・「いったい、
どないしてやりまんねん」
と長男はいうが、
私にはちゃんと手はずが出来ている
私がお習字を教えている教室で、
女の子ばかりのグループがあり、
この子らが、
「なんでも屋」
というアイディア屋を開いている
アイディアだけではない、
パーティでも結婚式でも万端、
請け負ってプロヂュースしてくれる
「歌子先生、
任しといて下さい」
と可愛い胸を叩いて、
やってくれるのである
実際、女の子も三十の声をきくぐらいの子は、
アイディアは豊富だし、
行動力はあるし、
やる気と根性があるし、
それは見てても気持ちいい
「へー、
そんな商売おまんのんか、
学生のアルバイトかいな」
と長男はいい、
何にも知らんのやな
「プロやがな、
それでメシ食うてはんねん」
彼女らがたちまち、
パーティもプログラムを、
作ってくれる
スケジュールを立てる
ホテルを押さえ、
予算を決める
私が招くといっても、
客がかえって祝いの品を、
持参したりすると気の毒なので、
ごく安い会費を取ろうということになる
むろん、費用はほとんど私持ち
会費は形ばかりのことで、
客の精神的負担を軽くするためのもの
客は老人が多く、
小遣いも大切に使わなければ、
ならない人もいるのだから
といって、
年寄りくさくするつもりはない
照明、
楽団の手配、
食べ物の手配、
装置、
演出、
往復はがきの案内状発注・・・
さすがに手慣れたもので、
女の子たちはてきぱきと決めてゆく
昔、船場にいたころの女中の、
お政どんとおトキどんは、
これは客というよりむしろ、
私と一緒に主催者側になりたがっている
「ご寮人さんの喜寿のパーティがでけて、
こんなうれしいことはごあへん
どうぞして、米寿、白寿も、
お祝いしとうおますけど、
ご寮人さんお丈夫なさかい、
きっとでけますやろ」
とお政どんはいってくれる
九十九の祝いを白寿と呼ぶ、
と知っているところ、
大学出の偏波教養よりずっと上である
西条サナエのような、
古い昔の奉公人たち、
(前沢番頭が死んだのは惜しいけど)
身内みたいな古い取引先の生き残り
若いところは、
お習字教室の生徒さんらに、
絵の教室の先生や仲間
そのうち身内がきき伝えて、
「歌子はん、
もうそんなトシかいな」
と次々参加するといってきた
百人近くなって、
ホールの広さからもちょうどいい
「歌子先生、
お召し物は何色にしはりますか、
それが引き立つような背景にしますわ」
と女の子たちがいい、
私は着物にするつもりだったが、
あでやかなロングドレスを、
作ることになってしまう
もう毎日うれしくてならない
松屋町の親類から電話があった
この家は昔からの菓子問屋で、
当主は私の従兄の子である
「歌子おばさんに頼まれてた、
浦部の爺さんの住所わかりましたわ」
と読み上げたのは、
兵庫県の三田の奥の老人ホームである
浦部謙次郎も爺さんと、
呼ばれるようになったことに、
感慨があったが、
三田の老人ホームというのも、
意外であった
「奥さん死にはりましたんか」
「奥さん運の悪い人らしおすな、
はじめの奥さんは引き揚げてからこっち、
死なはって、
そのあともろた二度目の奥さんは、
ずっと若かったらしいけど、
これも十年前に離婚しはって」
「へー、
子供さんは?」
「前の奥さんに何人か、
みな東京で所帯持って、
あとの奥さんに男の子が一人、
これは大阪にいやはりますけどな、
爺さん一人でホームに入ってる、
らしいでっせ
七十九になる、
いうてはりました」
七十九の爺さんが、
三田の奥から来てくれるかしら、
と思ったけれど、
なつかしさに勝てず、
案内状を送っておいた
まだ私のことを覚えているであろうか
