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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

白駒池  紅葉

2007年10月15日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ

 

 

 

 

 

 

 

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白駒池

2007年10月14日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ

 標高2100m程の麦草峠の頂上のやや八千穂高原よりに白駒池の入口の駐車場があります。そこからですと、砂利の挽いてある歩道を少し歩くと原生林の中から白駒池の鏡面が突如現れます。今朝はその近い駐車場ではなく、約1Km蓼科よりにある麦草ヒュッテ入口にある駐車場に車を止め北八ヶ岳の森の中に入って行きました。車を止めた場所で外気温を見ると3度しかなく、かなり冷え込んでいます。時計を見ると午前6時前です。そこから鬱蒼とした暗い森の中を20分ほど歩くと急に視界が開け、白駒の奥庭という坪庭に出ます。坪庭にはシャクナゲなどが自生し緑の景色です。そこから少し行くと白駒池への遊歩道と合流します。ここでやっと人に合いますが、白駒池に着くとすでに沢山の人がカメラを構えていました。例年紅葉の見頃は10月7日頃ですが、今年は1週間ほど遅れているため、ちょうど今日が最盛期でした。

 

 

 

 

 

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極彩色

2007年10月13日 | 雑記

松代 真田十万石まつりでの「おいらん道中」の続きです。

 

 

 

 

 

 

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松代 真田十万石まつり

2007年10月12日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

 

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妻女山布陣の意味

2007年10月11日 | 雑記
松代にある海津城は山本勘助の手による城で、第4次川中島合戦の時(永禄4年・1561年)、春日弾正が城代を務めていました。上杉勢は同年3月に10万の兵をもって小田原攻めを行い、北条氏康と相対しますが、北条が決戦を避けたことにより、包囲を解き、越後に帰陣します。その間、北条と同盟を結んだ武田が越後に近い、松代に海津城を築いたことにより、武田との決戦を決意した上杉は8月15日、善光寺に着陣します。翌16日には、5千の兵を残し、1万3千の兵を率い、海津城の横を素通りし、妻女山に陣を置きます。この時信玄本体はまだ甲府にいましたので、海津城など、上杉の軍勢にかかれば、ひとたまりもなく落城させることができたのですが、あえて鋏打ちにされる恐れもある敵の懐に入り込んだ形をとります。川中島合戦については、明確な資料が乏しく、戦は偶発的な出会い頭の衝突がきっかけで大合戦になったという説も近年あるようですが、この上杉の妻女山布陣を見る限り、上杉が武田と決着を付けるべく戦に臨んだことが分かります。

上州に残された記録によると武田信玄の戦術は麦の刈り取りの頃攻め込み、食料はすべて略奪し、新苗は一つ残さず抜き取り、建物は焼き尽くし、捕らえた女性は売り、男は奴隷にして金山などで強制労働につかせていました。日本の歴史の中でも奴隷というものはあったのです。また征服した土地の民を疲弊させ、抵抗勢力を出させないようにしています。これだけ悪逆非道の限りを尽くした武将を現在英雄視しているのは、征服者の記録のみが記録として残されているからです。征服者は正しい記述はせず、自分の都合の良いことしか未来に残しません。

今から10年ほど前に、某宗教団体の教祖が大規模な無差別殺人を企て現在も容疑者の一部が捕まっていませんが、事件を起こす前にはその教祖を認め、持ち上げる業界関係者も多くいました。その教祖は空中浮遊という奇跡を起こすことができるという触れ込みで教団の信者獲得して行きますが、後でそれはうそであったことがバレてしまいます。さて、そういう悪人の教祖もいるのですが、実はまだ関係者がいるので多くは話せませんが、その教祖よりも十年以上前に、実際に空中浮遊ができる僧がいました。その僧を信望するある経営者がこの川中島合戦のあった地に建物を建設するにあたり、地鎮祭を依頼したところ、戦で亡くなった方の霊を鎮めるのに1ケ月以上かかったそうです。戦死者は上杉方が3000人、武田方が4000人とも言われていますが、それほど大量の戦死者を出した戦は戦国時代であってもあまり例がありません。

