田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫
・兄の致信(むねのぶ)の、
もたらす情報も面白かった
「何しろお前、
お輿入れのお道具と、
それから諸国の受領どもが続々、
お祝いを届けてくるんだ
お邸のどの蔵もいっぱいで、
はちきれんばかりだ
物騒な世の中だから、
警護も厳重でな
おれたちも昼夜、
気の休まるひまはありゃしない
盗人と火つけにそなえて、
交代で寝ずの番だよ」
とまるで自分の邸のようにいう
兄はむろん、
左大臣邸にお仕えする、
保昌の殿のそのまた輩下、
なのだけれど、
昔から左大臣どのを、
(ウチの親方)
と呼んで自慢し、
頼っているようである
「でもいくら盗人だって、
大臣家をねらうはずは、
ないでしょう?」
「わかるもんか、
いまおれたちの間じゃ、
大盗人の『袴垂』が、
都へもぐりこんでいるという
こいつの息のかかった手の者は、
どのお邸にもいるって、話だ
このあいだ、
ウチのお邸の西の対の廊下に、
火矢が投げ込まれたのも、
どうやら袴垂の一味のしわざ、
だそうだ
袴垂という奴は神出鬼没で、
検非違使も手を焼いているが、
こりゃだめだ、
とても捕えるなんてこと、
出来ない」
「どうして?」
「上とツーツーだからだ、
役人の動きはいつも奴らには、
つつぬけなんだ
袴垂と役人が結託してるんじゃ、
どうにもならない
しかしウチの親分あたりは、
案外袴垂なんかもうまくものにして、
取り込んでいなさるかもしれんが、
でも、油断ならない、
何しろ、いまウチのお邸の蔵には、
お輿入れの財宝がぎっしりだ
砂金だってお前、
何百袋あるか見当もつかない
日本中の盗人は、
続々京へ上ってきて、
左大臣家のお邸を八方から、
ねらってる、という噂だ」
「大げさなこと・・・」
「何をいう、
当り前じゃないか、
京中の富はいや、日本中の富は、
いまんところ、
左大臣家に集中しているんだから」
兄のもたらす情報は、
私の認識の埒外であるが、
彰子姫のお輿入れを、
別の角度から見ることも、
私に教えた
「何たってこれからは、
彰子姫の時代だ、
お前、いまからでも、
おそくはない、
馬を乗りかえたほうがいい、
お前のひいきする中宮さまは、
ともかく後見がたよりないから、
先細りは目に見えている」
そして兄は、
後見の伊周(これちか)の君の、
悪口をいった
伊周の君は、
配流先の筑紫から召しかえされは、
しなすったけれども、
まだ表立って公的な場に出られない、
無位無官の身でいられる
私たちはもとのままに、
「帥の大臣」と、
呼びならわしているが、
罪人ではいらっしゃらないものの、
まだ元の身分に復ってはいられない、
宙ぶらりんの処遇だった
そして帥の大臣は、
お邸でけんめいに精進し、
祈念をこらしていられるという
高二位ゆずりというか、
この頃の伊周の君は、
昔、私がはじめて参内した時にみた、
あの大らかな貴公子ぶりを失われて、
祈祷念呪にうちこむ人に、
よくある狷介な隈を面輪に、
まつわらせられるように、
なっていられる
私はそう思って、
心を痛めているのであるが、
それを兄のように、
「後見がたよりないから、
先細りは目に見えている」
などとむきつけにいわれると、
たちまち腹を立てずにいられない
「あたしのことは、
抛っておいてください
兄さんはお邸のお宝を守って、
せいぜい袴垂に気をつけていれば、
いいじゃないの」
「怒ったのか、
袴垂はともかく、
盗人に入られたりしたら、
おれにいってこい
おれが口を利いてやる
もっとも、手数料はいるがね」
兄はそんなことをいう時、
いちばん嬉しそうである
兄もずいぶん老けた
荒々しい生活のせいか、
酒のせいか、
何となく無残な老け方だった
「おうっ、疲れた、
ちょっと休ませてくれ
寒いな、何か被るものはないか?」
といいつつ、
手枕で横になってしまう
そうすると、
その昔、
老いた父が昼寝をしていた、
その姿をほうふつとさせる
私は無頼の兄が老いる、
という姿を見たくなくて、
目をそらせる
こういう姿を、
棟世に見せたくないので、
なるたけ、棟世と兄のつきあいを、
さえぎろうとしていた
私と棟世の仲に、
身内の存在さえ投影させたくない
彰子姫の入内準備で、
世の中まで騒がしく、
浮き立っているというのに、
中宮のいられる登華殿では、
そんなことにかかわりなく、
日も夜も面白いことがあって、
のんびりしていられる