五十年のあいだ、
私は波乱万丈であったが、
謙次郎もまた平穏な人生では、
なかったようである
しかし心配したほどのことはなく、
謙次郎からの返信はまもなく来た
出席のところにマルをつけて、
名前だけ書いてある
いかにも老齢を思わせる、
震えがちな筆跡で、
青いボールペンであった
当日は気持ちのよい初夏の宵である
早めにホテルに行き、
控室で私はお政どんに手伝わせ、
ドレスを着る
「まあ、ご寮人さん、
おきれいなことわいな」
とお政どんおトキどんは叫んだ
薄い緑色のジョーゼット、
そよ風のようなドレスを作って、
エメラルドとダイヤの指輪をはめ、
胸もとはあんまり開けず、
といって詰めず、
首すじのしわは同色のチュールでかくし、
髪はふんわりブラウンに染め、
眼鏡も半分ブラウンに染まったもの
こういうのをかけると、
顔色も白く見え、
目元のおとろえも隠せるのである
実をいうと、このあと、
「ヨイヨイになる当番」
の札が待っているのやら、
「ガンになる当番」
が廻ってくるのやら知らないが、
いま、この宵のひとときは、
たっぷり楽しんだら、と思う
会場には、
「喜寿おめでとう 歌子さん」
と背景にあり、
花だらけ、テープだらけ、
私のお習字の教え子、
大学生の泰くんなんかが、
受付に坐っていてくれる
孫たちにさせようと思っていたのに、
孫どもはぼんやりして、
物の役に立たないのである
(次回へ)
・私は宝塚愛好者で、
「清く正しく美しく」
の生活信条を持っているが、
それだからといって、恋を、
「いやらしい」
と思うような動脈硬化オバンではない
夫と結婚したのは、
五十何年前であるから、
そのころのしきたり通り、
双方家柄の釣り合った見合結婚であった
一緒にいる間は情愛も生まれたが、
恋の何のというのではない
してみると神さんは私に、
「恋に無関係で一生終わる当番札」を、
おかけになったに違いない
しかもこれは三男の嫁の、
「教養偏波の当番札」と同じで、
どうやら一生、
首へかかっているものであるらしい
ただありがたいことに、
この札は首にかかっていても、
たいして辛くはない
このトシになればこの札は、
あってもなくても同じである
と、そこまで考えると、ふと、
(そうや・・・)
と思い出した
私だってまんざら恋を知らない、
ことはないのだ
二十歳(はたち)くらいの時、
今の夫との縁談がまとまる前に、
母方の遠縁の青年と見合いさせられた
浦部謙次郎という人である
この名前がすぐ出てくるところが、
クセモノである
してみると、
あんがい意識下では忘れていないらしい
絵に描いたような美男子だった
浦部謙次郎は役者になったら、
いいような男だったが、
浮ついたところがなく、
じっくりと地味で、
それでいて人柄はおだやかで、
私はいっぺんで好きになってしまった
両親も気に入り、
縁談はととのいかけた
私は有頂天であった
浦部謙次郎は横堀の、
材木問屋の息子であったが、
次男なので勤め人になっていた
近々、
東京の本社へ転勤するということで、
結婚して嫁をもらうつもりだったらしい
私は彼と結婚すれば、
東京へ行けると思うと、
それも嬉しかった
家でも、
遠縁の人間ではあるし、
縁談も進行中で、
淡路町の一六の夜店も、
二人で歩いたのをおぼえている
昔は兄弟やら幼馴染の坊んと、
一緒なら出してくれたけど、
ヨソの男と二人きりには、
させてくれなんだものである
もっとも、
夜店も女中か丁稚が一人はついて来た
しかしミナミの千日前の活動写真館へ、
連れていってもらったときは、
二人きりであった
しかしこのとき活動(映画)は、
何を見たのかおぼえていない
