はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

甥の挨拶

2014年03月23日 | 出来事
葬儀は11時からだったので、朝は、ホテルでゆっくりできました。
早めに斎場へ行き、義妹に頼んであった生花のお金を払うため、控え室に行きました。
すると、そこで義妹と甥と二人で、打ち合わせ中でした。
生花のお金を払った後、甥が、
「喪主の挨拶なんだけど、どう言ったらいいんだろう?オレ、本当のことを言うと、複雑な気持ちなんだよね。親父に『ありがとう』なんて、全然思っていないんだ。」
と言いました。
私は、
「形式にこだわることはないと思うから、複雑な気持ちを話すことで、挨拶に代えれば良いんじゃない?」
と言いました。
「複雑」と甥が言う意味は、わかりました。
たぶん、周囲の人たちは、みな、わかっていると思います。
故人のS君への接し方は、見ていても耐えられないような事が多々ありました。
それも、お酒が原因だったと思います。

S君の喪主の挨拶は素晴らしいものでした。
私の弟も東京から来てくれていたのですが、
「こんなに良い喪主の挨拶を聞いたのは初めてだ」
と言っていました。

甥の喪主の挨拶は、一般的な参列のお礼を述べた後、
「挨拶を特に考えていないので、思ったことを言わせていただきます」
と言って、話し始めました。

自分と父親とは、ぶつかることが多くて、腹が立つことばかりだった。
正直言って親父のことはあまり好きではなかった。
でも、こうしていなくなってしまうと、やっぱり寂しい。
父親のことがあったので、自分は、高校を卒業するとすぐに家を出てしまい、10年以上、実家へ帰ることはなかった。
5年前に病気になり、実家へ帰ることになったけれど、ほとんど父親と会話することはなかった。
でも、父親の具合が悪いことがわかってからの3ヶ月の間は、ずっとそばにいて、世話もできたことは、本当に良かったと思っている。
具合が悪くなってからは、大好きな酒も飲めず、たばこも吸えず、食事もできなくなってしまったけれど、きっと今頃は向こうの世界で好きにやっていると思う。
でも、そのまえに、先に亡くなったばあちゃん(故人の母親)にこっぴどく絞られているだろうなと思う。
親父は、湿っぽいことが嫌いな人だったので、明るく送り出して欲しい。

そんな内容でした。
静かな口調で独り言のように淡々と語る甥の挨拶は、素直で、私たち参列した者の心に響きました。

甥は、5年前にうつ病になってしまったそうです。
高校を卒業すると同時に大阪に出て、調理師の専門学校へ行き、卒業してからも大阪に残り、飲食店に勤めました。
そのうち、心の病気になってしまったそうです。
義妹の話では、ある意味、まじめで、何でもきちんとしないと気がすまない性格だと言っていました。
それが災いしてしまったようです。
当時同居していた彼女から義妹のところに、「S君の様子がおかしい」と連絡があり、義妹がS君を迎えに行き、福島に連れ帰ったそうです。
その後、S君は、その彼女とも別れ、何年間か、ひきこもり生活を続けたようですが、徐々に元に戻り、今では、そんなことがあったなんて、微塵も感じられない程、すっかり元気になっています。

S君のうつ病のことは、義妹も「病気」としか言わなかったので、全然知らなかったのですが、5年前のおばあちゃんの葬儀の時のS君は、元気がなく、痩せて精彩がなかったのを思い出しました。

そして、現在は、彼女とも復縁し、神戸で同居生活をはじめたらしく、来年には結婚するつもりだと言っていました。
彼女も、S君が戻るまでずっと待っていてくれたようです。
S君をひきこもりから救ってくれたのは、前夜の会食でお世話になった高校時代の同級生だったとか。
彼が、
「オレの店を手伝ってくれよ。」
と、S君を連れ出し、色々仕事をさせてくれたことで、徐々にS君は立ち直っていったようです。
S君は、「こき使われた」と冗談交じりに言っていましたが、何も考える時間がないほど、次々と仕事をこなすことで、心の病から脱却していったようです。

そんな話をこの二日間で聞きました。

葬儀が終わった頃は、朝から降っていた雨が雪に変わり、火葬場に向かう頃は、かなり大粒になりました。
福島の葬儀も埼玉と同じで、一日のうちに納骨まで済ませてしまうそうです。
私たちは、最後までお付き合いするつもりでしたが、3匹を娘たちに頼んでいるので、その日のうちに家に帰ることにしているため、納骨は失礼させていただき、お骨を拾った後、帰ることにしました。

ところが、火葬場で待っている間、雪はどんどん降っています。



そして、30分くらいの間に、徐々に積もり始めました。


甥の話では、東北自動車道は、福島より途中の栃木や群馬近辺の方が雪が多くなることがあり、途中で通行止めになる可能性もあるので、早めに帰ったほうが良いということでした。
主人は、骨を拾ってから帰りたいと言っていましたが、本当に帰れなくなりそうで、不安でした。
ニュースでも、東北方面の雪は翌日も降り続くようなことを言っていました。
私は途中で帰った方が良いと思いました。
義妹たちも帰ることを勧めてくれたので、主人も納得して、私たちは途中で帰ることにしました。
外に出ると、止めてあった私たちの車は、フロントガラスが雪で真っ白になっていました。

でも、東北自動車道では、福島を出ると、雪は雨に変わっていました。
途中の道は大丈夫でした。
予定より早めに向こうを出てきたので、早めに家に帰れそうでした。
ところが、首都高の架線下で起こった火災の影響を思いっきり受けてしまいました。
東北自動車道でニュースを聞き、火災の起こった首都高3号線を避けるようにしたのですが、誰でもそう考えるわけで、高速はどこを通っても大渋滞。
最初の予定では、8時頃に到着予定だったのに、2時間半もオーバーしてしまいました。

行きも帰りも渋滞に巻き込まれた福島行きでした。


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