豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2024年09月24日 18時35分56秒 | 日記

( Vol  3405  )  世の中 どこかがおかしい動きになっている そこには 死なないために 生きる という行動である 死ぬために 生きる という行動が必要である

生まれ 生き 死ぬ

これが生命の営みである

ただ 死ぬ ということが 無になる と捉えているところに問題がある

 

死んだら どうなるのか

それは 現代の科学をもってしても わからない

わからない がゆえに 死に対する恐怖が起きている

 

そこには 死という場面に 直面することがなくなってきたからだろう

病院で死ぬ ということが多くなった

死について 頭でわかっても 別れ ということには 違った思いが起きる

無くなると 人は 惜しむ

この自然な行動が 死に対しても起きている

 

無くなると ことと 死ぬ ということは違う

という意識にたつことが大事ではないか

 

死ぬ ということは ものがなくなる ということは違う と捉えていくことが大事である

死んでも こころの中に 残る

 

この思いこそ 大事なのである

 

生まれ 生き 死ぬ

という サイクルを再認識する 必要がある

 

このサイクルを認めれば

死なないための行動は とらなくなる

いかに 生き いか 死ぬか 

ということを 考えると 死ぬことの捉え方も変わってくるのではないか

 

いかに生きるか

 


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豊前善三のつれづれ日記

2024年09月24日 17時56分44秒 | 日記

( Vol  3404  )   現代社会は 欲望の暗雲に覆われた 戦国時代と 同じ状態に陥っている

欲望を満たそうと行動している

ある者は 投資に走り 巨額の富を得て 世界制覇を夢見る

また ある者は 権力に走り 世界制覇を夢見る

 

欲望に振り回された 行動をしている

これは 中世時代の 混沌とした社会と似ている

 

今の時代は 形を変えた 戦国時代かと 錯覚

 

戦国時代は 領土の拡大であったが

今の時代は 経済による世界支配拡大

 

形は違うが 世界制覇への拡大 行動は同じである

 

科学が発達すれば 豊かになり 安定した世界がくる

というのは 絵に描いた餅

 

人間の欲望を 考えていない

人間の欲望は 満足することはない

いつの時代になっても

欲望は 形を変えて 生まれてくる

欲望という暗雲は消えることはない

 

人間社会は 文明社会を生んでから ずっと この暗雲の下で生きている

 

いつ この暗雲を 取り払うことができるのか

 

一人一人が 欲望をコントロールすることが できれば この暗雲を取り除くことができるのではないか

 

欲望をコントロールするのは 簡単ではない

 

「できる」と思う考えを 良い方向に使うならば できるのではないか

 

なんでも叶う なんでもできる

これは とても魅力的な言葉である

そこには まるで無限の力が沸いてくるような錯覚を思い起こさせる

 

その錯覚を しっかりと見破る 力をつける必要がある

 

現代社会は 中世時代の戦国時代と 変わらない

 

残念だが 人間社会は 本質的なところは 変わっていない

 

 

欲望に振り回された 社会

 

これが ずっと続くのだろう

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2024年09月24日 17時04分10秒 | 日記

( Vol  3403  )   今の時代 なんでも「できる」という思考 これは現状を受け入れることができない状況を生んでいる

災害における対応に対して なにかが起きれば 

対応への批判をする

「なんとかならないのか」という ことが口に出る

輪島地方における 豪雨による被害が 能登半島地震災害で避難した仮設住宅も 被害を受けた

これに対して 人は なぜ このようなところに 仮設住宅を建てたのか と対応への批判をする

これは 正しいのか

この批判には 「できる」という考えが起きているからだ

今の世の中 なんでもできる と思っている

しかし それは 思い違い である

 

なんにもできない と思うべきなのである

自然の前には なにも なすすべはない

 

安全 という場所 条件 を選ぶことは 不可能に近い

 

今 現代人の住むところは 自然災害を克服できる という前提で 築かれている

科学技術の安全神話を 疑うことをしていない

 

自然の中を 観察すれば 参考になることが沢山ある

 

身近なところでは アリの行動である

雨が降って アリの巣が 災害にあえば

黙々と 修復の作業をしている

自然には 逆らわない 自然に合わせて 生きている

 

しかし 科学の発達した現代人は 自然に合わせていない

 

自分にとって 都合の良いように 「できる」 と考えている

 

ここに いろいろな自然災害に対して 不満を起こしている

 

自然災害は 起きるもの

それを 受け入れれば なにも 不満は起きない

 

「不満」は 現代人が 自ら起こしている

 

考え方一つで 不満は 不満ではなくなる

 

人は 満足することに 慣れすぎている といえる

 

 


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