というのは途中で停電して、
まっ暗になったからである
謙次郎はすぐ、
「歌子さん、大丈夫ですか」
と心配そうに私の手に触れた
私は火傷したように思った
ショックで声も出ない
浦部謙次郎とは三、四度会ったが、
手と手が触れたのは、
そのときが初めてであった
謙次郎もハッとしたように、
手を引いた
今の恋は下から始まるらしいけれど、
昔の恋は手から始まるのである
それからすぐ電気がついたけれど、
私は上の空になってしまって、
さっぱりおぼえていなかった
いつまでも胸が鳴っていた
活動といえば、
栗島すみ子や川田芳子、
柳さく子、五月信子、
みな美人であったけれど、
私はのちに「大学は出たけれど」
という映画で田中絹代と共演した、
高田稔を見て、
(浦部さんそっくりや)
とひそかに思い、
高田稔が好きであった
ほそ面の目元に憂いがあって、
鼻すじが通り、
漆黒の髪を七三に分けている
「大学は出たけれど」
というのは昭和初年の不景気最中、
流行った言葉であったが、
謙次郎もその通りになってしまった
会社が左前になって、
彼は新しい職場を求め、
満州へ行くことになったのである
満州へ行ったら、
羽振りのええ暮らしです、
と仲に立ってくれた叔母さんはいったが、
私の両親は私を満州まで手放しかねて、
縁談は立ち消えになってしまった
そうして別れ別れになり、
それぞれ別の人と結婚したのであった
終戦後、満州から引き揚げて、
奥さんの在所の奈良に、
落ち着いたという風の便りを聞いたが、
そのころは私もなりふりかまわず働いて、
生きるのに精いっぱいだったから、
それどころではなかった
謙次郎は私より、
二つ三つ上だったから、
今も生きているなら八十近いだろう
元気でいるのであろうか
謙次郎との縁談がご破算になったとき、
私一人、身も世もなく悲しんで、
泣いたものであるが、
むろんそんなことは、
当時、人前ではひたすら隠して、
いなければならない
昔の娘は、
男はんに恋いこがれて泣きの涙、
などと人に思われることは、
死ぬほど恥ずかしいのであった
それで人前ではつくろって、
何気なくみせていたが、
一人になると涙が吹き上がってしまう
しかし、何となくなしくずしに、
慕情は消えていくようであった
これはまちがいなしのところだが、
死んだ夫とは結婚のはじめから、
謙次郎に感じたような、
胸のときめきはなかったのである
(そうや
浦部はんはまだ生きてはるやろか
・・・生きてはったら会うてみたい)
と急に私は思い立った
五十年前、
千日前の活動写真館で、
手ぇ握ってもらいましたなあ
・・・と笑い話にしたい
私の喜寿パーティの、
何よりの花束ではないか
歌子一世一代の恋物語なのだから
パーティに招こう、
と私は思い決めて、
仲人してくれた古い親戚に、
謙次郎はんの住所を調べてもらうよう、
電話した
どこの家も代替わりして、
古い昔の親戚など交際が途絶えているらしい
「トシヨリに聞いてみまっさ」
といっていた
いよいよパーティをするとなると、
生き甲斐が出てきた
(次回へ)
・娘に盛大な結婚式を挙げてやるより、
一人でやっていける気力を、
叩きこんでやるべきである
つまり、神さんの投げられる当番札が、
首へポン!とかかっても、
平気でニッコリ笑って、
当番が果たせるようにしてやるのが、
親の慈悲である
それにも気づかず、
つい目先の結婚式だけ、
盛大に挙げたいというのだから、
こっちはそれに張り合って、
喜寿パーティ、当番済ましパーティを、
やるのも刺激になってよいかもしれぬ
次の日からまたもや、
息子やその嫁どもの電話で、
ゆっくりできない
「パーティやりまんねんて?
