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はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

軍艦の思い出

2010年06月18日 | 回顧録
先日、ラジオで
「あなたの軍艦の思い出を教えてください。」
というコーナーがありました。
軍艦の思い出・・・
これは、誰にでもあることではないだろうと思います。
でも、私にはあるんですよ。

私が小学校のころ、東京湾の写生大会がありました。
大会の正式名称や主催がどこだったかは覚えていませんが、私が通った小学校では、4年生から6年生までの生徒がその写生大会に参加しました。
季節は春だったか秋だったか?
東京湾に浮かぶ船など、港の風景を絵にするというものでした。

私の小学校の美術の先生は・・・いや小学校は図工の先生と言ったかな?油絵画家を目指している人でした。
放課後、図工室を覗くと、先生が一人でじっと油絵を描いている姿をよく見かけました。
先生は、タネさんという愛称で呼ばれていて、私たちはみな「先生!」と呼ぶより「タネさん!」と呼んでいました。

タネさんは放課後、無料で絵画教室を開き、私たちに絵を教えてくれました。
私を含めた十数人の生徒がその絵画教室に行っていました。
タネさんが私たちに教える絵は、水彩絵の具を使って油絵のような描き方をするものでした。

その絵画教室にタネさんのお気に入りの絵を描く生徒が二人いました。
私と同じ学年の生徒でした。
その二人はタネさんが教えるようなダイナミックな絵を描きました。
うまく表現できませんが、見たものを細かく描写するのではなく、大まかに捉えて大胆に描くような画法です。

毎年行われる東京湾の写生大会では、その二人の生徒が上位の成績を争っていました。
片方が金賞だと、もう片方が銀賞というように二人が賞の上位を独占する形になり、タネさんも大喜び。
学校に帰ってからも二人は朝礼で表彰されて、タネさんも鼻高々だったと思います。

東京湾の写生大会は、選に入ると副賞として生徒と保護者が軍艦に乗って、東京湾を一周することができます。
私は、4年、5年と「佳作」ということでギリギリ選に入り、軍艦に乗ることができました。
普通の人が軍艦に乗ることなどなかなかできることではないので、最初の年は母が一緒に乗り、次の年は父と乗りました。
弟もついてきたように記憶しています。

私が6年生になった最後の写生大会の時のことです。
当然、例年のようにその二人が賞を争うものと誰もが思っていました。
ところが、その年から審査員の先生がガラリと変わりました。

今までは、佳作にも入らなかった生徒が賞の上位に入り、賞取りの常連だった二人は佳作にも選ばれなかったのです。
タネさんの落胆振りは半端ではありませんでした。
絵にも好みがあるとはいえ、審査員が変わった途端、選ばれる絵は全然違いました。

その時、上位の賞を受賞したのは、私の親しい友人でした。
友達の描いた絵は、絵の具を薄く塗る描き方で、まさに水彩画という感じでした。
友達はタネさんの絵画教室には来ていませんでした。

タネさんは、
「あんな審査はナンセンスだ」
と言って、表彰式にも参加しませんでした。
私は子供心に「どうして?」と思いました。
先生のお気に入りの絵じゃなくても、先生の教え子が賞を取ったのだから、喜んでも良いんじゃない?
と。
タネさんの事は好きでしたが、そのときばかりはタネさんに不信感を持ちました。

ちなみに私はそのときも佳作をいただき、表彰式に出席し、軍艦にも乗りました。
私の絵は、どちらの審査員が見ても可でもなく不可でもない平均的な絵だったのでしょう。
でも、表彰式に出席しても軍艦に乗っても、タネさんがそんな風だったので、喜びは半減でした。
せっかく上位の賞を取ったのに、先生に祝福されない友達が気の毒でした。
同行した母も複雑な気持ちで友達の様子を見ていたのを思い出します。

あはは・・・
軍艦の思い出というより、軍艦にまつわる写生大会の思い出でした

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