
・松花堂弁当は塗りの結構なもの、
おや、これは近所の仕出し屋から、
取ったものらしい
ひとくちふたくち食べて、
そのまま蓋をして置き、
眠ってしまった
夢なのか、
それともうつらうつらしながら、
考えていたことなのか、
あの世を遠くからのぞいている気がする
あの世には死んだ夫や、
私の両親がいた
舅姑もいる
大番頭、為吉っとん、
みんながずらりと並んで、
こっちを心配そうに眺めている
そしてここが、
私のびっくりしたところだが、
みんなの顔はおだやかに、
楽しそうで晴れ晴れしているのだ
あの世の住人という、
しょぼくれたところはない
あんなにきつく当たった姑でさえ、
やさしい穏やかないい人相になっている
そうしてみんなは口々に私にいう
「大丈夫か・・・」
「無理しなはんなや」
「そんなとこでいつまでも苦労せんと、
はよ、こっちへおいなはれ」
「こっちのほうが、
なんぼラクか知れまへんで」
「生きてる人間は死ぬのん怖がるけど、
こっちゃのほうが、
なんぼ楽しいか知れまへんで」
「早う来たらよかった、
と思いまんなあ」
その声色が知恩院さんの鐘のようで、
やわらかでたのしい
ハテ、私もお迎えが来るのかいな
しかし考えてみると、
あの世はそういうものかもしれぬ
「あっちの人々」は「こっちの我々」の、
あくせくぶりを指さして、
嗤っているのかもしれない
しかしその嗤いには、
嘲笑はなかった
心からおかしげな、
たのしげな笑いであった
ふと気づくと、
私は誰かに背負われて、
そこへ行こうとしている
私を背負うちょんまげの男は、
長男のようでもあり、
次男のようでもあり、
三男のようでもある
私は時代劇の婆さんになり、
ちょこんと息子の背中に負われて、
山奥へ山奥へと入ってゆく
これは昔話の姥捨てやな、
と私は気づいた
しかし、いい気持ちはつづいて、
悲しくはないのでる
いい気持でいい所へ行くのだ、
という感じである
そこまで夢を見て、
インターホンのベルで目を覚まされた
いつの間にか外は明けていて、
もう八時である
あたまはすっきりして、
熱もないみたい
少しふらつくだけで、
風邪はなおりかけている
ガウンを着てドアを開けたら、
お政どんである
お政どんは私を見るなり、
「ぼんぼんからの電話で、
ご寮人さんが病気やいうて聞いて、
まあ、びっくりして、
いそいで参じました
何ぞおあがりやしたかしらん、
いそいでお粥でもたきますよって、
熱いのをおあがりやす」
お政どんは勝手知ったるキッチンへ、
まっすぐゆき、
すぐ物音をたてはじめる
その音を聞いていると、
さすがに私はほっとして、
気が安らぐ
私はまず熱い片栗湯を飲まされる
「こんなときに昔の、
あの吸入器があったら、
よろしおましたのになあ、
ご寮人さん」
「ほんまに
あの白いぬくい湯気が、
シューっとのどへ入ると、
ええ心持ちやった」
「そいで富山の置き薬のんでたら、
いっぺんになおります」
お政どんは、
お粥をたいてくれながら、
夕べの弁当の残りの中身も、
上手に暖めたり、
蒸しなおしたりして、
皿に盛ってゆく
「それからこれ、
お祀りしときます」
「何やのん?」
「これがお鈴でございますねん
よう拝んでたら、
鈴を振るようなおナラが出ます
それが風邪の毒素でおます」
「いろんなお宗旨が、
あるもんやなあ」
「イワシのあたまも、
信心から、でおますな」
私もモヤモヤさんのおかげかしらん、
ここまで来られたのは
モヤモヤさんは私を病気にさせ、
足をすくって「ぬははは」と、
喜んでいるかもしれないが、
私は夕べの夢で、
あの世も怖くなくなった
あれはあんがい真理やないやろか、
あの世のほうがたのしい、
というのは
死ぬのは怖くもあるが、
ま、あの世は怖いところではない、
ということを知っただけでも、
モヤモヤさんに私は、
逆転勝ちしたわけである
あの世は怖いとこでないにしろ、
<さればとてせいてゆきたいトコでなし>
いま、この世が面白いから、
私は長生きしたい
死にとうないというのが本音である
「お政どん」
「へえ」
「おなかがすいてきたわ、ワテ」
昔なじみのお政の前では、
私も船場言葉がでる
「お粥では追いつかん、
ビフテキが食べたいわいな
何やしらん力が出てきましたわいな」
「へー、
鈴のおかげで、
毒素が出たんかもしれまへん」
エロ恍惚でもええやないか、
それまではツツいっぱい、
前沢番頭の分まで生きてみせたろ、
と私はモヤモヤさんがあきれるぐらい、
もりもりと気力がわいて出る



(了)