いったいおばあちゃんがパーティやって、
何しまんねん」
とありったけの不満そうな声は長男
おや、婆がパーティやったらいかん、
いうのか
「ほんならオジンを見てみなさい
子供のおもちゃみたいな勲章もろた、
いうてはパーティし、
表彰された、
いうてはパーティしてるやないか、
なんでオバンが七十七まで生きたパーティ、
したらいかんのや?」
「しかし、
男は公的な立場やよって・・・」
「おや、
おかしなことをいうねえ
婆やいうても私はもと専務、
女実業家のはしくれ、
今でもお習字教室持ってます
女一人で自立してるんやから、
公的立場にちがいあれへんやろ」
「そないいうても、
いったいどないなパーティに、
なりまんねん」
長男は理解に苦しむようであった
「何やったら、
ウチの会社、戦後三十周年に、
なりますよってそれと一緒に、
お得意先呼んで感謝パーティ、
いうのんしたら、
古いもんも来てくれるし、
経費で落とせまんがな・・・」
「うわ、やめてやめて、
わたしゃ禿げちゃびんや白髪あたま、
むさいオジンらが義理で来るようなん、
いやや
それはあんたが会社のお人らと、
勝手にやりなはれ
こっちは私の好きな人、
喜んで来てくれるような人ばっかりを、
呼んでやりますのや」
「そやから料理屋で・・・」
「百人や百五十人の人間、
高級料亭へ呼んでられますかいな」
「百人も来まんのか、
誰らが来まんねん」
「わたしの友達やがな」
「おばあちゃんに、
そないにようけ(沢山)、
おりまんのか、友達が」
「世間のせまいあんたらとは違う」
ことごとく話がくいちがってしまう
次男の電話は夜かかってきた
「大体やな、
オバンいうもんは、
子や孫の後ろにかくれているもんじゃ」
ガミガミ言いの次男は、
私が電話に出るなり、
あたまからカマすのである
なんやて
女親や思ってバカにするのか
なんで男というもの、
会社でちょっと地位が上がると、
私生活でも同じようにいばるのであろう
一流や大会社やといばってみても、
広い世間、長い人生からみたら、
ほんの小さな水たまり、
そんな中でいばったって、
私から見れば、
水たまりを偉そうにスイスイゆく、
アメンボみたいなものである
この子も四十八、九、
五十に手がとどこうというのに、
そのくらいの省察もできないようでは、
嘆かわしい
尤もこの次男のガミガミ言いは、
私に対する甘えと依存心の、
裏返しかもしれない
「何でも子供に寄りすがって、
子供が喜寿のお祝いしようか、
いうたら、
そんな晴れがましいことはやめて・・・
と切なそうにするのが、
トシヨリというもの、
それでこそ奥ゆかしい日本の母、
いうもんじゃ
それをおばあちゃん、
なんやて?
ホテルでパーティやって、
楽隊よんでブカブカドンドンやるんやて?
なんでそう、
おばあちゃんは目立ちたがりやねん」
まるで私が露出狂のようなことをいうから、
私もカッとする
「何が日本の母や、
七十過ぎたら母親当番の札も、
首からはずれてますわいな
あんたも充分モトとったやろ?」
「当番がどないした、て?」
「何でもない、
とにかくわたしゃ、
このトシになったら、
やりたいようにやるのや、
人に寄りすがるなんてまっぴらや・・・
『とまり木』いう歌かて、
けしからん、
思てるのや
♪すがってゆきたい
あなたのあとを・・・♪
なんてあきまへんで
♪けとばしたい
あんたなんかは・・・♪
いうたらよろしねん」
「何やそれは
何のこっちゃねん」
次男はあっけにとられるが、
これは私が電話をかけながら、
横目で見ると、
テレビで小林幸子が歌っていたのである
三男はいつものことで電話なし
理屈いいの三男の嫁が電話してきて、
「お姑さん、
キンジュのお祝いなさるんですって?