中宮大夫の惟仲に、
私はなぜか反感を持っている
これはほんとか嘘か、
よくわからないのだけれど、
私たちの間でささやかれる噂
あの伊周の君が、
母御の貴子の上の病が、
重いと聞かれて、
配流先の播磨から、
夜の闇にまぎれて、
駆けもどってこられたときの、
伊周の君の帰京は、
ひたかくしにされていたが、
密告者があって、
たちまち検非違使がお邸を取り囲み、
伊周の君を引っ立て、
即日、判決通りに筑紫へ送ってしまった
その密告者の一人に、
中宮大夫・惟仲の弟がいるという
しかもその弟・生昌(なりまさ)は、
中宮職の大進である
なんという無残な仕打ちを、
するのだろう
そういう暗い噂に包まれ、
目に見えぬ中宮方の反感を、
惟仲も察しているせいか、
私たちに会うときは、
いつも緊張しているようだ
ま、それはともかく、
五十五・六のおっさんの顔を、
見ていると、
(腕一本で成りあがった、
自信満々の野心家)
の臭味が鼻をついて、
そこから女性蔑視が臭う
すべていまはもう、
中宮を中心にしか、
私は考えられなくなっている
何か月先は、
どうなるかわからない、
しかしいまの中宮と主上の、
おん仲のめでたさだけを、
信じたい
主上はいまはもう、
夜の御殿へは登華殿の、
中宮しかお召しにならない
お二方のご愛情が、
花咲いたというのか、
うれしい知らせが春とともに、
やってきた
中宮、二度目のご懐妊
(次回へ)
・こんどの彰子姫の入内は、
御裳着の式をうわまわる、
さわぎになりそうだ、
と経房の君はいわれる
それにお輿入れの調度品の、
美事なこと、これも、
「前代未聞、
という噂ですよ」
と教えて下さるのは経房の君
「その中でも、
特別美事なのは、
何だと思われます?」
「さあ、何でしょう、
でもご入内のお道具なら、
こちらの中宮さまも、
お美事なのをお持ちに、
なりましたわ
ただ、
二条の宮の火事やら、
あちこち移られたまぎれに、
数は少なくなりましたものの、
お父君が心をこめて造られた、
お輿入れの調度は、
それはすばらしいものですわ
左大臣どのの姫君にも、
劣りませんわ」
ふしぎや、
私はこういうときになると、
たちまち定子中宮を庇い立て、
中宮のお味方意識が強くなる
いくら仲良しの経房の君といえど、
中宮を貶めるようなことは、
許せないという気負いがある
さかしい経房の君はすぐ悟って、
「まあまあ、
べつに調度比べをしよう、
てんじゃありませんよ、
男はそういうものに、
関心はないのだから
ただ、今度は、
ちょっと値打ちのある、
宝物といっていいものを、
お持ちになる、
これは世に珍しいといっても、
よいもので・・・」
「へ~え
どんな宝物か知らないけれど、
私にいわせれば、
この世の中の宝物は、
みな形のあるものでしょう
形あるものは必ず滅す、
と仏さまもおっしゃっていられるわ
それより本当の宝物というのは、
人間の才気、気だて、気力、
気魄、聡明、愛情、
そういうものじゃないかしら
いうなら定子中宮は、
たぐいない人間の宝物を、
お持ちになってお輿入れされたわ
中宮のいらっしゃるところ、
光と笑いが常に生まれるの
それこそご入内の、
この上ない持参金だわ
それに比べれば、
金銀で出来た厨子棚であろうが、
几帳であろうが、
ただのがらくたみたいな、
もんですわ」
「ま、
そりゃわかりますよ、
参ったなあ、もう
あなたまで過熱すること、
ないじゃありませんか」
経房の君は、
私の顔色をうかがわれる
「何ですか、
あなたともあろう人が、
桶洗し(ひすまし)童みたいに、
かんかんになって、
『春はあけぼの草子』でも、
書こうかという人は、
どんなときも客観的に、
見たり聞いたりするようでなくちゃ
私がいうのはね、
屏風なんだ
これが並みの、
四尺屏風じゃなくてね」
経房の君は得意顔になられる
もっともこれも、
ひたすら左大臣側に立って、
調度自慢するという、
単純なこのではない
純粋に面白がっておられる
「まず屏風は、
当代一流の画家、飛鳥部常則の、
大和絵が貼られていましてね」
「それだって別に、
珍しくございませんでしょ」
「まあ、聞きなさい、少納言
その絵にふさわしい歌を、
これまた現代最高の書家、行成の、
頭の弁に書かせようという」
「ははあ
でも格別変った趣向でも、
ありませんわね
頭の弁さまのお手の美事は、
みな認めていますもの」
「ところが行成卿に書かせる歌は、
誰の歌だと思います?
