豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2017年09月13日 07時26分53秒 | 日記
 ( Vol 2069 ) 最近 外食して気づくことは 金太郎飴のような感じがする 店が多い

金太郎飴 というのは なぜか

全国どこへ行っても 味に対する判断基準が 同じになってきている

同じようなものが 並ぶ


評判が良ければ すぐに取り入れ 横並びになる


そんな 意識が あるのではないか


独自性のない 料理を出している


そこには 利益至上主義の 弊害があるのではないか



先日 入った店では 鮮度をよく見せるための ライティングがなされていた

スーパーなどの鮮魚売り場で 使われている ライティングだ

自然光の中で見られたら 困るのだろうか

異常なほどに 鮮度が強調され 口にするのも 控えたいくらいだった


そのライティングは 他の料理には逆効果で 素材そのものを味うということを阻害していた


食は 見る 口にして味わう という行為があって 気持ちの良い食になる


しかし 多くの店は この点を 疎かにしているように感じる


見る ということに 力点を置きすぎた 店が多い


料理の値段は 提供される料理の値段とは 一致していない

値段が あまりにも高く設定されている


調理場においても 機械化がすすみ 誰でもが それなりのレベルの料理を出せるようになった 

それが かえって 接待するという ことを軽視することにつながっているのではないか


料理を出す それは 店の心である 



どこの金太郎飴のようになり 心が失われている店が 多く見られるのは残念である


客が 出す金額に見合う料理を出してもらいたいものである


  

また来たいと思う 店が少なくなたのは 残念である



それだけ もてなしの心が失われてきていることなのか


ここには 接客のマニュアル化の弊害でもある



接客に 人が介するのであるが 

その接客は ロボットと思うくらいである


人間味のない 接客が 金太郎飴状態にしている 一因でもある ように感じる



もっと ハートを 感じる 店が増えてほしいものである

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豊前善三つれづれ日記

2017年09月13日 05時48分52秒 | 日記
 ( Vol 2068 ) 北朝鮮への 制裁の国連決議がなされたが 核保有阻止ということにはならない

過去の核保有に対する 他の国の保有経過を見れば明らか

また 核保有国が 核の廃絶をしていない中 核の脅威を感じている国にとって 核は魅力であるが故に 核保有国である国が 北朝鮮の核開発への阻止を図ろうとしても 説得力はない


核の持つ力は 広島 長崎へ 原爆が投下されたことにより 示されている

軍事力の上で 核は絶対的な力を持つことを 明らかにした

力には 力で という 論理が いまだ 国家間で存在している限り 武力論争は消えない


核保有国は その力を知っているからこそ 核の放棄 廃絶 には同意しない

その同意しない国が いくら相手に対して 核の開発をするなと吠えても 効果はない


アメリカ 当時のソ連 の核保有からはじまり 他国の核開発の阻止を アメリカ 当時のソ連によって 行われたが 効果は全くなかった

核開発を阻止するには すべての国が 核廃絶条約に参加することである のだが それは不可能に近い

そのような中 力を持ちたいと思うのは 自然の流れではないか


いま 世界は 武力なしに 存在する ということに努力する必要があるのではないか


核兵器を 対抗する国への抑止力と する考えを どうなくすか 


いま 核保有国を含め すべての国が 考える必要があるのではないか


それには 世界は一つ という考えに立つことではないか


いつ 世界は一つ になるのだろうか





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