慧(さとる)とコズエ
◇映画「まく子」子供の端境期。。◇
「まく子」は、とてもとても不思議な設定だった。
観ていくうちに、
長いオトナの生活に埋もれていった<子供の気持ち>を掘り起こした。
忘れてた子供の匂いや、
無心で あそんだこと、
なのに
周りのオトナの振る舞いに、徐々に違和感を感じ始めたことなんかを。
子供。。でいられた無垢な感じは、ある時から色を出し始め、
男の子の幼い声は変な声になり、女の子はまあるい部分が多くなり、
いつのまにか子供からオトナへの入れ替えが粛々と行われる。
それは、
細胞が分裂し、ホルモンの鍵が開けられ、
中途半端なオトナの身体に変わってしまうこと。
主人公、小学5年の慧(さとし)には、
変貌し始めた端境期の肉体を受け入れることが出来ない。
板前で女好きのとうちゃんの不倫、
旅館を切り盛りするかあちゃんの沈黙と妙なテンションの元気玉、
従業員のおばちゃんたちの遠巻きの優しさ、、
オトナの空空しい空気感は、オトナになりたくない、、一つの原因でもあった。
そしてもう一つ、
この映画で何十回も出てくる言葉、「金玉」。
慧の心を大きく揺るがしてるのは、日々醜く変化する「金玉」だった。
これ以上大きくなって、はみ出したら、爆発したら、
みんなに醜い金玉をもってる・・・とバレたらどうしよう・・・
子供からオトナの身体へ入れ替わる端境期の真っただ中で、猛烈に悩み続ける。
そんな時に、突然現れたのがコズエ。
慧の旅館の従業員として働く母と共に、慧の旅館の寮に住み始めた。
同じ11歳の少女は、細くて背が高く、眩いほど綺麗すぎた。
帯表紙は
慧は思わず、コズエの肌に触れたい!!と手を伸ばす。
毎日一緒に遊ぶコズエへの気持ちが、恋心に変わる瞬間。
◇西加奈子の小説「まく子」◇
映画「まく子」を観て、原作の「まく子」を読みたくなった。
突飛な発想の映画なのに、瑞々しいモノを観る側にくれる。
西加奈子さんはどう描いたのだろう。。と、
驚くことに、映画でも、ほぼ100%表現されていた。
コズエとコズエのお母さんは宇宙人で、死が永遠に来ない細胞の粒で出来ていた。
二人は自分たちの星の存続のため、<死>を学びに地球に送られてきた。
コズエは慧たちといることで、笑うこと、家族の絆、変化、恋心、死を知った。
町の人たちや同級生はそれぞれに、
コズエの心の声を聞き、コズエとお母さんが宇宙人だと信じていた。
実は、一番近い存在の慧は半信半疑なのに、
慧より遠い存在のオトナと同級生たちは、コズエの心の声を信じていたことに凄く驚く。
それは
自分の曖昧な心の幼さに気づき、オトナへの入口に立った瞬間だった。
観て、読んで、
思春期をこんな形で表現出来ることに、、正直驚いた。
そのうえ
読み手に
圧倒的なあったかさを感じさせる西加奈子は、
どんだけの底力があるのだろうと思わされた。
◇草彅剛 とうちゃん◇
ある晩、慧は生まれて初めて精通してしまう。
なにか汚れてしまったような、悲しい気持ちでパンツを洗う。
そこへ
とうちゃんが現れ、慧の気持ちに寄り添ってくる。
悩みを打ち明ける慧に、
とうちゃんはパンツを下ろし、自分の金玉を見せ、二人でゲーーーーとなる。
ちゃらんぽらんで、女好きのとうちゃんが見せる男親の優しさだ。
映画では、草彅クンはチラチラしか出ないが、
背中や横顔だけで、
ちゃらんぽらんさと優しさが滲み出る風情はイケてた。
独断と偏見で言うと、
役者草彅剛は、映画「まく子」を楽しんでるように見えたんだけど。
私だけかなぁ。。
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