ありふれた古歌や、
そんじょそこらの歌詠みではない、
これも当代一流の公卿たちみんなに、
歌を詠ませたのですよ
こればっかりは、
左大臣どのの権力と人柄がなくては」
「どんな方々ですの?」
「公任、俊賢に、高遠に斉信・・・」
「まあ、斉信の君まで・・・」
「そればかりじゃない
花山院にもお願いしたそうです
何たって花山法皇は、
当代一流の歌詠みにほまれ輝くお方、
とはいうものの、
さすがにあまりに恐れ多い、
というので『詠み人知らず』として、
お寄せになったそうですが」
「どんなお歌なの?」
「<ひな鶴を養ひたてて松が枝の
影に住ませむことをしぞ思ふ>」
「おやさしいお歌ですこと
ひな鶴は彰子姫のことですね」
「公任卿はたしか、
<紫の雲とぞみゆる藤の花
いかなる宿のしるしなるらむ>
でしたか、
みなそれぞれ左大臣家の、
およろこびごとに、
めでたく唱和していられる
ところがもっとおかしいのは」
経房の君は眼を輝かせ、
「ただ一人、
左大臣どのの頼みを、
蹴った人がいましてね
中納言・実資(さねすけ)、
あのうるさ型の小野宮どの、
『上達部や法皇が、
左大臣の個人的祝いごとのために、
命じられて歌を献上するのは、
はなはだ奇っ怪千万、
往古聞かざることだ』
とつむじをまげて、
断ったという」
「まあ、
小野宮さまらしいじゃ、
ございませんか」
実資の君は理屈屋で、
しかも筋を通すのがお好きな方ゆえ、
しかにもそれらしい対応の仕方
しかし左大臣どのに乞われれば、
感激してわれもわれもと、
早速に歌を献ずるのも、
人情といえるし・・・
何にしても、
公任、俊賢、斉信というような、
当代の錚々たる文化人が、
寄せられた歌を、
行成卿が書いた屏風となると、
これは美事な宝物、
といっていいだろう
「実資どのは、
八、九年前に女の子を、
疫病で亡くしていますからね
子供運の悪い人で、
寺詣りに精出しているが、
一向に出来ないようだ
あの女の子が、
つつがなく成人していれば、
ちょうど彰子姫と同じような年ごろ、
それを思うと中納言もさぞ、
くやしいでしょうが、
しかしそのひがみともいえない
小野宮どのはもともと、
骨のある人だから
面白いじゃありませんか、
左大臣どののたっての頼みを、
蹴る男が当代にいるなんて
あははは・・・」
経房の君も、
ふしぎな方である
左大臣どのの身内という以上に、
左大臣どのにかわいがられて、
養子格でいらっしゃるのに、
平気でおかしがっていられる
そこが私と経房の君を、
結び付けている理由でもある
私たち二人とも、
それぞれに心寄せるところは、
ありながらも、
それはそれでという感じで、
ひろく見わたして、
視野に入るものすべての、
おかしい点を拾いあげて、
興じている
(次回へ)
・彰子姫のご入内は、
迫っているらしい
二月九日の御裳着の式の、
盛んだったことは、
人の噂や兵部のおもとの便りや、
また経房の君から、
私は聞いたのだが、
御裳着の式に引き続いて、
ご入内があるだろう、
というのはみんなの推測だった
裳着の式をすませられ、
おとなの装いをされた彰子姫は、
十二歳とも思えず、
美しくととのった貴婦人で、
いらっしゃるという
お髪もお丈より四、五寸も余り、
幼稚なところはなく、
しっとりと落ち着いていらして、
品位も威厳もおありになり、
すでにお后と申しあげるに、
ふさわしい姫君でいられるそうな
左大臣・道長の君も、
北の方・倫子の上も、
ご長女の姫の成人ぶりに、
とてもご満足で、
かつ鼻高々のご自慢で、
いらっしゃるそうである
むりもない、
待ちに待たれた姫君の、
ご成人なのだから
私たちの間では、
いろんな噂が流れてきた
ご入内のおびただしいお支度、
調度や衣装の豪華さ、
おつきの女房たちの人選やら
「それにしても・・・」
と誰かがそっと洩らす
「十二歳というおとしでは、