キンジュって七十でしたかしら、
八十でしたかしら?」
大学出を鼻にかけてるわりに、
どこかひょっくり抜けていて、
学問がある人間というのは往々、
教養が偏波であることが多い
「七十七ですよ、
だから喜寿っていうんですよ、
キンジュじゃない、
キジュですよ」
「あら、私、
おめでたいことだから、
欣寿か金寿と思っていましたわ、
なんで喜ぶという字が、
七十七なんでしょう・・・」
大学で何を習うてるのや、
こういうのは「教養偏波の当番札」
をかけられているのであろう
しかしこういう当番は、
ヨソヘ廻ることがない、
いつまでも首へかけていなくては、
ならない
してみると、
どの人間もいつまでも、
ヨソへ廻せない当番札を、
一、二枚、首へかけられている
私もまたそうかもしれない
すっかり当番を済まして、
いまは首が軽いと思ってるけれど、
・・・と考えて、
ハタと思い当たった
私は恋をしたことがない
(次回へ)
・長男の嫁はいう
「何かご用があれば、
お伝えしておきますけど」
「いや、
喜寿のお祝いをする、
いうてたことでちょっと」
「そうそう、
お姑さんおめでとうございます
喜寿ですってね、
パパが『吉兆』でもはりこもか、
いうてましたけど、
豊中も箕面も割り勘で、
持って下さるんやそうです」
シブチン(ケチ)の嫁は、
何より先に勘定のことをいう
豊中は次男、
箕面は三男の家のあるところである
「いえね、
あたしゃいったん断ったんやけど、
考えてみるとこの機会に、
パーッと遊んでやれ、
いう気になってねえ・・・」
「それは結構ですこと、
ウチの近くの老人クラブでも、
この頃は民謡踊りが盛んですわ」
「誰が民謡踊りを、
老人クラブで踊るといいました?」
私はこの発想貧困な五十嫁を、
相手にしていると、
からかってやりたくなる
私のわるいクセであるが・・・
「でも、パーッと遊ぶ、と・・・
『吉兆』よりもそういうところへ、
いらした方がにぎやかで、
発散できるのやないですか、
あの、市民会館でもこのごろは、
カラオケ設備がありますし、
『ほっかほか亭』の弁当でも買って・・・」
この嫁としゃべっていると、
だんだん気が小さくなってくる
この嫁はたぶん、
「気の小さくなる当番」の札を、
かけられているのであろう
「あたしゃ、
ドーンとやりたいのよ、
一流ホテルのホール借り切って、
パーティでもしようかと、
思うんやけどねえ
古馴染みの人、みな招いて、
飲めや歌えとやりたいねえ
カラオケなんてしみったれたもんやなしに、
バンド呼んで好きな音楽やってもろて、
みなびっくりして楽しがるパーティを、
やろかしらん、と」
「まあ、お姑さん、
そんな・・・結婚式ならともかく、
いえ、ウチのマサ子、
今年卒業しましたでしょ、
いずれはと思って、
結婚の費用を心づもりしていますけど、
まさか喜寿のお祝いで、
ホテルでパーティなんて、
聞いたこともありませんわ
これが結婚式というのなら別ですけど」
何をぬかすか、
発想貧困嫁め、
私はせせら笑い、
「結婚式こそ、
公民館か老人クラブ借りて、
『ほっかほか亭』か、
『小僧寿し』の弁当で、
済ましたらええやないか、
若いもんはこれから先、
いつでも派手なこと出来るんやから
老い先短い私は、
いっぺんくらい、
ドーンとしたことやって、
花咲かせたいわ」
「・・・いえ、
それは・・・
・・・ですけど・・・」
「何ですか、
治子さん、
あんたはトシヨリはそそくさと、
民謡踊りですましとけ、
というのかいな」
「いえ、
そりゃおめでたいことですし、
喜寿のお祝いは、
それはもう・・・」
「紫の座布団も結構やけど、
私はパーティの壇上へ、
スポットライト浴びて出てきて歩く、
花束もらう、
いうのんが好きやねえ」
「でも・・・」
「あたしもちっとはえらい目、
して来ましたよってに、