上杉謙信(当時は政虎)が妻女山に布陣したのが8月19日、その後八幡原一帯で大激突が起こる9月10日までの間に、どのような心理的、頭脳的戦いがあったかは、大変興味の湧くところです。


写真は松代の真田邸の塀(正面の屋根は文武学校)
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文武学校 真田十万石まつり

2007年10月11日 | 雑記

文武学校 弓道場

弓道場では弓の見本演技がありましたが、そこの床の間や、他の建物内には、いけばなの展示があり、なかなか見ごたえがあります。

 

 

 

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おいらん道中7

2007年10月10日 | 雑記
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おいらん道中6

2007年10月10日 | 雑記
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吉原流

2007年10月09日 | 雑記
松代藩は上田から移った真田氏の城下町として幕末まで栄え、恩田木工や佐久間像山など有名人を輩出しています。真田氏ゆかりの品々の本物の多くは、この松代に集まっています。それらは真田宝物館で見ることができますが、今、川中島合戦の企画展をやっているということで、日曜日に出かけてきました。ちょうど真田十万石祭りというイベントが開催中で、武者行列や文武学校(松代藩の学校)での剣道大会など盛り沢山の内容で、とてもいいイベントでした。特においらん道中は、地元の方が中心になっていたそうですが、玄人集団のような堂々とした足取りと豪華絢爛な着物、飾りなど目を瞠るものがあります。ご祝儀を配る旦那衆の家の前で、太夫が杯を酌み交わすのですが、最後の締めが吉原流という締めで、一本(締め)の後に、7拍を2回続けるというもので珍しかったです。
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おいらん道中4

2007年10月09日 | 雑記
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おいらん道中3

2007年10月09日 | 雑記
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おいらん道中2

2007年10月09日 | 雑記
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おいらん道中

2007年10月08日 | 雑記
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千曲川 笄の渡し

2007年10月08日 | 雑記

今日、松代真田十万石祭りに行く途中、笄の渡し付近で千曲川の上空に鷹が何羽を飛んでいました。鷹にまじってサギなどの鳥も見かけます。これも千曲川の川の恵です。

 

 

 

 

 

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信州の鎌倉 中禅寺 

2007年10月07日 | 雑記

薬師堂

 

 

 

 

 

 

 

 

関東・中部地方の中で最古の木造建築である中禅寺薬師堂は平泉の金色堂と同じ阿弥陀堂様式です。自然石の土台の上に立っていますが、茅葺屋根の先端にある宝珠が特徴です。薬師堂は本尊の薬師如来坐像、木造神将立像とともに国の重要文化財に指定されています。中禅寺の創建は空海上人ですが、寺の裏山の独鈷山には、旅に出た空海がこの山と地を気に入り、谷が100あったら総本山を作ろうと数えたところ、99しかなく、残念ながら高野山に本山を作ったという言い伝えが残されています。さて、こちらの薬師堂の前にあり、本尊をお守りしている、仁王堂にある金剛力士像ですが、近年の作でそれほど歴史的・文化的な価値はないものとして扱われていました。私が中学の頃、こちらに出かけ主に調べたのは、薬師堂と薬師如来坐像でした。仁王像はあるなという記憶でしかありませんでした。それほど当時は重要だとは思われていなかったこの金剛力士像。ところが、近年の調査で、実は大変古いものだということが判明し、平安時代後期、平清盛の発願で作られたものだったそうです。全国でも5番目に古い金剛力士像(仁王像)で、薬師堂や薬師如来よりも古いものでした。朱で彩られた体や黒の法輪、足飾りなど近くで見ると迫力があります。実は大変貴重な像と判った今も、以前と同じように門の下で薬師如来を守っています。中禅寺は素朴で趣のある落ち着いた寺院です。

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