何といったって・・・」
「そう
どんなにお美しくても、
まだ子供じゃないの?」
「ほんとうに、
一人前におなりになるのは、
まだ四、五年さき・・・」
「そんな負け目で、
お支度にうんとお金をかけられる、
ってところかしら」
そんなささやきが洩れる
そして私は、といえば、
彰子姫やそのお調度類に対し、
とても興味があるのだ
それにもともと、
左大臣・道長の君に、
昔から親近感があるからだろう
そのため、
周りの人々のいうことに、
同意して悪口をいう気になれない
だからといって、
定子中宮に対し、
その心寄せ、忠誠心が、
薄れるというのでは、
断じてない
それとこれは別である
ほかの女御がたが、
入内されたときと違い、
彰子姫には敵愾心がもてない、
しかし、中宮のおんためには、
不安なのだけれど、
だからといって、
彰子姫を憎む気にはなれない
このあやふやな、
迷い多い気持ち
それをどう人に説明できようか
思えばもう十年ほど昔、
知り合いの兵部のおもとに、
こっそりと土御門のお邸に、
連れていってもらい、
そのころ、
生まれられたばかりの彰子姫が、
やがてはお后がねと、
大事に育てられていらっしゃる、
ことなど仄かに聞いたものだった
私はむろんその頃はまだ、
宮仕えに出ていない
何となく、
鬱屈した気分をもてあましている、
普通の主婦だった
則光と暮らして、
ことに不満もなく、
といって幸福ともいえぬ、
平凡な日々を送っていた
だからよけい、
きらびやかな権門のお邸に、
あこがれたのかもしれない
まだ道長の君は、
権中納言でいられたが、
そのお邸は活気があって、
陽気な家風だった
そういう家で、
可愛がられてお育ちになる姫は、
どんなふうにご成人に、
なるのだろうと、
私は心寄せ、
あれこれ思い描いていた
その方がようやくに、
稚い貴婦人として、
世に出られた
(あれから十年も、
たったのかしら・・・)
と自分の身の上と思い合せ、
彰子姫に親近感を覚えるのは、
どうしようもないことである
右衛門の君や小弁・小兵衛といた、
若い人たちはそれぞれ、
いまから彰子姫と、
その取り巻きの女房たちに、
敵意を抱いているようであるが、
私はその話が出ると、
何気なく席を立ってしまう
人に気付かれぬように
実をいうと、
兵部のおもとは、
このあいだ三条の自邸へ、
私を訪れて来て、
こんなことをいうのである
「北の方がおっしゃいましたのよ
いま世にいわれる、『清少納言』、
中宮さまにお仕えしている方で、
なければ、
ぜひこちらへ来て頂くのにねえ、って
あの歌人、清原元輔の娘、
ということで、
なみなみならぬ関心を、
お持ちでいらっしゃいましたのに」
と兵部の君は、
残念そうにいい、
「さりとて、
中宮さまに、
お仕えしていられる方を、
横からむりに、
ということもできませんしねえ」
なぜそんなことをいうか、
というと、
ただいま左大臣家では、
彰子姫づきの女房や女童の、
人選に大わらわで、
自薦他薦おびただしい人数が、
ひしめき集まっているそうな
彰子姫は他の女御がたや、
中宮に比べると、
いちばんおくれて入内される
だから、
後宮の先輩たちに、
見劣りせぬよう、
お付きの女房たちも、
ひときわ才色兼備の婦人を、
選りすぐらねばならぬ
その数も十人、二十人ではない
四、五十人の女房を従えて、
入内されるわけだから、
これは、と思う才媛で、
しかも家柄身分才能の、
栄誉ある人々を、
厳選されるそうだ
名だたる歌詠みと指を折られる人、
美貌で有名な人、
それらを洩れなく、
彰子姫への宮仕えを、
すすめる手はのびているそうで、
あった
左大臣家では、
「元輔の娘を、
誘うことが出来ぬならば、
あの女に負けないような、
才気ある人を女房に加え、
彰子姫の後宮を光輝あらしめたい」
といっていられるそうだ
兵部のおもとは、
