去年の緊急事態宣言から一年。
三度目の緊急事態宣言中の今、生活のリズムは全く変わった。
◇日々の綻び。。に気づく◇
買い物・移動・病院・飲食をミニマムにし、残ったのがたっぷりの時間・・・
偶然、
友人主宰のボイストレーニングに参加するようになり、
息が続かない
声に艶がない
飲み物を飲んでいて、なぜか・・・むせる、気管支に入る
どうやら、自分の身体が立派な老化への道のりを更新中だったと分かった。
その時、なぜか母親の老いていく姿を思い出した。
喉の老化は、
声帯と声筋の連携プレーが出来なくなること。
先ず、
声帯がピタッと閉まらないため音が口の中で反響せず、
声が掠れたように小さくなる。
だから、
他人さまが聞くと、何を言ってるか聞き取りづらくなる。
それは声帯と声筋の老化現象の始まりで、
声を出すための喉の周りの筋肉が衰えると、
物凄く転びやすくなったり、躓いたりが頻繁に起こるのだった。
実は、
これらの事は、母親の見守りから学んだことだった。
そして
おのれの声の老化が、
自分に関わるモノをなるべくミニマムにする断捨離から、
宇宙へのささやかな抵抗へと舵を切らせた。。
人さまから見たら、宇宙で蚊取り線香を焚くようなモノだろうか、、
それでも
コレが当たり前だと納得するのではなく、
少しでも血肉沸き立つモノが、欲しかった。
今を生きてる者として。。。
◇宇宙的な真っ赤な切り口を求めて。。◇
あれから一年。
毎日歌を歌った。
筋トレに向う時、スーパーへの道すがら、野菜をサクサク切りながら、
湯船に浸かりながら、、隙間を見つけては、楽し気な小鳥のように声を出した。
継続と根気は、当たり前の道筋を外れ始めた。
ようやく
喉の体力みたいなのが付き、20秒ほど声が続くように。
だが
足元からゴーーーーと沸き立つような ト キ メ キ がない、、
生きてることを
なんだか体の奥から疼くような感じが・・・
そんな時
ボイトレレッスンで歌う曲を探してたら、
今時のアーティストの切り口にへぇーーと感心しつつ、戸惑った。
King Gnuの
なにもかもハイスペックで、NYの摩天楼のような切り口。
その隙のない感じに、劣等感を抱いたり、、
Official髭男dismの
誰もが分かる背景は、どストライクの切り口。
でも
わらべ歌のように、自分には通り過ぎてしまう。
米津玄師の
語感の見事さに煙に巻かれるような、芥川賞的な切り口など。。
これらの音を通して感じるのは、自分は偏屈なヤツなのか…というモヤモヤだった。
14年前、自分を一変させたラテンのメロディのように、
自分に新しい風を起こす切り口はないのか・・・と
そんな長い凪待ちの時に出会ったのが、
藤井風というミュージシャンの切り口だった。
◇藤井風 真っ赤で、あったかい切り口◇
彼の曲を耳にした時、その言葉の連なりにナニ?!と。
言葉に疼き、カァーーーとなった。
繰り出す音は、予想を外れる音だらけなのに、グルーブ感に充たされた。
即行、ネットでアルバムを購入。
言葉の連なりを文字で追ってみると、矛盾する言葉もある。
そこの感覚は分からなくとも、
動かされる塊は大きく、矛盾なんかどうでも良かった。
その根っこは、愛、ただ愛なのだ。
シンガー藤井風の切り口は、あったかく、真っ赤だ。
そのあったかさに
ト キ メ ク。。感覚は、身体中の細胞にひたひたと浸み込んで、
明日もがんばろう♪という塊に動かされた。
毎日恙なく生きてるようで、どこかが朽ち落ちてくのが人生。
そんな中で、
音楽は無形のものだけど、救われる出口だったり、入り口だったりする。
藤井風の切り口は、大きなうねりを持って、
幕末の志士のように媚びず潔かった。
そして、また違う切り口に出会った。
芸術家 岡本太郎氏だ。
◇宇宙的な真っ赤な切り口 岡本太郎◇
日本人なら誰もが知ってる芸術家。
GWに岡本太郎美術館へ赴いた。
館内は、多くの人がゆっくり鑑賞。
意外だったのは、岡本太郎を知らない20代だった。
絵画・オブジェ・陶芸などは、宇宙との交信みたいな。。独創性。
陶芸以外は、
どれも赤を基調にし、観てると不思議な空間に居る感覚になる。
丁度後ろにいた20代の女性二人が
「有名にならなかったら、ただの奇人かもね」とノタマッタ。
まさに、その通りだと思ったが、
この奇抜な作品たちが見せているのは、自分を信じ切る切り口だと思った。
<岡本太郎氏の言葉>
もし世界が変えられないなら、変えることのできるものがある。
それは自分自身である。
自分というミクロ宇宙。
こういうときにこそ我々は自分自身を宇宙として、
猛烈に彩らなければならない。
たとえ自分の存在はささやかであっても、生きるよろこびは宇宙をおおう。
人間は即宇宙、対宇宙としてこそ生まれてきたのだ。
その為には、自分を用心深く、大事にしては駄目だ。
逆に自分を瞬間瞬間に分断し、切り捨てて行くことだ。
自分の存在に切り口をあたえる。
すると、
瞬間にまた新たな彩りが忽然とひらく。
今日もし多くの人が誠実に、勇気をもって、
そして平気で、己を変えていったならば、
私はこの絶望的と思われている世界の情況、
非人間的なシステムも変え得ると思うのだ。
でなければ何で人類が生きてきた、
そしてこれから生きて行く意味があるだろうか。
美術館に掲げられた岡本太郎氏の言葉は、読めば読むほど、
あぁぁ・・・と沁み込んでいった。
挑む、、とはこういうことなんだと。
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心臓の手術をして3年目に入っています。同時に
声を失ってそのリハビリも3年近くなります。
でもはかばかしい効果がなく、心療内科の先生まで
見てもらうようになりましたが、先日このブログ記事を
拝見して実際試してみました。
するときれいではないもののスムーズに近い声が
でたのです。おとといの診察時この件話をしたら
先生も非常に興味を持たれ「咲いた咲いた♪」とうたって
来ました。8月のしんさつまで このトレーニングを
繰り返し報告することになっています。まだ好転すると信じて。
ありがとうございます。
この三年間のあなたの日々を思うと
広い海に投げ出されたようなお気持ちだったと思います。
コメントを読ませていただいて
喉元まで
あったかい感情でいっぱいになりました。。
いつも
ブログの送信ボタンを押す時に
コレを読む誰かに届けばイイなぁ、、と
そう願い書いてます
どうぞ
小鳥のように楽しく歌ってください
歌ってると不思議な体力がつきます
それは気持ちの体力なんでしょう
うれしい
楽しい
ありがとう♪みたいな
広い海から脱出です
ファティン💪