やっと七十七まで生きたという幸運を、
ようかみしめて、
たまにはそういう晴れがましいことも、
やってみたいんですよ
そや、
楽団の人に『セブンティセブン』いうのん、
やってもらおうかしらん
あんた、覚えてはりまっか、
昔、テレビドラマで、
『セブンティセブン・サンセットストリップ』
いうのんあって、
この主題歌唄うてましたやろ」
と私はフシをつけて、
電話口で唄ってやった
「ほら、粋な探偵が出て来て、
駐車場係りのボーイがおしゃれで、
いつもクシで髪といてる、
『クーキー』いいましたやろが・・・」
「知りません」
「何も知らんのやな」
「お姑さんのおトシとは、
一緒になりませんよっ」
「何も明治大正の話やなし、
この間のテレビドラマやないかいな
『セブンティセブン・サクセスライフ』
とでも変えて唄うてもろたらどないやろ」
「誰に、ですか?」
「来客一同に大合唱してもらいますのや
その中を私がしずしず出て来ますねん
ここはエレガントにロングドレスのほうが、
よろしやろな」
「ま、お姑さん・・・」
嫁は泣き声をたてていた
「私は洋装やけど、
治子さんあんた、
民謡踊りが好きなんやったら、
アトラクションにホールの真ん中で、
踊って頂戴、
あんたとこのマサ子や、
豊中の道子さん(次男の嫁)、
箕面の須美子さん(三男の嫁)やら、
それぞれ娘もおるんやし、
みんなでそろいの浴衣着て、
『アラ、エッサッサー』と、
どじょうすくいでもやってもろたら、
面白いかもしれまへん」
「そんなことしたら、
マサ子、お嫁の貰い手が、
なくなってしまいますわ」
とうとう嫁は、
本式に泣き出したようである
私は満足して電話を切った
嫁の小心なケチぶり、
トロくささをからかうのも、
時にとっての気晴らしである
この嫁は、
出来の悪い息子を、
やっと大学へ入れたのでひと安心し、
こんどは娘をかたづけるのに、
全精力を注入しているらしい
そうして、
私の喜寿祝いに使う金は惜しいが、
娘の結婚式はパーッと派手にやろうと、
思っているらしい
豚児豚女に入れあげても、
彼らがありがたく思うであろうか、
ハナにもかけていないのだ
感謝してありがたく思うどころか、
当然と思いこみ、
結婚して一人前になっても、
いつまでも親をアテにしている、
というようになるのだ
そうして親の援助で、
どうやら家庭を作ってるようにみえるが、
もし親の援助がなかったら、
一人では何もできない、
うろたえまわって家庭崩壊、
というところであろう
(次回へ)
・長男は、
(おばあちゃんはずーっと、
えらい一生やったんやから)
というが、
けじめ人間に限って回顧派であるのだ
すんだことを振り返って、
(波乱万丈やった・・・)
などと自分で自分をいたわっているのも、
感心しない
「えらい目するのは、誰も同じやから」
と私がいったら、
「ほんま、そらそうや、
この不景気の折に会社張っていく、
いうのもいうにいえん、
えらいもんや、
ワシらでも」
と自分で自分に感心している
ちがいますがな
「えらい目は、
誰でも当番で来るのや、
町内会で『掃除当番』という札が、
かかりまっしゃろ、
マンションでもゴミ集めの日の掃除、
月番になってるとこも、
ありますがな
えらい目もそうやって当番制や」
「誰が決めましてん」
「そら神さんやろ」
「何を言うてはりますねん、
ほな、もう喜寿の祝い、
せえへんのやな」
「要らん」
「要らん、やて
もちっと可愛らしゅうに言えまへんか、
ほなもう、よろし」
長男は電話を切ってしまう
なぜか長男としゃべると、
いつもこういうケンカになる
当番制というのは、
今ふっと思いついて、
口から出てきたのであるが、
もともと生きること自体が、
えらいことなのではないか、
と私は七十年生きてきて、
思うようになった
ラクをして世渡り出来る、
と思ってはいけない