それを私に伝えて、
残念そうにいうのだが、
私はむろん、
中宮以外に心が動くはずもない
父の元輔に、
いまも歌人としての敬意を、
払ってくださる、そのうれしさ
感激屋の私は、
左大臣どのにも北の方にも、
(ありがとうございます
亡き父もさぞ喜んで、
いることでございましょう)
と思いを通わせてしまう
二月九日の御裳着の式は、
盛大な宴だった、
ということだが、
こんどの入内はそれを上回る、
さわぎになりそうだ、
と経房の君はいわれる
(次回へ)
・「嬉しいお心遣い、
ありがとう存じます
そんなにも深くお考え下さいまして、
至らぬわたくしを、
お庇い立て頂きましたこと、
ほんとに嬉しゅうございます
とは申すものの、
やっぱり怨めしゅうございます」
「まだいってますか」
とまたまたあたりは、
笑いの渦がまき、
それは内裏中にどよめきを、
もたらす
「いよいよ考えますと、
わたくしに厳しく、
当たられましたことが、
思い合せられます
あとから降った雪を、
嬉しいと思いましたのに、
『それはだめ、
捨ててもとの雪だけに』
と厳しく仰せられたりして、
おきびしいなあ、
と内心、辛く思ったりしました」
私がいうと主上も、
「どうかして、
少納言の自慢の鼻を、
おっぺしょってやろうという、
お心持だったにちがいない」
とおかしそうに笑われる
「いいえ、
えこひいきなどいたしません
公平にいたしましただけで
でも、どっちかというと、
わたくしも少納言の、
得意顔を見るのは、
ちょっと辟易というところで、
ございました」
中宮は主上に言い放たれる
「そんな・・・
あんまりでございます」
と私が申し上げる呼吸が、
猿楽ごとのかけあいのようだ、
とまたみなしばらく、
笑うこと笑うこと
「さあ、
雪山の歌をお聞かせなさい」
「いいえ、
こうなれば、
もう決して申しあげません
また辟易なさるに、
ちがいないんですもの
ええ、いうものですか」
私が拗ねてみせたので、
またみなは心地よげに笑う
私だから、
みなが心許して笑うのかも、
しれない
これが引っ込み思案の、
泣きべそである小左京の君、
だったりしたら、
こんなに笑われると、
世をはかなんで、
首を吊るかもしれぬ
また意地悪の、
根性の据わった右衛門の君なら、
笑われると、
取り返しのつかない、
恥のように思い、
怨みを深く心に刻み付け、
いつかは仕返しをしようと、
もくろむ恐ろしさがある
しかし私は、
そのどちらの臭味もないのが、
人々によくわかるとみえて、
みんな心おきなく笑う
それと共に私は、
中宮のお気持ちも知った
あんまり一方が、
得意になりすぎると、
怨みを買い、
興がそがれてしまうこと
棟世が、
(人に目立たず、
怨まれないほうがいい
でないと長生きできない)
というのは、
ここのところをいうのかも、
しれない
中宮は美意識から、
そういう卓見を得られ、
棟世は中年まで生きて、
大人の男の知恵で、
そういう見識を持つように、
なっている
中宮が侍をやって、
雪を捨てさせられるという、
その行動力も棟世は、
見抜いていた
雪の歌を、
といわれて私が抗う、
中宮はこんどは、
手をかえ品をかえ、
私を慰撫なさる
私はますます拗ねる
笑い声はなお高まり、
まるで春が来たよう、
長保元年の春
そういえば、
今年は長徳五年(999)であるが、
去年の疫病の狂風を、
一掃するように、
年号が改められ、
今年は長保元年(999)となった
改元による大赦が行われ、
今年こそ去年みたいに、
はやり病や地震、
洪水など起きませぬよう、
と寺々で祈りが捧げられた
噂では、
左大臣・道長の君の姫、
彰子姫はいよいよ十二歳に、
なられるので春には、
裳着の式が行われるそうである
やがて入内のことも、
引き続きあるにちがいなく、
大臣のお邸では、
このところ昼も夜も、
そのご準備にひまがないという
