてプラスを目指していこうと

麓の夢はこちらのブログで徐々にアップしていきます

麓は、小さい一歩を踏み出そうとしています

是非、応援してくださいませ

よろしくお願いします

金子みすゞ (1903~1930)

2012年07月16日 | my favorite things



タイム・トゥ・ セイ・グッバイ/サラ・ブライトマン&アンドレア・ボチェッリ 歌詞入り






金子みすゞさんの「大漁」です


朝焼小焼だ(あさやけこやけだ)

大漁だ(たいりょうだ)

大羽鰯の(おおばいわしの)

大漁だ


浜は祭りの

ようだけど

海のなかでは

何萬の(なんまんの)

鰯のとむらい(いわしのとむらい)

するだろう


『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期

そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです


金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました

成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます

そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした

4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは

『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました

ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした

23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい

さらには病気、離婚と苦しみが続きました

ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます

こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです

それから50余年

長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され

今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました

天才童謡詩人、金子みすゞ

自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています


ご訪問ありがとうございます








人気ブログランキングへ



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村


コメント欄下の「あわせて読む」から、もしお時間がある方は

緑の窓口などお楽しみくださいませ