聖なる書物を読んで

現役JW29年目

フィリピ (1)

2019-07-05 | 聖書
フィリピは、パウロのローマ拘留中に書かれたもので、フィレモンと共に最後のパウロ書簡です。

以下、田川建三氏の「新約聖書 訳と註」パウロ書簡②より、フィリピ1:23「その方がはるかにずっと望ましい」に関する註を引用させて頂きます。

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さすがのパウロもついに、自分が生きているうちに終末が来て、自分たちは生きながらにして永遠の存在に変えられるのだ、という願望を放棄せざるをえなくなった。

直接的な理由は、現在かかえている裁判の結果、死刑判決が出る可能性も考慮せざるをえなくなった、もっと基本的には、そもそも、自分が期待していたようなカッコいい週末の決定的な救済などが自分の生きているうちに実現するわけもない、ということを、この時期になると、嫌でも自覚せざるをえなくなった、ということだろう。

このほんの数年前まではパウロはまだ、自分たち信者の大多数がまだ生きているうちに終末になって、自分たちは死を味わわないままに永遠の生命へと救済されるのだ、と信じ切っていたのだ(ないし、自分はそう信じたい、とむきになっていた)。・・(中略)・・パウロの救済信仰の全体がその枠内で考えられているものである。

彼は自分もそう信じ(たようなつもりになり)、人々にも強くそのように説教して来た。それをこの段階になって修正しなければならなくなったのだから、パウロとしては痛苦な反省を伴わなければならないはずだが、御本人はまるで反省している様子はない。自分は一貫して同じ真理を言いつづけているつもりなのだ。

ここにも、いずれ我々が生きているうちにも終末が来るぞ、と宣伝し続けた教祖的新興宗教宣伝家が、結局終末なぞ来るわけがない、という現実の前でうまく変身していく実例の一つがある。というよりも、パウロがその元祖であったと言ってよいだろう。以後、二十世紀にいたるまで、キリスト教的新興宗教の教祖がすべてたどった道である。


(以上、読みやすく改行させていただきました~)
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統治体が言ってることやってることって、元祖パウロがたどった道なんだなぁと改めて思う。

そういう意味では統治体も聖書的だよねw。

でもそれって、霊的ではなくて、とっても人間的だなぁとも思う。

こうしたことすべてひっくるめて、聖書を書かせたのが神であるなら・・・

神は人間に何を伝えたかったのかなぁ・・・

人間が考えるどんな神にも、人間がつくるどんな組織にも、惑わされるな、ってことかしらん??