私はそれを、
兵部の君や赤染衛門の君からの、
便りでうすうす知っている
彰子姫が入内なされば、
どういうことになるのか、
しかしどんなことがあっても、
主上の中宮に対する、
ご愛情は誰も奪うことが、
できないであろう
いまはまして、
女一の宮・脩子内親王、
(三つのお可愛いさかりである)
を中にはさまれ、
水いらずの楽しい月日を、
過ごしていられる
内裏へ移られた中宮や、
我々にとって喜ばしかったのは、
もう一つ、
長いあいだ欠員となっていた、
中宮職の長官・中宮大夫が、
決まったことだった
ただ私は、
それが平惟仲であったのが、
意外だった
私は惟仲があまり好きでない
古手の役人で、
いまは中納言に出世しており、
切れ者と噂に高い、
五十五、六のじいさんであるが、
野心家で欲ばりである
私から見ると、
権力欲のかたまりで、
むかし、東三条の大臣が、
惟仲と有国を寵愛されたそうだが、
有国は一時失脚したけれど、
惟仲はうまく泳ぎきり、
いまは有国に負けず劣らず、
左大臣側とツーツーだという
どうして彼が中宮大夫などに、
任じられたのか、
中宮大夫といえば、
中宮を守り立て、
庇い守り、
中宮のために挺身する、
という心構えがあり、
あくまで中宮側に立つ人、
でなくてはならないのに、
ぬけめのない惟仲が、
頼もしい味方に、
なってくれるであろうか
第一、彼は、
みくしげ殿別当の、
後見者である
彼は主上の御乳母として、
いま羽振りのいい藤三位と、
再婚していて、
藤三位の連れ子の姫を、
入内させている
いや、何より彼は、
生まれながらの公達ではない
母は備中生まれで、
郡司の娘、
そのせいか備中なまりがあり、
それが彼を押し強く見せている
私はそういう、
成りあがりもののしたり顔、
というのが虫が好かないのだが、
向こうも才女ぶる女の、
したり顔は好かぬ、
と思っているだろうが
役目がらを、
おろそかにすることもあるまい、
とも思われ、
何にしても中宮職が再建されたのは、
嬉しいことである
(了)
・「そんなにしょげなさんな」
棟世はそういって、
なぐさめるが、
それもなんだか、
からかわれているようで、
くやしい
「あなたが捨てたんじゃ、
ないでしょうね」
「私が
なんでそんなことを・・・」
棟世は笑い出して、
「そうぷんぷんしているあなたも、
すてきですよ
あなたは怒っているほうが、
かわいくていい」
棟世にかかっては、
私もいつまでも、
怒れなくなってしまう
それに彼は、
「私には、
雪を捨てさせた人は、
見当はつくがね」
「えっ、だってあなた、
私たち女房仲間、
一人一人よく知っているの?」
「いやいや、
なんとなくカンが働いてねえ」
棟世とそんなことを、
いい合っているうち、
心がなだめられたが、
それでも、
雪を捨てさせた下手人を、
あれかこれか、
と思わずにいられない
一月二十日、
私は参内した
局に落ち着く間もなく、
中宮の御前にまいり、
雪山の話をする
折から主上も渡らせられていて、
中宮が、
「それで雪はどうしたの?」
とお尋ねになり、
私の返事を待っていられる
「その下人は手ぶらで、
帰って参りましたのでございます
まあ、それを見る、
わたくしの気持ちったら」
と申しあげると、
お二方は声を合わせて、
お笑いになる
それにつれて、
おそばの宰相の君や、
右衛門の君、
小兵衛の君なども、
どっと笑う
若い小弁の君に至っては、
主上の御前ということも忘れて、
かん高い笑いを洩らしてしまう
それらに煽られるように、
主上も若々しい青年らしい、
笑い声を弾まれる
いっせいにはぜる、
その笑い声は、
どうやらみんなで寄って、
私をおかしがっているような、
気がする
私のへんな顔つきがおかしい、
とみえて、
まわりの女房たちは笑いころげ、
それに不安を抱いて、
あたりをみまわす私を見て、
またみんな、