人間はこの世に生まれ落ちるとすぐ、
神さんか、超越者か、
誰かわからない大きな存在が、
「当番」の札を人間の首にかけられる
そう私はにらんでいるのである
この神さんは人間を、
「えらい目」にあわせる、
「えらい目当番ふりあて役」なのである
「死に別れ当番」
「生き別れ当番」
「病気当番」
「災難当番」
いろいろ、
七苦七難の割り当てられた当番が、
どの人間にもあって、
神さんはその当番表をにらんで、
(ホイ、
歌子には会社再建当番)
という当番を割り当てられる
私は必死に働いて、
その当番を果たす
まだその上に、
(亭主に死に別れ当番)
とか、
(むつかしい姑にいじめられ当番)
などという当番札を、
二重三重に首におかけになる
一つが済んで首からはずれると、
また一つおかけになる
誰の首にもかかっているわけである
どうかした拍子に、
すべての当番が終わって、
首になにもかかっていないことがある
それが今の私である
すべて「えらい目当番」を、
果たしてしまった
この当番をさぼって逃げようかとか、
人に押し付けようとか、
腹立てて突っ返そうとしたりすると、
また神さんは、
(太い野郎である)
というので、
(当番をのがれようとした、
バツの当番)
の札をおかけになる
図々しくさぼったり、
あつかましく人に押し付けたり、
怒ったり泣いたりせぬほうがよい
なぜなら当番は、
呵責や罪とちがう
いつか自分のぶんは果たし終わり、
他人の番へまわるのであるから、
そう落ち込まないでもよい
廻り持ち、当番制、
神さんは雲の上で人間の首を杭に見立てて、
投げ輪あそびのように、
人間の首に当番の札をかけて、
喜んでいられるのだ
絶対者の輪投げあそびであるから、
(こんな札、いやだす)
と文句いって投げだせない
ただ、当番だから救われる
その月当番、人によれば年当番を、
果たしさえすれば、
札は外される
たまたま、すべての当番を終えると、
今の私のように、
首に何もかかってなくて、
軽いことがある
人によれば、
たくさんの当番札を、
外してもらったとたん、
ツキモノが落ちたような気がして、
あまりの幸せに呆然となり、
身のおちつけどころを失い、
かえって気が抜けて、
(シューッ!)
と昇天してしまう者もいる
まことに不甲斐ないと、
いわねばならぬ
私などはうれしくてならず、
毎日、いそがしい
一人暮らしできるほどの気力と体力、
経済力をかねてとりのけておいたのも、
よかった
当番を果たすだけで、
一生終わってはつまらない
この身軽さもいつまでのものや、
わからない
よそへ廻っている当番札が、
いつ私のところへ、
(お待たせしました!)
と飛んでくるやら知れぬ
それはもしかすると、
(病苦の当番)
かもしれない
(事故死の当番札)
(子供に先立たれる当番)
かもしれない
しかしそういう当番が廻ってくるまでは、
できるだけ楽しくやればいいのだ
こういう時こそ、
パーッと派手にやってええのやないかしら
長男が「けじめ」だの何だのと、
一席ぶつから、
私はむらむらと反対したくなり、
「やめてんか、あほくさ」
といいたくなるのだが、
「首に当番札のかかってない祝い」
ということになったら、
これはお祝いをしても、
ええのやないかしら
あるいは、
「かかった当番札をみな消化したお祝い」
とか
またこういうのも考えられる
「次の当番が来るまでの、
幕間のお祝い」
とか
私は一人で、
うふふふ、と笑えてきた
一人暮らしをしていると、
こういうとき、
一人で笑わなければしかたない
夜になって、
もう長男も帰ったであろうかと、
西宮へ電話をかけると、
嫁の治子が出てきた
長男はまだ帰っていないそうだ
この嫁はくそマジメで融通利かぬ、
りちぎ者であるゆえ、
当番札などといったところで、
とうてわからぬであろう
わかるようであればいいのだが・・・
(次回へ)