袖で顔をおおって笑いむせる
御簾も揺れるばかり、
中宮と主上もお笑いに、
なっていらっしゃる
それで私ははっと、
直感がひらめいたのだ
棟世は
(私には、
雪を捨てさせた人は見当がつく)
といっていたではないか
棟世ではないが、
何となくカンが働き、
(おかしい・・・)
と思っていると、
中宮はまだ笑いの波が、
とめられないまま、
「少納言、
少し怪しんでいるわね
そうなのよ
雪を捨てるように命じたのは、
こにわたくしです」
「え~っ、まさか・・・」
「それほど思いつめている、
あなたの気持ちをはぐらかして、
しまったのだから、
仏さまの罰が当るかもしれない、
けれど・・・
実をいうとね、
十四日の夜、
侍たちをやって捨てさせたの」
十四日といえば、
その前日、雨が降った
雨で消えてしまうのではないか、
私は居ても立ってもいられず、
夜が明けるが早いか、
下人に見にやらせたのだ
十四日の朝、
円座ぐらいはあった、
という報告だった
それをその晩、
お取り捨てになったとは
「わたくしからの、
問い合わせの返事に、
『雪は捨てられていました』
と言い当てたのはおかしかったわ
侍の報告によると、
木守の女が出てきて、
けんめいに頼んだそうだけれど、
『ご命令だから
少納言の邸から見にきた者には、
このことは知らせるな
もし知らせれば、
小屋をこわしてしまうぞ』
などといったそうよ
雪は左近の司の南の築地のそばに、
捨てたということだけれど、
『たいそう固くて、
多うございました』
といっていたから、
二十日まで保ったかもしれないわ
今年の雪もその上に積もって、
二年越しの雪山に、
なったでしょうよ」
「そうだったので、
ございますか」
私がしょんぼりしたように、
中宮に見えられたのか、
引き立てるようにいわれる
「少納言が勝ったのよ
わたくしがみなの前で、
こう披露したのだから、
あなたがその雪の山を、
盛って来たのも同じことに、
なったじゃありませんか、
主上も、
この雪山あらそいをお聞きになって、
『少納言は、
ずばりとよく当てたものだね』
と殿上人たちにもお話に、
なっていらっしゃるのよ
さあさあ少納言、
しょげないであなたが、
その雪山につけて出そうと、
練りに練ったという、
その歌を披露しなさい」
「いえ、もう・・・
心がくじけてしまいました
中宮さまがこうも辛い目を、
お与えになるとは」
私はうつむいて萎えてしまう
中宮こそ、
私の晴れやかな得意顔の、
あと押しをして下さる、
共に喜んで下さる、
と思っていたのに、
かえって鼻をあかすような、
お仕打ちをなさるなんて・・・
そう思っている、
私の気持ちを見抜かれたように、
主上も、
「ほんとだよ
少納言は、年来、
中宮ご愛顧の人だとばかり、
思っていたのに、
おかしいなあと見ていたのだ」
と仰せられる
その上、
「中宮は少納言の、
お味方ではなかったのかも、
しれないな、ほんとうは」
などとからかわれる始末
私は涙ぐみたい気持ちである
「少納言が悲しんでいますわ
そんなにおからかいおあそばしては」
中宮は軽快にさえぎられて、
「少納言の返事に、
『あんまりあざといと、
誰かがそねんだのでしょうか』
とあったけれど、
さすがにぴったり敵中よ
あのねえ、少納言」
「は?」
「あなたは、
そこまで察していて、
かんじんのところが、
わからない人ねえ」
「は?」
「あんまり勝ちすぎてしまっては、
ものごとは美しくありません」
「はあ・・・はあ」
「黒白きっぱりつけるのは、
こころ幼稚なこと・・・
というより、
興がそがれて白けるでは、
ありませんか
すべて何でもたのしく、
おかしいほどにとどめて、
おかなくては・・・
あなたは子供みたいに、
一途な人だから、
放っておくと極まりまでいくのね
あなたが憎まれても、
かわいそうだと思って・・・」
(次回へ)